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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

3.10原発ゼロ大行動

2013年03月21日 | 集会報告
3月10日(日)は東京大空襲68周年の日だった。それだけでなく、3.11からほぼ2年なので原発ゼロ大行動(主催 首都圏反原発連合)が行われた。
まず日比谷の野外音楽堂で集会が開催された。
開会20分前に到着したが、すでに広い会場は8割くらい埋まっていた。始まった13時ごろは6月並みの25度の気温で汗ばむほど、着ていたセーターを脱いだ。ところが30分ほどすると黒い雲に覆われ寒くなってきた。
集会でいわきの女性は「毎月50人の子どもを沖縄・久米島の「球美の里(くみのさと)に保養に送り出している。放射能は見えない、匂わない、感じない、だから人によって受け止め方が異なり家族でも心が離れてしまう。離婚する夫婦もいる。こんな状況で再稼働を考えること自体が、不思議でたまらない」とアピールした。
協力団体「さようなら原発1000万人アクション」の落合恵子さんは「まやかしの平和利用の名の下に安全神話を流布してきた大もとがいま政権をとっている。責任を取るべきところが責任を取れといいたい。子どもたちはだれも原発のある国を選んで生まれてきたわけではない。7月の参議院選の結果によっては、憲法が改悪され、原発は再稼働し輸出される。わたしたちはギリギリの崖っぷちに立っている。忘れない、後ずさりしない、頑張っていきましょう」と訴えた。

日比谷公園スタート地点のデモ隊
そして国会目指してデモに移った。わたくしはそんなに後ろのほうではなかったのだが公園から出るのに1時間近くかかった。外務省前、経産省前、財務省前、文科省前などに抗議エリアがあった。国会の手前のコーナーには日本音楽協議会の歌声エリアがありディズニーの「ハイホー」の替え歌「廃炉」が歌われていた。
もともと原発反対デモに鳴り物は多かったが、この日はジンタらムータwith リクルマイが参加し、チューバまで登場した。しかも上手だった。チンドン太鼓は珍しくないが、自然エネルギーの風車までついていた。

17時の国会正門前大集会のスピーチエリアは本当に狭いスペースだった。
そこに志井和夫、笠井亮、田村智子(共産)
  はたともこ、三宅雪子、姫井由美子(生活の党)
  山田太郎(みんなの党)
  大河原雅子、菅直人(民主)
  福島みずほ(社民)
  阿部知子(日本未来の党)
と、党首クラスの3人を含め10人もの衆参国会議員がひしめいていた。国会討論会を開けそうだった。

真ん中に志位委員長、その右に菅・元首相、大河原議員らが立っている
志井委員長は前日に福島第一を視察したそうで、1 収束宣言を直ちに撤回せよ 2 原因も判明しないなか再稼働などとんでもない 3 原発と人類社会は共存できない、の3点を訴えた。
福島党首は「国会予算委員会で田中俊一原子力規制委員長も「事故原因究明はできていない」と明言した。それなのになぜ新安全基準など出せるのか。でたらめだ」と語った。生活の党の3議員は、11日に生活の党、みどりの風、社民党の3会派合同で脱原発基本法案を提出すると宣言した。
菅直人・元首相は「民主党自身がもっと明確に原発ゼロを提起すべきだが、それだけでは不十分だ。ドイツのように連立して幅の広い脱原発運動を」と述べた。本人を間近で見るのは初めてだが、首が細くなった印象がある。
阿部代表は、小児科医でもあるので、「放射能は遺伝子を傷つける。福島ではすでに3人の子どもの甲状腺がんが発見され、7人が疑いがあるという検査結果が出ている。放射線はこれから生まれようとする子どもの命まで傷つけ、わたしたちの未来を奪う」と訴えた。

わたくしは制服向上委員会の歌で引き上げたが、その後も佐藤栄佐久・元福島県知事、映画監督の鎌仲ひとみさんなど多数のスピーチがあったようだ。なお司会は千葉麗子で、豪華なメンバーだった。
2時間以上あるが、ビデオはこのサイトでみられる。
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