この話は、何処かで書いた気がする。ここであったら申し訳ない。読み飛ばして頂きたい▼高校3年の時、社会人になっても困らないようにと、テーブルマナーの講習があった。ホテルでのフランス料理を頂いたと記憶している。食べ方は勿論、レストランでの作法や、一般家庭のディナーに招待された時のマナーなど、専門の講師から教わった。食べ方はさておき、招待された時の作法で、招かれた時間丁度に訪問するのは良くないと教わった。15分くらい遅刻してゆくのが一般常識だというのであった。先様のご都合も配慮して、それくらい余裕を持たせるのがマナーというのだった。勿論、1960年代末の話ではある▼仕事はピアノの調律で、顧客を訪問することになる。1970年代初頭は、ピアノがあっても電話を設置してある家ばかりではなかった。当然、訪問を予告するのだが、葉書で知らせることもあった。先輩の中には電話が苦手で、有ろうと無かろうと、総て葉書で知らせている方もいた。それで結構、仕事になっていた優雅な時代である▼いずれにしても、訪問時間を正確に示すことは無かった。「午前」「昼過ぎ」「午後」「夕方」などと提示し、顧客もいい加減で、「あっ、今日だったっけ。ほな、上がって。」なんてことが普通だった。そんな感覚が今も、私には残っている。何時と約束しても、早く着くと時間調整して、5分位は遅れて訪問することにしている▼ところが昨今、10分遅れてゆくと、来るのかと心配して、自宅兼事務所に留守電が入っていることが多くなった。最近の若者は、待ち合わせに時間や場所を正確に約束しないようだ。その場所や時間が近くなると、携帯電話で連絡を取り合うようだ。お客さんも、そのような感覚なのだ。リアルタイムにコミニュケーションできないと心配になる。何10kmも離れたお宅を訪問するわけで、申し開きをするのではないが、電車の接続が良くなかったり、途中で知り合いとあってしまい、10分程度の立ち話があることもある。1分1秒正確に訪問できるものでもない▼携帯電話が夢の未来ツールの実現と評する人もいる。一方で、何かしら失うものを懸念する意見もある。実は、私は未だに携帯電話というものを持たない人種。「大人が子供の玩具を持ってドースル!」とかわしている。多くの人と繋がっていると、携帯電話を所持していても、常に電源を切っておかねば、仕事は一切はかどらない。携帯電話が真に便利であるためには、誰とでもアクセスできなければならない。私のような存在は迷惑なのであろう▼車社会もここへ来て、冷静に判断されつつある。「20世紀の最大の発明」と評した時もあったが、車中心社会にして失ったモノの方が多かったことに気づきつつある。気づくのが余りにも遅かったのだが、未だに気づかない人も多数なのが現実である。 (コラムX)
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