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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

2・11「危機」の時代の天皇制を問う!

2012年03月13日 | 集会報告
建国記念の日の恒例行事、2・11反「紀元節」行動が早稲田の日本キリスト教会館で開催された。今年のテーマは「「危機」の時代の天皇制を問う!」である。
「危機」の意味は2つある。ひとつは、アキヒト天皇夫妻が高齢化し、天皇の後継は皇太子であっても、美智子の代わりはいるのかという「危機」だ。もうひとつは、3.11以降原発をはじめ戦後国家の問題が目にみえるかたちになったことだ。天皇制批判にはさまざまなものがある。天皇制は戦後国家そのものだからだ。この日は4人の方から大阪のハシズム、「女性宮家」構想、福島の被爆労働、沖縄のヘリパッド基地建設について発言があった。

ポピュリズムの政治?! ハシズムの暴走を止めよう
       京極紀子
さん(「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会)
大阪の橋下徹は08年2月に知事に就任し、昨年11月W選で市長に就任した。大阪維新の会は2010年春、選挙のために結成した地域政党で、11年の統一地方選挙で府議会では過半数を握り、大阪市議会で第1党となった。次期衆議院選で200議席獲得をめざし、維新塾を開講する。みんなの党、自民、民主など既成政党がすり寄ろうとしている。
ハシズムが目指すのは、ナショナリズムと新自由主義である。徹底した競争主義と成果主義で公務員をバッシングしやめさせていき、結局はそこに住む人を切り捨てていく。
橋下は大阪府市統合本部を設置し重要事項をどんどん決定している。この点、小泉が経済再生諮問会議を重用したのと似ている。この本部には特別顧問が何人かいる。松下政経塾出身の中田宏、山田宏、ワタミの渡邊美樹、堺屋太一などである。統合本部の所管事項は大阪都構想の実現、市営地下鉄やバスの民営化をはじめとする二重行政の解消、府市戦略協議の3本柱となっている。府市戦略協議のなかに教育基本条例、公務員制度改革、原子力・電力政策などが位置づけられる。
教育基本条例は、原案をつくった坂井良和市議によれば、サッチャー改革をモデルにしたものだ。教育基本法や地教行法に抵触する条項もあると指摘されるが、なしくずしにし「やっちゃったもの勝ち」で、現実を追認させていくのが橋下流だ。
職員基本条例も維新案でほぼ決着し、2月10日に労働組合に提案があったが10日間で回答しろというメチャクチャなやり方で進めている。
なぜ、橋下が支持されるのか? 本当のことがきちんと伝わっていないということがひとつある。橋下は仮想敵とする公務員・教員を激しくバッシングするが、それに快感を覚える人がいる。ドイツのファシズムの文化に詳しい池田浩士氏は「政治家の意図を見抜くためには、「仮想敵」とされる人びとの顔や姿を身近な隣人として思い描く想像力をしっかりと持たなければならない」という。つながっていけるよう粘り強くやっていかないといけない。また「民」を取り戻すため、私たちの民主主義のあり様をきちっと打ち出していかないといけない。排外主義反対、公共サービス民営化反対グループなど、いろんな人たちと反ハシズムをいっしょにやらないと勝てない。
2月25日には大阪の人を招いて神奈川の会の集会を行う。3月には院内集会を開催する。一方2月26日大阪のこども文化センターで日本教育再生機構が、安倍晋三・元首相、松井一郎知事、八木秀次再生機構理事長を講師として集会を行う。山田や中田が特別顧問に就いていることからも、今後大阪が育鵬社の歴史・公民教科書採択の方向に流れることが予想される。

