招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

くるみの佃煮

2007年01月31日 | 料理
 

ここらあたりの名産品くるみの佃煮。
これは、先日母がかわいい孫娘に送るために手作りしたものである。
市販品は値段も高いし、ちょっと固かったり甘すぎたりするものもあるため、
母は自分で作る。

実は私はまだ自分でくるみの佃煮は作ったことがない。

母は「私は老い先短いから、そろそろあんたひとりで作れるようになりなさい」
と言って今回は説明しながら作っていた。

以下、その時の聞き書き。
しかし、なにぶん大雑把な年寄りのためものすごくアバウト。
材料のくるみは、これ。


塩味のついていないもの。
これは190グラム入り。
小さいジップロック2個分くらいになる。

本当は国産くるみがいいのだが、今回は手に入らず中国産のくるみ。
アメリカ産のくるみは柔らかすぎて
佃煮には向いていないのではないかと母は言う。
真偽のほどは、試したわけではないので分からない。

これをひたひたの水に入れ、茹でる。
このときミョウバンを少々加えると苦みが消えるらしい。

ざるに揚げて、水分を切りなべに戻し、
カップ1杯の水に、みりん、酒、砂糖、塩、醤油で味付けをして
汁気が半分以下になるまで煮て、
最後に俵屋の飴をスプーンにひとさじ加えて照りとコクをプラス。
あとは汁気がなくなるまで炒りつける。
飴をいれたあとは、焦げやすいので注意が必要。
ちょっとでも焦げ付くと、いやな苦みが広がって台無しになる。

最初は調味料を計り、大さじ1杯とか2杯とか母は言っていたのだが、
結局味を見ながら、どんどんそれぞれの調味料を足していったので、
結局正確な分量はなぞのままだ。

私にひきつげと言いつつも、調味料の配合は秘伝かっ。
目で見て、舌で覚えろと言う母。
あんたは、下っ端を鍛える、老舗料亭の板長さんかいっ。
鶏レバーの甘露煮も、鮎の甘露煮も、
そういえば正確な調味料配分(今はやりの黄金率ってやつか?)は
教えてもらっていない。

教えようにも、おそらく母はいきあたりばったりで作っているんだろう。
でも美味しい。
誰にさしあげても絶品だと言われている。
それが、母流。

次回は私ひとりで作ってみようかな。
私流で。

ペアルック

2007年01月30日 | 日常
仕事が午後からなので、午前中に市場に行った。
小学校時代からの親友Jちゃん(紆余曲折編にも登場した)が、
最近市場のなかの店に勤務しているので、
買い物ついでに雑談してくるのも楽しみの一つである。

市場に行くときは、当然おしゃれはしない。
動きやすく温かく、汚れてもいい格好で行く。
魚やお花や肉を選ぶのにちゃらちゃらした服は無意味だ。
ていうか、ちゃらちゃらした服を持っていないが。

娘が高校時代に普段着にしていた赤いネルのシャツを着込む。
自分が若いとき、母が私が着なくなったトレーナーやブラウスを着るのが
貧乏くさくていやだったのだが、
同じことを今私はしている。
いや、それ以上である。
娘がかぶっていた毛糸の帽子、フリース、ショルダーバッグ、靴。
全て私が再使用している。
だって、もったいないんだも~ん。
ウエストと、足の長さの問題で、スカートとジーンズを再使用できないのが、
無念である。

さてこうして、40代なのにファッションだけは
一昔前の貧乏女子高生の普段着を着込んだ私は意気揚々と
市場の中の友人のもとに向かった。

と。
そこで私が目にしたものとはっ!




私と全く同じ赤いネルのシャツを着込んで
きびきび働く幼なじみのJちゃんの姿であった!
私たちは、お互いの服を見てぷぷっと吹き出した。

「いい年してお揃いかよっ」
「あんたとペアルックしてどうすんのさ」
「ていうか、私がここにJちゃんと並んで立っていたら、
 このネルシャツがこの店の制服かと思われるんじゃない?」
「がははは。そうかも。バイトしてく?」
「いやなこったいっ」

そしてJちゃんもそのネルシャツは息子が中学の時に着ていたものだと言う。

とほほな母がここに2人。

ホントは、普段着に気を配るのが真のおしゃれだってことはよ~く分かっている。
私だって、自然素材のこじゃれたシンプルな普段着をさらっと着こなしてみたいさ。
それはJちゃんも同じである。
しかし、なかなか普段着にまで、お金と気を遣う余裕はない。
Jちゃんは、放蕩息子2人と散在娘1人を抱えている。
こじゃれた普段着を買うくらいなら仕送りにまわすと言っている。
私はそのへんは微妙だが、とにかくまだ使える娘の衣類や雑貨は
再使用しようと思っている。

合コンにダブルデートにと、短大時代あんなに華やかだったJちゃんと、
いつかそのうち、
「あら~シャネルのアクセサリーお揃いになっちゃったじゃないの~」とか、
「また、エルメスのスカーフ同じの買っちゃったの~。趣味似すぎだよね。」
みたいな会話を交わしてみたいものだ。




