まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

松賀屋を見学。続き

2022-11-27 23:47:40 | 建物・まちなみ
松賀屋の続き。



2階へ。手すりのある階段は途中で180度曲がり、2階の部屋の真ん中へ上がってきた。
親柱の柱頭は松ぼっくりと松の木を合わせたデザインが面白い。美しい飴色の艶はケヤキだ。


部屋に囲まれた階段室。建具に接する部分の親柱はハーフ松ぼっくりになっている(笑)


二階もやはり上質な木材がふんだんに使われている。


やはり欄間が素晴らしい。


タコのようにくねくねとした枝を伸ばす松の古木を透かし彫りに。迫力あるな!




床の間の壁紙の破れなどちょっと痛々しいものの、床柱や各部の造作はとてもきれいで状態よく保たれていて、
やはり上質な材と高度な技術で造られているおかげだな。


書院の欄間はまたすごい!しなだれ、くねった竹は熱帯の竹だろうか。
また梅のデザインの欄間もあり、松竹梅が揃う。


女中さんを呼び出すための筒。


こちらの部屋の欄間は華やかな扇のデザイン。照明を点けると壁にシルエットが映ってえも言われぬ雰囲気に!


広大なお屋敷の維持は本当に大変だろうが、街の財産であるこの建物を守り使い続ける方々がいることは
素晴らしく、建物にとっても幸せなことだな!


ランチは、松賀屋からほど近い海辺の、工場の一角にあるにがり衛門で。変わった名前だが、ここは
にがり&塩メーカー、仁尾興産直営のカフェなのだ。一見プレハブみたいなそっけない建物なのに
内部はおしゃれな雰囲気で、お客も大入り。


自社養殖のクルマエビを使ったドリアやエビフライ、にがりを使った豆腐のスイーツなどもある(写真なし笑)。
お土産コーナーにはいろんなフレーバーの塩や関連製品も充実。塩田で発展した仁尾ならではのお店だ。


順番は前後するが、松賀屋以外にこちらも花鳥苑の鳥取さんに教えて頂いた大喜多家の長屋門も見に行った。


高い塀を巡らせたお屋敷で中は窺い知れないが、塀の外側には溝も巡っている。


この溝は垂直な石積みで、幅はそう広くないものの深さが1mくらいもあり、堀と呼んでもよさそうだ。
 



素敵な洋館の下高瀬簡易郵便局も見に行く。このすごい建物が現役の郵便局なのだからたまげる!


隣には立派な和館もある。


面する道が細いので余計に背が高く感じられる。おでこに屋号らしきマークが見えるな。郵便局なのに屋号?
そしてよく見ると二階の窓の向こうは部屋でなく、レリーフのある別の壁があるぞ?どうなってるんだ??


三豊市の広報の記事によると、1935(昭和10)年に丸岡呉服店(屋号ヤマヤ)として建てられ、
1950(昭和25)年から簡易郵便局として使われているとか。しかし呉服店をやっていたとは
思えない立地なんだけど・・・建ててから早くに呉服店をやめているのはやはり適さなかったのか。。。



三豊市の広報(→こちら)には内部の写真も載っていた。タイル貼りの床にエンタシスの円柱が立ち、中央は大きな
吹抜空間となっているらしい。すごいな!!ここがどのように郵便局の執務室になっているのか・・・
平日に行って普通に切手とか買ってみたいなぁ!

続く。
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松賀屋を見学。

2022-11-24 23:23:22 | 建物・まちなみ
花鳥苑に泊まってオーナーの鳥取さんご夫妻といろいろお話していると、やはり同じように古い古民家を活用されている事例には
常々関心を持たれているようで、私たちが行ってきた渡邊邸の話なども興味を持たれ、すぐに予約を入れて
後日見学に行かれたらしい。
そして同じ三豊市内の仁尾にある「松賀屋」が公開していると教えてもらったので、チェックアウト後に
行ってみることにした。


松賀屋は、塩田を開発・経営し仁尾町の発展に大きく貢献した、その名も塩田忠左衛門の屋敷。
現在は一般社団法人松賀屋が管理運営をされている。いつも開いているわけではないらしく、ラッキーだった。




蔵の窓の漆喰細工の持ち送り。ひさしも銅版葺きで高級仕様。


長屋門のような土間を抜けたところは土蔵と母屋に挟まれた坪庭のような空間でちょっとした前栽がある。
土蔵は外側は杉板張りだったが内側は七宝繋ぎのなまこ壁だ。外側より内側の方が華やかとは!


おや、「露結」・・・デジャブか??渡邊邸にもあったような。
露結形手水鉢という種類があるらしい。「露結」とは兎を意味するとか。


母屋の玄関の間越しに庭が見える。


床下の換気口が何とおしゃれなことか!


母屋は明治末から5年の年月をかけて建てられ、大正5年の竣工。建物内はヒノキ、屋久杉、栂、黒檀、
百日紅など、高級な材がふんだんに使われている。広い敷地内に建ついくつかの棟が廊下でつながっている。
玄関脇に土間がついていて、奥へ奥へと部屋が連なる面白い配置だ。


部屋の中ほどのところに洋風の階段があるのが唐突で驚く。
元々はこんなふうに開放されておらず建具に囲まれた小さな階段室のようなスペースだったのだろう。
とりあえず、まずは1階を見て回ろう。


透かし彫りの欄間に目がいく。富士山と松の木。松賀屋という屋号だけあって松をモチーフにしたデザインが多い。


照明器具も古いものが残っているのがいいね。


座敷の床の間と床脇。


書院の欄間がこんな面白い形の花灯窓だ。


天袋の襖絵。



立てかけられていた屏風は、現代のものかな?


奥へと伸びた長い廊下に面していくつかの部屋が並んでいる。


丸木の桁が太くて長い!


どん突きは美しいなまこ壁の土蔵。


玄関の間の右手には茶室がつながっている。茶室と言ってもわび茶の狭く暗い茶室ではなく、広々とした8畳間だ。
洗練された空間で目立った装飾はほとんどないが、天井は屋久杉の長い板が使われている。


母屋の横に広がる空き地の場所にもかつては建物があったそうで、今よりもさらに規模が大きかったわけだ。
そちらには役人など身分の高いお客の入口として使われた御成門があり、草むらとなっている空き地に
点在する灯篭などを見れば、そこにはさらに豪壮な建物が建ち庭園が造り込まれていたのではと想像する。


続く
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花鳥苑に泊まる

2022-11-09 23:19:50 | 建物・まちなみ
渡邊邸から高速でビューンと三豊へ移動し、古民家ゲストハウス「花鳥苑」へ。ここが今宵の宿である。


鳥取家はこの地方の名家で、こちらは分家だけれども、すぐ近くにある本家は高円宮妃久子さまのご実家である。
「花鳥苑」という名は、現ご当主のお祖父さんが敷地の一角に温室を作って葵の栽培や小鳥の飼育を
やっていて、主催していた葵同好会の名が「花鳥園」という名だったことによる。
葵も改良品種がたくさんあって品評会にも出していたそう。
現ご当主の鳥取さんは以前よりこの建物を残したいという強い思いを持っておられ、あるときお友達を
泊めたことを機に2016年から民泊を始められた。
去年10月に文化財登録も済ませておられるが、なんと敷地内の12建物が登録文化財というからすごい!
実はここに泊まった約1か月後に、文化財登録を手掛けられた設計士さんの説明つきの建物見学会&マルシェ
が行われ再訪してきたので、そのときの写真も交えて紹介していこう。

明治前期に建てられた母屋は鉄板で覆われているが元は茅葺で、「四方蓋」と呼ばれる香川県に多く見られる
屋根形式である。


離れの方が客室となっている。もともとあった門が焼けてしまった跡地に大正末期から3~4年かけて集会用の
建物として建設、昭和初期に完成した。民泊は1日一組のみの貸切なので気兼ねなく過ごすことができる。


裏には洋室もついていた。


中に入ってみると・・・1階には広い続き間の座敷があり、片方の部屋にはすでにお布団を敷いてくれていた。
この部屋は三方が全面障子。建具は幅が1/4間と通常の半分サイズで、しかも横スライドの雪見障子になっている。なんとクール!!