「女性宮家」構想という問題
     桜井大子
さん(女性と天皇制研究会
野田政権発足直後の2011年10月、またしても皇室典範「改正」案が浮上した。背景には、天皇夫妻が高齢になったこと、皇太子以降の皇位継承者で悠仁より若年のものがいないこと、女性皇族が結婚して離脱すると皇族が減り、国事行為や山のように増やした「公務」を肩代わりできる皇族が足りないことなどがある。当面、結婚後も女性が皇族に残れる「女性宮家」をつくり、皇位継承権や当主の身分、夫や子どもの身分などの議論は後回しにしてでも皇室典範を改正しようとしている。
これに対するハードルはいくつかある。第一に伝統主義右翼の「男系は伝統であり文化だ」という反対論だ。女性宮家は女系天皇への第一歩であり、女系になると日本は滅びるとまで主張している。そして旧皇族の若い男性を皇族に復帰させ、女性皇族と結婚させるという悪あがきのような画策を図っている。
また世襲は、そもそも結婚させ、次に男の子どもを産ませないといけない。皇太子の例を振り返っても、結婚相手が現れるかどうか、結婚しても出産できるか、さらに人間は生身の体なので雅子のように病気になる、などリスクは多い。伝統主義が最重要視している「世襲」が、現代では受け入れられない価値観になりつつある。
女性宮家の問題は、わたしたちの「平和、平等、民主主義の危機」である。
天皇制は、戦争責任、女人禁制という伝統、身分差別など多くの問題をはらんでいる。それなのに天皇制を今後も維持するかどうかという議論すら起こらない、あるいは起こせない。すでに非民主社会ができている
また、女性宮家の話が出るとすぐ家系図が出てくる。ふつうの家では考えられない。そして皇族を1人つくれば莫大な経費がかかる。さらに先に述べたとおり生身の女性の身体を要求するのが天皇制という政治システムだ。これを許容すれば人権感覚を希薄化させる
天皇制というシステムを大衆的に相対化する必要がある。時間がかかっても、日本の社会問題と天皇制がどれだけくっついているか、わたしたちにどういう影響を及ぼしているか、つねに認識する必要がある。

「紀元節」に考える格差・差別と脱原発・反原発
     なすび
さん(福島原発事故緊急会議被曝労働問題プロジェクト
86年から山谷で支援活動をしてきた。今回原発被曝労働の問題にかかわって、原発産業は差別と格差のうえに成り立つ産業であることをつくづく感じている。
今日は紀元節だが、紀元節制定の2年前の1871年に「ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」という解放令が布告された。もちろんヒューマニズムから布告されたわけではない。労働力、兵力として再編成する戸籍をつくる必要や、地租(税金)を徴収するのに必要だったからだ。解放令が出てどんな結果となっただろうか。税金が取られ、「」としてやはり差別を受け、しかも死牛馬の処理といった「特権」をはく奪されたため、生活はかえって困窮した。解放のプロセスで、代わるものを共につくり上げるプロセスを経なければ解放の闘いにはならない。
同じことが原発立地の福島についてもいえる。被爆労働者は全国の寄場から狩り集められた印象があるが、調べてみるとじつは違う。地元の人が7割だ。いま現在でいえば高線量の福島第一にいるとすぐ法的線量限度を突破するため4割くらいで、福島第二や柏崎刈羽に回っている。そこで福島第二ではじつに8-9割を地元の人が占めている。
山谷と福島で働く人は地続きである。かつて双葉町、大熊町、富岡町のお父さんは出稼ぎに出ていた。原発工事が始まったので寄場から自宅に戻ってきた。地元は喜んだ。そういう場所であったからこそ原発が立地した。つまり労働力があり地元が受け入れざるをえない場所なのである。格差と差別以外の何ものでもない。
この間、わたしの山谷での取組みには足りないものがあったことを痛感した。取組みの位置づけは都市下層労働運動というものだった。最初から労働力の供給地に目がいっていなかった
ではこれからどうするか。原発を止めたり、エネルギーを転換すればそれですむわけではない。原発に生活を依拠せざるをえなかった人の生存権を、原発停止とともにどうやってぼくたちは共につくっていくか、もう少し真剣に考えたい。どうしても東京の取組は都市部からの取組みに終わりがちで、現地の人とのつながりはまだまだ弱い。停止後のことでも「どうやって彼らを生活させるか」という目線になりがちだ。どうしていっしょに、これまでの彼らの生活も含めて、いっしょに考えられないのか。格差と差別がどれだけ彼らを抑圧してきたか、彼らとコミュニケーションをとりながら、今後のやり方をみんなと考えたい。天皇制の話から外れているようだが、基本は天皇制と共通した問題である。

