plainriver music: yuichi hirakawa, drummer in new york city

ニューヨークで暮らすドラマー、Yuichi Hirakawaのブログ

今まで所有した中で最高のジャズドラムセット

2023年09月16日 | 音楽
大先輩ジャズミュージシャンから譲って頂いた1970年代のソナー社ドラムセットです。




ジャズ専用としては25年ぶりくらいに新調したグレッチ社のスネアドラムです。



そしてこれまた四半世紀ぶりにジャズ用に新調したイスタンブールアゴップ社のシンバル一式です。



これこらもどんどん叩いていきたいものです。

歩いて行ったリーダーバンドライブ

2022年07月07日 | 音楽
先日の米国独立記念日の前々日にリーダーバンドのライブをしました。

会場のお店は自宅から徒歩7分!以前仲間のバンドと、ドラムセットではなくカホンを演奏したことがあります。ドラムセットはあまり演奏されない所ですが、この日は店主と相談した上で、自前で最も小さなフルドラムセットを持っていきました。



いつもの比較的小さいジャズドラムより更に小さなタイコ達です。インチ数でいうと、口径が18→13、14→12、12→10、14→12、深さは14→9、14→8、8→6。スネアドラムだけ例外で深めの7インチです。
そもそもタイコ一つ増える度に金具も増えるので総重量は結構あるのですが、徒歩圏内で階段無しだったので楽に運べました。



ギタリストのジョーさんも、ベーシストの山本君もご近所さんです。お客さんもほぼご近所さんで、なかでも古くからの友人がお友達と来てくれてライブを盛り上げてくれました。



山本君のお嬢ちゃんがかわいい絵を描いてくれました。

Back at the club I used to play almost every week for 23 years

2022年05月04日 | 音楽
ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジにある Arthur's Tavern が再開しました。

パンデミックの間(今でも続いていますが)閉店していたのですが経営者が代わり、内装もスタッフも一新して先日4月28日からライブ演奏が始まりました。私はその翌日 R&B バンド Off Da Hookと、翌々日に自分のジャズトリオで出演しました。

今日もこれからOff Da Hook のドラマーとして出演します。


Played drums at Central Park after a very, very long time

2022年04月25日 | 音楽
先々週の土曜日の午後、セントラルパークの池端でジャズを演奏しました。

ニューヨークのジャズプレイヤーはbuskingと呼んでいます。英語でググると "the activity of playing music in the street or another public place for voluntary donations" と出ました。
一昔前はただ”street”と仲間内で呼んでいましたが、少なくとも20年は前のことです。その5年ほど前までは、地下鉄を含めた鉄道駅構内やバスターミナルでバスキングしていました。周りの騒音は相当なものでしたが、市当局からの許可証が有れば3時間は誰に憚る事なく演奏できました。

そのようなところでなくセントラルパークやワシントンスクエアなど、屋外で公共の場所には当時から現在まで許可制度は有りません。という事はつまり、場所取りでプレイヤー同士の縄張り争いになるのです。取り合いに負けたら演奏できないし、勝っても最初の数曲は演奏してもなんだかシラケてしまいます。

また演奏中頼みもしないのにチップ入れを持ち出して観客のところを巡ったり、バンドの側で踊って歌って後からチップの分け前をせがむ人が良く居ました。何人かにとっては純粋な好意でチップを集めてあげたいとか、バンドとコラボして何か表現して当然の報酬を求めるという感覚だったかもしれません。ただ中には平然とチップ入れに近づいてチップを掠め取ろうとした不届者もいました。なので私の性格ではこの状態でやたらに演奏し続けると自分の叩き方が粗くなる気がして、徐々に遠ざかっていったのです。精神的にもっと逞しかったらおそらくもうしばらく続けていたでしょう。

ここまで書いておいて、ですがバスキングとバスキングプレイヤーを否定はしません。身の回りの状況が気にならないならどんどんやれば良いと思います。私個人はあくまで結果として今日までの25年間で積極的には取り組ませんでした。

超久しぶりのバスキングは春らしい穏やかな天候の下良い共演者に恵まれ、公園で聴いてくれた人達が好意的に聴いてくれたおかげで3時間があっという間に過ぎました。




感謝祭後のマンハッタンへ、ドラムを運んでから演奏する仕事

2022年01月06日 | 音楽
年を越してしまいましたが毎年の年末行事について書きました。こうすると鬼にはどうされるのでしょうか?