擬宝珠つきの階段の親柱。


階段の横には控室のような小さな部屋があった。


押し入れの襖を開けると、床の間が現れる。枠に竹が使われていたり壁がブルーだったりしておしゃれ
なのだが、それだけではなかった。


掛け軸をずらすと・・・何とそこには棚があったのだ!ここにへそくりなどを隠しておくわけだな(笑)


さて2階へ。


2階の座敷はとても明るくて風通しのよい空間だ。


繊細な組子細工が美しい丸窓。


厚みのある欄間は表と裏どちらから見ても立体的に彫られている。ただこれは近年作られたもの。


居心地よさそうな窓際のソファコーナー。


欄干には透かし彫りが施されている。


中庭に面した廊下の欄干はさらに凝っていて、花や風景、昆虫などの透かし彫りはすべて違う柄なのだ!
素敵~~


さて、風呂場棟は離れ座敷から裏へ出たところにあるのだが、この渡り廊下が面白い。


横から見るとこのように風呂場棟の吹きさらしの廊下の上に板が乗っている感じ。この板が外れるのだろうと
いうことは想像がつくが、何と建屋の床下へスライドしてすっぽりと収納されるようになっているのだ!
面白いなぁ~


焚口の横のドアを開けるといきなりお風呂場だ。えっ、服を着たまま!?(笑)。実際に入浴するときは
廊下をぐるっと回って裏側の脱衣所から入ることになるが、脱衣所は後回しにして先にお風呂を見ていこう。


こちらが、花鳥園名物の五右衛門風呂!客人用のお風呂としてつくられたので豪華な仕様だ。
湯気抜き付の折り上げ天井になっていて、傘天井のように竿縁が放射状に広がる。洗い場の床はいちめん
無釉モザイクタイルのカーペット貼り~~~!花模様を全面に散らしてボーダー模様の縁取りもかわいいね!


そして、脱衣所からの入り口の部分は、オレンジと赤のこんな派手な市松模様。


ドアが2方向にあるのもまた変わっている。左のドアは脱衣所へ、右のドアはトイレの方につながっている。
焚口の横のドアと合わせて3ヶ所もドアがあるなんて。どこからでも入れて便利だけど、入っているときに
開けられそうで落ち着かない!?(笑)

なお、花鳥苑では薪割り体験や、その薪で五右衛門風呂を焚いて入浴も体験することができる。
それもいいがやっぱり泊まってこのお風呂を独占で長風呂するのがいいね~~(笑)

こちらがお風呂の奥にあるこじんまりとした茶室のような脱衣所。こんな飾り窓もある。
ここで髪結いをしてもらっていたとの話で、壁には床屋のような造り付けの鏡と台が今も残っていた。


こちらはトイレ。木がふんだんに使われて雰囲気あるね~~内部は白無地タイル。
廊下に面した観音開きの板戸はスイングドアになっている。


手洗い場もお風呂と同じ無釉モザイクタイルが使われていて、ちゃんと花柄も入っているのがしゃれている。
昔の造りなのでちょっと低いためボウルを置いているそう。垂直面はトイレの壁と同じ白無地タイル。




母屋の大テーブルでコーヒーを頂きながら、大嘗祭や牛レンタルの話、民泊運営の話などご夫婦から聞いたり、
見てきた渡邊邸の話などをしたのも楽しい時間。
見学会の日には土蔵前に休憩スペースも作られていて、帰り際にちょっとのんびり座って休憩した。


ご当主の努力により美しく手入れされ状態よく保たれている花鳥苑。素晴らしい建物に泊まれるのは
とても嬉しいことだ。あぁ満喫した!

続く
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香川の渡邊邸を見学。緑の敷瓦

2022-10-17 22:53:22 | 建物・まちなみ
渡邊邸見学の続き。



雀巣庵から奥へ進むと、「念魚庵(ねんぎょあん)という広間の茶室がある。書院付きの床の間があり格式高い奥座敷といった風情。ここはもともと渡邊家に伝わる茶室。


床の間にはつやつや漆塗りの床框があるのだが、なんとこれ、床框の上面と前面を覆うL字断面のカバー用部材で、パカッと取り外すとその下からは、同じく漆塗りで高名な蒔絵師による高台寺模様入りの床框が現れた!!


こういうの最近どこかでも見たな!?と思ったら、この1か月ほど前に行った近江八幡の西川甚五郎邸だったっけ。


欄間のコウモリの透かし彫りは結構リアルな感じ。いろんな飛び姿が楽しいね!
これは揚家の「姫隠しの間」にあったものとか。


書院は半間分踏み込める奥行きがあり、それ自体が小さな部屋のような空間。正面にはシンボリックな花灯窓が。


その上の欄間も美しい子持ち格子。「業平透かし」というそうな。


書院から、この窓のある壁一枚挟んだところに念魚庵の「内腰掛」がある。雀巣庵の入口と同じくらいの大きさで、ここも玄関にしか見えないのだが、玄関とは言わないようで・・・茶室は難しい。


この赤い毛氈の上でお抹茶をいただく。こういうとき、基本的なお茶の素養ぐらい身につけておかないと恥ずかしいな・・・と思う(汗)




そして、こちらが離れの茶室「孤月庵」。「茶室」と聞いて私がまず思い浮かべるのはこういう建物だが、広間の茶室は武家好みで、詫び寂びの茶室は豪華でぜいたくな茶道への反発から千利休や小堀遠州が作り出していった・・・ということらしい(合ってるかな??汗)
この建物の妻壁に掛けられた「孤月」の文字の入った「ぬれ額」は、何と小堀遠州の手描きなのだとか!


この孤月庵の軒下に、織部の敷瓦が四半貼りで敷き詰められている。模様はないがグラデーションのついた緑色の敷瓦はえもいわれぬ美しさ!!私たちは狂喜乱舞で表面をウェットティッシュで拭き拭き写真を撮っていたのだが、ちょうどこの日庭園の手入れに入られていた庭師さんが最後に水まきをされていたので、小橋さんが頼んでくださって敷瓦に水を撒くと・・・このような透明感のある翡翠色に!!きゃ~~~っ


にじり口へ向かう踏み石、沓脱石がまるで水面に浮かんでいるかのように、石の形に添って敷瓦を切り欠いてある。何とていねいな仕事だろう。


この敷瓦は小橋さんのお父様である渡邊順久氏が茶室を移築した時にこだわって特注した織部焼の敷瓦なのだが、昭和30年代に作ったこと以外詳しいことは分からないとのこと。大変お気に入りで茶会の日には自ら雑巾がけまでしておられたそうだ。水に濡れた一番美しい姿を見ることができてラッキーだった!


