『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(28)**<2007.1. Vol.44>

2007年01月06日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<ボディランゲージ>

 みなさま、よいお年をお迎えでございましたか。私なんか「今更お正月でもないよ」なんて言っておれば年相応なのかもしれませんが、まだお正月を喜んでいるのであります。元旦にはどこか違った雰囲気がありまして、「12月32日やないか、いつもとどこが違うねん」などとは決して言わないのであります。お菓子の不二家が消費期限を1日過ぎた牛乳を使っていたことがばれて(根はもっとふかいものでした)新年早々偉いお方が頭をさげておられるニュースを見ましたが、ペコチャンが泣いているのであります。

 さて、国から市町村までのお役所、会社やいろんな団体、そこで発生した失政、不正、スキャンダル、職員の犯した破廉恥行為そんな事に、それぞれの責任者であるお偉い方が横一列にお並びになって「まことに申し訳ありませんでした」と頭を深く下げてお謝りになる、そんな姿を昨年はテレビでよく見たもんでございます。昨年はよく見たと言いましても、昨年は26件、一昨年は14件と記録をしていたわけではありませんから、その辺はまあ大体の所で、よくと言ったのでございまして、いつもと同じ位のことが起こっているのかもしれません。ああして責任者が一列に並んで頭を下げる姿を見て、「こうして謝ってはるのやからまあ許したろ」なんて思うお方は、人がいいというか、よすぎるお方であって、まあ普通なら「あんなん芝居や」と一寸格好をつけて「許せん」なんて言ってみたりするのでございます。事実「一応謝っておく姿を見せておこうではないか。3時頃どうですか。テレビに取材の連絡しておいてや」こんな会話で始まるんや、なんて見てきたように言う人がいたりするのですから。まああの頭下げで、謝った、という形だけをとりつくらうことは出来るわけで、無いよりはましそれだけの物だ、という程度に認識しておけばまあ腹も立たないのではないかと思うのですが。昔なら人生幸郎が一々「責任者出てこい」と叫けばなければならないところを自発的に出て来はるもんですから、「まあそれぐらいのもんやけどせんよりましや程度は認めといたろ」と寛容な精神を発揮されるお方は多いかもしれませんな。

 私達同じ仲間同士では「おはようございます、こんにちわ」とお互いに頭を下げるのですが、一寸上のお方になるとふむふむ程度のお返しをされる方がおられます。これはまあいいのでして、相当目上でお偉いお方でも奢り高ぶっていない人はこちらが頭を下げれば下げて返されます。ところがこちらがおはようございますと頭を下げる時、ふんぞりかえっているような人にはもう頭を下げることはない。こちらもふんぞりかえればいいのですが、そんなことをしていると「あのおっちゃんら、曲がらん腰まげてイナバウアーの練習してはるわ、ぎっくり腰ならんときや」なんて見ていた子供が心配したりするのでございます。「あの人には頭が下がる思いがする」てなことを言いますが、これは尊敬の念を含んだ感嘆の思いを相手にささげているのでありまして、会話の中で、そんな人をお互いに知っておれば、「あの人には頭が下がる思いがしますなあ」「いやほんまにそうですわ」こんな言葉のやりとりに使うことがあると思うのですが、そんな人と向き合えば頭は自然に下がるものでございます。

 頭が下がるに対して「頭が上がらない」と言う言い方もありまして、こちらは負い目があったり、弱みをにぎられたりしていて、対等にふるまえない、卑屈になった時に発する言葉で「あいつには頭が上がらんねん」などと一応あいつなんて言っていますが、頭があがらないのでございます。人に弱みをにぎられんようにせんとあかんのです。

 私達日本人は頭を下げることで挨拶を交わし、謝罪をするのですが、この頭を下げる身振りが挨拶、謝罪を表すのは世界共通なのでしょうか。某大陸某族の間では、人と出会った時、頭を下げることは禁手でありまして、なぜかというと、頭を下げて相手の足元を見るということは、いつでも先に相手の足をねらって飛びつき引き倒すねらいがあるからだというのです。で彼らはぷいと横をむいてつばをはく仕草をする、それが彼らの「おはようございます、こんにちわ」なのです。この話、よそでせんといてください。よそでしますと、「それはどこの国の話やねん」などとつっこまれた時に困まってしまいます。実はこの話、私の作り話でございます。だが、かようなことが地球上にはあるかもしれない、ボディランゲージなんて言いますが、身振り手振りの意味は万国共通ではないこともあるということを言いたかったのでございます。例えばタイ国では、子供の頭をかしこい賢いとなでてはいけないと聞いていますし、イギリスとギリシアではあの勝利のしるしであるVサインを手を内にむけるか、外にむけるかで大いに意味が異なるのだそうで、第二次世界大戦中、チャーチルがギリシアを訪れた時、Vサインの出しように両者が困ったという話があったのだそうでございます。たしかフレデリック・フォーサイスのド・ゴール暗殺を計画する小説「ジャッカルの日」で読んだのだと覚えていますが、アムステルダム空港かアムステルダムの街路上でのことでありまして、暗殺者の所へ寄って来た男が何事かをささやきますが、言葉が通じない、そうと見るや、男は親指と人差し指で輪をつくり、もう一方の人差し指を差し入れる仕草をして、何かを誘ったと書いてあったんです。なるほどこれだけは万国共通であるなあ、と感心したのであります。何、わけが分からんて、難儀やなあ、まあここはすらっと行かしてもらうことにしまして、

亥の年や 手振り身振りをこきまぜて
猪突緩急環境守ろ
おそまつでした。

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