感謝祭の頃になるとマンハッタンという小さな島に無数の自動車が上陸し、至る所でハンパない交通渋滞が発生します。それからクリスマスまでの数週間、ニューヨーク市が"gridlock alert"と云う注意喚起をしない日はありません。(gridlockとは gridlock traffic の略で多くの交差点が車で埋まり、にっちもさっちも行かなくなること)

「感謝祭」と書くと日本のデパートのセールみたいですが、合衆国の祝日Thanksgivings Day、またはTurkey Dayのことで、毎年11月の最終木曜日から金曜日も大勢の人が会社などを休む四連休になります。その後翌12月早々から8日に渡るユダヤ教のハヌカー(昨年は12月を待たずに始まりました)、その1-2週間後にクリスマス、更に1週間経つともう大晦日です。

この連休から年末にかけて、私のような地元密着型ミュージシャンは企業や法律事務所などが数多ひしめくマンハッタン島へせっせと出かけては各種パーティーでの演奏で熱心に稼ぎます。さもないと、何を買うにも何処で住むにも高価なこの街で心穏やかに年を越すことはできません。

ドラムセットをあちこちへ楽に運ぶには車がベストですが、毎年やって来るこのクレイジーな時期は地下鉄で移動したほうが高確率で定刻通りに現着します。実際そうして無事職務を全うした経験が多々あります。

運ぶのはドラムとシンバルだけでなく、それらをセットする金属製スタンドが幾つもあります。その中には演奏中両脚をバタ付けせても揺れないしっかりした椅子もあります。なので地下鉄で移動する際は、省いても業務上差し支え無い楽器をいくつか外します。さもないとせっかちなニューヨーカーで混み合い、狭くて勾配がキツい地下鉄駅構内の階段を幾度も昇り降りするのはこの中年ドラマーにはキツいのです。さらにこの街の殆どの建物には自動ドアが無いので、ドラム一式を運びながら何度も手動の重たい扉を開けてやっとこさ現着します。それから間髪入れずにこやかに演奏開始となります。もう息をつく間もありません。



こんなせわしない仕事に特化したのがこの小型バスドラです。画像にある3つの茶色いドラムの中では一番大きいタイコですが、標準バスドラよりはひと周り小さいです。そもそもフロアタムと云い、ドラマーの横に3本の脚で縦に置き、両手にバチ、ドラムスティックで叩きます。



バスドラは必須アイテムです。ジャズには電気楽器と競うほどの音量は不要なので、小さいこのフロアタムをバスドラとして使えます。それに引き換えブルースやファンクには電気楽器、特にエレキベースの重低音に対抗できるバスドラが無いとドラマーとしての役目を果たせません。

ドラムセットの中で最も低い音を出すバスドラは足で踏むペダルで始終叩くので、無いと洒落になりません。一方フロアタムは始終叩くタイコではないので、無くてもできる仕事はあります。そこでこのフロアタムを横にしても転がらないようにする脚と、ペダルを付ける追加部品を使ってバスドラとして長年叩いてきました。ですが昨年の秋から打面側の皮を張る金属製枠(画像の上の枠)を木製枠にしました。このwooden bass drum hoopだとペダルを今までよりしっかり装着できるので、激しく踏んでもバスドラから外れません。また追加部品が無いので軽くなります。このバスドラなら今まで泣く泣くお断りした、ブルースやファンクご希望で低予算かつ楽器持参のご依頼もお引き受けできます。





まず横転防止用の脚を強化してから「エレクトロニックアコースティックドラムモジュール」という電子機器を使います。 サンプリングで録音されたアコースティックドラムとエレドラの音を出すモジュール=本体と、小型マイク三つとバスドラ用トリガーを内蔵したセンサーでできています。片手で楽に掴める箱型のセンサーをバスドラの木枠に取り付けてバスドラ、スネア(スネアドラム=小太鼓)、タム・タム、各シンバルの音をバランス良く録音したりアンプやPAスピーカーに接続して増幅します。

10年以上前からドラムトリガーは普通に出回っていました。多くは各ドラムに付けてアコースティック音とエレクトリック音を使い分けるものです。ネットで見る限りアコースティックドラムは生ドラムとか生ドラと呼ばれています。エレクトリックドラムがエレドラというのは説明不要でしょうが、生ドラって一般的に通じますか?生ギターとか生ピアノのほうがまだ知られていますか?