美しき誤解

2007年01月29日 | 夫ネタ
ここ数日軽くちょっと体調をくずし、薬を服用している。
ふだんは健康なので、薬を飲むことに慣れていない私は、
よく飲み忘れそうになる。

夫は、必ず食後私に薬の袋をとってくれる。
薬を置いてあるカゴが、夫の近くにあるからということもあるが、
それでも夫の日頃の言動を思うと、
これはかなりスペシャルなことである。

いいとこあるじゃん。
優しいじゃん。

昨晩のことである。
ちょっと嬉しくなり、
「ありがとうね、飲み忘れしないようにいつもわざわざ手渡してくれて」
と感謝の言葉をかけてみた。

「ボクが飲む薬をとるのに、お前の薬袋が邪魔だからとってやってるだけ。」

あ、そう。
夫は朝夕サプリメントと、例のスズメバチ入りのはちみつを飲んでいる。
言われてよく見ると、それの上に私の薬を乗せてある。
なるほどね。

「ま、それをボクの優しさだと誤解してお前が感謝してるほうが、
 うまくいってたかもしれんな。
 夫婦というのは美しき誤解で成立してるもんだ。」

じゃあ、ネタバレすんなよなっ。

イヤ待て待て、もしかしてこれは夫ならではのテレの現れかもしれない。
ホントは、私が薬を飲み忘れないようにと、
温かい思いやりの気持ちでとってくれているのを、
わざとぶっきらぼうにそう言っているのかもしれんぞ。
私の体調を気遣ってくれているに違いない。

数時間後、そろそろ寝ようかと思い布団を敷くことした。
私たちは、リビングと障子一枚へだてた和室に布団を敷いている。
寝る少し前は、障子を開けて和室も暖めておく。
夫はトイレにいった。

ここで私は、ちょっとした茶目っ気といたずら心を起こした。
布団を敷いている途中で、倒れたふりをしてみよう。
夫がびっくりして「どうした!」と言ったら、
「えへへ、びっくりした?」と驚かして、
「こらっ、脅かすんじゃない。」
「うふふ、ごめんなさいね」
みたいな展開を期待した。

倒れ方は、私も役者の端くれなので万全である。
敷き布団を敷き終え、掛け布団を広げようとした途中で、
倒れたっぽいかんじで倒れてみた。

トイレから夫が戻ってきた。
…………。
ん?
なぜ無反応?
ソファの上に出しておいたパジャマに着替える音がする。
辛抱強く、気づいてくれるのを微動だにせずに待つ私。
あれ?
こぽこぽこぽ?
ポットから急須にお茶を淹れる音がするぞ。
て、おいっ!
無視かっ?
布団を敷いている途中で力尽きて倒れた妻は無視なのかっ?

業を煮やして、倒れたままの体勢で声をかけた
「ちょっ、ちょっ、ちょっとぉ。
 注目!私に注目!
 数分前からここで倒れてる私に注目。」

「あれっ?どしたの?何してるの?」

何してると聞かれると説明するのは若干恥ずかしい。

「あんたさぁ、自分の嫁が隣りの部屋で倒れてても気がつかないわけ?
 充分視界には入ってたはずなんですけど。」

何をしていたか説明するかわりに、キレてみた。

「あははは~。ぜ~んぜんっ気づいてなかったわ。
 人を試すのはやめたほうがいいぞ。ムダ、ムダ。」

やっぱり薬をとってくれていた件は、美しき誤解だったようだ。
それどころか、もしかしたら私は夫と同居していながらも、
孤独死する可能性もあるかもしれないと思った。

くそ~っ。







ブログ開設1年!

2007年01月28日 | 日常
なんと、今日でこのブログを開設して1年がたった。

1年前の今日、文化センターの「ブログ1日講座」を受講して、
記事を書き始めたのだ。
今考えると、わざわざ受講料を払って習わなくても、
自力でやれたような気もするが、
当時の私は「ブログ」って何?みたいな状況であった。
お金を払って習って、開設したからには
ちゃんと続けようという意識ずけには充分になった。

たくさんの方たちと、ここを通じてお友達になれたことがホントに嬉しい!
ブログをしていなければ、知り合うこともなかったたくさんの皆さん。
いろんな価値観、考え方、情報、
教えていただくこともたくさんあり、
落ち込んだときには励ましていただいた。
ふだんあまり会えない友人たちも、
ここを見ることで私の近況がわかり、
久しぶりに会う時も話しが早い。

しんどいことや、腹のたつことなど、
ネガティブになりがちなできごとがあっても、
「お、ブログネタ、いただきっ!」
と思うことでかなり救われる。

ブログをしていることで、
めったにしないことや、今までなら躊躇するような新しいことにも、
挑戦するようになった。
やろうかどうしようか迷ったときは、とりあえずやる方向で…
というスタンスになってきた。

ありがとう、ブログ。
ありがとう、ブログにコメントを寄せてくれる皆さん、読んでくれる皆さん。
感謝の気持ちでいっぱいである。

個人で書く日記は続いたためしはなかったが、
ブログは続けていけそうだ。

皆さん、これからも末永くよろしくお願いしますっ!



