観客がまばらな館内に入るとギター弾き語りの「白いブランコ」が流れていた。どことなく寂しい声だ。ビリー・バンバンではなく、アン・サリー(在日韓国人三世、女性心臓内科医)の声だった。先着客にはこの歌のCDが無料で配布され、わたくしも1枚いただいた。
わたくしがヤン・ヨンヒの「ディア・ピョンヤン」(2005)をみたのは2007年3月なのでもう5年も前のことだ。わたくしがみた映画のなかでは、奥崎謙三を撮った『ゆきゆきて、神軍』(原一男 1987)の次に衝撃的な映画だった。帰国した3人の兄の北朝鮮での生活。当たり前といえば当たり前だが、あまりにも普通の家庭生活に驚いた。そして脳梗塞で倒れたアボジ(父)を必死で看病するヤン・ヨンヒ。
父は済州島生まれで四・三事件で大阪に来た朝鮮総連大阪府地方本部の副委員長、母は在日2世、3人の兄は1971・72年に北朝鮮に「帰国」した家族の物語で、おとなになった妹が平壌の兄を訪問するという映画だった。たしかに停電もたびたびあり、厳しい冬はつらそうだった。しかしそんななかで10代の甥っ子が弾くリストのピアノ曲は感動的なうまさで、日本人のコンクールに出場しても上位入賞できそうな演奏だった。冗談も言えば怒ることもある。離婚する人も再婚する人もいる。この映画をみて北にも普通の人間の暮らしがあることはよくわかった。
それで朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット)の粉ミルク募金に加わったり日韓ネットの3・1朝鮮独立運動集会に参加するようになった。
「かぞくのくに」のあらすじは下記のようなものだ(あらすじはこのサイトより)
1970年代に帰国事業により北朝鮮へと渡った兄。日本との国交が樹立されていないため、ずっと別れ別れになっていた兄。そんな兄・ソンホ(井浦新)が病気治療のために、監視役(ヤン・イクチュン)を同行させての3ヶ月間だけの日本帰国が許された。25年ぶりに帰ってきた兄と生まれたときから自由に育ったリエ(安藤サクラ)、兄を送った両親との家族だんらんは、微妙な空気に包まれていた。兄のかつての級友たちは、奇跡的な再会を喜んでいた。その一方、検査結果はあまり芳しいものではなく、医者から3か月という限られた期間では責任を持って治療することはできないと告げられる。なんとか手立てはないかと奔走するリエたち。そんな中、本国から兄に、明日帰還するよう電話がかかってくる……。
「かぞくのくに」を観たあと「兄 かぞくのくに」(小学館 2012.7)を読んだ。この映画はフィクションだが、219-272pをみるとほぼ実話であることがわかる。
病気治療のため28年ぶりに帰国した兄は、途中でかかってきた一本の電話で突然帰国することになる。中学のクラスメイトたちが開いてくれた歓迎会、いまは医師の妻となっているガールフレンドとのデイト、兄が妹に北朝鮮の「工作員」となることを促す場面など、主要場面がそのまま出てくる。
しかし違う点もある。最大の違いは病気治療で帰国したのは長男ではなく、14歳で北に渡った三男であることだ。病気も脳腫瘍ではなく、顎の腫瘍である。また日本滞在は、さすがに1週間ではなく2週間だった。
歓迎会でのカラオケは「白いブランコ」だけでなく「誰もいない海」「風」「「また逢う日まで」、タイガースのヒットメドレーなど、何曲も歌ったらしい。
ディア・ピョンヤン」は大阪市生野区の鶴橋が舞台だったが、この映画では実家は東京の足立区千住柳町にあったことになっている。大阪弁と標準語ではやはりずいぶん印象が違う。パッチギも1作は京都、2作は江東区枝川が舞台だった。関西の監督には東京へのあこがれのようなものがあるのだろうか。
「白いブランコ」のCDジャケット
パンフレットにセリフがいくつか掲載されている。印象の強いものを抜粋した。
ソンホ「指定された誰かに会って、話した内容を報告するとか、そういう仕事する気あるか」
リエ「そんな仕事関わりたくもない。オッパにそんなこと言わせた上の人に言っといて。妹は我々とは相反する思想を持った敵ですって はっきり言っといて」
*
リエ「あなたもあの国もだいっきらい!」
ヤン「あなたがきらいなあの国で、お兄さんも、私も生きているんです」
ヤン「死ぬまで生きるんです」
*
スニ「このまま二人で消えちゃおっか!」
ソンホ「・・・スニには、笑っててほしい」
ソンホ「ずっと笑っててほしい」
*
ソンホ「あとは思考を停止させる。思考停止 楽だぞ、思考停止」
ソンホ「いいか、お前の好きな所に行っていいんだから」
ソンホ「毎日感動してさ」
ソンホ「わがままに生きればいいんだよ」
*
母「下手な朝鮮語で この手紙を書きます
遠く離れ日本にいる母親は
病を持つ息子に何もしてやれません
出来ることは 祖国を信じることだけです
ソンホをよろしくお願い致します
子供さんが3人 いらっしゃると伺いました
少ないですがご家族のために お役立てください
ソンホの母より」
*
役者では主演クラスの3人(安藤さくら、井浦新、ヤン・イクチュン)についてはいろんなサイトやブログで取り上げられている。その他では、スニ役の京野ことみが注目である。わたくしは2001年6月新国立劇場で観た野田秀樹の「贋作・桜の森の満開の下」の早寝姫の印象が強い。元気のよい女の子だった。それが「清楚な女性」になっていた。
またオモニ(母親)役の宮崎美子は慈母のキャラクターが強く出ていた。しかし「ディア・ピョンヤン」の、ホカロンを山のように詰めた段ボールを何箱も郵便局に運び発送するオモニ、つまり実母をみてしまうと迫力が違う。その点は津嘉山正種(アボジ)も同様だ。あんな父親を演じられる役者はめったにいない。
