『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**沖喜美恵さん ありがとう!!**<2009.1. Vol.55>

2009年01月03日 | 山手幹線の環境を守る市民の会

沖喜美恵さん ありがとう!!

山本すまこ

 沖喜美恵さんは山手幹線道路反対運動に常にご近所3人で参加下さっていました。会合のときはご主人もいつも参加していただいておりました。 ダンプが通ると家が揺れる。とお住いは二見交番所の少し西側で、二見町からの運動への参加はあまり多くない中、チラシ配りなど本当に一生懸命になってやってくれました。いつも笑顔で、やります。やっときます。といっていた顔が浮かんできます。

 中でも皆さんも忘れることの出来ないあの武庫川河川敷での攻防です。

 あれは平成8年5月20日早朝5時半ごろ、私宅のインターホンが鳴りました。こんなに早く誰だろう?「沖です。市が武庫川に来てます!!!」

 後のことはすでに“私の住民運動”に書かせいただいた通りです。が、このときの沖さんの様子を想像すると、どんな気持ちであの信号を引き返し私のところまで走って来たのだろうかと。私も最初に信号を渡り階段の上に立って120人ものガードマンがスクラムを組んで立ち並んでいる姿を目の当たりにしたとき、「コレはなんだ?」「コレをどうして打ち破れるかと?」と自問したくらいでした。それを沖さんが一人で見たときの衝撃はいかばりだったでしょう。

 沖さんはいつも早朝く起きていて、その日は9時集合がかかっていたが川まで行ってみようと思ったそうです。沖さんが見つけないで予定の9時に集合していればまんまと市の思い通りにことが進んでいたはずです。そして私たちの運動の第二の山場を迎えました。市当局も住民の結束に頭を痛める思わぬ結果となったのです。

 その後の戦いにも被り物を作ると言えば、ご主人が白い布をたくさん届けて下さいました。みんなで縫ってくれました。数えればきりがないほど 色々な場面でも沖さんの笑顔が浮かんできます。ネットワークの集まりにも声をかければいつも手伝ってくれました。

 そんな沖さんが2年半の闘病の末、去る平成20年12月21日にお亡くなりになりました。二週間ほどの入院でした。一時は驚くほどお元気な姿を見せておられましたのに、残念でなりません。最後は安らかな綺麗なお顔で寝ているようでした。

 心からご冥福をお祈り申し上げます。沖さんありがとう!!ありがとう!!

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