ゆめひこう 

日々の思いを

復活節第3主日

2020-04-26 16:57:56 | 読書

エマオへの旅の画面です。

レンブラント作

美術館に転移されたのを見た記憶があります。

イエス様の前の光が、光っていますね。

お弟子たちはみんな逃げてしまい、この人たちも逃げているのですね。

期待が裏切られた・・・

その期待が、間違っていたとしても、自分の思惑からは

離れられないのですね。

本当に何を期待すればよいのか、分からないです。

御心のままにと、祈るのですね。

神父様のお説教、

「二人は、危険から背を向けて逃げ出そうとする。

心の余裕がなくなり、

主に学んだことはみんな忘れてしまっている。

イエス様は一緒にいようと寄り添って、ずっと耳を傾けてくださっている。

これは今の私たちのことです。

主は私たちを置いていかない。

どこにも行くときも。側にいてくださる。

世の終わりまで。

二人は心が燃えていたことを思い出したでしょう。

私たちも常に現実を見つめて、主にあることを忘れないようにしましょう」

 

 

 

 

 

「主は復活されて、共におられるのだから、大丈夫」

でした。

 


復活節第2主日

2020-04-22 21:30:29 | 読書

弟子たちは、鍵をかけて家に閉じこもっていました。

イエス様が来られて真ん中に立ち

「あなたがたに平和があるように」

と言われました。

鍵をかけようと、何をしようと、

イエス様は来てくださいます。

弟子たちがユダヤ人を恐れたように、

私たちはコロナウイルスを恐れています。

それでもイエス様は来てくださいます。

私たちは祈ることを知っています。

ふと気が付くと、マリア様かイエス様に祈っています。

神父様は、できないことを悩むのではなく

出来ることを心を込めてやってゆきましょうと言われました。

 


篭る

2020-04-18 11:43:05 | 日記

何もしなくても時間が過ぎ得行くことに感心してしまいます。

一日がただ過ぎるのです。

マスクを作ってみました。

さらしがあったので、なかなか面白かったです。

もっと作りたいと思いましたが、

さらしもゴムも品切れなのだそうです。

世間の情報の巡りは早いですね。

図書館も閉鎖になり、読むものが無くなりました。

昔、挫折した本や、懐かしい本を再読しようと…。

文字が小さくて驚きました。

それで、息抜きも必要かと・・・

まだまだ自粛は続きますね。

神父様と祈りのグル--プからのメッセージで

12時と3時と6時と21時に、共に祈りを。

時間が区切りになります。

神学院の十字架

 


四旬節から復活祭まで

2020-04-12 11:56:41 | カトリック

すべてのミサは非公開になりました。

例年なら、聖木曜日、主の晩餐の夕べのミサ。

     聖金曜日、主の受難

     復活の主日・復活の聖なる徹夜祭

     復活の主日、日中のミサ

と、毎日教会へ行き、聖歌隊に参加していたはずです。

当たり前のことが当たり前でなくなる…

人の傲慢であったかもしれないと、思いました。

   

ここは十勝のカルメル会修道院の聖堂です。

以前巡礼に行き、シスター方と楽しい時間を過ごさせていただきました。

このたび、「日ごとの福音」のページに、

ここで、ミサを配信することを知りました。

シスター方の美しい聖歌を聞きながら、オール神父様のミサに

預かりました。

そのほかにも、各地の教会でミサの配信がありました。

東京教区の菊池大司教様が復活祭のお説教の中で言われましたが、

「教会が、ただ存在して信徒をまとめているだけでなく、

様々な形で、出向こうとしている」

私たち信徒も、この困難を乗り越えるために、

離れているけれども、ともに祈り、乗り越える手段を

積極的に向かってゆくことにしたいと思いました。

 


四旬節第五主日

2020-04-01 14:02:24 | カトリック

ラザロの復活の話です。

ヨハネ福音書では、イエス様の最後の奇跡のお話です。

奇跡は、イエス様が誰であるかを示すしるしです。

イエス様は、ラザロをよみがえらせることによって

人の苦しみに無関心ではいられない神の心を人々に示し、

神の栄光を現します。

典礼の絵では、下に横たわって泣いているのがマリアです。

マリアをはじめみな泣いているのを見て、イエス様は

「心に憤りを覚え」ます

盲人の目は開けても死には無力だの声に

「再び心に憤り」を覚えます

マルタが4日も経っているのでにおいますと言うと

「信じるなら神の栄光が見られると、言っておいたではないか」

と語っておられます。

死がご自分のすぐ近くにやってきていること、

ラザロをよみがえらせれば、ファリサイ派の人々は

イエス様の殺害の計画を立てるでしょう。

イエス様は祈りの最後を

「あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです」

と結びました。

私たちの信仰のためです。

「ラザロ、出てきなさい」

イエス様の語りかけは、私たちみなへのものとなりまいした。