『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』**第30回 道路公害反対運動全国交流集会 参加報告**<2004.11. Vol.32>

2006年01月12日 | 藤井隆幸

第30回 道路公害反対運動全国交流集会
千葉大会の参加報告

藤井隆幸

台風22号により初日の全日程が中止

 今年の全国集会は30回目になりますが、台風で予定が中止になるという異常事態は、史上初の出来事でした。恒例により、毎年11月の第1週の土日に開催されていたのですが、京都で行われた実行委員会からの意見では、観光シーズンに重なり、会場や宿泊施設の確保に困難があるとの意見も出ていました。そんなこともあってか、昨年の名古屋大会からは、10月の第2週に行われました。それが災いし、今年の異例に多く本土上陸した台風の一つが、千葉大会を直撃しました。

 初日の大会予定は、昼過ぎに市川塩浜駅(東京駅から京葉線で15分ほど)に集合して、バスを借り切って現地見学が組まれていました。東京湾三番瀬の埋め立て計画は、住民運動や環境運動もあり、一旦、行政側も中止していた計画でした。が、第二湾岸道のジャンクション計画で、またも埋め立てられる動きになっています。また、東京中心部から15km圏を周回予定の外郭環状道路は、財政破綻している状態です。それら市川市内部分の数ヶ所を見て回ることになっていました。

 午後4時からは2時間の全体集会で、基調報告のほか、「あきる野裁判判決の意義」「東京大気裁判をいかに勝利するか」「道路政策及び道路行政の問題点と道路運動の展望」の3本の報告がある予定でした。その後、懇親会が全体集会会場の和洋女子大学の18階(食堂)で予定されていました。

 ご承知のように、その日は関東から関西にかけて、太平洋岸では暴風雨波浪警報が、軒並みに出されていました。聞く所に拠れば、現地実行委員会が当日午前8時に、緊急招集されて、もしもの事故を避ける為に、初日の予定は総て中止にすることになったそうです。そして、手分けして全国の参加者に連絡を入れたとのことでした。それは当然の処置と考えられます。

中止の判断の遅れが大会成功に?

 しかしながら連絡のあった時刻には、最も遠い広島の参加者は始発の新幹線に乗っていました。大阪・京都・奈良、そして我が兵庫の参加者も、午前6~7時の新幹線に乗車していました。名古屋のメンバーでさえ、集合時間には市川塩浜駅に到着していました。当日の実行委員会で決定していては、遅きに失したといえないこともありません。が、緊急実行委員会についても、台風の刺激による秋雨前線の豪雨により、早朝から総武線や中央線の一部は運休しており、首都圏の実行委員でさえ、実行委員会に出席できないメンバーもあったといった状況でした。

 そんな大変な事態でしたが、何が正しい判断かは判らないものです。参加者の一員と致しましては、台風接近の情報に、前日からニュースには注目していました。当日は午前5時には起床して、ニュースを聞いて(我が家にはテレビが無い)いました。掛川~静岡間が豪雨の為、新幹線が始発から止まっているとのことでした。これでは参加できないかもしれないと思っていました。一応出かけられる用意をしていると、午前6時に運転開始とのニュースが入ってきました。

 新大阪に着いてみると、駅は指定席を取る客で大混乱していました。西ノ宮駅では「途中で運転が打ち切られ、車内に長時間缶詰になることも予想されます。当駅では指定席を発売しないようにとの指令がありました。」と言われていましたので、覚悟の上で、乱れだダイヤを気にすることなく、7時前の“のぞみ”に乗り込みました。自由席は混雑していたので、指定席車両のデッキで立ったまま寝ていました。掛川~静岡間は徐行し、予定にない品川駅で止まるなど、大幅に遅れて東京駅に到着しました。

 市川塩浜駅には広島のメンバーが既に到着していました。ボツボツと参加者は増えて、20名近くいたでしょうか。現地実行委員会の方が車で来られて、中止を伝えられたのですが、もっと早く言ってくれたらとの苦情も出ました。ところが、前日や出発前に伝えられたら、多くの参加者は時間を遅らせて新幹線に乗ったはずです。昼頃には掛川~小田原間が豪雨で再運休し、その日は運転再開することはありませんでした。最悪の場合は、新幹線で一泊した可能性があります。翌日の大混乱の始発に乗ったとしても、二日日午前中の大会予定の殆どに参加することはできません。連絡が遅れた為に、大半の参加者は現地入りしていたお陰で、大会が成功したわけです。