ささやかな贅沢

2007年01月27日 | 日常


なんとなく、気分が盛り上がらない時は、
何か自分の好きなものを買うと少し気が晴れる。
私の場合、ブランドものやアクセサリーには疎いので、
ふだんの生活に使うあってもなくてもいいものを買う事が多い。
あってもなくてもいいものは、
なくても困らないが、あると気持ちが豊かになる。

で、今日散歩していて見つけたのが、上の写真の珈琲カップ。
山中塗りだ。
今までは大きめのマグカップを使っていたのだが、
かなり厚ぼったい焼き物で、最近なんとなく手が疲れるかんじがしていた。
この塗りのカップはとても軽い。
飲み口の口当たりも柔らかい。
これで飲むと珈琲がまろやかに感じる。

いい買い物をした。
奥のお菓子は、パン屋さんの片隅に売られていたメレンゲのお菓子。
口にいれるとふわふわと頼りなく儚げに溶けていく。
前からうちにあった、輪島塗の小皿に乗せたら意外にかわいい。


これは、先日買ったつげの櫛。
つげの櫛を使うと髪のつやがとてもよくなる。



ふふふふ。
実はこれ……

こんなに小さい。
髪用ではなく、髭用である。
夫の髭の手入れ用に買った。
これで、夫の髭もつやつや、ぴかぴかである。(ほんとに?)

これ買ったその場で、裏側に夫の名前も入れてもらえた。

こういう、ささやかな贅沢をすると、
よしっまた頑張るぞって気分になる。







節分に向けての飾り

2007年01月26日 | 日常
先日デパートでこんな可愛いのを見つけた。



これ、いろんなポーズの鬼がいた。
悪いことから私たちを守ってくれるそうだ。
ひとめで気に入って、うちに来ていただくことにした。

鬼は昔話では悪者扱いが多いが、
私はキライじゃない。
なんだか愛嬌があって、ちょっと切なくて、
ほんとは結構いい奴が多いと思う。
村人にまんまと騙されて利用される可哀相な鬼の伝説もあったりするし。

鬼の伝説が生まれた背景には、
多分異形のもの、異質なものを排他してきた日本の風土があると思う。
何かの拍子に、日本に流れ着いた外国人を初めてみた人が、
身体も大きくて、髪も縮れて、声も大きく何を言っているか分からないため、
鬼と名付けて嫌ったのだろう。
そういう題材の芝居、あったっけ。

鬼なんかほんとはいない。
いるとしたら、それは自分自身の心の中だと思う。
だからこういう可愛い顔をした鬼を見るとほっとする。

これは、娘が生まれたときお祝いに頂いた絵。



千の倉より子は宝。
なかなかいい言葉である。

毎年、こんなのも飾る。

鬼は外、福は内というが、
これは鬼も福も寄り添っている。
というわけで私は、「鬼は外」とは言いたくない。

あと、定番のこれ。



後ろ姿がなかなかいいでしょ?

第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その44

2007年01月25日 | 芝居
ロボットさんに個人的に呼ばれた私だったが、
以前のようにウキウキしたり、何か期待したり、
いろいろ妄想することはなかった。

これだけ、こちらがうるうるした瞳で密かに見ているというのに、
今まで全く気づかないでいた人が、
唐突に何かリアクションを起こすとは思えない。
何か用事を頼まれるか、下手したら叱られるか、
そんなところだろうと、
なんとなく足取りも重くロボットさんの待つ事務所に行った。

「pecoちゃん。プロンプしててボクが台詞とちりやすいところとか、
 全部メモしてたよな?」

「はい。してあります。」

「悪いけどさ、稽古が始まる前とか、合間とかに
 ボクが台詞を覚える相手をしてくれないか?」

「私が、ですか?」

「そう。日中は仕事が忙しくて覚えるヒマないし、
 稽古終わってからも劇団の雑用が残ってるし、なかなか時間とれないから、
 みんなに遅れをとってるからな。
 相手がいて覚えたほうが入るのも早いから。」

「はい。分かりました。」

ふだんは、私のことなど鼻にも引っかけないロボットさんだったが、
プロンプで少し頑張っていたところを認めてくれたのだろうか。
劇団員として、それは嬉しかった。

それからは、時間を見つけて稽古場の片隅や、
稽古場の外を利用して2人で向き合い、
台詞を覚えるための手伝いをするようになった。
ロボットさん以外の台詞を私が読み、
ロボットさんが台詞を言う間、間違いがないか台本をチェックする。
詰まれば、間髪入れずプロンプする。

ロボットさんは、台本を正確にきちんと一言一句
間違わずに言うタイプではなかった。
わりと大雑把に、その言葉に類したことを適当につなげて
それなりにまとめてしまう悪い癖がついていた。