カットした残りのかけらを見せてもらうと、素地は真っ白で2cmぐらいの厚みがありテーパーはついていない。う~ん、見てもどこのものかは分からないなぁ。。。


にじり口から入って中も見学できた。写真手前は木賊の天井。モンゴルの絞りの毛氈も素敵~~~!


網代天井の水屋。


この照明がまたいいね~!桐がモチーフ?最近のものかと思ったが順久氏の時代のものという。


孤月庵の奥から廊下が伸び、その先は母屋の台所に通じる。廊下の欄間に梅の花の透かし彫り。廊下はその向こうは船底天井。


この廊下にあけられた長円形で波型の格子の入った窓は、「かげろう窓」と呼ばれている。ゆらゆらしたシルエットが陽炎を思わせるからだろうか、美しいネーミングだなぁ!


今回見学できなかったが白雲軒というお茶室もあり、アルバムの写真を見るとまた違ったスタイルで意匠が凝らされている。もうまるで茶室の展示場のよう。お庭には見る人が見ればすごい灯篭がたくさんあったり、秋にはお庭が真っ赤に染まる見事な紅葉!!
そして入口脇のなまこ壁の蔵では、学生時代にバンド活動にはまっていたという小橋さんが、娘さんやお仲間と一緒にライブやワークショップもされているという。楽しそう!
古い茶室を守りながら蔵でギターを弾く。カッコイイなぁ~~機会があればライブを見に来たい。そして、もう少し茶室の知識を持って建物をもう一度見学したい。
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香川の渡邊邸を見学。青い敷瓦

2022-10-13 22:11:53 | 建物・まちなみ
四国の三木町というところにある渡邊邸へ、予約して行ってきたときのことを。


渡邊邸は表門を入ると右手になまこ壁の蔵、正面奥に玄関、左側の塀には御成門が設けられている。


オーナーの小橋あやみさんが迎えて下さる。建物の見学には事前にスケジュール調整が必要だけど一度に1組だけでゆっくり見学させてもらえるのが嬉しい。調整してくれた友人に感謝!


この渡邊邸は面白いつくりで、茶人であった小橋さんのお父様が、古高松の豪農揚(あげ)家から5つの茶室を移築したといい、家じゅうが茶室になっているのだ。住まいというよりももてなしの場として使われた建物のようだ。




奥まったところにある引き戸から入ると、黒い敷瓦が四半貼りされた玄関は現代風な雰囲気。


織部の井戸滑車が飾られていた。庭の井戸で使われていたものだろうか。


古そうな板戸絵もある。


部屋へ上がるとそこは「雀巣庵(じゃくそうあん)」という茶室。


御成門から入って外露地に設えられた待合から、敷石づたいにこちらへ入るようになっている。茶室の入口らしからぬ、立派な式台付きのお客様用玄関だ。


室内は網代天井や下地窓などすっきりした数寄屋の意匠。障子にシルエットが浮かび上がる大きな半円形の「櫛窓」の設えなどセンスが光る。


雀巣庵は茶室といっても、まずお客をここへ通すという応接間的な部屋なのだろう、比較的カジュアルな雰囲気。(茶道の素養がないのであまり分からないが・・・汗)


そしてこちらのトイレ、うぉ~~っ、足元が青い!?


瀬戸の本業敷瓦が敷き詰められていた!これは時々見かける柄で、明治前期~中期頃のものと見える。
タイルを見に渡邊邸へ来たのだが、このトイレのタイルはサプライズだった~~


欄間の透かし彫りも美しい~これは桐だな。


鉄製の吊り灯篭がトイレの照明に。各所でいろんなデザインの照明器具があるのも楽しい。


暗くてうまく写らなかったのだが、瀬戸製らしき男性用の染付便器が今はもう使われず残っていた。木の枝が生けてある。染付便器に植物、合うね(笑)


そこから奥へ行くとさらに風流な茶室がある。お客の親密度や茶会の格式などによって使い分けられていたのだろう。


続く
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桐生をうろつく。その4

2022-09-28 22:44:49 | 建物・まちなみ
桐生の続き。

さて、桐生の伝建地区からずぃーーっと南下し、ひなびた歓楽街を抜けて、桐生倶楽部会館にやって来た!
赤い瓦屋根の重なりや煙突の配置もバランスの取れた、美しい邸宅風の建物だ。


清水組の技師、清水巌の設計で1919(大正8)年築。織物業を中心とした産業人の交流の場や客人をもてなす社交クラブとして使われてきた。右側に張り出した部屋は元の「玉突場」。現在も会員制の施設であるが、見学もできるらしい。しかし土日祝日は休みなので残念ながら外観のみ・・・
正面の壁に「桐生倶楽部」の文字とともに埋め込まれた「K」マークのガラスモザイク。


裏側に回っても美しい!


壁にポイント的にタイルが埋め込まれている。


狛犬か獅子か・・・こんな石像も。


玄関ドアのガラスに張りついて中を覗いてみると、床に無釉モザイクタイルが敷き詰められていた。
あぁ入ってみたかった。また機会があるかなぁ。


桐生のまちは重伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)や近代建築以外にもうろついていると面白い建物がいろいろ見つかる。


大谷石の石蔵はやはりいちいち写真を撮ってしまう(笑)


片流れ屋根のこちらの建物も小さな工場だったのだろう。




こちらの「ビジネス旅館」、1階の入口付近は和風で2階はモルタル塗りで洋風な意匠が。しかし扇形の窓なども見え、興味津々。
「宿泊御一人様2500円」の看板が・・・いまもやってるのかな?




まるまる石蔵の島田歯科医院。すごいな!!


山田医院も洋館風。


すごいインパクトの洋館付き邸宅は1927(昭和2)年築の旧堀家住宅。現在「ショコラ・ノア」というレストランになっている。このときは時間外だったからか閉まっていて残念。。。


入母屋造りの玄関。


脇にはふっくら系結晶タイルが貼られていた。


その堀家の堀祐平が1935(昭和10)年に建てた、旧堀祐織物工場の大谷石造ののこぎり屋根工場がすぐ近くにあり、現在美容院として使用されている。
旧堀家住宅、旧堀祐織物工場ともに国登録有形文化財となっている。




そして桐生駅の南側にある絹撚記念館。旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟で、1917(大正6)年の築。


こう見えても大谷石造で、表面はセメント漆喰塗り。そんなの初めて聞いたな!県内最古級の洋風石造建築なのだとか。
150円払って見学する。




絹撚記念館と言うが撚糸の実物展示は少しだけ(苦笑)。桐生の歴史資料の展示がメインのようだ。


階段を上って二階へ。


二階は元集会室、会議室、応接室などで結構シンプル。
昔の写真を見ると、桐生駅の南側のエリアはいちめんのこぎり屋根の工場建築で埋め尽くされていた。今残るのはこの事務所棟のみ。


レンタサイクルを返す時間が迫り、ギリギリまでのこぎり屋根の工場建築などあちこち見て回る。
これは旧北川織物女工宿舎のレンガ塀。


立派な5連の旧曽我織物工場。


駅近くにあったサビサビの看板建築風二戸一住宅。


朝から雨だったけどお昼前ぐらいには止んだので有隣庵で自転車を借りたのだが、桐生のまちはかなり広くて見どころが多いので自転車があって助かった!明治館などはちょっと行けなかったけど、桐生のまちを満喫できて楽しかった!

