『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』道路公害反対運動はさらなる展開をめざす**<2009.1. Vol.55>

2009年01月02日 | 澤山輝彦

道路公害反対運動はさらなる展開をめざす
――第34回道路公害反対運動全国交流集会に参加して――

世話人 澤山輝彦

 道路公害反対運動全国交流集会は34回と回を重ねているが、この運動が大きく社会に向けて問題を発信し大衆に訴え運動を拡大拡散してきたか、と言えば私はそうではなかったと思う。私が道路公害問題に目を向けていなかったら、おそらくこの運動のあるのを知らなかっただろうからだ。えらそうな事を言うようだが、この言は正しいのである。それはこの34回集会の基調報告にある『やま・かわ・うみ・そら』を結ぶ、という言葉に現れている。ここで全国の公害被害者や有害な公共事業を止めさせるために闘っている仲間との連帯をうたっているからだ。そして、集会アピールでは、終わりの部分で、国民のみなさんと呼びかけ、

 ――今や自動車中心・高速道路建設優先の国づくりを、環境・福祉優先の国づくりヘ転換する重要性は誰の目にも当たり前になってきています。私たちは、公害被害の救済、そしてムダな公共事業の見直しを求める全国の運動と連帯を築き、世論を高め、新しい国づくりに役立つような新たな決意ですすむことをここに表明します、――と結んでいる。

 この決意はもっと早く出ていなければならなかったのだ。様々な策略、現象が複雑に絡み合った時代である。対象を拡大し広く世間に訴えなければならないのである。

 集会二日目、私は「まちづくりと道路問題」という分科会に参加した。そこで“まちづくり”という言葉にこだわりたい、と発言した。私は“まちづくり”という言葉は今では行政側がきりだし利用する言葉だと思っている。このタイトルでは行政側の行事であってもかまわないのだ。“まちづくり”という言葉は過去に住民が発案した言葉であったとしても、今は行政側の言葉になってしまっているのだ。まだ人の手の入っていない土地に新しい町、街を建設する、それに参画するなら“まちづくり”でけっこうだ。しかしもうすでに出来上がっているまちをことさら“まちづくり”なんて言い出すのは常に行政側で、その中身は、まち改造事業推進と、道路問題が多く、そこに言葉たくみに住民を巻き込み、住民の同意を得たとするためであり、この言葉はそんなことの偽装語にすぎないのである。今回第34回集会の報告集にある「平池まちづくり委員会」という団体が使っている“まちづくり”という言葉も行政側が平成4年にもちだした「まちづくり構想案」というのがもとにあるようだ。

 私の発言は、無視も同意もされなかったが、発言中にうなずいてくれた人が何人かいたし、私の隣に座った方は同感の意を伝えてくれた。

 ただ京都の人が、“まちづくり”という言葉は行政の発案ではないと言われ、京都はわれわれが結構“まちづくり”をやっている、まちづくりと言ってかまわない、ということを言われた。京都は古い歴史をもつ町、都だ。町衆という言葉まで生まれた所だ。京都の場合は歴史を踏まえており保存という面を持つ“まちづくり”などが考えられる。他のまちとは違う所があるだろう。何事であれ、立場を明確にするための的確な言葉がある。言葉にはこだわらねばならないのだ。

 この分科会では、さまざまな意見が出たが、道路問題は“車”をへらすことだと言う意見を述べた方がおられた。その通りである。ところで、この発言者まさか車で来たのではないだろうなと、分科会終了後そのことを確かめに行くと、なんと「車で来た」と言うのだ。私が「それであの発言とは」と言うと、「車を悪者扱いしてはならない」と的はずれの論で返答したうえ、名古屋、大阪を行き来するのに車がいかに早かったかを語ったのである。このお方は、交流集会では古株の人のようだったが、やはり、車を使わず公共交通を利用し、それが不便だったのならそれの解消を求める運動を道路問題に結び付ける、そう論を展開されれば、説得力十分なのだが、私との短いやりとりのような事を言われては、あの論は意味を持たない。この間の話をそばで聞いていた人の一人も「それでは説得力に欠けますなあ」と言っていた。せめて全国交流集会には車を使わずにやってくることが、今回のアピールの精神を個人的に具現する証しではないかと私は思う。

 過疎地に住む人や、身障者などには必要不可欠な車があることは承知しており、こんな車まで“車”をへらせの対象にしないことは当たり前だが誤解を招かない為に書いておく。

 “車”をへらすことと、昨今の経済事情下の自動車産業をみると、今はチャンスだが、ここでチャンスという言葉を軽々しく使うと兵庫県知事の二の舞になるかもしれない。労働者の就労を考えないといけないからだ。私自身今はまだそこをどう考えるのか答が出せないでいる。皆さんと共に勉強し教えを請いたいと思っている。

 地球温暖化、道路特定財源の在り方もアピールに盛り込まれ、今後の重要な問題になることが指摘されていた。今年は一つ阪神間道路問題ネットワーク主催で先のアピールに適う世間に向けての、講演会、一寸おおげさだがこれを行ってみればどうだろう。あの人なら講師にどうだ、もう1人いるな、いろんな写真や図表の展示をしてもいい、アトラクションがあってもいい、こんなことを夢みているが、案外正夢になるかもしれないな、なんて考えている。

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