沖縄と天皇制  沖縄文学の視点から
     村上陽子
さん(ゆんたく高江
沖縄文学の「骨」(嶋 津与志 しま つよし 1973)の話から始める。この小説は、日本復帰翌年に本土資本でホテル建設が始まったが、膨大な数の沖縄戦の死者の骨が発見され工事がストップしたという状況設定になっている。主人公の鎌吉は、市役所派遣の遺骨収集作業員の一人だ。鎌吉は終戦時2歳だったので沖縄戦の記憶はなく、父が役場から防衛隊にひっぱられ沖縄戦で戦死したものの「遠い昔の伝説」のように思っていた。鎌吉は土砂のなかから赤錆びた鉄片が貫通した骨をみつけ「痛いだろうな」とつぶやく。自分が体験していないことを追体験し、鎌吉に変化が訪れる。一方、本土から来た現場主任は「機械を遊ばせておくと一日何十万の損害になる」、(遺骨の話が広まると)「ホテルのイメージに傷がつく」というような発言しかしない。
東村高江には北部訓練所があり、1996年のSACO合意で過半を返還するかわりに高江をぐるりと取り囲む新たなヘリパッドを6つ建設することにした。いまでも騒音がすごいのに、これではとても生活できなくなる。しかも事前説明もなかった。そこで村民は07年7月2日から座り込みを始めた。わずか160人の集落なので、テントでの座り込みに参加できるのは1日5-6人だ。政府は、100人もの作業員を動員する、工事を強行する、村民を裁判にかけるなど、あらゆる妨害をした。
沖縄防衛局の職員、本土の政府の職員、作業員は、村民が対話しようとしても目も合わせず返答もしない。「すでに日米間で合意した」「過半が返ってくるので、負担軽減になる」としか言わない。作業員は、じつは地元の若者が多いのだが「仕事なので、おカネをもらわないといけないから粛々とやらざるをえない」という。「骨」の現場主任と同じ種類の言葉だ。沖縄に基地を残すまいとする運動を踏みにじる暴力が、いまも昔も沖縄で行使されている。沖縄を捨て石にする沖縄戦が闘われたのは天皇制を延命させようとするものだった。また沖縄の米軍基地は天皇制の負債だ。
わたしたちは何をすればよいか。一人ひとりが「骨」のように埋まっているものを掘り返し想起し直し、たくさんの体験とつながり考え続けることしかないと思う

この日の会場、日本キリスト教会館は、創立100年を超える友愛学舎、国際学舎、宣教師館、講座、セミナーハウスなどから成る複合施設である。
☆わたしは参加していないが、集会後大久保までデモが実行された。いつものように在特会日侵会、そして街宣カーに乗った伝統右翼が大挙待ち受け、「ボケこらぁ」「このキチガイども、こじき野郎」「ごみ野郎出ていけ」などと下品な罵声を上げていたそうだ。
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1 コメント

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Unknown (Dr. 夢倉)
2012-03-17 03:13:46
はじめまして。
日本の天皇制に反対する運動に関し、大変参考になりました。
それがいくら象徴であろうと天皇制が存続する限り、英国と同じく、日本は民主主義に基づく体制ではないと、私は考えています。
天皇制が日本の階級制度を象徴するのは言うまでもありませんが、天皇と名づけられ、自由を剥奪された人間は、日本で人権を最も保障されていない一人だと私は認識しています。
又、日本の天皇制が、戦後、アメリカに如何に利用されたかを考慮する必要があると思います。その点については、私のブログで、幾つかの資料を載せています。
橋下政権に関する説明を読まさせていただき、アメリカで、特にここ数年、保守派で非常に力を持ってきた the Tea Party movement に類する点を感じました。
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