『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』地球環境と戦争**<2002.1. Vol.15>

2006年01月05日 | 砂場 徹

地球環境と戦争

世話人 砂場徹

 2001年は、アフガン戦争の行方が見えないままに過ぎようとしている。この戦争は世界最強の軍隊が、世界の最貧国のしかも民間人を巻き込んでの大量殺戮をもたらすであろうことは容易に認識できたことである。アメリカの最新兵器の実験場・兵器の新陳代謝の場にはなり得ても、それぞれ平和がつくれないことは誰の目にも明らかなことであった。にもかかわらずイギリス、日本をはじめ世界の主要大国はこぞってこれを支持した。国連は何の役割も果たさなかった。「アメリカの自由が侵されることは世界の自由が侵されることだ」というブッシュの思い上がり、単独行動主義に道を開いたのである。

 近年、とりわけ米ソ冷戦終結以後1990年代に入ってから、米国の国際機関に対する姿勢は大きく変わってきた。ことに、2000年に共和党のブッシュ政権が発足してから顕著であり、国際社会で「単独行動主義」であるとの批判を受けている。米本土ミサイル防衛(NMD)構想、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約の破棄、地球温暖化――京都議定書からの離脱、国連小型武器会議での言動、生物兵器禁止条約(HWC)議定書草案の拒否、また核実験全面禁止条約(CTBT)の批准放棄、である。日本政府は米国のABM条約破棄とMD構想に便乗し、同種の戦域ミサイル防衛(TMD)構想を進めようとしている。

 ソ連社会主義の崩壊で「冷戦」の原因はなくなったはずだ。だが、戦争・武力衝突は無くならない。このうえ主要大国がこぞって単独行動主義に傾くとどうなるのか。しかも、暫くは世界平和のために役立ってきた国連が、秩序維持のための力にならないとすればどうなるのか結果は明らかである。「戦争を辞さず」というアメリカの単独行動主義はこの危険な道の扉を開くものである。アメリカにおける航空機自爆事件が、なぜアメリカでなのか、そもそも原因はなにか、を追求することが再発を防ぐと同時にテロ根絶に向かう道である。それを故意に放棄したし原因と結果を逆転させた報復戦争に突っ走ったブッシュの行為は、経済と軍事力の圧倒的強大さに支えられた傲慢である。

 この傲慢は、自然に対するそれでもある。60年代以降、経済発展を最高の道徳とする大国に共通の開発至上主義は世界各地で発展途上国を収奪しつくし、先住民族の生存権をおびやかしてきた。その行き着いたところが今日の姿ではないか。このうえまだ開発に頼る経済発展を夢見ることの愚かさがつづくならは、戦争の火種は消えないし、人間が緊急に迫られている、地球上の生き物と共存する道を見出すこともできないであろう。いまや、戦争と地球環境汚染・破壊は一つの根っこであることは誰の目にも明らかである。テロ発生の真因は、近年地球の隅々まで浸透したグローバル化、にある。

 田中正造が、足尾銅山の鉱毒被害の実情を議会に提出したのは明治24年 (1891年)である。当時、日本は朝鮮における清国の支配を排除し、あわよくば朝鮮と台湾を清帝国からはぎとって自国の植民地にせんものともくろんでいた。明治27年(1894年)日本は清国に宣戦布告した。この時期における銅鉱山と精錬所の軍事的価値は大きかった。田中正造は人民の代議士として、五万町歩の農地が被害をうけ、多くの農漁民が健康を害して苦しんでいる事実を訴えつづけ、財閥と政府を相手に23年間闘いつづけたが、戦争勢力の壁は厚く、大正2年(1913年)悲痛なことばを残してこの世をさった。正造の死後1年、1914年、第一次世界大戦が始まった。

 正造の死後50年。1962年、『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンはその著述の最後に、自然が沈黙してしまった情景を描写し、病める世界「新しい生命の誕生を告げる声ももはやきかれない、でも、魔法にかけられたのでも、敵に襲われたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍だったのだ」「そんなのは空想の物語さ、とみんな言うかもしれない。だが、これらの禍がいつ現実となって私たちに襲いかかるか――思い知らさねる日がくるだろう」と予言した。私たちはいま、まさに予言が的中した世界に生きようとしているのだ。自然を破壊したのは私たちだ、自然は人間の生活に役立つために存在する、などと思いあがっていたのだ。

 『沈黙の春』が出版された1962年は今から40年前である。田中正造が憤死して90年、その頃から地球環境はいっそう急速に悪化した。1998年、石弘之は自著『地球環境報告Ⅱ』のまえがきで次のようにのべている。「地球環境の現実を『地球環境報告』として刊行したのは、ちょうど10年前のことだ。そろそろ改訂版を出さなくてはと、この10年間の資料の整理をはじめた。ところが、日常的に地球環境の問題を追いかけているつもりでいたが、デー夕を整理してみると、あまりに急激な変化にとても改訂版では収まらず、あらたに書き下すしかなくなった。」と。1960年のはじめ頃は、日本では「水俣病」の原因物質が有機水銀であることが明らかになるなど、公害大国と評されるほどのすさまじい破壊が、山、川、土壌と、自然に生息するすべての生物――人間も当然――に及びはじめていたのだ。

 国際状況も国内の政治状況も、決して明るくはないのだが、カーソンが『沈黙の春』に残した次の言葉が私たちに勇気を与えてくれる。「―個人的には知らない人たちが大部分だが、こういう人たちがいるということに、どれほど勇気づけられたことか。この世界を毒で意味なく汚すことに先頭をきって反対した人たちなのだ。人間だけの世界ではない。動物も植物もいっしょにすんでいるのだ。その声は大きくなくても戦いはいたるところで行われ、やがてはいつか勝利がかれらのうえにかがやくだろう。

 新しい年もこの励ましに応える道を追求しよう。それは私たちがずっと続けてきたこと、いちばん住民に身近なところで本当の意味での主権が発揮できるように力をつけることだ。やがてその力が自治体を支える状況をつくるに違いない。

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