おわり。
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桐生をうろつく。その3

2022-09-27 22:28:22 | 建物・まちなみ
桐生の続き。

本町通をずっと北上すると、群馬大学桐生キャンパスにぶち当たって少し湾曲する。


群馬大学同窓記念会館は、理工学部の前身である旧桐生高等染織学校本館・講堂として1916(大正5)年に建てられた。守衛さんに声をかけて建物の前まで行近寄る。


木造のゴシック建築で一見教会のようだ。ペパーミントグリーン色や各所の意匠がかわいらしい。




群馬大学の手前には天満宮もある。来るときは特に目を留めなかったのだが、戻りしな塀越しに社殿の後ろ側が目に入って急遽境内へ。表側は普通な感じなのだが・・・


社殿の側面と背面が恐ろしいほどの彫刻に覆われているのだ!!うぎゃ~~~なんじゃこりゃ~~~




境内には能舞台もあった。


ここの装飾も結構にぎやか。




ちょっと下って、ベーカリーカフェレンガ。2008年とかなり早い時期に旧金谷レース工業ののこぎり屋根工場を活用してオープンしたお店だ。


そしてその隣の元事務所棟の洋館も2014年に蕎麦屋としてオープンしたようだが、今はもうやっていないのか?さらに左側に接続する和館の旧金谷家住宅がカフェ&ギャラリーになっていたのでちょっと入ってみたが、洋館の方には入れず。。。ここが見たいんだけどなぁ。




その向かいにある「四辻の齋嘉」、旧齋嘉織物居宅を見学しようと行ってみると、いぐさのお茶を体験してみませんかと声をかける人あり。誘われるままにちょっと入ってみると、青々しいいぐさの香りが満ちたその小部屋は齋嘉織物居宅のお風呂場だったらしい。


いぐさ100%のお茶と、茶葉とブレンドしてフレーバーを加えたお茶2種類を飲みくらべ。う~ん、やっぱりいぐさ100%は青汁みたいでイマイチかな・・・ブレンドした方はまぁまぁおいしく頂いた。でも1100円はちと高い・・・


まぁその後、接続している齋嘉織物居宅の方を案内して頂いたので、入場料と思えばまぁいいか(笑)


現在はレンタルスペースとして貸し出されたりイベントが開かれたりと活用されている。


組子の欄間。


手すり付きの箱階段で二階へ上る。




風通しがよく心地いい二階の部屋ではお茶も頂ける。




二階の窓から旧金谷レースの一群の建物がきれいに見えた。

四辻の齋嘉の外観を撮るのを忘れたな(汗)

続く
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桐生をうろつく。その2

2022-09-26 23:38:14 | 建物・まちなみ
桐生の続き。

桐生織物記念館の向かいに立派なお宅があるなと思ったら松岡商店という商家で、表側はレンガタイル貼りの洋風の店構え。カッコイイ!!




四つ葉模様のレリーフも。


敷地内にはモルタル塗りの蔵や木造の住宅などがぎっしり建っている。


桐生の重伝建のまちなみに続く道路、本町通も、駅に近い方はまったく蔵造りの商家などはなく、昭和の商店街である。空き地があったり形の違う建物がバラバラ建っていてまとまりのないまちなみだが、ところどころに残る3階建ての古びたビルが、皆同じデザインであることにふと気づく。


ビルの大きさ、タイルの色は違っているが、2・3階のファサードが垂直線で分割され、コンクリート製のフラワーポットとひさしが千鳥状に付くデザイン。もしかしてこのあたり戦後に全て同デザインで統一されていたのだろうか。


3階建てビルで揃っていたであろう景観の中に、大正末期に建てられた4階建ての金善ビルが塔のような雄姿を見せる。


この本町通をずっと上っていくと、ぽつぽつと古い商店が現れてくる。


ここから重伝建のまちなみに入る。
矢野園は酒・味噌・醤油などを作っていた醸造家で、たくさんのレンガや白壁の蔵が残り有鄰館と呼ばれている。


この巨大なレンガ蔵も今は現役を退き、中を覗くと何やら撮影会(?)が行われていた。




奥の蔵でも何やらイベントが。テレビ番組と連動した「ニッポンの神業ミュージアム」という日本の伝統技能を体感できるイベントらしい。覗いてみると、しいたけ栽培の展示が。なんでしいたけ??と思ったら、桐生の森産業という会社の創業者である森喜作氏はシイタケの神様と呼ばれ、世界で初めてしいたけの「純粋培養菌種駒法」を開発して日本がきのこ生産世界一となる礎を築いたという。


今年の1月に「もりのしいたけ農園」というのを買って育て、家でしいたけをたくさん収穫して楽しんだのだが、あれを作っているのが森産業だったのだ。俄然興味がわき展示を隅々まで観覧。きのこ柄のネクタイなども展示されていてとっても面白かった。
帰ってから調べたら、「第9回国際食用きのこ会議」を日本で開催するために森喜作氏が桐生に建てた「国際きのこ会館」がその後「ホテルきのこの森」という宿泊施設になっていたとか。えっ、泊まりたい!!と思ったけど残念ながら2007年に廃業しており建物も解体されたらしい。。。残念


有鄰館の一部にある近江屋喜兵衛という木造古民家でランチ。近江屋の名の通り滋賀県の郷土料理だったがとってもおいしくてリーズナブルだった。


本町通に面した洋風建築。


白無地の小口タイル貼りのファサード。


一の湯は織物工場で働く工員さんたちが利用していたお風呂屋さん。何とそそる佇まい。。。


もちろんもうやっておらず閉ざされたままだが、鉄塔に保護された細い煙突が比較的新しい感じ。検索してみると、なんと2018(平成30)年10月に廃業されたのだとか。ええっ、4年前まで営業されていたのか!!


剪紙のような鉄板の軒飾り。こんなの他では見かけない。


あぁ、現役のときに入りたかったなぁ~~


続く
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桐生をうろつく。その1

2022-09-21 22:35:28 | 建物・まちなみ
足利からの続き。

夜に桐生へ移動してきた。翌日はあいにく朝から雨。。。でも傘をさしてまち歩き開始しよう。


商店街のお店の店先に、トロ箱に入ったタイルが。「無料です!ご自由にお持ち下さい」。店内を覗くと元タイル屋だったらしく店の床にもタイルが敷き詰められていた。
そこの奥さんいわく、タイル屋をたたんで在庫を捨てるのももったいないので誰か使いたい人がいたらあげようと去年2月から細々とお知らせしていたら、地元のメディアなどに取り上げられて、セルフビルドする人やクラフトをする人などたくさん来て持ち帰り、もうほとんどなくなったとのこと。瓦礫として捨てられずに有効利用されてよかった!