今から5年前のファンクの仕事で私のバスドラにドラムトリガーが装着されました。付けたのはR&Bやファンクの一流ベーシストで、この日は演奏だけでなく音響機材も受け持っていました。一流ベーシストが私のバスドラにトリガー経由でパンチの効いた良い低音を出してくれたから、瞬速でトリガーに興味が湧きました。



そのギグ(=演奏の仕事)に持参した標準バスドラの共鳴側の皮には10センチほどの穴があって、普段はそこにマイクを挿入します。でも密閉はされないのでマイクは外側の音も拾います。その点トリガーは振動に反応して音を出すので、感度をうまく調節すればバスドラ音だけを増幅できます。またマイクは専用スタンドにつけてバスドラの内側に入れますが、掌に収まるトリガーはバスドラの木枠に取り付けるだけなのでドラムセットの見た目がスッキリします。

さらにその2年後、これまた一流のR&Bドラマーがバスドラだけにトリガーを付けて演奏したのを聴いて、また気になりました。当時私はそのバスドラをほぼ毎週叩いていました。サイズの割に音の抜けがイマイチでしたが、その一流ドラマーは余裕でペダルを踏んで太くて良く通る音を出していました。トリガーが無くとも充分ファンキーだったこのドラマーが使うのに軽く驚きました。

私のフロアタムに長い間木枠を使わず金属枠のままにしたのは、元来の用途で演奏する際に八本のネジを外して枠を取り、ネジと付属品を替えてまた八本締める作業をせずに済むからです。なんだか横着している感じですが、フロアタムも必要な少し大掛かりな仕事は急に入ることが多々あるのです。ちなみに木枠だと見た目のバスドラ感は増すけれど音のバスドラ感は増しません。別に超高価でも危険な部品でも無いのですが特に必要なかったのです。

一般的にジャズとソウル・ミュージック、(私的にはジャズもソウルミュージックですが)それぞれが求めるバスドラの音色と音量は違います。大まかに云うとジャズには音量は小から中で音色は高くて長め、ソウルには音量が大きく音色は低く短くという感じです。
また、それぞれのスタイルで各ドラムと各シンバルの音量バランスが違います。各音量を10段階で表すと、ジャズではシンバル6、スネアドラム5,バスドラ4、ソウルではシンバル6,スネアとバスドラは10、という感じでしょうか。 

過去25年間、予算はあまり無いけれど演奏してくれと何軒もの店からご依頼を受けました。そのうち車が使えないのでタクシーだと報酬がかなり減るので申し訳なくお断りしたことがありました。

フリーランスドラマーとして長く生き延びる方法は十人十色でしょうが、私は納得できる雇用条件で引受け、約束の時間にあまり疲れないで現着してしっかり演奏することにしてきました。今年はパンデミックで未だに売り上げが落ち込み、経営が厳しい店が沢山あるはずです。そんな状況でもドラム入りのバンドを雇ってくれるお店があるので、お声が掛かったらしっかり演奏で貢献したいのです。

重厚な土台に支えられたドラムの音色

2021年11月22日 | 音楽

ドラムセットの中で最も口径が大きい太鼓がbass drum (バスドラ)です。このバスドラの胴体に基盤を取りつけてパイプを差し込み、1個か2個のtom tom (タムタム)を載せます。最初の見出し画像は基盤を取り外して裏を接写しました。



基盤と胴体には直径3cmのパイプを通せる穴が空いています。



基盤の裏に面した胴体を補強盤で挟み4つのネジでバスドラに取り付けます。今までここを取り外したことは無かったのですが、パンデミックが始まりいつでも自宅でドラムセットを叩きたくなったので初めて外しました。



