宴的戯言

ビールを飲んで宇宙と繋がるなんでも屋の戯言。

家族

2007年05月12日 | 戯言
我の小学校入学のときの家族写真。

父、わけぇー。
母、ホステス顔。
弟はかわえぇしばーさん美人なのに
我だけぶっさいく。


遺伝子組み替えか。

2007年05月10日 | 戯言
祖母の容体が安定し、今夜からは付き添いは必要ないという連絡を受け
高校時代からの親友の男の子と飯を食いに。

いつもの帰郷の際にはわずかな時間しかないので
親友女と先生を交えてプチ同窓会をもよおすのだが
今回は若干長期の滞在になるのであえて個別に会うことを選んでみた。

が、誰かよんじゃおっか。と
結局いつものプチ同窓会メンバーのもう一人の男友達も合流。

禁酒中の我に、「飲み放題」という難関が降り注いだが
かなり修業を積んだ成果を発揮し、終始お茶で和やかにすごせた。

仲間たちも私の挑戦に好意的で
何のために頑張ってるかはわからんけど
そんなに意志が堅いのならと応援してくれた。

私はつくづく運がいいと再認識できる会合だった。
暖かいほほ笑みと無償の愛の交換をしている気持ちになれた。

素敵な友と巡り合えた人生に感謝。

脈々とつづいてきた命に感謝。

平和。

帰郷

2007年05月09日 | 戯言
6日夕方
父親から 祖母が危篤だ と連絡が入り
翌日、帰郷。

お見舞いにいくと
すでに見えてなさげな瞳を開き
酸素マスクの力だけで生きているような状態の祖母が
ベッドに横たわっていた。

かつて元気だった頃の祖母は
旭川の割と大きなとおり沿い(たしか国道40号線だったろうか)で
『おばちゃん食堂』という店を経営していた。

小さな頃、よくラーメンを食べにいったり
ホルモンを食べにいったりした記憶があるが
ほかにどんなメニューがあったのかは覚えていない。

ホルモンのタレが絶品で
店をたたんだあとも残っていた秘伝のタレのツボからタレをすくっては
白飯にかけて頬張ったのをよく覚えている。


病院について、すっかり小さくなってしまった祖母に
『おばちゃーん、ラーメン一丁!あとホルモン一人前ちょーだーい』
と、声かけてみた。


前日は瞳孔開き、意志のない目をしていたという祖母に反応があった。

瞳は確かに私を見ており、
『ラーメンくいたいんだがー』というたびに
わずかに目蓋と首を震わせていた。

そのあとも
『ちょっくらタバコ吸いにいかね?』と声をかけると
やはり、反応あり。


その様子を
前日から付き添っていた親戚のおばさんは
不思議そうに見つつもうれしそうに声をかけはじめ、
父もまた、子供のような顔で話し掛けはじめた。


連日の付き添いで疲れている親族を帰し、
今晩は私が付き添いをしている。

一度呼吸が乱れ、手足に痙攣があったが
今はだいぶ落ち着いている。

静かな病室で、わずかな祖母の変化に注意しながら
ただ時間がすぎるのを待つというのは
なんともいえない気持ちになる。

ねむたい気もするが、
ねむたくない気もするし
少し寝てみようかと横になるも
なんだか寝れない

なんだか色々が頭ん中を
浮かんでは消え、横切っては立ち留まり
集中のかけらもない宙ぶらりんな感じ。

明日は晴れるだろうか。