わたくしがヤン・ヨンヒの「ディア・ピョンヤン」(2005)をみたのは2007年3月なのでもう5年も前のことだ。わたくしがみた映画のなかでは、奥崎謙三を撮った『ゆきゆきて、神軍』(原一男 1987)の次に衝撃的な映画だった。帰国した3人の兄の北朝鮮での生活。当たり前といえば当たり前だが、あまりにも普通の家庭生活に驚いた。そして脳梗塞で倒れたアボジ(父)を必死で看病するヤン・ヨンヒ。
父は済州島生まれで四・三事件で大阪に来た朝鮮総連大阪府地方本部の副委員長、母は在日2世、3人の兄は1971・72年に北朝鮮に「帰国」した家族の物語で、おとなになった妹が平壌の兄を訪問するという映画だった。たしかに停電もたびたびあり、厳しい冬はつらそうだった。しかしそんななかで10代の甥っ子が弾くリストのピアノ曲は感動的なうまさで、日本人のコンクールに出場しても上位入賞できそうな演奏だった。冗談も言えば怒ることもある。離婚する人も再婚する人もいる。この映画をみて北にも普通の人間の暮らしがあることはよくわかった。
それで朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット)の粉ミルク募金に加わったり日韓ネットの3・1朝鮮独立運動集会に参加するようになった。
「かぞくのくに」のあらすじは下記のようなものだ(あらすじはこのサイトより)
1970年代に帰国事業により北朝鮮へと渡った兄。日本との国交が樹立されていないため、ずっと別れ別れになっていた兄。そんな兄・ソンホ(井浦新)が病気治療のために、監視役(ヤン・イクチュン)を同行させての3ヶ月間だけの日本帰国が許された。25年ぶりに帰ってきた兄と生まれたときから自由に育ったリエ(安藤サクラ)、兄を送った両親との家族だんらんは、微妙な空気に包まれていた。兄のかつての級友たちは、奇跡的な再会を喜んでいた。その一方、検査結果はあまり芳しいものではなく、医者から3か月という限られた期間では責任を持って治療することはできないと告げられる。なんとか手立てはないかと奔走するリエたち。そんな中、本国から兄に、明日帰還するよう電話がかかってくる……。
「かぞくのくに」を観たあと「兄 かぞくのくに」(小学館 2012.7)を読んだ。この映画はフィクションだが、219-272pをみるとほぼ実話であることがわかる。
病気治療のため28年ぶりに帰国した兄は、途中でかかってきた一本の電話で突然帰国することになる。中学のクラスメイトたちが開いてくれた歓迎会、いまは医師の妻となっているガールフレンドとのデイト、兄が妹に北朝鮮の「工作員」となることを促す場面など、主要場面がそのまま出てくる。
しかし違う点もある。最大の違いは病気治療で帰国したのは長男ではなく、14歳で北に渡った三男であることだ。病気も脳腫瘍ではなく、顎の腫瘍である。また日本滞在は、さすがに1週間ではなく2週間だった。
歓迎会でのカラオケは「白いブランコ」だけでなく「誰もいない海」「風」「「また逢う日まで」、タイガースのヒットメドレーなど、何曲も歌ったらしい。
ディア・ピョンヤン」は大阪市生野区の鶴橋が舞台だったが、この映画では実家は東京の足立区千住柳町にあったことになっている。大阪弁と標準語ではやはりずいぶん印象が違う。パッチギも1作は京都、2作は江東区枝川が舞台だった。関西の監督には東京へのあこがれのようなものがあるのだろうか。
「白いブランコ」のCDジャケット
パンフレットにセリフがいくつか掲載されている。印象の強いものを抜粋した。
ソンホ「指定された誰かに会って、話した内容を報告するとか、そういう仕事する気あるか」
リエ「そんな仕事関わりたくもない。オッパにそんなこと言わせた上の人に言っといて。妹は我々とは相反する思想を持った敵ですって はっきり言っといて」
*
リエ「あなたもあの国もだいっきらい!」
ヤン「あなたがきらいなあの国で、お兄さんも、私も生きているんです」
ヤン「死ぬまで生きるんです」
*
スニ「このまま二人で消えちゃおっか!」
ソンホ「・・・スニには、笑っててほしい」
ソンホ「ずっと笑っててほしい」
*
ソンホ「あとは思考を停止させる。思考停止 楽だぞ、思考停止」
ソンホ「いいか、お前の好きな所に行っていいんだから」
ソンホ「毎日感動してさ」
ソンホ「わがままに生きればいいんだよ」
*
母「下手な朝鮮語で この手紙を書きます
遠く離れ日本にいる母親は
病を持つ息子に何もしてやれません
出来ることは 祖国を信じることだけです
ソンホをよろしくお願い致します
子供さんが3人 いらっしゃると伺いました
少ないですがご家族のために お役立てください
ソンホの母より」
*
役者では主演クラスの3人(安藤さくら、井浦新、ヤン・イクチュン)についてはいろんなサイトやブログで取り上げられている。その他では、スニ役の京野ことみが注目である。わたくしは2001年6月新国立劇場で観た野田秀樹の「贋作・桜の森の満開の下」の早寝姫の印象が強い。元気のよい女の子だった。それが「清楚な女性」になっていた。
またオモニ(母親)役の宮崎美子は慈母のキャラクターが強く出ていた。しかし「ディア・ピョンヤン」の、ホカロンを山のように詰めた段ボールを何箱も郵便局に運び発送するオモニ、つまり実母をみてしまうと迫力が違う。その点は津嘉山正種(アボジ)も同様だ。あんな父親を演じられる役者はめったにいない。