今回の芝居は、微妙な台詞まわしが面白かったりするので、
やはりそれはいけないのではないかと思い、
かなり細かくチェックする私を

「そこは、いいだろ」とか
「似たようなもんだろ」などとうざったがるロボットさんに、

「ダメです。ちゃんとやってください。
 他のキャストはきちんとやってるんですよ!」と、

ここぞとばかりに強気に主張した。
どうせ、私のことを女性として見ていないのだろうからという、
軽い開き直りもあったとはいえ、
年齢もキャリアも立場も上の人に、
強気発言をする私も私だったが、
負けず嫌いのロボットさんはそれが逆にバネになったのか、
どんどん台詞が入っていった。

これがきっかけになり、ロボットさんは
いろんな用事を私に気軽に頼むようになっていった。

つづく。

あるだけ、まだまし

2007年01月24日 | 日常
うちの放蕩娘の誕生日が近づいている。
放蕩娘と呼びつつも、うちの甲斐性でさせてやれる放蕩なんて、
たかが知れているのだが、
まぁ今は出来うる限りの放蕩をさせてやりたいという夫に従い、
好きにさせている。

ここ数年、娘は本当に大変な経験をした。
とくに昨年は彼女にとって、
それまでの人生の中で一番辛い時期だったと思う。
昨年は私との関係もうまくいかなくなり、
夫も私も娘も、それぞれの立場で悩み苦しんだ。

しかし、そんな彼女も周囲の方々の支えのおかげで、
少しづつ自分を取り戻し、
新たなやりたいことや目標や人間関係を築き、
歩み始めている。
私にも手紙やメールをマメにくれるようにもなり、
先日はステキなおみやげまで送ってくれ、
このブログにも書き込みをしてくれた。

生まれてきてくれてありがとうの意味をこめて、
今年の誕生日には記念になるものを贈ろうと、
先日から密かに探していた矢先のこと。
そういえば、最近放蕩娘からメールがないなぁと思っていたら、
昨日夫の携帯にメールが来た。

誕生日プレゼントのかわりに、
○○を習いたいので、その受講費を出してください。

……誕生日プレゼントのリクエストメールだった。

何がほしい?とか
どうしてほしい?とはこちらから聞いてもいなかった。
私たちが選んだプレゼントを送って、驚かそうと思っていたのに、
リクエストされてしまった。

娘に甘い夫は、「全額はムリだから半額援助でどう?」
と返事したらしい。

誕生日プレゼントを、聞かれてもいないのにリクエストする娘も娘なら、
それを半額に値切る父親も父親である。

勝手にしろ。

と、ここまで書いてふとパソコンのメールチェックをしたら、
放蕩娘からメールが来ていた。

「父から半分。母から半分で。ご検討下さい。」

呆れて、あいた口がふさがらない。
あいた口から流れ落ちるのはよだれではなく、涙かもしれない。
我に返って無理やり口を閉じた。

だいたい、わがやは夫と私でそれぞれが財布を握っているわけではない。
そのへんを分かっているのかいないのか。
まったく、やれやれである。
結局、私の母が残り半分を出すというかたちになった。


あれこれ選ぶ楽しみを失った私は肩すかしである。
先日皆さんに自慢した、あの南国みやげも、この誕生日プレゼント指定のための布石だったのか。
娘の「真心」に涙した私だったが、あれは「下心」だったのか。
母の前でぶつぶつ言っていたら、母がお茶をすすりつつこう言った。

「真心も、下心も、どっちも「心」はある。
 心があるだけ、まし。ありがたい、ありがたい。」

かあさん、あなたはすごいです。
その境地に早く私も達したいものであります。

ちなみに、このちゃっかり者の放蕩娘と同い年のとき、
私はすったもんだの末、夫の妻になっていた。

ある意味、何かの報いか?










お買い得品

2007年01月23日 | 日常
私のボディは、順調に増量中である。

娘がまだ小さい時に、私の喪服を買いに行った。
ベテラン店員が私にすすめたのは、
その当時の私にはぶっかぶかのサイズのものだった。
え~っ?これぇ?まじで?
呆れる私にその店員は胸を張って言い切った。

「喪服はそうそうしょっちゅう買い換えるものではございません。
 奥さん。サイズは必ず変わります。
 親戚のご不幸の場合は、
 喪服を着て立ったり座ったり、動きまわることも多いです。
 奥さんが大きめサイズを買っておいて良かったと思い、
 この私に感謝する日は必ずやってきます。」

………やってきた。
先日、ものすごく感謝した。
ありがとう、喪服売り場のベテラン店員さん。


喪服は、ベテラン店員さんのおかげでジャストフィットサイズだが、
外出着はきつきつである。
夫が見かねて、先日バーゲンで少し買ってくれた。
普段着はごまかしがきくが、外出着となると、
やはりサイズが変わるたびに買い換えないと
気の張る相手と会う時などは格好がつかない。

