わたしの住民運動(5)
山幹の環境を守る市民の会
山本すまこ
平成4年2月、「知事と語る阪神土曜対話室」が開催されることを知り、早速応募した。2月15日9:30、阪神県民局にくるようにとの回答があった。30分間程でしたが参加した人が各々訴えた。私たちの住む地域がいかに良い環境の住宅地であり、そんなところにトラックが常時走る様な道はいらないと。忘れた頃の5月半ば、貝原知事より参加者ヘのお礼状が届いた。環境破壊を食い止める抜本的な対策が急務であり、県としても国に規制の法制化を要望している旨、また地元と話し合いながら地域にふさわしい道路整備を進めたいのでご理解を……との要旨であった。結局は道路は必要であるとのことでしたが、私たちはどこにでもいい、反対の気持ちをぶっつけたいという思いでいっぱいでした。
またKさんの紹介で、県議会の〇議員に話を聴いて貰えることになった。本会議でこの件について代表質問をして、知事から回答を引き出してくれるというのでお願いした。
3月に入って3日に県議会に陳情書提出、5日本会議傍聴。市議会には10日提出、16日傍聴にと、めまぐるしかった。16日は「南北線の調査費を計上しないで」という陳情の傍聴もあり、ダブルであった。提出に行く人達、傍聴に行く人達と手分けをした。この間にパチンコ問題で出した陳情もあった。2月17日、尼崎市議会に提出した「架橋しないで下さい」との陳情は、傍聴できなかったが、継続審議となり次の委員会で再度審議されるとの回答を得た。西宮市と違って、出された陳情が必ず二回審議されるという。私たちの要求を受け入れられるとは思えないが、少しは良心的かなとも思えた。県の傍聴に高齢の方も参加して頂いた。よく行って下さったものだと振り返って思います。
山手幹線の問題は、小さい地域だけのことではない。もっと広い範囲で反対しなければ、という意見がたくさん出た。解ってはいるが、なかなか新しい地域の会長にお願いに行くのは勇気のいることでした。中津浜線以西への拡大、JR南側の地域への拡大、私は苦手でした。が、皆人脈を伝ってがんばって拡げていってくれました。わたしはこねをつけてくれたところに、説明にまわる役目でした。すこしづつ拡がってきました。町内会の交代劇も落ち着き、新しい体制で動き始めました。署名をお願いしても、やはり地元の会長名で依頼書が欲しい、といわれる会長もいました。でも、もはや今までの様な苦しい思いをすることもなくなったのでした。
8月の暑い日、看板を増やそうとベニヤ板にペンキ塗りをしていました。新しい会長のところに、市の道路課からI課長とI課長補佐がやって来ました。会長は話すことは何もない、今忙しい、出かける所だなどと取り合わなかった。私は他町会長と仲良くなりたいと、努めて連合や社協の行事に参加しました。
平成4年11月24日、八木米次市長から馬場順三市長に変わった。八木市長とは直接対決のないまま終わった。
平成5年1月には、沿道の社宅のフェンスにも各々の会長から頼んでもらって、看板が貼られた。
平成5年2月2日、突然I課長補佐より測量をしたいので北町の了解をもらいたいと言ってきた。市は会長に連絡をしてきたが「山幹のことは副会長の山本にまかせてある。窓回は副会長である」と言って下さったからでした。しかし、簡単に測量をさせるわけにはいかないので、皆に相談してから返事をすると言った。2月6日には返事はまだかといい、2月10日には県の事業認可が2月2日におりている旨を伝えてきた。なんということかと、勝手におろして、住民には一言の説明もなくである。報告が遅れたことはお詫びしますといいつつも、測量の返事をせまった。今、私ひとりで返事は出来ないし、するつもりもないと突っぱねた。その後も何回も急ぎたててきたが、相談がまとまればこちらから返事をするからと。
2月13日夜9時に、Sさんのマンションに集まって経過説明をし、意見を聞いた。このときはまだ地権者も一緒でした。とにかく急に測量と言われても納得できないと、市長に申し入れをすることにした。2月15日、松並町内会長名と北町町内会長名で、測量には合意できない旨の文書を出した。2月19日、事業認可を取ったことで、土地権利者へ早速買収などに関する書類が届いた。結局、2月28日、町内会役員と市民の会から数名とでN部長、I課長以下3名に甲子園口会館(村の所有)で会った。しかし、会長は今日のことは、この会は正式な話し合いではないことを確認した。その後、会長のところに何度もせっついてきたという。
3月7日、私たちは公民館に集まり相談をした。何となく悲観的な意見も出されましたが、もう一度議会に陳情しよう。提出期限まで時間がないので、各会長印は手分けしてもらえるような形式に、書類を作ろうと結論。この日集まったのは、男性4名女性9名でした。翌3月8日、前日の相談会を知ってか知らずか、またまたI課長補佐から電話があり、ねちねちといやな奴でした。市が一方的に開催しても誰も出席しなかったらどうなるのかと聞くと、一回開催したことになります、と。こちらから返事はしますと言っているにも拘わらず3月16日、その日朝早く催促をしてきた。私は息子の卒業式がある日だったので、もうちょっと待ってくれるように伝えました。ところが何のことわりもなく、その日の午後、留守中に3月21日と24日に事業説明会を開くのでどちらかに出席をとのチラシを、一方的に配布したのです。翌3月17日は陳情の傍聴の予定でした。傍聴のまえに道路課に抗議に行きました。北町の会長にも言わず松並の会長のところに行き、「勝手にしたらよい」と自分に都合よく言ってくれるところにだけ、話を持って行っていたのです。結局21日と24日は会長もほって置くとよいというので、特に皆にはボイコットしようとも言ってなかったので、地権者の何人かが行ったのでした。こうなるとどうしても一回は会わないといけないだろうと、平成5年4月3日に聞くことにした。日時を連絡すると住民の方で皆に知らせてもらえますか?とI課長補佐。むかっときた。何をいってんですか。この前は返事もしていないのに、勝手にチラシを配ったんじゃないの。すぐに配れるんだからそっちでやって下さい。市が配った案内チラシに「3月21日と24日に開催された説明会は町内会は認めてないこと、今回は大結集して反対を表明していこう」と書き足して重ねて配布しました。