自宅の部屋の一角に設置した「ステイホーム用ドラムセット」。各ドラムに音量を大幅に抑えるメッシュ製の皮を張り、各シンバルには幾何学的に美しく並んだ小さな穴で音量を80%抑えるものを使っています。タムタムはシンバルスタンドに取り付けました。画像では基盤があった箇所にパイプを挿す穴と基盤を固定するネジの穴が2つ見えます。

我が家は築80年のアパート内ですので「自宅でドラムを叩こう!」なんて滅相もございません。大層なたわけです、そのままのドラムセットでは。特に階下の住人へは打撃による振動が直撃します。メッシュ製皮でも振動は伝わるので、緩和する製品をバスドラ用のペダルとバスドラ本体の脚の下に置きました。この類の製品関連のネット情報によると、載せるものが軽いほど振動が弱くなるようなので重量を少しでも減らすべく基盤部分を外しました。おかげさまで今のところ苦情は来ていません。



縦15cm、横8cm、厚さ5cm、重さ1kgあまり。片手に少し余り、持ち上げるとずっしりとして「質実剛健」という四文字熟語が頭に浮かびます。
その内側に見える “MADE IN GERMANY” の刻印と全面に施された溝の形がなかなか興味をそそります。ドイツ製品ってこういうのが多いのでしょうか?

Sonorは1875年創業の老舗ドラム製造元。各ドラムもスタンドもことごとく他メーカー品より重いので、自宅から演奏会場まで運んで組み立てるのは一苦労です。それでもジャズを演奏すると、良く鳴りながらも他の楽器の邪魔にはならない私好みの音色が出るので手放せません。

重厚な金属部品を付けるには頑丈な木材が必要です。そんな丈夫な木だからこそ、皮をキツく張っても持ち耐えるのでしょうね。

ドイツには一度も行ったことが無く、いつか行ってみたいと思っていました。そこへきてこのドラムセットを数年間叩き、去年パンデミックが無ければ見なかったであろうバスドラ部品の内側を見たので、安心して海外旅行ができるようになればすぐにでも訪れて他の楽器や様々な工業製品を見物したくなりました。

ジャズ史上貴重な動画 エルビン・ジョーンズとデューク・エリントン楽団

2021年10月07日 | 音楽

Take the "A" Train with solo by Elvin Jones - Duke Ellington

Take the "A" Train (Billy Strayhorn)

Duke Ellington in Milan 1966
T...

youtube#video

 


ジャズドラマーエルヴィン・ジョーンズ氏の生前半世紀以上に及ぶキャリアの中、2週間ほどデューク・エリントン楽団で演奏したことはジャズ好きの間では知られていました。そのなかには各々の演奏スタイルからジョーンズ氏とエリントン氏の方向性が噛み合わないのを予想していた人が多かったと思います。

この動画が見た後、ふとエルヴィン氏が在籍したエリントン楽団にもう1人ドラマーがいたことはジャズ好きに知れ渡っていたのかどうか知りたくなりました。

このステージでエルヴィン氏はバンド全体に働きかけるリズムセクションの一員と云うよりはソロ演奏者として登場しています。

もしこのツインドラムのステージがこの1回だけだったとしたら、この映像と音はジャズの歴史資料として結構価値があると思います。

まだ長くなったままの「自宅で過ごす時間」

2021年09月28日 | 音楽
  
新型コロナによる被害が始まってから一年半以上が経ちました。未だに私の演奏や楽器指導の仕事の数がコロナ以前より少ないので自宅で過ごす時間は増えたままです。

一年ほど前BLM運動にかこつけて多数起きた暴動や略奪行為、大統領選挙、そして年が明けてから6日後の国会議事堂襲撃事件。全て私が住んでいるアメリカで起こったのですがどれも直接は体験していません。全てインターネット上やテレビ放送の動画や記事で知っているだけです。この点ではアメリカ国外、例えば日本、に住んでいるのと変わりませんね。

そもそも自分の家の外で過ごす時間が極端に減っていたので、自分にとっての現実の大半となった自宅からまるで仮想世界を見るようでした。後の世で重大だったとされそうな出来事なのでしょうけれど。