「まったく金のかかる女だ。けっ。」

と、顔は笑っているが、ずばり本心を吐露する夫。
こればかりは、私といえども反論できない。
出産後からすこ~しづつ、すこ~しづつ、
ここ数年は分かりやすいかたちで、
大幅に増量を続けているのだから。

でもね。
ほら、靴でも布でも、使い込んで年月がたつと
減っていくじゃない?
だけど、私は結婚してからどんどん増量してってるんだよ。
これってある意味、すごいお買い得だったってことじゃないの?
ね、ね。

と、言ってみた。
そしたら。

その増量のために飲んだり食ったりした酒代やお菓子代を考えると、
コストパフォーマンスは低い。
ていうか、ボクはあんたに増量しろと言ったことは一度もない。

と、静かに言われたので、

言われてもいないのに、大きくなる私。
かなり気が利くとは思わない?
中国では奥さんが太っていることが、夫の甲斐性の証だったんだよ。

と食い下がってみた。

言ったことがないということは、望んでいないってことだ。
そして、甲斐性の証とはいつの時代の話しじゃっ。
それが甲斐性の証というのなら、ボクは甲斐性なしでけっこう!

と一喝された。

おかしいなぁ。
かなりお買い得な女房だったと思うんだけどなぁ。
あらゆるサイズの状態をお楽しみいただけ、
すり減ることもなく長持ちしてるんだからさぁ。

ま、成人病には気をつけないと、返品される可能性はある。
ああ、保証期間は過ぎてるから、いいか。
返品不可。

あ…廃棄処分てのもあるか。

う~ん。






ウソ、大げさ、まぎらわしい

2007年01月22日 | 夫ネタ
先日、夫とテレビを見ていると何人もの既婚男性が、
インタビューで
「家族が生き甲斐です」とか
「家族あっての自分です」とか
「家族がいてこそ今の自分があります」とか
「家族のためならなんでもできます」みたいなことを応えていた。

それらは、ひとつの番組や企画のなかでのインタビューではなく、
いろんな番組やドキュメンタリーのなかで
たまたま似たようなコメントを答える人がその日、重なったのである。

「あ~、そこまで言ってもらえると嬉しいよねぇ。」

結婚後一度たりとも、私に向かって面と向かって感謝の言葉や、
ねぎらいの言葉、愛情あふれる言葉をかけたことのない夫に
軽くアピールしてみた。

「え?そうかぁ?ウソくさくないか?」

きょとん顔の夫。

「ウソくさいって、何?」

「ボク、べつに生き甲斐は家族じゃないし。他にあるし。」

そ、そうですか。

「家族がいなくても、ボクはボクだし。」

あらまぁ。左様で御座いますか。

「家族のためならなんでもできますって、おい、おい。ぷっ。」

いや、おいおい、と言われるのはあんただろ。
喧嘩売ってるのだろうか、こいつは。

そういえば、結婚してすぐの頃、
東京に芝居を観に行き、ご機嫌で2人でお酒を飲んでいたとき
「あ~私はあなたと結婚して幸せだわ」と私が言った際に、
「そ~やろ、そ~やろ。お前はボクと結婚して幸せやろ。
 ま、ボク自身は誰と結婚しようが幸せになれたやろうけど。」
といらんことを言い、大げんかしたことがある。
この人は、そういう人だった。

それにしても、なんだか腹の虫がおさまらない。
ぷんぷん顔の私に気づいたか、気づかなかったか知らないが、
夫はこう言った。

「家族を大事にすることは、当然のことやろ。
 それをあえて生き甲斐だの、
 家族のためになんでもできるとか言った時点で
 ウソくさくなると思うぞ。
 あんなことしゃあしゃあと言う奴は、
 ウソ、大げさ、まぎらわしいで、ジャロに言ってやりたい。
 口に出した時点で安っぽいだろ。
 それに、家族以外に生き甲斐のない男なんて、魅力的じゃないと思わんか。」

これを、利己主義、自分大好き人間の言い訳ととるか、
孤高の不言実行男の本音ととるかは、微妙なところである。

さぁ、どっち!

聞き間違い

2007年01月21日 | 日常
ふだんの私と交流のある方はすでにご承知のことと思うが、
実は今度、地元で舞台に立つ。
詳細は、こちらのブログではあえて触れないが、
東京から、演出家をお招きして、
オーディションに受かった地元の演劇人による舞台である。

夫と私は脇を固める、亭主と女将役である。

はい。
夫婦で、夫婦役を恥ずかしげもなく演じることになった。

仕事で夫婦役を演じることはしょっちゅうだが、
趣味の舞台で夫婦役を演じるのはこれで2回目である。
やりやすいといえばやりやすく、
やりにくいといえばやりにくい。

よく、人から「家でも稽古できていいですね」と言われる。
……しない。
家で2人で稽古はしない。
ビデオの仕事やイベントの芝居の仕事の時は話しは別だ。
が、趣味の舞台の時はしない。
演出家がいないところで、2人で稽古してもろくなことにならない。
たいてい、お互いの演技にケチをつけるか、
自分の失敗を相手のせいにして、
険悪なムードになってしまう。
だからしない。


