『やまない雨はない』倉嶋厚(文春文庫)
『ブッタは、なぜ子を捨てたか』山折哲雄(集英社新書)
『編集者T君の謎 将棋業界のゆかいな人びと』大崎善生(講談社)
『アルゼンチンババア』よしもとばなな(幻冬舎文庫)
『ぶどうの木 10人の“わが子”とすごした、里親18年の記録』坂本洋子(幻冬舎文庫)
『世界が完全に思考停止する前に』森達也(角川文庫)
『ブッタは、なぜ子を捨てたか』
兄が読みたいと言って購入し、私が先に読んでしまった本。
兄がこの本を読もうと思った理由は、
「偉大な宗教家であるのもかかわらず、妻や子、家を捨てるという行為は無責任ではないのか」
だという。
この本でも触れていたが、マハトマ・ガンジーも家や子を捨てているのである。
何かを得るためには、捨てなければならないものがあるのか。
(「悟り」を開くには、一切の執着・欲望から自由になること…)
「修身斉家治国平天下」
小さい頃から私達兄妹が、父から言われ続けてきた言葉だ。
まずは自分から。そして、家庭、国、天下。
この本を読み、様々なことを思った。
そういえば学生時代に友人が「“無”について考え始めたら止まらない」と言っていたよなぁ。。。
************************************
インドの仏教が「無我の仏教」であるとすれば、日本の仏教は「無私の仏教」であったことがますますみえてくるだろう。
日本の仏教徒たちは心の探求に関心を集中して、無心・無私を究極の価値とする日本型の仏教を創造しようとしたのである。
山折哲雄『ブッタは、なぜ子を捨てたか』
************************************
『編集者T君の謎 将棋業界のゆかいな人びと』
将棋業界の話、好きなのである。
将棋自体は駒の進め方が、まぁ解る程度なのだが…。
それにしても「将棋世界」の編集部のT君の存在が面白い。
入社試験の面接で「好きな本は?」と聞かれ「それはもう何といっても『人間失格』です」と熱弁をふるったT君。
無事入社後、わかった事実。本は1冊しか読んだことがなかったそうだ…。
現在発売中の「将棋世界」に掲載されていた「将棋世界ノンフィクション “元奨”の真実」が読み応えがあった。
年齢制限がある奨励会。決められた年までに四段に昇段できないと退会を余儀なくされる。
今回のこの記事の主役、立石径さんは「将来のA級候補」と期待されていた人物だ。
しかし17歳、三段で退会。理由は「医師になりたい」からである。
あるときアフリカの難民の子供たちの記事を見たのがきっかけという。
現在、小児科担当の医師。
写真で見た彼のとても清々しい笑顔が印象的だった。
『アルゼンチンババア』
ばななさんと奈良さん(絵)のゴールデンコンビ。
それにしてもすごいタイトル!
映画化が決定しており、2007年春に公開予定。
************************************
懐かしさって、全てが変わってしまってから初めて芽生えるものなんだ、と私は思った。
よしもとばなな『アルゼンチンババア』
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『世界が完全に思考停止する前に』
いろいろな意味で衝撃的な作品だった。
特に印象に残ったのが「一人称という主語を喪った情動は暴走する」という言葉。
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遺族や被害者が憎悪や報復感情に捉われることは当たり前だ、なぜなら彼らは当事者だ。この感情を社会が共有しようとするとき、一人称であるはずの主語がいつの間にか消失する。「俺」や「私」が「我々」となり、地域や会社、そして国家など、自らが帰属する共同体の名称が主語となる。本当の憎悪は激しい苦悶を伴う。でも一人称単数の主語を喪った憎悪は、実のところ心地よい。だからこそ暴走するし感染力も強い。
森達也『世界が完全に思考停止する前に』
************************************
今月は、本を読みながら「当事者でしかわからない思い」について考えさせられることが多かった。
『ぶどうの木』では里子たちは、病院に行った場合「受診券」という公が発行したもので医療費の公費負担を受けるというシステムがあるということを知った。
(しかし医療機関の窓口にいて知らない人も多いらしい)
『世界が完全に思考停止する前に』では「最高裁で死刑が確定した死刑囚は、親族以外とは面会できないし手紙すら交換できないというシステム」を知った。
死刑囚と被害者遺族が互いに面会を切望している場合でも、面会は許されない。
そして今月初め、拙ブログにお越し下さる“くまこさん”から「世界標準癌治療薬でありながら日本で未承認の薬の早期承認の請願書」の署名運動のことを知った。
これをきっかけに詳しい現状を知りたいと思い、今、本を2冊読んでいる。
三浦捷一『がん戦記 末期癌になった医師からの「遺言」』
NHKがん特別取材班『日本のがん医療を問う』
NHKがん特別取材班『日本のがん医療を問う』のエピローグに母親を癌で亡くされた方の言葉が記されている。
「もしご自身の家族、大事な人、大好きな人、そういった方ががんに罹ったらということに想像を及ぼしていただきたいと思います。そしてその方々にとって大事であるかもしれない自分が、がんに罹ったらということに想像を及ぼしていただいたら、きっと皆さんの視点が変わってくると思います。皆さんがその意識を持てば、きっとお隣同士でも、思いがどんどん、どんどん重なっていって大きいものになると思います」
大切なのは、他者への想像力―。
それも人の意見に簡単にのってしまうのではなく、自分自身、一人称で思考してみること。
改めて心に刻んでおきたい。
『ブッタは、なぜ子を捨てたか』山折哲雄(集英社新書)
