多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

鉄人28号がそびえ立つ町、新長田

2010年01月12日 | 日記
いまから15年前の1995年1月17日午前5時46分52秒、阪神・淡路大震災が発生し、神戸のまちは壊滅した。なかでも長田区の商店街は倒壊しただけでなく火災が発生し、大正筋商店街の98店舗中93店舗が全焼した。
2006年に地元の商店主らが、鉄人28号を阪神大震災の復興のシンボルにしようとKOBE鉄人PROJECTを発足させ、2009年9月29日新長田駅前に高さ18mの鉄人モニュメントが完成した。わたくしがみにいった日はとても寒い日だったが、かなりの人が訪れ写真を撮っていた。一見プラスチック製にみえるが、手でたたくとコンコンと音がするのでやはり鉄製であることがわかる。

鉄人の作者、横山光輝は1934年6月18日神戸市須磨区生まれ、53年須磨高校を卒業し神戸銀行(現・三井住友銀行)に就職するが、漫画を描く時間が取れず4か月で退職した。高校在学中から学童社の「漫画少年」に投稿していた。年代は、同じように投稿少年だった藤子不二雄(AとF)の1歳下、赤塚不二夫より1歳上に当たる。54年貸本漫画「音無しの剣」でデビュー、56年「鉄人28号」の大ヒットで上京した。「鉄人28号」は「鉄腕アトム」と人気を二分し、その後「伊賀の影丸」「仮面の忍者 赤影」「魔法使いサリー」「コメットさん」「バビル2世」「三国志」などを次々に連載し大マンガ家になった。2004年4月豊島区千早にあった自宅の火事で、69歳で焼死した。
わたくしも、鉄人28号、金田正太郎とリモコンの操縦器はなつかしい。ビルの夜景がきれいだった記憶がある。
「鉄人28号の夜景は細かく描いていますね」と問われた横山は「そうですか。自分では気づかなかったけど、きっと六甲からみた神戸の夜景が美しかったから、夜景とはこんなんだろうと思って描いたんでしょうね」と答えている(広報誌ニューひょうご89年5月)。それ以上に少年サンデー連載の「伊賀の影丸」の影丸や木の葉隠れの術、敵の阿魔野邪鬼 、由比正雪、土蜘蛛はなつかしい。

六間道商店街
鉄人のモニュメントがあるのは新長田駅西側の広場で、新長田一番街というアーケードの商店街の入口に位置する。建物はすべて震災後の新築である。化粧品店、和菓子店、薬屋など普通の店ももちろんあるが、お好み焼き、寿司、そば、手打ちうどん、たこ焼き、中華、喫茶店など食べもの屋が比較的多いように感じる。地元特産ケミカルシューズの小売店もある。アーケードを抜けると阪神高速で、その先も商店街が続く。くにづか1番街から6番街という再開発ビルで、ここが大正筋商店街である。ローソンの100円ショップ、靴屋、お茶屋、auショップなどが並ぶ。
大正筋を最後まで歩くと、左折して東向きに六間道商店街が始まる。ここは焼けなかったようで古い看板のおぐら化粧品店や寝具のさかもとがある。まむし屋、レコード店もある。水森かおり「安芸の宮島」、北島三郎「夫婦一生」、山本みゆき「もどり雨」などコテコテの演歌のポスターが貼り出されている。昭和30年代の商店街そのままだ。残念ながら人通りは少ない。かつては東の三菱、川崎の工場に通勤する工員の人波がすごかったそうだ。

そのなかに横山光輝の「三国志」の「魏武帝廟」や「なごみサロン」「三国志館」がある。なごみサロンには17年間連載した「三国志」60巻(潮出版社)、「鉄人28号」10巻(秋田書店)、「水滸伝」8巻(潮出版社)、三国志のキャラクター約40人の絵が展示されていた。魏武帝廟には、四頭立ての馬車を操る武帝(曹操)の3mもある人形が、三国志館には後赤壁の賦の拓本が展示されていた。わたしは横山光輝の「三国志」のことは何も知らないが、鉄人のご利益で商店街が元気になってほしいものである。

☆鉄人28号のアニメソングを歌うときは、最後の提供「グリコ、グリコ、グリコ」まで歌うのが「お約束」である。大丸・新長田店で開催されていた「鉄人28号と昭和のくらし展」で「1粒で2度おいしい」グリコやアーモンドチョコレート、そして数々のおまけが展示されていた。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 青年団の「北限の猿」 | トップ | 忘れないで!パレスチナ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事