さて朝っぱらから登山(笑)、水道山記念館を見に行こう。途中にあった旅館らしい建物。


そして、上毛電気鉄道西桐生駅。腰折れ屋根の妻壁に小さな丸窓。とってもかわいい駅舎。




上毛鉄道は西桐生と中央前橋を結ぶローカル私鉄。残念ながらなかなか乗る機会はないなぁ~




広い待合室の天井の換気口はかわいいチューリップのデザイン。




さて水道山へ。坂を上る途中にあった小さな建物は、これも水道施設かな。2つあった。


そして・・・見えてきた!


こちらが水道山記念館(旧配水事務所)、1932(昭和7)年築。きれいに改修され、外壁に貼られたスクラッチタイルも新しそうだった。朝9時から開いていて中に入れるが、資料展示のあるホールのみ。


山を降りる途中に石垣のきれいな一角が。


まちなかに戻り桐生織物記念館へ向かって歩いていると、おや、古そうな建物が。こちら側の建物には公民館と書いてあるが、あれもつながっているのだろうか。


あぁこれが桐生市立西公民館本館(旧水道事務所)だ。1932(昭和7)年築。
さっき見た旧配水事務所と同じ年にできており、設計者も同じく、当時の水道局職員清水三五郎だとか。スタイルは全然違うが。。。三階の窓のルーバーが特徴的。


はす向かいのこちらの建物は古くはないが、2階の壁に何やら模様がついているぞ。


何だろう・・・と思って近寄ると、あっ、これはシャトル(杼)だな!?この建物は桐生織物会館。織物に使われる道具のリアルな形のオブジェを壁にたくさん取り付けるとは、面白いなぁ!こういう直接的なの、好き(笑)


そしてまたその向かいにあるのが、桐生織物記念館(桐生織物会館旧館)。1934(昭和9年)築の美しい洋風建築だ。アシンメトリーなフォルムがモダンなイメージ。


外壁はこの頃流行ったスクラッチタイル貼り。


ホールには紋紙を使用する古いジャガード織機や、「鹿内式織機」などが置いてあった。穴のあいた紙の板でどうして細密な模様が織り上げられるのか、、、不思議。




中央のホールに階段があって2階へ上る。


2階の広いホール。この奥の扉の向こうが、資料展示室となっている旧講堂だ。


中には様々な桐生織の製品や資料がたくさん展示されていた。桐生織と言ってもさまざまな織り方があり、主に7種類の織り方、お召織、緯錦織、経錦織、風通織、浮経織、経絣紋織、綟り織、が行われてきた。
着物からネクタイからサリーまで!外国の民族衣装まで輸出しているのだとか。


三方の壁にはステンドグラスの窓が。シンプルなデザイン、上品な色。


前方には講堂の名残で舞台が残っていた。


続く。
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足利をうろつく。その2

2022-09-19 23:51:33 | 建物・まちなみ
足利の続き。

旧足利東映プラザのあたり、他にも気になる建物がいろいろあって面白い。こちらは現役(と思う)屋代歯科医院。


小料理屋のような和風の佇まいだが、住宅の玄関はガラスのはまったドアで洋館っぽい雰囲気。


医院の玄関も洋風で内部も良さそうな近代和風だなぁ。


商工会議所友愛会館は元銀行の建物を利用している。ホールや市民ギャラリー、まち歩きミュージアムなどがあり広く市民に開かれている。なかなか転用しづらい巨大な銀行の建物がうまく使われているんだな。




こんな洋館付きのお屋敷もあった。


路地で出くわした中華食堂、「清華本店」が面白い。


石張りの壁、と思ったら、富士山になっている!大きなレンガの雷文も個性的~~


料亭か旅館のような雰囲気のある建物。


長屋形式の商店がリノベーションされておしゃれなお店に。その隣はリアルに古いハンコ屋さんなどが並ぶ。


こちらの質店も現役かな!?しっかりした石蔵がある。


そしてこちらの花乃湯。最初の予定では館林にも寄らずに足利をさらっと見てから桐生へ移動するつもりだったので、花乃湯には入れず残念だな・・・と思っていたのが、結果的に開店時刻まで(さらに遅くまで)足利にいたので入れることになったのだった。よかった!


なんて素敵な佇まいなの!


しかしこの写真を見ると分かる通り、真正面から撮ろうと思うと、入口のちょうど前に大きな電気のBOXが2つ並んで立っている。
この北仲通という道、やはりちょっと景観に配慮しているのだろう、電線が地下埋設になっているためにこういうBOXが道端に置かれるわけだが、よりによって何でそこに・・・全体が茶色に塗装され、さらに足元は石積みふうの絵まで描かれているという、努力は感じられる(苦笑)


この猛暑の汗をさっぱり流す。あぁいいお湯でした!


カッコイイ昭和のビル。


どこかでごはんを食べて行こう、どこがいいかな・・・といろいろ覗きながらJR足利駅の方へ向かって歩いていくと、だんだん店が少なくなり、、、次の電車までの時間も中途半端になってしまったので結局食べずじまい。。。


かわいい足利駅舎。


おや、これなんだ!?ベンチか!?めちゃくちゃ座りにくそうじゃないの。山脈か!?と思ったら、やはりこれは天狗山と両崖山という栃木県の山をかたどったベンチだった。2021年2月に山林火事があり、二度とあの山火事が起こらないように、という願いを込めて、「ジモトの木」で作ったものらしい。座れる平野部はわずかしかないが(笑)造形的に面白いなぁ!


続く
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足利をうろつく。その1

2022-09-16 00:57:27 | 建物・まちなみ
館林からの続き。

東武伊勢崎線で足利市まで移動してきたらもう夕方・・・今日は桐生に宿をとってあるから、日暮れまでささっと足利を見て回ろう。
足利市駅は渡良瀬川の土手下にある。JR足利駅や足利学校などの観光地は川向こうにあるので、橋に向かって土手を上ると・・・うぉ~~っ!カッコイイ鉄橋だ~~~
「中橋」は、リベットぶつぶつ三連ブレースドリブタイドアーチ橋。よいなぁ!!「東京 株式会社桜田機械製造所 昭和十年製作」と書かれたプレートが付いている。


検索してみたら、何と中橋は架け替えが決まっているらしい。確かに、現在の橋の路面は堤防の天端よりも低く、連続する堤防が道路の幅だけ欠けた状態になっている。脇には土嚢が積まれていて、水位が上がってきたら橋を通行止めにしてそれでふさぐのだろうが、弱いわなぁ。・・・が、計画はこのシンボリックなアーチは人道橋として残し、車道橋を隣に新設するという内容らしい。それはよかった!→栃木県の説明会資料(足利は栃木県!)

尚、このすぐ上流には6連ワーレントラスの渡良瀬橋もある。

足利もやはり織物産業で栄えたまちで、のこぎり屋根の工場がたくさんあったのだ。こちらはアンタレススポーツクラブとして使用されている、1903(明治36)年築の旧足利模範撚糸工場。大谷石造、木造トラス組。スポーツクラブとは、なんと大胆な転用なのだろう!