稽古はまだ始まっていないが、友人たちに
チケットを買ってもらうための宣伝活動はすでに始めている。
先日友人に
「今度、おかみ役で芝居に出るから見に来て。」と電話した。

「わ~、pecoにぴったりの役やん!面白そう~♪」

めちゃくちゃ好感触の反応に、ちょっととまどいつつも悪い気はしない。

「え?そう?私にぴったり?」
「あんたしかおらんやろ、その役するのは今の地元演劇陣のなかで。」
「いやん。おだてすぎやわ。」
「どんな芝居になるか楽しみ。」
「うれしいな~、そこまで言われたら。」
「なかなかないやろ、そんな役が出てくる芝居?」

ん?
なんか話しがおかしいぞ。

「で、旦那さんとあんた夫婦役ってことは、旦那さんはひょっとこ役なの?」

はぁっ?

…………おかみ役をおかめ役と、聞き間違いした友人よ。
私の滑舌が悪かったということにして許してやるから、
チケットたくさん買ってくれ。

「マリー・アントワネット」公開日

2007年01月20日 | 日常
今日から、映画「マリー・アントワネット」が封切られた。

さっそく見てきた。
公式ホームページは こちら

私の世代は池田理代子さんの「ベルサイユのバラ」世代である。
リアルタイムで、楽しんだ。
私の友人などは、本気で劇画のなかのオスカルや、アンドレや、
フェルゼンに恋をする者もいた。
その流れで宝塚のほうに傾倒していく子も何人もいた。
私は、まぁそこそこ楽しんだ部類である。

で、その「ベルサイユのバラ」ファンのほとんどから
この人はどうなのよ…と、醒めた目で見られていたのが
マリー・アントワネットである。
私も当時は、そのあまりの奔放ぶりと贅沢ぶり、
国政への無関心さに呆れていた。

高校で世界史でフランス革命のことを学んだときも、
虐げられた民衆の血税で贅沢三昧を続けたあんぽんたんな人…
というイメージを強めただけだった。

が、しかし。
この徹底的に「マリー・アントワネット目線」で描かれた映画の予告編を見て、
これは絶対見に行きたいと思った。

これは、ふりふりひらひら、キラキラぴかぴか、カラフルでかわいい
そんなお姫さまに憧れて、
ぬりえやイラストを描いていた『昔の乙女たち』にはたまらないテイストである。
どの場面にも息をのむほど美しいドレスや宝石や髪飾りや小物やお花やケーキ、
天使のように可愛い子供たち、
愛らしい小型犬が散りばめられている。

大人になった私は、さすがに実生活ではもうそういう趣味は影に隠れているけれど、
小さいとき憧れたお姫さまの生活が目の前に広がる。

この際、その贅沢は何万という民衆の苦しみの上に成り立っているとか、
彼女がフランス革命で断頭台の露と消えることとかは、
ちょっと横に置いておいて、
その世界を楽しもうと思った。

しかも、ロケはベルサイユ宮殿で行ったと言うのだから驚きである。
実際、マリー・アントワネットが過ごした部屋や庭園を使っての撮影。
これは見に行かないわけには行かんぞ~っと封切りを待ちわびて、
初日に行ってきた。

豪華な衣装やセットにため息をつき、
美しい女優やかわいい子役、愛らしいわんこに和み、
存分にその世界にひたることができた。
音楽も、あえてポップなものを使っていたが
違和感なく聞けた。


でも、これはとても孤独な女の子の物語だ。
豪華で美しいドレスと宝石に身を包み、
食べきれないほどの料理やお菓子に囲まれ、
日夜賭け事やオペラ観劇やパーティーに興じていても、
寂しくて寂しくて、
大きなプレッシャーに押しつぶされそうになっている
孤独な彼女の心の悲鳴が聞こえてきそうだった。
キライだったマリー・アントワネットのことが、
愛しくなった。



ネタバレになるので、詳しくは書かないけど、
終わり方がちょっと不満。

女の子(現役の女の子も、元女の子も)が大好きなものが
目白押しで画面に出てくる。
難しいことを考えずに楽しむこともできる。

お時間のある方は、ぜひ。



第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その43

2007年01月19日 | 芝居
初めてプロンプをしたとき、
役者たちからはブーイングの嵐だった。

台本を目で追うことに気をとられて、
役者の動きや状況に目がいかず、
台詞がつまった役者に気がつかなかったり、
稽古中に変更になっていた部分に気がつかず、
前のままの台本の台詞をプロンプしたり、
一言きっかけの台詞さえ言えば、
あとは出てくる役者に対して、
だらだらとプロンプを続けて「もういいから」と言われたり。

とにかく失敗の連続だった。
こちらは一生懸命やっているのに、
その思いは空回りし、逆に迷惑をかける。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった……
わけではなく、私は腹がたった。

そんな言い方しなくてもいいのに!
そりゃあ、私はプロンプ下手かもしれないけどさ、
なんだい、そのキツイ言い方。
えらそうに。
台詞を覚えてないそっちが悪いだろうがっ。
くそ~。

