ゆめひこう 

日々の思いを

イエス様のご降誕をお祝い申し上げます

2014-12-27 21:15:07 | カトリック
12月に入ると町はクリスマスモードに入ります。

教会も飾り付けが始まりますが、まだイエス様は居られません。


所属教会の比較的大きな小屋です。

クリスマス当日は人がいっぱいで見えなくなるほどです。


外国のシスター方の事務所前、音楽もなって楽しいです。



いつもお世話になっている、教会の図書館のウインドウの中も聖家族でした。

今年のクリスマスは、夜半のミサにはいきませんでした。

今まで与った夜半のミサをいろいろ思い返しました

鎌倉の黙想の家・乃木坂の女子パウロ会・世田谷教会・喜多見教会・関口教会・雪の下教会

それぞれ思い出はありますが、本当は何を求めてクリスマスミサに与っていたのかと

思ってしまいました。




今年は、25日の日中のミサに与りました。

家の近くのアットホームな教会です。




庭のマリア様はとても優しい姿です。




何度も助けていただきました。



ヨハネの1章が読まれました。

神父様
「はじめという言葉は、聖書にここだけです。

 最も旧約にも初めにがあります。

 光あれ、ですね。

 光は初めからあったのです。

 太陽ができたのはあとですからね。

 イエス様はその光と同じように光と共におられたのです。

 そして私たちのすぐそばに来てくださいました」

 神父様はとても穏やかな優しい話し方をされます。



祭壇の前のかごの中に、かわいらしいイエズス様がおられました。

お知り合いにもたくさんお会いできて、うれしいクリスマスとなりました。


人生おもしろ説法

2014-12-23 21:36:16 | 読書


とても面白い本をお読みました。

タイトルに面白いとあるのですから・・・

田河水泡という人は、のらくろという漫画を書いていたと知っています。

戦争の漫画だった気がします。

だいぶ前に復刻版ができて、戦前の人が懐かしがっていましたが・・・。

この本は1988年に初版が出て、2014年に再版されたそうです。

16年ぶりということですね。

さすが日本基督教団出版局だと思いました。

経歴を調べたら、画家を志して、落語作家になったそうです。

洗礼を受けられたのは、長谷川町子さんの影響で、戦後のことのようです。

この本では、聖書の話を落語風に仕立ててあって、とても面白く読めました。

キリスト教を日本の文化に融合させたという点では、

遠藤周作や、気仙沼の山浦先生のさきがけではないかと思ったくらいです。

落語風の挿絵も、とてもよかったです。

教会でたくさんの人が読むと良い、

もちろん信者さん出ない人にも読んでほしいです。


浮浪児 1945-

2014-12-18 17:33:08 | 読書

                




石井光太の「蛍の森」という作品を少し前に読んで、大変でした。

同じ作者の作品なので、今度はどうかなと思って・・・。

私は同じ作家のものを続けて読みたくなるのです。



終戦70年、ここに登場する人たちも、80歳以上になっています。

日本にこんな時期があったなどと、思わないか、忘れようとしているか。

こういうことがあって、今の日本があるということを

戦後生まれの人が、調べて、書き残されたことに意味を感じました。


今、施設に入っている子供のほうが、気持ちが弱いという施設の人の話は、

現在も負を背負っている子供がいて、

今のほうが難しいといわれているように思いました。




黙想会 「祈りを学び、祈りを深める」 上石神井

2014-12-16 16:36:26 | カトリック
1年の最後の月に、黙想会に参加できて、心から感謝の気持ちです。





玄関では、大きなポインセチアが出迎えてくれました。

華やかで、クリスマス気分になります。



廊下のコーナーにはイグナチオ・ロヨラの絵がありました。


部屋の壁には十字架。
マリア様はおられませんでした。
ここは霊操が主だからでしょうか…。



以前の古い建物から、すばらしくモダンな黙想の家に変わり、庭もきれいに整備されていました。

十字架の道行きもできていました。



庭から見た私の部屋、南の角で、太陽が木々の間を回ってゆくのが見られました。


聖堂の入り口のマリア様。


待降節第3主日のミサに与りました。

第2朗読で、テサロニケの教会への手紙が読まれました。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。

これこそキリストにおいて、神があなたに望んでおられることです」

黙想会のテーマそのままの祈りでした。



講和から

「祈りは人間の根源的な叫びである。

 人はどんなことをしていても、どんな状態になっても、

 神に向かって深いところで叫んでいる。

 それは深い飢えと渇きの叫びである。

 それが満たされないから・・・・神に向かっての祈りになっているのです。

 神は人間の叫びに、いつも手を差し伸べておられる。

 神の差し伸べてくださる手を信じ、つかむこと」


アウグスチヌスは、若いころのハチャメチャな生活をしていたときも、

その生活が祈りだったというそうです。



いろいろな修道会の祈りを教えていただきました。


二日目の講和

「人間のありのままをぶつければ、神は拒みはされない」

「自分の存在を神に出せばよい・・・」

祈りの方法はいろいろある。

沈黙・座禅・正座・跪く・立って・歩いて・ロザリオなど。

形にとらわれないで、自分の最も祈りやすい方法をとる。


「沈黙の中で、自分と神とのかかわりを確認しながら、深めてゆく」


今の私は、祈りの時に、

悩みや苦労を思うのではなく、今ある自分の中をのぞいて、

思いを一つ一つ手に乗せ、神様に、お見せする。

手の中を神様に温めていただき、良いと感じられるようになること。

そんな祈りの工夫をしています。


「祈り」というテーマのせいか、いろいろな世代の方が参加されていました。

プロテスタントの方もおられました。




お隣りの神学校です。

召命の道が大きく開かれますように。

静かな穏やかな二日間でした。






はじめて読む聖書 田川建三ほか

2014-12-12 11:55:33 | カトリック
            

楽しい読書でした。
聖書について各分野の人が書いています。


田川建三氏の対談

「神を信じないクリスチャン」が一番面白かったです。
世界中の大学を回るすごい経歴があって、今、新約聖書を訳しておられます。
この訳本を読むのが楽しみです。
手を付けるには、勇気がいる・・・。

池澤夏樹

「読み終えることのない本」

彼が福永武彦の子息だとは知っていました。、
私が福永武彦を読んでいたころはキリスト教徒かかわっていたとは
知らなかったように思います。
「草の花」の題名が聖書からだったとは・・・。
単に、私が、うかつだったのでしょう。

聖書の関わる本の題名がたくさん上がっていて、
みんな、読み返してみたくなりました。


内田樹

「レヴィナスを通して読む旧約聖書」
レヴィナスに関心を持ちましたが、私には手におえないようで・・・。


吉本隆明

「マタイ伝を読んだ頃」
とても素直な良い文書でした。
吉本隆明は難しくて敬遠していましたが、機会があったら
読んでみたいなと。


最後に「聖書を読むための20冊」というのがあって、山本貴光氏(ゲーム作家とか)
興味深い本が並んでいました。

ますます読書にのめりこみそうです。