All About  パルム通信

団塊世代の「チョイ悪親父」が通信員として、季節の流れの中での出来事と故郷の「新潟便り」を中心に掲載しています

秋分の日

2008年09月26日 | Weblog
まもなく還暦というのに60年近くも間違った情報を信じていました  
小さい時から、春分の日や秋分の日は昼夜の長さが同じであると聞いていたし、確か学校でも教わったような気がするが、実は同じではないことが初めて解かりました
秋分の日と春分の日は昼の方がやや長いのです   そんなバカな・・・・ということで調べたらその理由は主に二つありました
第一の要因は「日の出の時刻の決め方」で、太陽の真中が地平線に来たときを出没の時間と決めずに、太陽の上端が地平線に接したときをその時刻と決めていることが時間のズレを生じさせている原因なのです 
考えて見ればこれは自然であり、太陽が少しでも顔を出せば明るく見えるから「日の出」と表現します  
その際、出没の時刻を太陽の中心が来たときという定義をしていれば昼夜の長さは同じになるのです  
そして、もうひとつ関係しているのが「地球を取り巻く大気の影響」です地球には大気があり、そこを太陽の光が通過してきますが、このときに光は曲げられていて、水の中やプリズムで光が曲げられるのと同じ原理で、大気による屈折があります  
この影響で太陽が地平線下にあるときにも太陽が浮き上がってまるで地平線から顔を出しているように見えるため、昼の方が少しだけ長くなるという訳です
上の二つの影響で、実際は昼の方が少し長くなっているのだそうです
ちなみに春分の日は昼が7分ばかり長く、昼夜の長さが同じになるのは、3月17日で春分の日の3日前にあたります
また、秋分の日は、やはり8分ほど昼間の方が長く、昼夜が同じになるのは、3日後の9月26日となります

還暦間じかまで「間違っていたことを信じていた」とは、なんともハヤ・・情けないですネ

秋祭り

2008年09月19日 | Weblog
秋祭り・・・東京では秋の収穫時期に合わせてお祭りをするところが多いようです 
ここ目黒区でも9月の初めから中旬にかけてお祭りが行われました 
そして私の地元では碑文谷八幡様の秋季祭礼として9月13日・14日に20余町会から神輿が出る大イベントが開催されました 
でも、年々神輿の担ぎ手が少なくなり盛り上がりにかけてきたようで、先日の集まりで町会の年寄りに声をかけられた我家の長男も神輿初参加となりました  
まずはカッコから・・・・ということで、下穿きから足袋までを買い、半纏は我家の名入りを叔父から借り受け二日間を乗り切りました 
肩は腫れ、足はパンパンになりましたが、たいしたものです・・・感心しました 
そして翌日は職場の医療機関に直行したようです 
また孫達はお菓子目当てでの参加ですが、何とか「山車」を引いて二日間を楽しみました 
 (その結果として、爺さんは孫達が縁日で買ってきた金魚のために、仕舞っておいた水槽を掃除し飼育の準備に大忙し・・・!) 
なお、我々大人たちもお祭りは心がウキウキします   ただ少し違うのは、私達は夕食の宴会が目当てということでしょう  
当日は息子と娘の家族や兄弟夫婦が来て例年通りの大宴会となりましたが、日本人としてはこれがまた楽しみなんですね 
私も血糖値のことを一時忘れて大いに飲み、楽しく過ごしました   
そして、来年もまた同じ状態になることを期待します