御人好しの関東の実行委員会は大損害

 後から言えることですが、台風の接近による風雨は午後6時頃からでしたので、現地見学も全体集会も支障なく行えたはずです。懇親会が済む時間には、台風は通り過ぎていました。この台風で一番大変な目にあったのは、参加者よりも実行委員会のメンバーであったと思います。随分前のことですが、神戸大会の主催実行委員を勤めた経験から言えば、苦労をねぎらいたい気分です。

 また、関東の実行委員会には理解に苦しみます。現地見学費と懇親会費は全額返却すると、翌日の全体会の冒頭に事務局連絡がありました。当日キャンセルなら、バス代にせよ料理代にせよ、100%近いキャンセル料がいるはずです。それを誰が負担するというのでしょう。関西の実行委員会なら「カンパして下さい。どうしても必要な方には返金しますので、後からご連絡ください。」と言ってしまいます。返せという人はいないものです。

 随分前までの全国交流集会なら、主催実行委員会には多額の利益が出たものです。それは現地へのカンパとするのが恒例のことでした。しかしながら、近年は会場費が高騰し、手作りのパーティーの手間がかけられず、地元実行委員会の赤字が多額になり、集会を地元に招請するのが大変になっているのが実情です。

急遽企画された懇親会

 そんなわけで、市川塩浜駅に参集した全国からの参加者は、早めにホテルにチェック・インすることになりました。JRの京葉線と総武線を乗り継いで、市川駅前の市川グランドホテルに、午後3時には着きました。午後5時からは全国実行委員会が、同ホテル内で行われたようですが、当方は失礼して、しばしベッドを暖めて不足したものを取り返しました。

 現地実行委員会は、到着した30名ほどの全国からの仲間に配慮して、ホテル近くの居酒屋を借り切り(台風のせいかもしれませんが)、座敷に座り込んでの別仕立ての懇親会(会費も別仕立てだったのは痛かった)を開いてくれました。鉄道が止まっても、車に分乗したりして、首都圏の仲間も20人ほど駆けつけてくれました。

 午後6時にロビーに集合したのですが、窓から見える雨は縦ではなく横に降っていました。ビルの間を駆け抜ける暴風雨は、閉まっているドアを全開にして、エントランスを水浸しにしてしまっていました。正面から風を受ける窓は、落ちてくる滝をガラス越しに見上げている感じでした。ホテルの裏口から居酒屋のあるビル入口までは20m程ですが、傘に隠れた上半身以外、皆ずぶ濡れになってしまいました。

 いざ始まってみると、全国の常連のメンバーは殆ど揃っていました。いつもの立食パーティー形式の懇親会では、雰囲気がバラけるのですが、座り込んでいるゆとりからか、結構話に盛り上がりました。終ったのは午後九時も過ぎた頃でしたので、かなり長時間、好き放題喋っていたことになります。恒例では考えられない懇親会に、参加者は満足していたようです。

 さて、居酒屋を出てみると、ビルの谷間でネオンがぎらぎらして、空を仰ぎ見ることはかないませんでした。が、さっきの嵐は何だったのかと思うような穏やかさ。雨は止んで風一つなく、台風一過とはこのことだと感じました。

市川市の中心をミニ観光

 翌日は市川ホテルから歩いて20分程度の距離の、大会会場である和洋女子大学に向かいました。バスやタクシーを利用した人も少数いましたが、多くは現地の環境団体の女性に引率されながら歩きました。市川周辺の地質学的成り立ちや、歴史文化・観光案内などを受けながらの楽しい散歩となりました。

 お寺の参道と境内を通り抜けての道程でしたが、参道の商店街はスーパーの台頭で物販店が少ないのは、何処の商店街とも同じでしたが、古い面影を残しながらも活気を感じさせる商店街でした。前日が台風であったにもかかわらず、商店や家々の前は綺麗に掃き清められているのには驚きました。その日はお祭りだとかで、そんなこともあるのかもしれませんが。商店が開くのは10時頃でしょうに、9時前には隅々まで綺麗になっていたのは、日頃からのコミュニティーの成果のように思いました。広いお寺の境内は、お坊さんや檀家の人たちが、枝ごと落とされた大量の散乱物に、悪戦苦闘の最中でした。中には根っこから倒された大木もあり、電力会社の人たちがクレーンを持ち込んでの作業に入る場面もありました。