こんな時こそ落ち着いて自分は何をどう感じていて、もし周囲の人に伝えたいことがあればそれが何か?を顧みたいものです。

Arthur's Tavern, not re-openning   アーサーズタバーン、再開せず

2021年07月13日 | 音楽

ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジで80年近く営業してきたアーサーズタバーンが、その暖簾を下ろそうとしています。

去年の3月中旬、Arthur’s Tavern はコロナ禍のため営業を停止しました。そして今年の5月頃からニューヨーク市が徐々に通常に向かっているのに、どうやら経営者はこの店を再開しないようです。

ジャズと共にブルースやR&Bのソウルバンドも毎晩出演していたためか、ジャズ・クラブとしてヴィレッジ・ヴァンガードやバードランド、ブルーノート等ほど一般的知名度は高くありません。 ですがモダンジャズ、ビバップを確立したチャーリー・パーカー氏が何度も演奏した店です。 彼が頻繁に演奏した店が今のニューヨークにどれだけ残っているのか。ひょっとすると当時の店名がそのままなのはアーサーズタバーンだけかもしれません。 一説にはニューヨークで最も古いジャズ・クラブだとも言われています。パーカー氏だけでなく幾人もの大物ジャズメン、ブルースマンがここで演奏し、立ち寄りました。

間口5メートルほどに奥行き10メートル、席数は40足らず。 1920年代製とも30年代製とも言われる木製バーカウンターにクリスマスやバレンタインデーやハロウィーンの飾り付けを一年中外さない店内。立ち見客で混み合うと、ウエイトレスが飲み物を運ぶにも一苦労なほどすし詰めになったものです。
基本的にミュージックチャージを取らず、夜遅くまで営業しているのが知れ渡っていたので、911同時多発テロ事件以前はいつでも市で定められている午前4時の閉店時刻ギリギリまで生演奏が繰り広げられていました。 大雪や停電で明らかに客が来ない日以外、文字通り毎晩です。

1997年から私は Arthur's Tavern で定期的にブルースやR&Bを演奏し始め、並行して2001年からは毎週火曜日にバンドリーダーとしてジャズを演奏してきました。 そのバンドで日本のジャズギター界を牽引し続けていらっしゃる3人のギタリストと幾度となく共演させて頂きました。
この店でジャズに限らず、ソウルミュージックの大物とも沢山共演させて頂いた経験はミュージシャンとしての私の宝物です。
そして共演は叶いませんでしたが、ジャズピアニストの故セシル·テイラー氏とはこの店で何度も語り合い飲み明かしました。またアコースティックギターを堅実に弾きながらあたかもパーカッショニストが居るかのような音も出し、強烈にソウルフルな歌声を聴かせるラウル・ミドン氏のソロパフォーマンスを、何度となくこの店の特等席で堪能しました。

それからかつてデューク・エリントン氏やカウント・ベイシー氏のジャズオーケストラと歌っていた故ローラ·ワトソン氏との出会いも忘れられません。 飛び入りでジャズを歌った際、ご高齢ながらも何も気負いもなくドラムを叩いた私に ”Hey, you sounded great on drums! Why don’t you hire a singer? I want to sing with your band!” と言って下さいました。ニューヨークで演奏し始めてまだ数年の駆け出しだった身としてはとても励みになる出来事でした。

音楽体験だけでなく、店の常連さんから聞いた1950年代から80年代の「ニューヨーク四方山話」も興味深いものでした。 ここで演奏し始めて数年後に一週間のうち3~4回演奏するようになって約20年の間、来店して頂いた国内外からのお客さんから一体何人にどれだけ未知のお話を聞いたか?全てを思い出せないのが残念です。

Arthur’s Tavern、アーサーズタバーン。私にとって地元としてのニューヨークと世界中から訪ねてくる人で溢れるニューヨークとが混在する場所でした。 そして歳を取るとともに観光客に毛が生えた程度の自分がこの街の住民だと思える度合いが強まっていく過程で多くの時間を過ごす仕事場になりました。さすがに住処にはなりませんでしたが。。。

