『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』斑猫独語(43)**<2011.1. Vol.67>

2011年01月05日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<イルミネーションは美しいか>

 表題は12月12日の毎日新聞投書欄に載った投書の題である。私も大和でイルミネーションが始まった時、そう言った覚えがあるが、今年イルミネーシヨンを見て考えを少し変えた。この投書に出会ったのを機会に、今一度このことにこだわってみた。

 イルミネーションだが、(以後、イルミネーションは電飾と書く)今年も大和平木谷公園の一角に“大和夢ナリエ”と名付けられた電飾がきらめきだした。12月4日から来年1月15日まで、午後5時から10時まで夜の街角を賑やかにする。この催しは、神戸で始まったルミナリエに想を得たもので、当初私はこれを美しいと見ることに疑問を持ち、毒づいたのだった。公園だけではなく、派手な電飾をする家もあちこちに出て、ミニコミ紙がまるで芸術扱いで、コンクールをするなど、馬鹿げたことだと怒っていたのだった。

 今年、老犬太郎は夜の散歩にこの公園をコースに入れ、私は太郎と電飾の下を歩くことになった。そしてそこで私が見たものは、寒い中を歓声あげて走り回る子供達であり、親子が会話をしながら電飾を眺める姿であり、家族で写真を撮る姿や、子連れ家族が圧倒的に多い中、若者の姿もちらほら見える、などであった。そんな人達を見ていると、電飾公園はこの寒い冬の夜に戸外でたとえわずかな時間であれ親子が楽しく過ごせる、若者は友達と語り合う、そんな場になっているのだ。これは良いではないか。私は過去に電飾公園を“美しくない”からと全てを否定したが、今、全否定は取り消す心境になった。電飾公園で見た人間模様が私の情に訴えるものがあったからである。では、視覚的にとらえた電飾について美しくないと言ったことはまだそのままなのか、と問われれば、情によって新しくなった電飾に関する情報は、過去に記憶した否定的な情報を脳内で部分的に書き換えたようである。あまり意識してはいなかったはずなのに、視覚的感覚は情の感覚と連動してしまったようで、大声で確信を持って電飾は美しいものだとは言わないが、寒い闇の中にきらめく光の様々を美しいと思うようにはなったのだ。たんに、物理的な光を受けた網膜からの信号に基づく反応だけではなく、知恵や感性が作用してしまった情報反応、少々あまいがこれは人間的と言えるのではないか。毎日新聞への投書者は「イルミネーションが年末のイベントになって久しいが、私は素直に美しいとは思えない」と書き出している。彼は天の川などの綺麗な星空より電飾が美しいか、と言うのだが、人工の物と天然の物を同じレベルで比べることは、間違っていることに気がつかねばならないのだ。

 自然の物であれ、人工の物であれぱっと見て、綺麗だなあ、美しいなあ、と思うものは大体美しい。ほとんどの人がそう思うのだ。それはそれで良い。ぱっと見は、どうかなあ、と思う物これが問題である。置かれた場、位置、それを見る側にも時間などいろいろ異なる条件がある、そんなことを十分考え合わせて、美しい、と感じることになるものもあるし、先人の言や、心情をゆさぶる説得などが、それは美しい物だ、とするものもある。美の判定など、基準は無いのだから、最終的には個々人が判断すればいいのである。

 投書者は綺麗な星空と言い、星空に美を見いだし、美しい星空を見えなくしている明るすぎる屋外照明を規制しようと言うのだ。そして、そこに電飾も入れてしまったのである。きっと投書者のみた電飾はそうとう大きく明るく、光を夜空に放散させ、星空を邪魔していたのだろう。大和の電飾は夜空を明るくするという規模ではない。明るさでは街路灯に負けている。その場を少し離れて見る上空は暗い。星空を邪魔するものではない。

 夜間の屋外照明が明るすぎ、星空を見えなくしている、これには私も同感だ。

 以前「夜は暗くてはいけないか」という本を読み、これについて書いたことがある。川西市北部は山地が多く暗い夜空があったのに、最近郊外型店舗が進出しだして、その強い照明のために夜空が明るくなってきている。パチンコ屋やガソリンスタンドの明かりは必要以上である。時には遠目に火事のように空が赤く見える所があったりする。箕面森町が開発され出来上がり、街の機能を発揮しだすと同時に、私の住む所からは以前暗かったその方向の夜空がぼんやり明るく見えるようになった。無秩序な屋外照明を制限しろと投書者は書いており、環境省が定めた「光害対策ガイドライン」による制限に期待している。だが、この光害という言葉は動植物に与える悪影響を定儀して生まれた言葉であるから、美しい星空が見えることを望むということに、このガイドラインが、はたして運用出来るのか、確かなことは分からないが、これがあるならここから何らかの手を打っていく、というのがこれからの環境行政の力の見せ所になるのである。とにかく、美しい星空が見える場が減ることは防がねばならない。

 投書者は最後に「イルミネーションやライトアップ、高台から見る夜景などの人工の光より、星空の方が美しいと思う人が一人でも多く増え、天の川が見られる場所が少しでも増えることを切に願う」と結んでいる。先に述べたが、これら人工物は星空に比べ美しくない、と投書者は考えてこう書くのだが、これは独断偏見である。独裁者の美学が産んだ国の美術を顧みよ、さびしいものがある、あったではないか。屋外施設にある照明の程度、光量を問題にすればいいのだ。

 美しい天の川をみて過ごしている人が、都会に出て高台から見た都会の夜景に美を感じてはいけないのだろうか。天の川も綺麗だが、夜景もきれいだなあ、と言うことはあり得る、と私は思う。

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