上司小剣を知っていますか
川西自然教室教室 恵須川 満延
明治、大正、昭和の文壇で結躍した作家、上司小剣(かみつかさ しょうけん1874~1947)をご存知でしょうか? 小剣は現在の川西市多田神社、その神主の子として生まれ、幼少から青年期を多田の地で過ごします。12才で母を、20才で父を亡くした小剣は出身校であった多田小学校の代用教員等をしながら、荒れ果てた大きな屋敷の中でただ一人、悶々とした日々を過ごします。やがて1897年(明治30年)24才の時多田の地を逃げ出すようにして上京し、読売新聞社に入社、文学新聞色が強かった当時の社の中で、徐々に作品を発表して行きます。後には編集局長にまで登りつめ、1920年(大正9年)同社を退社しています。
1914年(大正3年)1月ホトトギスに発表した「鱧の皮」は当時の文壇で称賛され、既に重鎮であった田山花袋は「・・・・及び難い」とまで最大級の評価を与えています。
大阪道頓堀で鰻屋を切り盛りする主人公のお文は女盛りの36才、婿養子福造は一獲千金を夢見ては失敗ばかりの繰り返しをしている興業師まがいの人物。今、家出をし東京にいる。その夫からお文の元に二通の手紙が届く。そんなところから物語りは始まります。手紙には金の無心ともとの鞘へ納まるための条件、最後に好物の「鱧の皮」を送ってほしいと書いてある。夫の好物であった「鱧の皮」わずか6~7時間の主人公お文の乱れる心の描写や振る舞いは、文字通り鱧の皮のように読めば読むほど味わいがあります。
1963年1(昭和38年)夫婦善哉の続編として、同じく豊田四郎監督作品で、森繁久弥、淡島千景、浪速千栄子、淡路恵子、山茶花究、三木のり平・・・等々そうそうたる出演者で映画化され、東宝より配給されています。また晩年には厳しかった父母の事や、多田の地で過ごした時代の地域の人々との触れ合いを題材に多くの作品を書いています。また機会があれば、そんな作品も紹介したいと思います。
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