「『居住の権利』とくらし」
(家正治編集代表・藤原書店出版)を読んで
神崎敏則
本書は3部で構成されている。第Ⅰ部は、居住問題・住居の権利を震災との関連でとらえている。また世界の居住運動も紹介され、読み進むにつれて興味の対象がどんどん広がっていく。
第Ⅱ部は、被差別と居住権と題して、住宅明け渡し裁判をめぐる問題を掘り下げている。
第Ⅲ部は、それぞれに現場の運動にかかわってこられた方たちが書かれたコラム集となっている。
第Ⅰ部 震災と居住問題
日本の国会でつくられた法律には、「居住の権利」という言葉は存在しない。しかし、日本政府が1979年に批准した「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際人権条約」(略して社会権条約)11条は、すべての人に「居住の権利」を保障している。
ご存知のように、批准された条約は国内法としての効力をもつ。しかも、条約は法律に優先するから、条約に違反する法律は無効となる。日本政府は「居住の権利」を保障しなければならない。
編者のひとり熊野勝之弁護士は「居住の権利」は、福島第一原発事故で避難した住民に①「元の場所に戻る権利」、②「原状回復を求める権利」を保障し、③日本政府には「避難させる義務」を課している。そして、そもそも原発を住居から22km(この数値の根拠は読み取れなかった)の範囲内に建設させることは許されなかったと主張する。
伊方原発訴訟では、「炉心から敷地境界までが700m」しかないとの原告の主張に対して、被告側は、原発はそもそも事故を起こさないし、「万々一」の事故でも半径700mの外に有害な放射能が出ることはないと豪語した。熊野弁護士によれば、「居住の権利」が確立できるかどうかが、原発政策の分岐点のようである。これ程重要な権利でありながら、その存在は意図的に隠されてきた。
六法全書の透き間から「居住の権利」が発見された
「居住の権利」は、1995年1月17日の阪神淡路大震災によって「発見」された権利である。
阪神淡路大震災で、一挙に多数の人が住居を失い、公式の避難所へ入れなかった人々は公園や学校に住まざるを得なかった。神戸市は山奥の仮設住宅に追い込もうとしたが、その仮設住宅の建設戸数は、厚生省事務次官から都道府県知事あて通知により「全焼全壊住宅の最大限3割以内」に制限されていた。学校や公園に住み続けた被災者は、ある朝突然「不法占拠になるから出ていけ」と言われても、行き場がない。その時、六法全書の透き間から社会権条約11条1項「居住の権利」が発見された。
この発見は、被災者を救済したのだろうか。
阪神淡路大震災では、国連NGOの調査団を招き、また政府報告書審査に合わせてカウンターレポートを国連へ提出するなど運動と相まって、公園など不法占拠と決めつけられていた場所に「住み続ける権利」が、一定程度確保された。
また、京都府下ウトロの在日朝鮮人の集落は、判決で負けながらも、運動と相まって「住み続ける権利」が確保されつつある。
被災者が仮設住宅で孤独死を招いたことの反省から、山古志村などのその後の震災では、被災者がコミュニティーを維持する上で一定の役割を果たした。
第Ⅰ部の3番目の執筆者である早川和男さんの文章が鋭く、厳しい。
1974年神戸市が委託した、大阪市立大学理学部と京都大学防災研究所による報告書には、「神戸周辺では都市直下型の地震発生の可能性があり、(中略)壊滅的な被害を受けることは間違いない」と明記され、『神戸新聞』も1面全頁を使って報じたが、宮崎神戸市長は無視した。
1979年には三東哲夫・神戸大学教授は兵庫県への報告書に「六甲山系西南西~東北東方面に並走している多くの活断層の再活動はそう遠くなく、規模も大きいことが予想される」と記した。
更に85年には京大防災研究所の佃為成さんが「兵庫県下など近畿地方にはM7クラスを超える大地震が発生してもおかしくない条件がそろっている」と警告した。これらの警告を行政側はことごとく無視した。
「『阪神』での地震による直接の犠牲者5502人の88%は家屋の倒壊による圧死・窒息死、10%は零細密集住宅地での焼死、2%の大部分は落下物によるものであった。阪神淡路大震災は明らかに『住宅災害』で、市場原理・自助努力による住宅政策の結末」だと断じている。そしてその犠牲者は、高齢者、障害者、低所得者、在日外国人、被差別住人など、日常から住居差別を受けている人たちに多かったことをデータで示している。
震災の犠牲者が社会的弱者と言われる人たちに偏在しただけではない。復興でも偏在した。仮設住宅は、居住地から離れたところに建てられ、生活再建が厳しい人から入居したことにより、それまでのコミュニティーが寸断され、独居老人の孤独死が大きな問題となった。「地代は要らないから仮設住宅を自分の私有地に建て、自分と他の人たちと一緒に住みたい、という申し出を行政は拒否した。私有地に建てると後で権利関係が錯綜するというのが主な理由であった」。
一方、山古志村の取り組みを経て「東日本」では、民間賃貸住宅を仮設住宅とする「見なし仮設」の制度ができた。大きな前進面のようだ。2008年現在、全国で800万戸近くの空き家があり、「見なし仮設」のように、家賃補助、住宅の耐震化、障害者対応その他によって社会的活用が本格的に図られるべきだと、早川さんは主張する。
第Ⅱ部 被差別と居住権
1996年公営住宅法の改正により、応能応益方式に変更され、一定の収入がある世帯は公営住宅への申し込みをできなくする一方、すでに公営住宅に入居している世帯に対しては、収入に応じて家賃を高額化することで、公営住宅から追い出そうとした。例えば奈良市F地区では、1万円余りだった家賃が最高で10万円を超え、寝屋川市K地区では17倍もの値上げとなった。
これに対し、住宅家賃値上げ反対全国連絡協議会(以下、同住連)は、98年5月、応能応益家賃制度を撤廃させることを目的に、全国で18の地域、約1000名の住民によって結成され、福岡県、山口県、広島県、兵庫県、大阪府、奈良県下の15地区で家賃を供託し、市を相手に11年にわたる裁判を闘ってきた。
判決は、家賃支払い請求についてはすべて住民が敗訴したが、市が住宅の明け渡しを求めた裁判では、西宮市などの一部を除いて、ほぼ住民の勝訴が確定した。
住宅家賃値上げ反対運動のキーワードはアファーマティブアクションである。
そもそも地区の平均収入が他と比べて明らかに低額なので、その是正措置として住宅家賃が低額に設定されていた。1997年、政府は「格差が是正された」ことを理由に、同和対策事業を打ち切り、住宅家賃値上げをおこなったが、その認識が間違っている。下表が格差の存在を明確に示している。
地区と全国平均世帯収入の比較 |
失業率 |
||||
|
全国平均 |
地区 |
収入比較 |
全国平均 |
地区 |
1990年 |
527万円 |
303万円 |
58% |
3.1% |
3.2% |
2000年 |
617万円 |
320万円 |
52% |
4.8% |
9.5% |
吉田徳夫・関西大学教授は、問題の歴史をさかのぼり、特に、明治政府のナショナリズムと排外主義と差別裁判の関係性を論じている。執筆者の論旨を理解できていないのだが、深い問題がそこに広がっていた。現在も直面している課題、それは「個人を尊重すること」である。
とても刺激的な書籍でした。
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