『編集者T君の謎 将棋業界のゆかいな人びと』大崎善生(講談社)
『アルゼンチンババア』よしもとばなな(幻冬舎文庫)
『ぶどうの木 10人の“わが子”とすごした、里親18年の記録』坂本洋子(幻冬舎文庫)
『世界が完全に思考停止する前に』森達也(角川文庫)
『ブッタは、なぜ子を捨てたか』
兄が読みたいと言って購入し、私が先に読んでしまった本。
兄がこの本を読もうと思った理由は、
「偉大な宗教家であるのもかかわらず、妻や子、家を捨てるという行為は無責任ではないのか」
だという。
この本でも触れていたが、マハトマ・ガンジーも家や子を捨てているのである。
何かを得るためには、捨てなければならないものがあるのか。
(「悟り」を開くには、一切の執着・欲望から自由になること…)
「修身斉家治国平天下」
小さい頃から私達兄妹が、父から言われ続けてきた言葉だ。
まずは自分から。そして、家庭、国、天下。
この本を読み、様々なことを思った。
そういえば学生時代に友人が「“無”について考え始めたら止まらない」と言っていたよなぁ。。。
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インドの仏教が「無我の仏教」であるとすれば、日本の仏教は「無私の仏教」であったことがますますみえてくるだろう。
日本の仏教徒たちは心の探求に関心を集中して、無心・無私を究極の価値とする日本型の仏教を創造しようとしたのである。
山折哲雄『ブッタは、なぜ子を捨てたか』
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『編集者T君の謎 将棋業界のゆかいな人びと』
将棋業界の話、好きなのである。
将棋自体は駒の進め方が、まぁ解る程度なのだが…。
それにしても「将棋世界」の編集部のT君の存在が面白い。
入社試験の面接で「好きな本は?」と聞かれ「それはもう何といっても『人間失格』です」と熱弁をふるったT君。
無事入社後、わかった事実。本は1冊しか読んだことがなかったそうだ…。
現在発売中の「将棋世界」に掲載されていた「将棋世界ノンフィクション “元奨”の真実」が読み応えがあった。
年齢制限がある奨励会。決められた年までに四段に昇段できないと退会を余儀なくされる。
今回のこの記事の主役、立石径さんは「将来のA級候補」と期待されていた人物だ。
しかし17歳、三段で退会。理由は「医師になりたい」からである。
あるときアフリカの難民の子供たちの記事を見たのがきっかけという。
現在、小児科担当の医師。
写真で見た彼のとても清々しい笑顔が印象的だった。
『アルゼンチンババア』
ばななさんと奈良さん(絵)のゴールデンコンビ。
それにしてもすごいタイトル!
映画化が決定しており、2007年春に公開予定。
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懐かしさって、全てが変わってしまってから初めて芽生えるものなんだ、と私は思った。
よしもとばなな『アルゼンチンババア』
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『世界が完全に思考停止する前に』
いろいろな意味で衝撃的な作品だった。
特に印象に残ったのが「一人称という主語を喪った情動は暴走する」という言葉。
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遺族や被害者が憎悪や報復感情に捉われることは当たり前だ、なぜなら彼らは当事者だ。この感情を社会が共有しようとするとき、一人称であるはずの主語がいつの間にか消失する。「俺」や「私」が「我々」となり、地域や会社、そして国家など、自らが帰属する共同体の名称が主語となる。本当の憎悪は激しい苦悶を伴う。でも一人称単数の主語を喪った憎悪は、実のところ心地よい。だからこそ暴走するし感染力も強い。
森達也『世界が完全に思考停止する前に』
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今月は、本を読みながら「当事者でしかわからない思い」について考えさせられることが多かった。
『ぶどうの木』では里子たちは、病院に行った場合「受診券」という公が発行したもので医療費の公費負担を受けるというシステムがあるということを知った。
(しかし医療機関の窓口にいて知らない人も多いらしい)
『世界が完全に思考停止する前に』では「最高裁で死刑が確定した死刑囚は、親族以外とは面会できないし手紙すら交換できないというシステム」を知った。
死刑囚と被害者遺族が互いに面会を切望している場合でも、面会は許されない。
そして今月初め、拙ブログにお越し下さる“くまこさん”から「世界標準癌治療薬でありながら日本で未承認の薬の早期承認の請願書」の署名運動のことを知った。
これをきっかけに詳しい現状を知りたいと思い、今、本を2冊読んでいる。
三浦捷一『がん戦記 末期癌になった医師からの「遺言」』
NHKがん特別取材班『日本のがん医療を問う』
NHKがん特別取材班『日本のがん医療を問う』のエピローグに母親を癌で亡くされた方の言葉が記されている。
「もしご自身の家族、大事な人、大好きな人、そういった方ががんに罹ったらということに想像を及ぼしていただきたいと思います。そしてその方々にとって大事であるかもしれない自分が、がんに罹ったらということに想像を及ぼしていただいたら、きっと皆さんの視点が変わってくると思います。皆さんがその意識を持てば、きっとお隣同士でも、思いがどんどん、どんどん重なっていって大きいものになると思います」
大切なのは、他者への想像力―。
それも人の意見に簡単にのってしまうのではなく、自分自身、一人称で思考してみること。
改めて心に刻んでおきたい。