思い出のお饅頭

2008年09月12日 | Weblog
写真の饅頭をどこかで見たことがありませんか    知っていればかなりの饅頭通ですね  
これは平成8年に前橋市民に惜しまれながら閉店してしまった前橋名物の『片原まんじゅう』です  
片原饅頭の志摩屋本店は1832年創業で、旧片原通りにあったことが、名前の由来で、96年に廃業するまで前橋市千代田町の中心商店街に店を構え、前橋土産の定番として「片原饅頭」は大人気でした  
私達夫婦の仲人さんが前橋の人で度々送ってもらいましたが、本当に美味しく全国的にみてもトップクラスの味でしょう  
本麹(こうじ)から作る酒まんじゅう本来の製法を頑固に守り通したことで知られ、いまも、その味を懐かしむ市民が少なくないようです  
平たい形と、こしあんのあっさりとして上品な甘さ、イースト菌を使っていないからすぐに硬くなりますが、それを焼いて食べるとまた美味い・・・・・その味と伝統は、市民の語り草となっています 
行列のできる人気店だったのですが、後継者の不在を理由に閉店してから12年、空き店舗は当時のまま残っています  
そんな時に一人の男が立ち上がりました  
正幸食品社長の福島正幸氏は、昭和40~50年代にS級競輪選手として全国に名を轟かせていた方で(宮城の安部、同じ群馬の田中と三強と呼ばれた)、前橋市で生まれ育った福島さんにとっても、「片原饅頭」は、子どもの頃から慣れ親しんだ味だった 
引退後、餃子の店(『わがまま餃子』)を始め、商売の方が起動に載ると、子供の頃から「片原饅頭」に魅せられていた福島さんは、片原饅頭閉店を惜しみ、自ら片原饅頭の復活に踏み切りました 
試作を繰り返し、片原饅頭に限りなく近いものとして出来上がったのが、この『ふくまんじゅう』です   量産はできないらしく、前橋市西片貝町のあるお店でもすぐに売り切れる人気商品らしいです  
懐かしい味を復元したいと考えるようになったのは、6年前、麹の発酵から指南する酒まんじゅう作りの技術書のコピーの入手がきっかけで、その書には、全国の酒まんじゅうの名店が紹介されており、片原饅頭の名もありました  
そして全国から取り寄せた麹菌の選定や発酵温度の管理に試行錯誤を繰り返す日々が続き、昼夜逆転生活になって体調を崩し、ドクターストップをかけられるほど  でしたがどうしても壁を越えられないでいるときに、片原饅頭で職人頭をしていた人物を突き止めました 
でも指導を仰ぐと、「菌はすべて処分したので、同じものをつくるのは無理」と断られたが、毎日のように自宅に通い詰め、最後は首を縦に振ってもらったそうです   
そして元職人頭に細かいアドバイスを請いながら完成させたのが3年前、同市西方貝町4丁目の工場を改造した店舗「前ばし 万十屋」で売り出した「ふくまんじゅう」がそれです 
口コミで評判が広がり、手作りの一日300個が午後3時の閉店時間前に売り切れることもしばしばで、県内で開かれる物産展や東京の県人会の集まりに持ち込むと、「片原饅頭そのもの」と絶賛されました  
だが、福島さんは、いまのままでは満足していない  できれば「ふくまんじゅう」を「片原饅頭」として売り出したいと考えているからだ  県外にいる片原饅頭の創業家に対しては、空き店舗の再利用を市街地活性化につなげたいと考える前橋市を通し、意向を確認してもらっているそうですが、老舗中の老舗だけに、ブランドや不動産の委譲は容易に実現しそうにはないが、福島さんはあきらめず、「日本一の酒まんじゅうである片原饅頭を目標にやってきて8、9割方は再現できた」と言っていました 

大人の休日 (出羽三山)

2008年09月04日 | Weblog
春に引続き「大人の休日」を楽しんできました
今回の「いい旅夢気分」は山形県の出羽三山です
出羽三山とは月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した日本随一の大社殿で、その社殿は厚さ2.1mの萱葦の屋根、総漆塗の内部など、その全てに迫力があって見ごたえ十分、本殿は度重なる火災にもあいましたが、現在の社殿は文政元年(1818)に再建したものだそうです
東京から  上越新幹線で新潟へ・・・・羽越本線で鶴岡・・・バスで出羽三山神社まで  5時間20分  の長旅でした 
ここで参拝と納経・朱印を済ませ、いざ、杉並木の2445段の石段を麓の羽黒センター目指して森林浴を楽しみました  
昔から修験者達が歩いた杉並木は我々都会人の心をリフレッシュさせてくれます  なんでこんなに気持ちがいいのでしょう  気分が最高ですねそして無事、麓に着いて飲んだビールも最高でした 
羽黒センターから鶴岡までタクシーを利用し、地元の産地直売で今晩の酒のお供に「だだちゃ豆」を土産に買い、駅で「いなほ10号」の到着を待っていると並んでいた人から私に声をかけられました 
最近は危ない事件が多発しているので用心しながら見ると会社の同僚のN氏と元同僚のS氏ではありませんか 
彼らは昨日こちらに来て今日は月山に登ったが雨だったので日本海側に戻ってきたそうです  
お会いした記念に「出羽桜の生酒」を頂きましたが、本心はあげたくなかったようです
ところで天気ですが、行きと帰りの東京は雷と大雨でしたが新潟と山形(羽黒山まで)は時々薄日が差すような状態で、多分、日本中でここだけがまあまあの天気だったんでしょう 
晩酌をしながら「やはり日頃の行いが良いからだ」と一人で「ガッテン」してサワーで酔いつぶれた一日でした