JR西日本・脱線転覆事故で感じたこと
代表世話人 大橋 昭
JR福知山線脱線転覆事故で、尊い命をなくされた方、負傷された多くの方々に心からの哀悼とお見舞いを申し上げます。
いつかどこかでまた大惨事が、という懸念が現実化し、大きなショックを受けた。この間、日本の各企業は経済のグローバル化をテコに、企業間競争に勝ち生き残るベくなりふり構わぬ、異常なまでのドラスチックなリストラ合理化を強行してきた。
安全対策よりも生産性向上や効率化やスピード化を優先させ、利潤拡大路線を目指した結果、大小無数の事故が続発したことは記憶に新しい。
三菱自動車のリコール・新曰鉄やブリジストンの大火災・関電原発事故などに共通するものは、リストラによる極端な人員削減が熟練労働者不足と重なり、設備安全管理態勢の弱体を招き、加えて極限までのコスト削減策による設備の劣化が進んだ結果、日本列島は連続して重大事故・災害に見舞われ、今回JR西日本が引き起こした大惨事もこうした状況と軌を一にしつつ、まさに起こるべくして起きた象徴的な人身事故災害だ。
翻って私たちの日常生活はあふれるモノと情報に取り囲まれ、経済不況とも相俟ってたえず生活の不安と焦燥感に捉われた環境の中で、無意識のうちに利便性・快適さを求め「より早くより安くより効果的」という風潮に染め上げられ、他者を思いやるゆとりのない中でいつの間にかセカセカしイライラしたライフスタイルを身に付けてきた。
今回の惨事の発端とされる電車の遅れの問題も、運転技術や運行ダイヤに多くの瑕疵が指摘され、事故原因は今後の調査に待たなければならないが、欧米では90秒の遅れは日常茶飯事で「定刻」と見なされているのに、日本ではなぜ致命傷のようにいわれるのか。例えばイタリアでは「5分から15分程度の遅れは乗客も認めている」。遅れて当たり前とするスローなライフタイル(価値観や文化の違いがあっても)が、かえって事故災害を減らしていると言われることに、眼を転じるべきものを感じた。
しかし、当然に指弾されるべきはJR西日本の利潤追求一辺倒のモラルなき企業体質であろう。事故発生後の一連の信じられない労使の数々の不祥事は、人命救助をすべてに優先さすべき責務の放棄として許されない。この「稼ぐ」を第一に掲げ、本来厳守すべき「安全第一」は後回しとする、経営至上主義の企業体質を、だれがどう改革して行くのか。
JR労働者への極端なまでの人員削減と人間性を無視した、あたかも旧日本軍隊の精神主義思想を下敷きにしたような、前近代的労働管理(日勤教育)の改革には、労働組合の存在が問われる。同時に関係する一連の情報公開が今後の改革のポイントであろう。
今回の大惨事の遠因を探れば、そこには1987年当時の中曽根内閣「国鉄分割民営化」の歴史があり、それは如何なる政治的意図により断行されたのかを省みなければならない。国民の財産であった国鉄を解体し、同時にそこに働く人たちの生きる権利まで抹殺し、その直後から強行された「儲け第一主義」の民営化路線への転換こそが、今回の大惨事の出発点となったことを銘記すべきである。
今後も営利会社としてのJR西日本は利潤の追求はするであろう。しかしそのために今以上に高速化や過密ダイヤ化を押し通せば、安全性への信頼は揺らぎ、乗客は移動手段として自動車への乗り替えも考えよう。そうなれば今以上に、都市の生活環境が渋滞や大気汚染によって大きなダメージを受けることだ。この点からも鉄道輸送を中心とした公共交通機関の安全性確保は地球環境・温暖化防止の面からも最優先課題である。
JRの一連の許されない不祥事。ご遺族、被害者、破壊されたマンション住民への誠意のない対応への怒りの中で、特筆すべきは事故直後現場での救助隊員の働き、いち早く事故現場に駆けつけ懸命に努力した周辺の住民、仕事を中断し全力で救援活動に駆けつけた工場の人々の献身的な姿に、人の世に熱い一条の光を感じた。
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