素晴らしい会場の最新式のハイテク教室

 会場の和洋女子大学は千葉商科大学など、複数の大学が集合した地区にありました。何棟かの建物の中に、18階建ての真新しい目を引くビルが、その会場でした。学生の姿は全く無く、大学全体が我々だけの貸切のようでした。エレベーターホールには6基ものエレベーターがあり、学生向けのコピー室が各階にあり、吹き抜けのホールの上階にはコンピュータが沢山並んでおり、学生が自由に使えるようにしてありました。

 全体集会は16階の大教室が当てられました。分科会は5階の教室が当てられました。いずれも天井に液晶プロジェクターが設置されていました。最近でも、OHP(オーバー・ヘッド・プロジェクター)やスライド・プロジェクター(昔の幻灯器)が普通に使われていますが、最新式の設備になっていました。黒板ならぬ白板の前に、ボタンーつでスクリーンが下りてきて、映写されるようになっています。室内照明を落とさずに、スクリーン部分だけを暗くできるようになっているのも驚きました。普通の紙であれ、OHPフィルムであれ、写真であれ読取装置が備えてあり、ノートパソコンを通してスクリーンに映し出されるので、大変便利でした。ただ、パソコンやスキャナー(読取装置)の操作方法が集会のお世話係には難解で、手間取ることが多々ありました。

 お昼の昼食は最上階の18階の食堂で、お弁当が配られました。これがホテルの結婚式会場かと思えるほどの豪華さ。スタインウェーのグランドピアノも置いてあり、窓から見える景色もすばらしいものでした。あたリー帯は一種住専地域で、高層の建物はそのビルだけでしたし、ビル自体が高台にあり、一帯は緑が非常に多い地域でした。江戸川が見渡せるし、台風一過で空気が済んでいたせいか、霞ヶ関辺りの高層ビル群まで見渡せました。曇り空でしたので、富士山は見えなかったのが残念でした。

 このような素晴らしい会場が使用できたというのは、大学事務局長の女性の方が、環境問題に取組んでおられ、道路団体とも日頃から連携を取っておられたとのこと。首都圏道路団体のお付き合いの広さに、感心させられました。我が阪神間道路問題ネットワークで、このような規模の取り組みができるかと考えると、尊敬してしまいました。

 ただし、困ったことが一つありました。それは大学構内の何処にも、自動販売機というものが無かったことです。環境面からのコンセプトなのか、新しい建物で業者がまだ入っていないのか、聴いてみたわけではありません。食堂は昼休み後に閉められてしまい、湯沸し施設は完備されているものの、使い方が判りませんでした。仕方なく、遥か数100m先に見えているコンビにまで、15分の休憩中に走って、ペットボトルと紙コップを買ってきました。

大会全体の成果と感想

 肝心の大会の中身についても、少し説明しておきます。一日だけの開催になってしまいましたが、それでも41団体160名の参加がありました。初日の分も含めて、基調報告と特別報告が4本ありました。いずれも予定の半分の時間で報告された為、消化不良を起こしそうでした。

 あきる野の地裁で行政訴訟が勝利したこともあってか、各地で道路問題を住民側から提訴する動きがでています。公害紛争調停も、神戸市須磨区の2000人規模が大きいと思ったのも過去のことで、5000~6000規模の調停が複数起こされていました。そん
な関係もあり、かつて無い数の弁護士が参加しているとの報告がありました。

 大会報告集を各団体分、買い求める予定でしたが、部数が足りないとのことで注文を受けていた一冊だけ買ってきました。一冊を例会ごとに回覧していますので、詳しい内容は報告集を読んでいただくようお願いします。

 持参した「みちしるべ」31号(100冊)は、多少強引に参加者に配りきりました。

来年は広島県の福山で行われます

 さすが千葉は遠かった。しかし来年は福山で行われることが決りました。広島では国道2号線のバイパス(自動車専用道)や、山陽自動車道のアクセス高速道路の計画がめじろ押しです。広島の代表からは、観光にも適した会場を予定しているとのこと。

 JR芦屋駅で新快速に乗れば、姫路・岡山で乗り換えて在来線で福山まで3時間半で、¥3,500程度とお手軽です。新神戸から新幹線こだま号で福山まで行くと、1時間40分、¥7,800程度で済みます。来年は大勢で参加できれば楽しいのではないかと思っています。

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