4月3日夜7時から上甲子園サービスセンターで、市当局からN部長、I課長以下の出席で、住民側は65名の出席でした。この晩の話は住民も反対の気持ちとはいえ「反対が多かったらどうなるのか」「札場筋から以西はできてないじゃないか」「都計審で十分意見が交わされたとはおもわないので再度都計審の人と話したい」など住民もバラバラで、消極的な意見がおおかった。一方市側は橋の高さをどうするか、幅はどうとか等といい、ただただ計画は時間がかかっても進めたい。そのための話し合いを地元の住民としたい。最後に議会も承認している。と自信をみせた。
この日、それ以来づっっっとたいへんお世話になっている藤井さんが出席してくれたのでした。藤井さんとのきっかけは、私は定かに覚えていないのですが、平成4年の市長選挙のおり、市民運動をしている仲間たちでスリーワンとをいう組織をつくって、新しい市長を押し出そうという運動をしていました。その誘いがわれわれの市民の会にもありました。そちらの会にYさんが代表して出席してくれてました。藤井さんは43号線の公害訴訟原告団の団長補佐をされていたそうです。道路問題ではプロヘッショナルです。アドバイザーとして出席して頂いたのでした。この日も専門的な質問を、市側にしてくれました。市もきっとうるさいのがついているなと思ったに違いありません。
平成5年4月24日、あまりにも私たちは道路問題や公害のことについて素人になので、早速、藤井さんに第一回勉強会をしてもらうことにしました。講演会の案内チラシを手書きで作りました。43号線の交通量、その上の阪神高速道路の交通量、低周波の被害の怖さ、大型車がどれだけひどい影響を与えるか、二酸化窒素は水に溶けにくく肺の奥まではいってしまう等々、あげくに町の破壊につながる道路になる、裁判をするには……と集まった50数名の私たちには、初めて聞く強烈な話ばかりでした。講演終了後、今日のはなしの内容のチラシを作ろう、決起集会をしよう、タウン紙(リビング、ファミリーなど)に載せてはどうか等と、皆積極的な意見が出ました。平成5年5月7日付け山幹ニュースNo.1を発行配布しました。この事業がどれ程私たちの生活を脅かすことになるのかと訴えました。反対をうたって一年半が経とうとしていましたが、いよいよ本当の意味の反対運動を開始しはじめたように感じたのでした。
5月に入って、市から地権者だけの説明会を開くという案内が、該当する家々に届きました。この時、買収対象は五軒でした。事業対象となっている松並町内会と甲子園口町内会、両会長から「事業の説明も十分にできていない現状のなかで、買収の説明とはなんたることか。市の申し入れには同意出来ない。まず住民が納得できる説明会を開催せよ。市の地元町内会を無視した横暴は許せない」と抗議し、「誠意ある回答のない限り今後一切市当局の申し入れに同意出来ない」とかえしました。
そもそも、松並町内会長は市に楯突くつもりなど毛頭ない方でしたが、このような内容の申し入れによく印を押してくれたと思いました。この申し入れで市は説明会のための打ち合わせを、5月15日すると言って来た。住民はあくまでも広い範囲でも説明をと主張。市側は今回の事業にかかわっていない町内については、会長からとくに要請があればする、との一点張りで結論が出なかった。その後も説明会を開きたいと、市より言ってきたが、住民側は一部の住民だけを対象とした説明は聞くつもりはないと蹴りました。
6月1日付け山幹ニュースNo.2は、地図入りの架橋と拡幅が実施されれば地域がどう変わるか、一目瞭然のいいのを作ってくれました。人材が増えてきました。
平成5年6月15日、再び市議会へ14団体の会長印と幹事13名で陳情書を提出しました。住民に十分な説明をしないで事業計画を実施しようとする市当局の態度は横暴きわまりない。事業対象の二町会だけでなく、広く沿道住民を対象とした説明会の開催を、ま
た7000名の署名の重みを感じ、沿道住民の懸念に対して慎重の上にも慎重を期して住民の理解を得るように、そして人間優先のまちづくりに努力するように行政当局に指導を、との内容でした。反対を真っ向から唱えれば議会も簡単に不採択するだろうと考えた末の陳情内容でした。さすが議会も説明をということにはダメとは言えず、この陳情は結論を得ずという結果でした。反対の会という名前がいかんという議員もいました。住民の思惑を見て取って、なるほど文章には正論を言っているが、要するに作戦であろうとの意見もありました。反対をしている住民からの陳情を、結論を得ずとは私たちには勝ち取った結果と評価できると思った。
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