砂場さんを送るの辞
尼崎市 市議会議員 酒井 一
砂場さんがシベリア抑留記を出版すると聞いたとき、私は「それはソ連の一国的社会主義の非を鳴らすものになるのか、それとも『社会主義の祖国ソ連邦』を弁護するものになるのか」というような皮肉な興味を持っていました。砂場さんからシベリアの話を聞いていたわけではなかったのです。
ところが、出版された『私の「シベリア物語」』には、当時読んだときも、そしてお別れしてのち、改めて読み直してもても同じ思いを抱きます。私の皮肉な興味の持ち方が恥ずかしい、と。
この書物には、「反ソ、反共」はもちろんのこと、「社会主義の祖国擁護」も、私が皮肉な思いで期待したような意味ではどこにも存在しなかったのです。ただ、シベリアにおける、ソ連邦と日本軍の捕虜の織り成す関係、シベリアの自然の凄まじさ、美しさ、ソ連人、日本人それぞれの厳しい生活のあり方、などに対する清明で、公正な、そして正義感に満ちた若者らしい記述が、そこにはありました。
どんなに苦しい目に遭ったのか・・・。飢え、凍傷、リンチ、虐待・・・描かれていないわけではありません。しかし、読んで気が滅入ることはありません。
奥さんの許しを得てこの本を尼崎市の地域研究史料館に贈ったところ、館長がすぐに感想を寄せてくれました。
「巷間よく語られるシベリア抑留譚とは多少異なる構図が良く理解できました。(略)砂場さまはご自身のことも含めて客観的に見ることができる方だったのでしょうね」
わが意を得たり、との思いです。何事も公正に見、良いことを見つけそれを愛することができ、さりとてそれに溺れるでもなく、自らをもその中に客観化することができる。これは、まさに科学者の姿勢です。そういえば砂場さんは技術者、科学者でありました。砂場さんのシベリア体験の後半も技術者としてのものでした。
砂場さんが左翼運動に身を投じるのは日本に帰って働きはじめてからであって、シベリア体験からではありません。ただ、シベリア体験を語るについて砂場さんが示した奇跡のような公正さ、客観性が砂場さんをして社会主義運動に身を投ぜしめる原動力であったのではないでしょうか。
そして私は砂場さんのここが好きだったのだろうと思うのです。
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