もう手はたたけない
川西自然教室 澤山輝彦
4月7日、黒住先生を送る会は先生のご遺徳をしのぶ多くの人々が参列して行われた。思い出やエピソードをとりいれた数々の弔辞が時には声をつまらせながら述べられた。それぞれの感慨がこもり通りー遍の弔辞ではなかったが、いい弔辞だ!と思わず手をたたきたくなるものは無かった。黒住先生ならきっと手をたたきたくなるようなすばらしい弔辞を述べられるのだ。そう思い込んでいる私だから、ついこんなことを書いてしまう。その日はご本人が弔辞を受ける立場になっておいでだから、それを聞けるはずがないのは分かっているのに。
黒住先生のお住まいの甲子園口北町町内会が山手幹線拡幅、武庫川架橋反対に立ち上がると、黒住先生も行動を共にされた。当時、反対運動の先頭に立たれた町内会長染原さんが亡くなられ、その葬儀で黒住先生の弔辞を聞いたのだ。今は内容を覚えていないが、それはすばらしいもので、こんな弔辞があるのだなあ、これこそ本当の弔辞だ、と私は感動し思わず手をたたきそうになった、がそれは思い止まった。
後日何新聞であったか「よい弔辞には手をたたいてもいいのではないか」と書かれたコラムを読んで、あの時は手をたたけなかったが、もし黒住先生の弔辞を聞くことがあれば、今度は手をたたくぞと思い続けた。それが、こんなことになってしまってもう手はたたけない。なんとも口惜しい限りだ。
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