plainriver music: yuichi hirakawa, drummer in new york city

ニューヨークで暮らすドラマー、Yuichi Hirakawaのブログ

Arthur's Tavern, not re-openning   アーサーズタバーン、再開せず

2021年07月13日 | 音楽

ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジで80年近く営業してきたアーサーズタバーンが、その暖簾を下ろそうとしています。

去年の3月中旬、Arthur’s Tavern はコロナ禍のため営業を停止しました。そして今年の5月頃からニューヨーク市が徐々に通常に向かっているのに、どうやら経営者はこの店を再開しないようです。

ジャズと共にブルースやR&Bのソウルバンドも毎晩出演していたためか、ジャズ・クラブとしてヴィレッジ・ヴァンガードやバードランド、ブルーノート等ほど一般的知名度は高くありません。 ですがモダンジャズ、ビバップを確立したチャーリー・パーカー氏が何度も演奏した店です。 彼が頻繁に演奏した店が今のニューヨークにどれだけ残っているのか。ひょっとすると当時の店名がそのままなのはアーサーズタバーンだけかもしれません。 一説にはニューヨークで最も古いジャズ・クラブだとも言われています。パーカー氏だけでなく幾人もの大物ジャズメン、ブルースマンがここで演奏し、立ち寄りました。

間口5メートルほどに奥行き10メートル、席数は40足らず。 1920年代製とも30年代製とも言われる木製バーカウンターにクリスマスやバレンタインデーやハロウィーンの飾り付けを一年中外さない店内。立ち見客で混み合うと、ウエイトレスが飲み物を運ぶにも一苦労なほどすし詰めになったものです。
基本的にミュージックチャージを取らず、夜遅くまで営業しているのが知れ渡っていたので、911同時多発テロ事件以前はいつでも市で定められている午前4時の閉店時刻ギリギリまで生演奏が繰り広げられていました。 大雪や停電で明らかに客が来ない日以外、文字通り毎晩です。

1997年から私は Arthur's Tavern で定期的にブルースやR&Bを演奏し始め、並行して2001年からは毎週火曜日にバンドリーダーとしてジャズを演奏してきました。 そのバンドで日本のジャズギター界を牽引し続けていらっしゃる3人のギタリストと幾度となく共演させて頂きました。
この店でジャズに限らず、ソウルミュージックの大物とも沢山共演させて頂いた経験はミュージシャンとしての私の宝物です。
そして共演は叶いませんでしたが、ジャズピアニストの故セシル·テイラー氏とはこの店で何度も語り合い飲み明かしました。またアコースティックギターを堅実に弾きながらあたかもパーカッショニストが居るかのような音も出し、強烈にソウルフルな歌声を聴かせるラウル・ミドン氏のソロパフォーマンスを、何度となくこの店の特等席で堪能しました。

それからかつてデューク・エリントン氏やカウント・ベイシー氏のジャズオーケストラと歌っていた故ローラ·ワトソン氏との出会いも忘れられません。 飛び入りでジャズを歌った際、ご高齢ながらも何も気負いもなくドラムを叩いた私に ”Hey, you sounded great on drums! Why don’t you hire a singer? I want to sing with your band!” と言って下さいました。ニューヨークで演奏し始めてまだ数年の駆け出しだった身としてはとても励みになる出来事でした。

音楽体験だけでなく、店の常連さんから聞いた1950年代から80年代の「ニューヨーク四方山話」も興味深いものでした。 ここで演奏し始めて数年後に一週間のうち3~4回演奏するようになって約20年の間、来店して頂いた国内外からのお客さんから一体何人にどれだけ未知のお話を聞いたか?全てを思い出せないのが残念です。

Arthur’s Tavern、アーサーズタバーン。私にとって地元としてのニューヨークと世界中から訪ねてくる人で溢れるニューヨークとが混在する場所でした。 そして歳を取るとともに観光客に毛が生えた程度の自分がこの街の住民だと思える度合いが強まっていく過程で多くの時間を過ごす仕事場になりました。さすがに住処にはなりませんでしたが。。。

もし、このような店はこれからも残るべきだと思われたなら、英語サイトですがこちらからネット署名ができますので御覧下さい。