と、心の中で逆ギレした。
今思うと、なんてとんでもない奴だ、昔の私。

役者たちは、稽古以外の時間ではみんなとても良い奴らだった。
しかし、当然といえば当然だが、
稽古となると真剣で、良い意味で自分を大切にしていた。
どんくさいプロンプターに稽古の流れを止められるのは
イライラしたことと思う。
多分、私が逆の立場でも同じような態度をとったはずだ。

だが、若くて精神的にお子ちゃまだった私には、
そのあたりが分からず、とにかく腹がたった。

かといって、真っ向から文句を言う勇気もなく、
とにかくその腹立ちを
「じゃあ、文句を言われないような完璧なプロンプをしてやる」
という方向に持っていった。

何度かプロンプをしているうちに、
その役者、その役者のクセや間が分かってきた。
台本を目で追っているだけでは、
プロンプのタイミングが遅れることも会得したので、
声を出さないで、役者の台詞にあわせて台詞を頭のなかでつぶやくと、
役者が詰まったと思った瞬間に、さっと次の台詞を出すことができた。

役者によっては、台詞があやしくなると決まった動作をして、
プロンプを促す。
その動作を見落とさないように、
台本と役者の動向の両方が視線に入るように台本の持ち方を変えてみた。

間違える部分がいつも同じ役者には、
その部分をチェックしておいて、
稽古のあと、どの台詞のどの単語を、
どういうふうに言い間違えることが多いかということを
さりげなく伝えた。

こうして段々、あからさまにブーイングが出ることはなくなっていった。
そんなある日、稽古の合間にロボットさんが私を呼んだ。

つづく。

癒しの声で指示を出す

2007年01月18日 | 仕事
実はまた仕事の合間を縫って、岩盤浴に行ってきた。
前回、マシントラブルとかでイマイチ汗をかけなかった
お詫びでもらった無料券もあるので、
それを握りしめていってきた。
今日はばっちり。
昨日顔についた、寝癖の縦皺の件もあり、
お肌は大事にしないとね。
あ、昨日の縦皺は結局昨日の午後4時すぎに消えた。

そんなわけですっかり岩盤浴好きの私。
夫にもぜひ行ってみるようにすすめるのだが、
首を縦にふらない。
というのも、岩盤浴は女性専用のところが多く、
男性ができるところは限られている。
で、そのなかのひとつの館内ナレーションを
先日私の声で収録してきた。

私が行っているところは、岩盤浴の入り方などの説明は、
受付でスタッフがし、あとはロッカーに説明書きが置いてある。
時間も、各自が枕元の砂時計で自己管理をする。
私がナレーションをしたところでは、
それらを、声でご案内するらしい。

癒されに来ているお客様が、ゆったりした気分で聞くことができる
癒し系ボイス…ということで、私に白羽の矢が立ったらしい。
優しく、穏やかに、それでいて内容がきちんと伝わるように。
というディレクターの指示どおり、
これ以上優しい声は生まれてこの方出したことはないわ的な声で、
原稿を読んだ。
それでも、「もっと柔らかく」と言われる。
思い切って、息を吐きながら囁くように読んでみた。
………エロくなってしまった。
違う。
癒しの方向性が違う。

ああでもない、こうでもないと、
ディレクターと共に試行錯誤し、
結局お母さんが耳元で子守歌を歌う…
みたいな声を出しやっとOKをもらう。

そうやって、苦労して吹き込んだ私の声が流れる岩盤浴の店に、
夫は行く気がしないというのだ。

なんだとぉ~。
あ~ん?
私の声では不満だというのか?
文句があるのか、私のとびきりの癒しボイスに。

どうも、家の外でまで私にあれこれ指図されたくないらしい。
実は、大病で長期入院した病院の消灯を告げるアナウンスも私の声だった。
毎晩毎晩、入院先で女房の声で
電気を消して早く寝るように命令されるのがイヤだったらしい。
知るかっ。
こっちは仕事じゃいっ。

そいういえば、先日うちの放蕩娘も
「ポイントカードの精算機にカードをいれたら、
母の声でああしろ、こうしろと指示された。」
と言っていた。

友人からは、
「水族館でお魚ショーを見ていたら説明の声があんたで、
 その帰りに寄ったスーパーでもあんたの声で、
 この野菜を買えだの、この肉が安いだのと指示された。
 その夜行ったスパ施設でも、あんたに入り方を指示された。
 あんたは昔から人に指示するタイプだったから、
 それを仕事に生かしているのか」
と、苦情とも思い出話ともつかないことを言われた。

知らんがな。
来る仕事は、ほぼ全て引きうけているだけだ。
声の職人と呼んでくれ。
サッチャー元首相がこちらで講演した際の番組で、
彼女の声の吹き替えをしたこともあるし、
全国でオンエアされるドキュメンタリーのナレーションもしたことがあるが、
ちり紙交換や、竿竹売りの声の録音もしたことがある。

指示したくて、命令したくてやってるわけではないが、
どうも私と近しい存在の人たちには、
身近なところで思いがけず私の声が流れると鬱陶しいらしい。


というわけで、夫は頑としてその岩盤浴には行かないようである。
行けよ、全くもう。







受け止めがたい事実

2007年01月17日 | 日常
ショックだ。
こんなに愕然としたのは、どれぐらいぶりだろうか。
あまりのことにわが目を疑った。

事実を粛々と受け止められるほど私は人間ができていない。

力なくがっくりと肩をおとし、
我が身の行く末を案じる私の隣りで夫は、
肩を震わせ、必死に…笑いをこらえていやがる。
 
このクソ親父がっ!


