『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』≪死の淵を見た男≫**<2013.5. Vol.78>

2013年05月01日 | 神崎敏則

『死の淵を見た男』
(門田隆将著・PHP出版)を読んで

神崎敏則

69名が死を覚悟して免震重要棟に残った

 事故から4日目の3月14日午後、2号機の格納容器の圧力が再び上昇し始め、22時50分原災法15条に基づく通報がなされたことが東京本店から発表された。この時、吉田所長は格納容器爆発という最悪の事態を想定した。協力企業の人たちに帰ってもらうことを決意し「いまやっている作業に直接、かかわりのない方は、一旦お帰りいただいて結構です。本当に今までありがとうございました」と大きな声で叫んだ。その場にいる周囲の誰もが、最期が近づいていることを肝に銘じた。吉田は「こいつなら死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう。」と、それぞれの顔を思い浮かべていた。

 翌15日朝6時過ぎ、2号機のサブレッションチャンバーの圧力が0になった。何らかの損傷を起こしたことは間違いない。吉田は「各班は、最小人数を残して退避!」と指示した。およそ600人が退避して、免震重要棟に残ったのが69人だった。

 私たちは彼らに感謝しなければならない。福島第一原発の今回の事故は、彼ら69人によって最悪の事態を回避することができたのだ。

北海道と西日本しか住めなくなるぎりぎりの状態だった

 吉田昌郎は東京電力の執行役員で福島第一原発の所長を担っていた。東京電力の役員会議でもずけずけ本音で物を言うと評判だった。

 吉田は事故から8か月後、突然食道がんの宣告を受けた。2012年2月に食道がんの手術を受けた。退院して治療に専念していたが、7月に脳内出血を起こし2度の開頭手術と1度のカテーテル手術を受けた。

 著者は脳内出血を起こす前の吉田にインタビューしている。吉田は、「最悪の事態」を「格納容器が爆発すると、(中略)人間がもうアプローチできなくなる。福島第一原発に近づけなくなりますから、(中略)単純に考えても“チェルノブイリ×10”という数字が出てくる」想定していたとしみじみと語った。

 著者は吉田のこの話を斑目春樹・原子力安全委員会委員長(当時)に伝えると、「福島第一が制御できなくなれば、福島第二だけではなく、茨木の東海第二発電所もアウトになったでしょう。(中略)汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の三つに(中略)分かれるぎりぎりの状態だったかもしれないと、私は思っています」と語った。

 繰り返すが、15日の朝免震重要棟に残った69人に本当に感謝している。彼らが死を賭して事故にあたらなければ、少なくとも東海地方から青森に至るまで、壊滅していた。しかし、事業者である東京電力は、あるいはほかの電力会社はこの事実をどう受け止めているのか?

 二度と同じことを繰り返さない、労働者を死の淵に追いやらないと、まずは宣言すべきではないか。その決意の表明もないままに、原発を再稼働させることは許されない。再稼働そのものにあくまで反対だが、無理やり再稼働させるからには最低限の条件として、二度と一人の労働者も死の淵に追いやらないと決意表明する義務がある。事業者としての最低限の義務だ。労働者の死を前提にした事業などあってはならない。

 安全対策を徹底的におこなう。仮にその経費が莫大なので安全対策ができないと判断するのであれば、その時点で原子力発電から撤退する。電力会社が選択できるのは、この二つのどちらかしかない。安全と経費が天秤にかけられてはならない。安全が優先出来ないのであれば、原子力事業からの撤退しか選択肢は残されていないのだ。安全が優先できないけれども事業を展開するということは、いざという時は現場の労働者が犠牲的精神を発揮して死を覚悟して事故にあたるだろうと、想定していることと同じだ。福島第一原発の今回の事故は、制御できなくなった原発はそれほどに暴走することを世界中に知らしめたのだ。

 さて、安全対策についてもこの本の中にヒントが一つあった。

海水をかぶっても運転できるポンプをバックアップとして備えるべき

 非番の当直長・平野は、地震発生直後に車で駆けつけた。その平野ら3人は電源を必要としない消火ポンプを運転して冷却しようと試みている。実際に消火ポンプ室に行き、エンジンを起動させた。エンジンはセルモーターで起動させる構造だ。そのセルモーターはポンプの横にある小型バッテリーで起動し、ポンプを運転できたのだ。

 冷却水ポンプのバックアップ用に、電源を必要としないエンジンで運転するポンプを常設すべきだ。小型バッテリーはもちろん装備はするが、併せて、手引きでも始動できるように起動用のワイヤーも装備する。エンジンが起動すれば、最初はポンプを回すのではなく、配管の途中に取り付けられているバルブをエンジン動力で開操作できるように、ギアを取り付けておけば、短時間でエンジンポンプによる注水が可能となるだろう。

不屈の精神を持ち合わせていた現場労働者に依存するのは止めよう

 吉田昌郎所長は素晴らしい快男児だ。高校時代、般若心境をそらで覚えていた。座右の書は道元の『正法眼蔵』で免震重要棟にももち込んでいた。若い頃から仏教を精神的なよりどころとしていた。どんな困難からも逃げ出さない、その不屈の精神は宗教を通じて培ったのだろう。彼なくして、事故を現在の規模に抑え込むことはできなかったのかもしれない。

 くど過ぎるかもしれないが、吉田所長や免震重要棟に残った69名の労働者たちの誠実さや勇敢さや義務感に依存するのは止めよう。私たちは彼らを尊敬するし、深く感謝するが、それを前提にした原子力事業などまっぴらだ。

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