足利市駅の観光案内所でもらったマップでは、やはり足利学校の周辺が観光の中心地のようなので、うろついてみよう。まちの中央には、すごく難しい字の、大日尊鑁阿寺(ばんなじ)があり、その参道はちょっと修景されたまちなみだ。




土産物屋、雑貨屋、蔵をリノベーションしたおしゃれなカフェもあり、ゆっくりお茶したいが時間がない・・・


路地の奥には石造の建物がちらちら。


鑁阿寺の周囲には堀があって、屋根付き橋が架かっていた。観光客が結構来ていて橋の写真が撮れないほどだった。。。急ぎ足なので境内の見学は今回パス・・・


こちらも純喫茶っぽくて素敵な珈琲店、カフェ・ド・フルカワ。もう夕方なので当然閉まっていたが、ここも入ってみたいなぁ。


こちらが有名な足利学校。またの機会に。


足利学校の向かいにある家がとても立派で、ここの塀に目が釘付け!!


これは、伊豆斑石だな。くっきりした斜めの縞模様が美しい~~!!




そしてなんと、角を曲がった別の面は、緑色を帯びた凝灰岩が使われていた。イメージが全く違って面白い!これは青い伊豆石なのか、大谷石なのか。。。そして角の算木積みは固い花崗岩で積まれていた。




おしゃれな雑貨屋も。


さてこのエリアからちょっと移動すると、昭和な世界も広がっている。茶色のタイル貼りの足利小山信用金庫。


なみなみのひさしがかわいい吉田小児科。


そしてこちらは旧足利東映プラザ。劇場通りという小径に面し、いろんな映画のロケにも使われている有名スポットらしい。


このアーチもすごい雰囲気あるなぁ!ちょっと怖いけど・・・


続く
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館林をうろつく。その2

2022-09-15 00:37:02 | 建物・まちなみ
館林の続き。

こちらはまちなかにある旧舘林二業検番組合事務所。1938(昭和13)年築。このあたりは花街だったのだな。


歴史の小径らしいまちなみが続く。




館林藩の藩士の武家屋敷も再現されている。


おや、ここは何かおしゃれな一角だな。マップに載っていた「ロートルメゾン西ノ洞」というJAZZの店だ。
木々に囲まれていい雰囲気。
イタリアンのランチもやっているみたい。値段はわからないけど、まぁ時間もちょうどいいし入ってみよう。


キングポストトラスの小屋組を見上げる高い天井!一段下がった扇形のスペースとそれを取り囲むテラスのような席。下で演奏して上の席で聞くのだろうな。インテリアには木がふんだんに使われている。高窓には色ガラスもはまっていて、カラフルな光がちらちらと店内に差し込み、教会のようだ。
何かの建物をリノベーションしたの?と思うが、館林市庁舎でもらった資料によると、TeamZOOアトリエモビルの丸山欣也が設計。割と新しい建物なのかな。


ランチはお高いのかと思いきや、超リーズナブル。パスタに盛りだくさんの前菜、スープ、パン、ドリンクまでついて1300円って!?とても美味しくて人気があるのも納得だ。入ってよかった!


カトリック教会にも寄って行こう。戦後の築だが地元の建設会社が建てたなかなか味のある建物だ。




ふと見ると道路に電車が!?何これ!?


真っ二つにカットされた電車の車両が、半分ずつトラックに載せられて運搬中。もうスクラップになるんだろうなぁ。ドナドナ・・・


館林城跡のエリアに市役所や芸術ホールなど公共施設が集まっている。駅からここまで1.2kmぐらいなのにいろいろ寄り道してずいぶんかかってしまったなぁ(笑)


そしてようやく上毛モスリン事務所へ。可愛らしい木造の洋館。


1896(明治29)年に「毛布織合資会社」として創業、1902(明治35)年に「上毛モスリン株式会社」に変更。その事務所として1910(明治43)年に建てられた、県指定重要文化財だ。


モスリンとは平織りの薄手の毛織物なので、上毛(じょうもう)という名前がぴったりだな(笑)。しかしもちろん毛織物産業の発生を見越してつけられた地名などではなく偶然だ。
群馬県は「上野(こうずけ)国」と呼ばれていたが、その前は「上毛野国」であり、「上毛」がじょうもうという読みで残った・・・らしい。

この飛び出したレンガ造の部分は金庫室だ。

基壇部は大谷石。


ぐるっとひと回り。


中に入ると中廊下がまっすぐ伸び、両側の事務所スペースだったところに毛織産業の道具や資料が展示されていた。




上毛モスリンの社章なのか?「上毛」の字をうまく図案化したマークがあちこちに使われていた。




二階には広いホールが。コンサートなども行われるらしい。


敷地内には茅葺屋根の田山花袋旧居も移築されている。


管理事務所の傘立てに使われていたのは何と・・・男性用小便器(笑)。どこにあったものだろうか。


ちょっと歩き疲れてきたのでバスで戻ろうかと思ったけど、本数がめちゃくちゃ少ないので、仕方なく歩いて駅まで戻った(汗)


続く。
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館林をうろつく。その1

2022-09-14 01:36:45 | 建物・まちなみ
ノープランの週末、前日の夜にいろいろ考えた末に桐生に行くことにして、1日じゃ足りないだろうから1泊2日でゆっくり巡ろうと計画したのだが、案の定8時に家を出ることができず(苦笑)1時間遅れで出発したらパターンが狂ってしまい、急遽ルート変更。久喜から東武で足利へ出て、ちょろっと足利を見てから桐生へ行くことに。電車の中でマップを見ていたら、途中の館林にモスリン記念館があったんだ。うーん、途中下車してバスかカーシェアでぱぱっと見に行こうか。


館林というまちの名前は知っていたが何の予備知識もなく下車し、地図をもらいに駅構内の観光案内所に立ち寄って、置いてあった塩分チャージのタブレットをひとつ取ったら、「あっ、ちょっと待って」と。えっ、何??すると、「これどうぞ」とタブレットを一袋まるごとくれた。ええっ、いいんですか!?今シーズン中に配布終わらないといけないのが大量にあるので使ってくれそうな方にお渡ししてるんです、と。そうなの!?ありがとう~
とまぁそんなことで、外はやたら暑いけど、目的地までは2kmぐらいだし歴史の小径ってのもあるようなので、まちなかを歩いて行こうかという気になった(笑)


駅前の変電所を見てから、もらったマップのモデルルートをたどってみようと歴史の小径を歩き始めるが、普通の道路に毛塚記念館がぽつりと建っているのみ。分福酒造店舗として今も使われているらしい。かつてはこういう商家が隙間なく並んでいたのだろう。


おや、あれはなんだ?遠くに見えた「松の湯」の文字。近づいてみると絵にかいたような銭湯だ。もうやっていなさそうだが、字路の突き当たりですごいインパクト。あぁ惜しいな。


