『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』熊野より(6)**<2003.7. Vol.24>

2006年01月09日 | 熊野より

三橋雅子

 月はこんなにも明るくまんまるくて、三日月はこんなにも鋭くとがり、星はこんなにも湧き出るように、見つめれば見つめるほどいくらでも増えてくるものか、と毎晩有頂天になっていた。ところがある晩、我が家に着いて車のライトを消したとたん、真っ暗闇。足元はもちろん天を仰いでも木と空の区別すらつかない。こんなにも本物の闇というのがあったのか…。漆黒の闇という言葉を思い出す。それにしてもあまりにも澄明な月と星に毎晩うつつを抜かしていて、こういう夜もある、ということなどすっかり忘れ、懐中電灯を積み忘れたのはうかつだった。とにかく玄関まで辿り着かねば。しかし十数段の石段は一段ごと個性豊かで幅も高さも不規則な上、カーブまでしている。文字通り手のひらでまさぐりながら這い上がる仕儀となった。やっと平地になったかと直立して歩き出したとたん、まだあった最後の段に、したたかにつんのめりそうになる。やれやれ何たるバリア!

 いつか高齢者の住み替えについてテレビで検証していたのを思い出す。それによると第一に配慮すべき条件は坂道がないこと。しょっぱなから違反。坂道どころか車から降りたとたん家に入るにも、畑に行くにも石垣だらけなのである。条件はさらに、今までの友人達と会いやすい距離、病院に近いこと、公的なケアを受けやすい距離…と続くがことごとく失格。いかに常識から外れているかを思い知らされる。

 たっぷりしし肉を食べ過ぎた腹ごなしに、散歩に出る。今夜は煌々たる満月、白く道を照らしてくれるのも心強く、ライトは不要と揚々と出かけた。ところが10メートルも行かぬうちカーブを曲がったとたん月は消えた。それでも杉と檜の木の間からちらちらと道が照らさている間はよかった。次第に月明かりは細り、遂に完全な真っ暗闇。またしても手ぶらのうかつさ。遠く下方に白っぽい川面だけが、うっすらと見える。次のカーブを過ぎればまた月が姿を現すであろうが、ガードレールも白線もない曲がり道は、谷側を踏み外せば川までの崖を転がり落ちることになるし、山側に寄り過ぎれば側溝に落ちる。つくづく中道を行くということの安全性と、かつ如何に難しいかを知る。遂に、楽しかるべき夜道の散歩は中断してUターンとなる。

 それにしてもこの暗闇、なにか記憶の底にうずくものがある。幼い時の…それはあの、満州からの引揚げの道行き、終着地に着ける保障は誰にもなく、いつ終わるかも知れぬ、広い中国大陸の果てしなき行軍のひとこま、無蓋車で荷物さながらに運ばれる揺れの記憶に、暗闇の恐怖が絡み合う。無蓋車の一番の敵は雨のはずだった。体が濡れるのは真夏のこと故大したことではない。それより荷物が濡らされたら最後、水を含んだそれは到底背負って行ける代物ではなくなってしまう。ビニ−ル製品のない時である。背中に背負い、両手はもちろん首にまでぶら提げるべく、厳選された荷物の大半は捨てなくてはならないであろう。星が翳る空を眺める大人達の不安は、そんな暗闇に列車が止まった時更に深刻な恐怖に変わる。無論用足しの為の定期的な停車はあるが、こんな夜は我慢を強いられて女子供達は中央に移動し、周囲は男達で固められ、傘を突き刺して防備態勢に入る。荷物を略奪に来る暴民の襲撃に備えてである。漆黒の闇は、この時の、息を潜めて発車を待つ恐怖のひと時を思い出させるのであった。

 ある夜帰宅の道中、我が家とおぼしき辺りにぽうっと灯りが見える。あるべきはずのないそれは、カーブのたびに見え隠れして狐の提灯でもあろうか?はたまた、本物の山姥が、えせ山姥と仙人という格好な獲物の帰りを待ちわびて、刃物でも研ぎすましている灯かりであろうか…?最後のカーブを曲がると確かに我が家の前に、なんとそれは本物の街灯であった。??? 区長さんが新住民の為に段取りしてくれたという。まあ、有難いこと、と感謝したものの、次の瞬間二人はおもわず顔を見合わせる。折角の星が、あの鮮明さを失うのだ。どうしよう、我々にとっては足元の便利さよりも空の明るさの方が大事なのに。区長さんに本心を吐露して元の暗闇に戻してもらおうか…悩んだ挙句、区長さんの厚意はそのまま受けておくことにした。10メートルも動けば、星の鮮やかな輝きと空の奥深さは取り戻せるのだから。

 星屑の湧いて溢るる天の川

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『みちしるべ』道路建設にお... | トップ | 『みちしるべ』昭和の旅の巨... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