『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』黒住格先生を偲ぶ**<2002.5. Vol.17>

2006年01月06日 | 砂場 徹

黒住格先生を偲ぶ

阪神間道路問題ネットワーク
代表世話人     砂場 徹

 3月7日、私たちの活動の仲間であり、指導者であった黒住先生が突然亡くなられました。胸にぽっかり穴があいた思いをしているのは私だけではないでしよう。

 思い出を語ることは懐かしいことでもあり、またつらいことだと痛切に感じつつペンをとっています。先生、不正確なところはお許し下さい。

 先生と最後に少しまとまった話ができたのは、川l西の多田東会館で行われた道路ネットワーク例会の帰り道でした。このとき先生は、ネパールの眼科医療の拠点的な病院の経営が独自で採算がとれるようになったことを、熱っぽく語られました。「やっと、現地の人たちでやっていけるようになりました。うれしいです」と、先生は日頃、自分からネパールの話をされることはありませんでした。それだけに、私にもその喜びがひしひしと伝わったことを思い出します。ほっと一息、というところだったのですね。短すぎた先生の生涯ですが、30年を越えるネパールの人々への献身の結実であり、そして多数の人々の感謝のしるしでもあるこの成果を、ご自身でたしかめることができたことは私たちにとってもせめてものなぐさめてあります。

 黒住さんがお医者さんだと私が知ったのは、「武庫川の合戦」に参加したときに一緒に座りこんでいた女性に教えられたのでした。私だけが「合戦」と呼んでいるのでして正確には、山手幹線の拡幅・架橋が環境の破壊をもたらすことを案じる地域住民が、納得のいく話し合いを求めるのにたいして、西宮市当局が説明せず一方的に測量、ボーリングを強行したことに対する、住民団体の抗議行動と市職員プラス警備会社のガードマンとが衝突したのでした。これより先、市の強行を警戒・監視するために住民は、交代で真冬の寒さの中を夜も座り込みを続けてきたのでした。怒った住民たちは、中で作業を強行している囲いに突進し、揉み合いになった事件です。圧倒的に女性の参加が多い中で奮闘する珍しい男性の姿がありました。それが黒住先生だったのです。この方が県立芦屋病院の眼科部長などを歴任された現役のお医者さんとは知りませんでした。もちろんネパールでの御仕事も知るよしもありません。

 お亡くなりになってから、先生がお若いころは純文学に関心が深く、一時は作家志向だったとか伺って、先生から頂いたネパール関係のパンフや書籍を感動をもって読ましていただいたのを改めて思い出したのですが、そのとき私は編集者がまとめたのだろうと勝手に思いこんでいた浅慮を深く恥じ入りました。

 眼科医としてのひたむきなネパールの人々への愛情、「私は争いごとは嫌いです」といいつつ地域の人々と苦楽を共にする行動力と優しさ、文学を愛する心、それらが一つにとけ合った人柄。先生はそういう方でした。先生ゆっくりお休みください。及ばずながら私たちみんなで環境破壊を許さないためにがんばりますから。

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