歴史の小径よりこちらの方が面白そうだ。歩いていくと、おや、あれは?巨大なモダン建築が見えたので吸い寄せられていく(笑)。上階が四方に出窓のように大きく張り出していて、五角形の窓なんかもある。これはちょっとタダモノじゃないだろう。これは館林市の文化会館で、一部に農業共済組合などが入居しているようだ。公共施設なら入れるかも、と近づくと、見学の方は事務所へ声がけを、と書いてあるので入ってみる。


事務所に見学できるかと声をかけると、どうぞ、と。資料まで頂いた。これは元館林市庁舎だったらしく、菊竹清訓の設計。ははぁ、やっぱり建築家作品だったのだな。市民の信頼のシンボルとして1963(昭和38)年に建てられた市庁舎は、ドコモモなどにもまだ登録はされていないというが、竣工当時の写真をみると、建物全体がランタンのように光り輝き斬新な姿だ。1982(昭和57)年に竣工した現市庁舎に機能を譲り、今は市民の文化活動の場として使用されている。






色彩計画を田中一光が手がけており、ピクトグラムやタイポグラフィなどもデザインしている。築60年近く経って内装はかなり古びており、部屋の用途もすっかり変わっているため、オリジナルのタイポグラフィはわずかしか残っていない。




議場も見ますか?と鍵を渡してくれた。最上階の中央部にある窓のない部屋で、代わりに天井に十字型のスリットが入る。アトリエみたいな雰囲気。




シェル構造の天井。十字のスリットが入っているし、天井のすぐ下に水平な窓がぐるっと回っているので、4枚の天井板が浮いているように見える。


カンティレバーで大きく張り出したガラス張りの部屋。



観光案内所でもらったマップにも書いてなかったが見つけられてよかった!

市役所市民センター分室。見ての通り元金融機関の建物、旧舘林信用金庫だ。明るい色のスクラッチタイル貼り。




和洋併設の住宅なども。


看板建築の商店。


前面は白くペンキが塗られていたが、側面はオリジナルの色が残っていた。


歴史の小径に戻ると、このあたりは木造商家が残り歴史の小径らしい界隈だ。


続く
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八丈島 高倉と旧八丈支庁

2022-07-31 20:53:24 | 建物・まちなみ

八丈島の続き。

 

ここが玉石垣で有名な大里集落。本当にこれまでに見たお屋敷の石垣などよりもさらに高く、長く続く見事な石垣だ!!

こういう石垣が集落じゅうの道路わきを飾っているのだ。何と美しい集落なのだろうか!

角は切り石を積んで強度を確保。やはり腕の良い石工の仕事だな。

さっきお昼をたべたあとに、まちなかの東京都八丈支庁の建物内にある歴史民俗資料館に立ち寄ったらとても面白かった。そこには近藤富蔵コーナーもあり詳しく説明されていた。徳川家譜代の旗本で蝦夷・千島の探検をした近藤重蔵の長男。隣家の7人を殺傷した罪で流罪となり、こちらに来てからは悔い改め、仏像を彫ったり石垣を構築、夜学の開設など、八丈島に多大な貢献をしたという。

八丈島の流刑の始まりについても解説があり、それは1606(慶長11)年に宇喜多秀家からはじまった。豊臣家の五大老で備前の領主であった宇喜多秀家は関ケ原の戦いに敗れ八丈島へ流された。近世の伊豆諸島流人の最初の人であり「八丈島流人の祖」と言われるのは少々気の毒な肩書だが・・・まぁ贅沢な暮らしではないものののんびりと過ごしたようだ。流罪生活は50年間にも及び、八丈島で没した。1871(明治4)年までの265年間に付き人も含め約1900人が入島した。罪人は明治維新後全員が赦免されたが島に残る者もいたようだ。

実は歴史民俗資料館でお話を聞いていたとき、古い伝統的な高倉が昔の民俗資料館の場所に移築されて残っているということだったのだが、その場所がどうもよく分からない。地図にも載っていなくて、人に聞きながらうろうろしていると、なんかすごい建物を見つけた。

これはどう見ても民俗資料館ではなく個人邸なのだが、あの変わった建物は高倉じゃないの!?住人の方がいたらちょっと写真を撮らせてもらいたいと思って玄関まで行ったのだが誰も出て来ない。近くで見ると、1.5mぐらいの高床でハシゴが立てかけてある。柱は丸い石の上に直接載っているし、屋根と上の壁はトタンが張られているものの1階部分は全面縦板張りで横材で押さえてある。これは本当に伝統的な高倉だろう。こんなのが村の中に残っているとは!貴重だから保存してあるというのでもない。床下には雑多なものが置かれ、日常的にハシゴで上り下りしているふうに見える。バリバリ現役なのだ!いや~、感激。

 

旧歴史民俗資料館を探してうろうろしながら、優婆夷(うばい)宝明神社にも行ってみる。ここには「キリシタン灯篭」がある。

こちらがそのキリシタン灯篭で、足の部分が十字形になっている。とは言っても、キリスト教信仰とは関係がなく、戦国時代のキリシタン大名だった古田織部が始めた形式の灯篭なのだとか。これは仙次郎という石工が作ったもので、彼は腕の良い江戸の石工だったが喧嘩の罪でここへ流されてきたという。

そしてこちらの本殿を見て驚いた!!何と石積の建物で、しかもそれが赤い溶岩の切石積みなのだ。手前の拝殿は木造で本殿のみが石造なのは、台風などの気候に耐えシロアリに食われないよう頑丈に造ったのか、石という素材自体に信仰的な意味があるのか、、、ちょっとよく分からないが、、、

基壇も石積みで、赤い石で白っぽい石を囲んだモザイクのような意匠になっている。こんなの見たことない!白っぽい石は安山岩だろうか、両者は明らかに違った質の石だ。その上の柵も石で造られていた。何と美しい神社の本殿なのだろうか!いや~~興奮。

 

そしてようやくたどり着けた旧歴史民俗資料館。ここはもともと東京都八丈支庁だった建物で、この島でたぶん唯一の洋風近代建築だろう。

 

 

1939(昭和14)年に庁舎新築、1971(昭和46)年に庁舎移転。資料館は1975( 昭和50)年に開館、2018(平成30)年で閉館、建て替えられた支庁舎展示ホール内に移転して再オープンしている。

「東京都八丈支庁」「八丈島歴史民俗資料館」二つの看板が今も玄関に残る。

下見板張り、石積み基礎の上に隙間を開けて木造の建物が載った平屋建。棟はH形で結構大きい。現在は閉め切られ何も使われていないようだし、特に保護もされていないように見える。

そしてその前庭に、聞いていた通り高床の倉がふたつあった。大きい方は6本脚、小さいほうは4本脚で、茅葺屋根。江戸末期頃に建てられたものを平成20年に移築した。高倉はもっと大きい12本脚のものもあるとか。

造りはやはりさっき見た高倉と同じで、壁は縦板張り、はしごをかけた入口部分は縁側のようになっている。

 

これは小さいほうの倉についていた、自然の曲がった木を利用した足掛けで「ノブ段」と呼ばれる。

この高倉は穀物貯蔵庫として使用されていたもので、「ノブ段」はネズミ対策であり、脚にはネズミ返しもあった。床下は物置や作業場として使われた。

美しい高倉や貴重な旧支庁舎。現在の資料館の場所には持って行くことはできないのだから、この場所ももう少し整備して分かりやすく名前をつけて観光スポットとして案内すればよいのにな。こここそ「ふるさと村」とすればどう!?