もし、このような店はこれからも残るべきだと思われたなら、英語サイトですがこちらからネット署名ができますので御覧下さい。


名ジャズトロンボーン奏者、カーティス・フラー氏

2021年05月13日 | 音楽
名ドラマーであり稀有のバンドリーダーだったアート・ブレイキー氏率いるジャズ・メッセンジャーズや、ジャズ史に唯一無二の足跡を残したジョン・コルトレーン氏の名盤に代表されるカーティス・フラー氏の演奏を聴く度に、ジャズでメロディを奏でるのに大事なコツを沢山教わりました。

ここでのメロディは、予め作曲された部分以外のアドリブとかソロと呼ばれる即興も含みます。一流のジャズメンは西洋音楽で使われる7音階中の2音を半音落とした音を明確に示しながら、時折音程を大きく動かし、思わず踊りだしたくなるようなリズムにメロディを乗せて聴衆の日頃の鬱憤を忘れさせます。ちなみに14〜15歳だった頃の私には、その後35年ほどを費やしてもまだまだ取り組める芸事があると知らせてくれました。

R.I.P. Mr. Curtis Fuller.

ジャズとジャズ・ロックピアノの巨匠逝く A giant in jazz/jazz rock workd is gone  

2021年03月12日 | 音楽

先月ピアニストのチック・コリア氏が亡くなりました。1960年代から常に第一線で活躍し続けた音楽家です。氏のどの作品を聴いてもピアニスト、作曲家、バンドリーダー、音楽プロデューサーとしての力量が大きかったことが伺えます。その長く、多岐に渡ったキャリアの根本にはジャズミュージシャンとしての資質があります。今後インターネット上だけでも氏に関する情報が溢れかえるでしょうが、足掛け40年聴いてきた者としてアルバム4枚とチック氏のドラムとの関わりについて書き記します。

『妖精』1976年録音  The Leprechaun (Polydor)
『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』1968年録音  Now He Sings, Now He Sobs (Solid State)
『チック・コリア&ゲイリー・バートン・イン・コンサート』In Concert, Zürich, October 28, 1979 (ECM)
『夜も昼も』 - Trio Music, Live in Europe(1984年9月録音)(ECM)

この4作品を自分が聴いた順番で列挙するだけで容易に私的音楽修業の経過を振り返ることができます。
各々以下のように聴きました。

『妖精』:12歳のくせに海外のジャズやフュージョンを聴いていた中学の同級生とカセットテープが擦り切れるくらいに。

『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』:お金を払ってまでドラムを習い出した10代後半に幾度ともなく、まるで課題曲のように。

『チック・コリア&ゲイリー・バートン・イン・コンサート』:来日中だったゲイリー・バートン氏とお会いして、また同時期に所属していたジャズ研のドラムの先輩に「ドラマーが入っていないジャズも聴け」と教わって。

『夜も昼も』:ボストンの学校で出された課題用に選んだ2曲目 ”I hear a rhapsody” 中、チック氏のたった2コーラスのソロを採譜してビブラフォンで弾くために何十回と。立ちん坊で不慣れな楽器と苦闘し、しばらくして膝を悪くしましたが後遺症が残らなかったので今では良い思い出です。

私が今迄ジャズを聴くのに費やした総時間数の内訳としてはマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、ウエス・モンゴメリー諸氏の各作品のほうが多いのですが、小学生に毛が生えたような年頃から聴き始めたチック氏の作品が他の素晴らしいジャズを聴くきっかけになり、氏の息の長い活躍を氏の母国で目の当たりにしたので後々まで多くの影響を受けたと感じています。特に Blue Note New York で聴いた Chick Corea Three Quartet, Chick Corea The Leprichaun Band, Chick Corea Trio Music の生演奏は様々な意味で強烈でした。

さて、チック・コリア氏はドラムもまた名手でした。打楽器全般と言っても良いでしょう。その証拠に氏と同時期にニューヨークに移り住んだ名ドラマー、ジョー・ハント氏に “Chick scared me with his drumming too.” と言わしめました。本人も ”My passion for drums is same as for piano” とコメントしていますからもはや周知の事実ですね。事実亡くなる8ヶ月前にこのコメントを裏付ける動画を上げていました。