今朝、珍しく悪夢を見ることもなくたっぷりぐっすり寝て、
ご機嫌で起きてきた私。
丁寧にいれた緑茶を、ゆっくり味わい、
のんびりと朝食の支度をした。
支度が調い、夫を食卓に呼ぶと、
席につくなり夫は私の顔を見て大笑いした。

「がははは。なんやその顔。」

失敬な。
たしかに美人ではないが、
大笑いされるほどひどい顔でもないはずだ。
永年連れ添った妻の顔にそろそろ慣れたらどうだ。
せっかくのご機嫌の朝の気分を害され、むっとしていると、
夫は続けた。

「鏡、早く鏡見てみ。」

と笑いながら促す。

しぶしぶ戸棚から手鏡を出し覗いた私は悲鳴をあげた。
そこに映っていたのは…
左目の目尻のちょっと上から左頬の中央にかけて
くっきりはっきりとついた
深くてふと~い1本の縦皺だった。
その1本の縦皺を黒いペンシルでなぞったら、
おそらく筋肉少女隊の大槻ケンヂのメイクみたいだ。

「ギャハハハ。や~い大槻ケンヂ~。」

やたら嬉しそうな夫。
「や~い大槻ケンヂ~」
と言われることが嬉しい人もいるかもしれない。
大槻ケンヂのエッセイは面白いから読んでいたが、
彼のコスプレをしたいわけではない。
夫の「や~い」という言葉に段々むかついてくる。

ていうか、起きてからかれこれ1時間半はたっているというのに、
消えないこの縦皺。
そっちのほうが心配になってきた。

子供の頃、畳の上でうたた寝すると、
ほっぺたにくっきり畳の目のあとがついたりしたが、
起きるとすぐにあっという間に消えていた。
お肌にはり、つやのあったあの頃。

そうなのか?
そういうことなのか?
お肌のはりのなさが、招いたことなのか?
あと、考えられるのは顔の肉付きがよくなりすぎ、
横になったときに余分な顔の肉がお互いを押し合いへしあいし、
その重さでよりくっきりとした皺になったのか?

左頬を下にしてぐっすり寝た際の肌の寝癖がとれないというのは、
そういうことなのか?

朝食もそこそこに、洗面所で頬をひっぱたり、
化粧水で丹念にパッティングしたり、
マッサージをしたりしてみた。

とれない。
悪い意味での形状記憶肌なのか?
縦皺の入った顔にメイクするのもどうかと思い、
メイクはあきらめた。

午前中に、今年初めて行くスタジオでナレーション収録がある。
そこには、ちょいとステキなミキサーの彼がいる。
大槻ケンヂもどきのすっぴん顔で彼にあうのは悲しい。

仕方ないので、うつむきがちに挨拶し、
原稿を受け取るとすぐ、左頬にほおづえをついて
コメントをチエックするポーズをとる。
不自然だ。
いつもは、軽く雑談をしていくのだが、
そそくさと逃げるように帰った。

帰りに寄ったスーパーでも、
左頬に左手をあてる主婦のスーパーの定番ポーズともいえるポーズで、
いかにも献立に悩む主婦のふりをして、
顔の縦皺を隠しつつ買い物をした。

誰も私の顔の縦皺なんて見ていないに決まっているという思いと、
いやいや、きっと気づいた人は心のなかで、
「ぷぷっ。あの人、顔の寝癖とれないんだ~」
と笑っているに違いないという自意識の闘いに疲れ果て帰宅。

帰宅して昼食の支度をしている時点でもまだ縦皺は消えていない。

さすがに私の落胆ぶりに同情したのか夫は、
「朝より、ちょっと薄くなってるぞ。」
となぐさめる。
鏡にうつる自分の顔にため息をつく私に、
何を勘違いしたのか母は、
「太ってるほうが、貫禄があっていいじゃない」
と的外れな励ましをする。

かあさん。
あんたは、しばらく発言禁止。

結局この文章を書いている午後3時現在、
まだ縦皺は肉眼で確認できる程度に残っている。

私はこれから、この顔の縦皺とともに生きていかねばならないのか。

思いっきり、顔にアイロンをかけたい気分である。



てか、皆さんはどうです?
顔に寝癖の寝しわつきます?
そしてそれはすぐにとれたりします?