 

さぁそろそろレンタカーを返す時間だ。まちへ戻りレンタカー屋へ向かっていたとき、何度か通りかかって気になっていたこちらの天照皇大神宮に最後行ってみようと思いついた。

上り始めると、玉石の石段が延々続く・・・・

 

上り切ったところにコンクリートの貯水槽のようなものがあったが、、、まさかここへ上るための石段ではあるまいな(苦笑)。鳥居があったし・・・

さらに行くと、うわぁ・・・・なんと美しい。圧倒される玉石づくしのアプローチに対して、お社は小さなものだった。この玉石積みも含めて信仰の場所なのだろうと思えた。見に来てよかった。

なお、秋には天照皇大神宮祭という大きなお祭りが二日間にわたって開かれ山鉾巡行などもあるらしい。

続く

 

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八丈島 滝と古民家

2022-07-26 22:39:21 | 建物・まちなみ

八丈島の続き。

車を借りたら早速でかけよう。

八丈島は大きく見るとひょうたんのように中央部がくびれた形をしている。それは三原山と八丈富士という二つの火山がつながってできたからである。まちはそのくびれた低地に広がっていて、北岸にさっきフェリーで着いた底土港、南岸に八重根港、二つの港がある。そしてど真ん中に八丈島空港。ふたつの港の間の距離は6km弱、まぁまぁ広い。

二つの山は、見かけも生い立ちも全く異なっている。地図で見るだけでもそれは一目瞭然。八丈富士の一周道路はきれいな円を描いているのに対し、三原山の一周道路はギザギザ、特に北岸はヘアピンカーブがエンドレスに続いているようで、これを完走する自信は全くない。なので最初から一周するつもりはないが、やはり元気なうちに一番遠いところへ行っておこうと、今日は末吉集落まで行くことに。

三原山も南側の道はなだらかだ。道すがら、「服部屋敷」に立ち寄る。かわいい玉石積みの塀がカギ状に続いており巨大なソテツが茂っている。この奥に古い建物が残っているのか・・・と思いきや、行ってみると割と新しめの建物があるだけ。ん~~~?基壇部が立派な石積みの祠があったので拝んでおく。

 

説明板によると、服部家は下田の出身で、2代目からは官船のうち小舟のお舟預かりを務めて資産を築いたのだとか。

そしてこの石垣は流人近藤富蔵という人が作ったのだという。近藤富蔵って誰?後で調べよう。

八丈島に古い建築物などがないかと一応行く前にチェックしたのだが、あまり出て来ないのは、やはり台風などの被害や多湿な環境のために長持ちしないからだろうか。八丈島と言えば、の黄八丈の工房は休業中だった。オフシーズンだし観光客もまだほとんどいないから仕方ないな。

ということで自然を満喫するべく、硫黄沼・唐滝を目指す。八丈富士登山はかなり本格的な登山らしく早々諦めていたので、小一時間ほどで行けるこのコースぐらいちょっと奮発して(笑)行ってみよう、と。そして唐滝への道は崩れていて通行止めということなので、近い方の硫黄沼だけでちょうどいい。それほど高低差もなく日ごろの運動不足解消にぴったりのハイキング、道に迷うこともなく硫黄沼に到着したが、、、曇っていて硫黄の色は全然見られず、普通の水たまりだった(苦笑)。。。

次は裏見ヶ滝を見に行こう。その名の通り、滝裏へ回れるらしい。

車を停めてジャングルのような森の中を15分ほど、裏見ヶ滝が現れた。おぉ~~~っ、いいねぇ!

森の中の丸く開けたところにオーバーハングした岩から、レースのような水しぶきが広がって落ちる。美しい~~

硫黄沼はちょっと肩すかしを食ったけどこちらは期待通りの素晴らしさで、来た道を戻るのもごきげん。

 

ところで滝へ行くまでの道の脇に玉石を組んだ石段があった。「為朝神社石宮」と書いてある。パラパラっと降ったり止んだりの雨で石はしっとりと濡れて美しい。こんなにつるつるな上に天面が水平でなくかなり傾斜がついているのだから、どう見ても滑るだろ!こわいこわい!!・・・しかしこの美しい石段を上らないと後悔するような気がしたので登ってみた(笑)

 

そしたらやはりこれまた美しい玉石の擁壁に守られた祠があった。確かに「石宮」だ。これは島産の橄欖石玄武岩を使って、流人の石工、仙次郎が作ったものだと書かれていた。八丈島はかつて罪人が島流しされる場所だったが、技術や知識を持った人が島に新たな文化を作っていく一面もあったようだ。

さて、行きはよいよい・・・帰りは座り込みながら何とか滑らず降りることができた。

裏見ヶ滝の向かいには「裏見ヶ滝温泉」というとても雰囲気のある温泉もあって、入りたかったのだが、ここは水着着用でないとだめで、もちろん水着など持ってきていないので断念。。

さてどこかでお昼にしよう。休みのところも多いから電話をかけて確認してから向かう。いそざきえんという食事処はこんな趣のあるところ。あまりにも目立たないので一度通り過ぎてしまった。

 

しかしここが当たりだった!築200年の古民家を移築したという建物はとても落ち着けて、お料理も地産のものでとても美味しかったのだ。

装飾はないが、部屋の中の廊下側の半間分が垂れ壁で区切られているのが特徴的。

黒潮料理、というセットを頼んだら、お刺身、海藻や魚の煮たやつ、明日葉、こんにゃくなど、いかにも島の料理という感じで素朴なおいしさだった。魚の入った味噌汁もついている。

麦の雑炊。もちもちしておいしい。

そしてデザートは何と、モンステラの実だって!?モンステラって観葉植物の鉢植えでよく見かける穴の開いた葉っぱだ。熱帯ではそこらへんに雑草のように生えているが、実って食べられるのか!トウモロコシのように見えるが、まわりの部分はふにょふにょでイチジクのよう、いや、もっと柔らかいな。甘くておいしいが少しえぐみもある。これは熱帯フルーツアレルギーの人はダメなやつだろう。これも八丈島ならではのいい経験だ。

そしてお店に入る前に建物と建物の間から見えて気になっていた、石積みアーチを見せてもらう。総石積みで、コンクリートなどは一切使っていないように見えるが、厚さ3mぐらいあってめちゃくちゃ頑丈そう。尋ねてみると、もとは隣も同じ敷地だったが分けるためにあとから作ったものだそうだ。と言っても100年ぐらいは経っていそうな感じ。。

やっぱりこの吊るしてあるものも気になるよね!大根だそう。面白いなぁ!

 

途中で見かけて急遽車を停めた「大御堂」。ここも玉石積みがきれい!平安時代の地蔵があったり幕末の洋鐘が所蔵されている。そして同じ境内には、この中之郷集落だけで733人もの餓死者を出したという明和の飢饉の「冥福の碑」もあった。断崖が多く過酷な気候の火山の島。離れ孤島での生活は想像を絶する厳しさだったのだろう。。。

続く

コメント (2)
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