この動画では既述の『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』でドラムを叩いた大御所ロイ・ヘインズ氏からアルバムを録音した年に譲り受けたシンバルを披露しています。ride cymbal という、概ねドラマーの利き手側に備えられるシンバルで、様々な形状、重さ、材質を持つ規格があります。この大御所ドラマーから授かった貴重なシンバルを生前の大御所ピアニストは自身ばかりでなく、幾つかの自身のバンドのドラマー達にも演奏させていました。ヘインズ氏が使用したのは flat ride という形状で口径18インチ、重さはミディアムでした。残念ながらこれと同規格のシンバルは当時から程なくして生産されなくなりましたが、他規格のフラットライドシンバルは現在も2〜3メーカーから生産されています。その状況で数年前、未だに復刻していないヘインズ氏ゆかりのシンバルの限定版レプリカを別メーカーが製造した際、チック氏はこの授かり物を貸し出して協力したのです。

ここからは個人的体験です。1981年にレコード盤で発表された“Three Quartet”は1992年にリマスターされ、未発表曲を追加してCDとして発表されました。このレコード盤も、私は前記のマセた中学の同級生と散々聴き込みました。それから10年以上経った1995年頃、ニューヨークのスタジオで聴いたCDに、レコード未収録の “Confirmation” というビバップジャズのスタンダード曲が収録されていました。レコード盤もCDも全曲サックス、ピアノ、ベース、ドラムのカルテット演奏ですが 、“コンファメーション” だけはサックスとドラムのデュオです。そのドラム演奏は少し聴いただけで、カルテットのドラマー、スティーヴ・ガッド氏ではないことがわかる程でした。まず各ドラムと各シンバルのバランスがガッド氏と微妙に異なり、さらにはリズムの取り方や、様々なフレーズが「ガッド節」ではありません。それでもドラムセット全体の音色が他曲と同じだったので不思議な感覚を覚えましたが、叩いたのがピアニストのチック氏だと判るとストンと腑に落ちました。名盤を作ったスタジオ録音や世界ツアーでの百戦錬磨ドラマー Steve Gadd, ジャズピアノ史にハッキリその名を刻みながらバンドリーダーとしてジャズの枠を大きく広げた Chick Corea, この二人の個性溢れる太鼓の叩きっぷりを1枚のアルバムで聴き比べられるこのCDは貴重です。

“Three Quartet” は全曲書き下ろしなので、作品として一貫性を保つためにこのスタンダード曲を含めなかったのでしょう。おそらくアルバム製作時の気分転換というか、息抜きというか、良い意味での遊びとしてサックスとドラムだけで「コンファメーション」を録音したのではないでしょうか。もしそうならこれを録音する際、あまり録音の仕方を変更しなかったでしょうね。あるいは全く違う状況だったかもしれません。Who knows?

最後にこれまたYouTubeで見つけた、チック氏が Miles Davis Band のステージでドラムを叩いている動画です。

おそらくコンサートの間中叩いてはいないでしょうが、名ドラマーでありながらピアニストとしても幾つものアルバムを発表しているジャック・ディジョネット氏と担当楽器を交換しています。それも練習やリハーサルでは無く、本番しかも大人数の聴衆の前で!しかもマイルス・デイヴィスのバンドで!これは「餅は餅屋」、では無いと云うことか?それとも本物のジャズという餅をくジャズ屋には、ピアノでもドラムでも餅を作れるということなのでしょうか?

ともあれ主体性を持って音楽を追求するならば非常に参考になる「何か」を、あともう少しで80年という歳月を生きたジャズの巨匠が現在でも示してくれているような気がしてなりません。RIP, or RTF= Return To Forever, Mr. Armando 'Chick' Corea.

ドラム演奏動画へのリンク先です

2020年09月10日 | 音楽
長いことYouTubeに演奏動画を載せていたのですが、判りにくいチャンネル名のため検索しても見つからないというご指摘を受けましたので変更しました。良かったら下のリンク先からご覧下さい。

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Plainriver Music - drums played by Yuichi Hirakawa

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