東日本大震災の被害はまだまだ続きそうです
少しでも早く復興に着手したいでしょうが、中々先が見えてきませんが、アリの一歩からでも進まなくてはいけません
28日は私の還暦を過ぎてからの初めての誕生日でした そして目黒不動の縁日です
いつもは縁日気分を楽しむのですが今回ばかりはそういう気分にはなれずただひたすらお参りに徹しました
なお毎回お土産に買う「舟和の芋ようかん」のお店が出ていませんでしたので、理由を尋ねると計画停電で品数が少なく午前で売り切れ店じまいをしたそうです
チョット残念でした
写真は水かけ不動を清めて一日でも早い復興をお願いしているところです
でも子供達は無邪気に金魚すくいを楽しんでいました これはこれで良いと思います
日を追うごとに被害が拡大していきます
人間として誰もが少しでも応援したい・・・でも現実にはなかなかできません
我々民間人のできることと言えば多少の義援金位でしょうか まとまった品物は調達ができないし、どれでもが良いというわけではありません でも何かしてあげたい
私は23日から般若心経の写経を始めました 大変ですが何とか続いています
「為 東日本大震災の被災者の方々」
必ず100日間の写経を実行しこの世に仏様がいる事を信じて祈ります
想像を絶する大災害・・!!
日を追うごとに増える被災状況と新たなる放射能の恐怖・・・
我々に、自分に何ができるのか?
皆さんそれぞれに考えていることだと思いますし、すでに実行に移している人達も大勢います
昔、病気や大災害はただただ祈ることしかできませんでした そして時の権力者たちは祈りの証として大仏を建立し経典の写経を納経しました
それにあやかり、本日から100日間の行として般若心経の写経を行い当家の菩提寺に納経することにしました
この般若心経は「為 東日本地震被災者の方々」として毎日祈らせていただきます
神も仏もない世の中・・・ではなく、せめて仏のご慈悲がありますように
大変な事態になりました
東京にいた私でさえこんなに大きな地震は初めてです 当日は3ケ月に一度の血糖値検査で日本橋に行っていました
検査が終わった時に地震にあい、ビルの3階でしたがグラングラン横に揺れて船酔いのような気持ち悪さで「もしかしたらダメかもしれない」と思ったほどです
でも次第に揺れも収まり急いで帰宅したんですが、日本橋駅は封鎖状態
その時第二波がありマルゼンビルは大きく振り子のように揺れていました
電車は止まりタクシーやバスは長い行列です これはダメだと歩きを決心 目黒まで12キロを3時間かけて何とか帰宅しました 疲れましたが、被災者の方たちを考えればこんなことは言っておられません
時間ごとに増えていく被害状況・・・・この辺で打ち止めにしてもらいたいものです
私としては仏様に祈るばかり
まだまだ冬の新潟情報です
ここ長岡市寺泊港では秋から冬にかけてタコが揚がります
<寺泊の友人の声です>
漁協には競り前にカレイ、タコ、アンコウなどどんどん入ってきている。
漁師さんから水ダコ漁(木箱漁)の話を聞く。この木箱は海水を吸い、タコが入ると40㎏くらいになるとのこと。
見学者は動き回るタコがさばかれると「かわいそうー」と言うが湯げのたつ茹で上げのタコを見ると「美味しそうー」と言う。
ふくざつだが私もそう思う。
茹で上がったタコの足でオスかメスか見分ける時は、メスの方がキュウバンの大きさ並び方が整っているとのこと。
タコは包丁が入った瞬間、キューンと鳴きスーとやや白っぽく色が変わりました。
ということで、写真は寺泊漁港とタコとその仕掛け箱でした