招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

化粧前

2007年02月28日 | 芝居


これは、公演の楽屋の化粧前の写真。
化粧前というのは、役者がメイクをするスペースのこと。

役者によっては、こんなふうに道具を並べない人もいるが、
私はふだんとの違いを意識するために、
こんなかんじでいつも並べる。

メイク用品やおしろいの粉で机が汚れないように、
手ぬぐいを敷き、その上に使うものをずらっと並べる。
ブラシ系がやたら多いが、使っているのはごく一部。
でも気分を盛り上げるために、並べておく。
今回は着物用のメイクなので、アイシャドウなどは種類が少なく、
その分ほお紅の色を何種類かと、
口紅の色を混ぜて使うので、何本か置いてある。
ここに乗り切らないものは、クッキーの缶にいれて足元においてあるので、
随時取り出して使う。
メイクは下手で苦手だが、公演用にメイクする時間は好きだったりする。

この他に、リラックスするためのアロマスプレーとか、
好きなぬいぐるみとか、絵はがきを飾る。

というわけで、明日から数日間はばたばたと忙しい。
更新も滞りがちで、皆さんのところにも
なかなかお邪魔できないかもしれないけれど、
どうかご容赦を。

うちの放蕩娘が、2年ぶりくらいに実家に帰ってくる。
舞台を観るためである。
私が放蕩娘と会うのも1年数ヶ月ぶりである。

放蕩娘が舞台を観て、私に言いそうな辛辣な感想が今から予想される。
見せる前に美味しいものでも食べさせて、買収しておこうかな。

猫タイプ、犬タイプ

2007年02月27日 | 日常
よく、人の性格を猫タイプと犬タイプに分けたりする。
勝手気ままで、協調性がなくて、でもどこか憎めない猫タイプと、
生真面目で、人なつっこくて、
信頼した人にはどこまでもついていく集団行動の得意な犬タイプ。

私はおそらく犬タイプだろうと思う。
そのためか、若かりし頃は猫タイプの人に心ひかれることが多かった。
ま、今だって「あら、ステキね」と感じるのは猫タイプ。
しかし、一緒に何かをするとか、
仲間として行動するには断然犬タイプの人のほうがやりやすい。

で、最近自分の年齢のこともあってか、
とくに若い男の子なんかは
子イヌタイプの子がかわいくて仕方ない。
懐かれると、なんとかしてやりたくなる。
見捨てられた子イヌのような濡れた目で振り返られると、
おお、そうかそうか、よしよしという気分になる。
なんとか、私が手なずけて…もとい、指導して、
立派な成犬にしてやろうじゃないかっ!という気分になる。

もしかして、この子イヌは将来は
立派な日本おおかみになるかもしれんじゃないか。
と思うと、なおさらよっしゃぁ~~~っという気分で、
面倒を見たくなるのである。

しかし、こうしてダメにしてしまった場合も多々あったので、
このへんのさじ加減がむずかしい。


あ~、こんなことを感じるのはおばさん化現象のひとつかもなぁ。

悪あがき

2007年02月24日 | 日常
粉末コラーゲンなるものを買った。
飲み物や、味噌汁、スープ、カレー、
ご飯を炊くときなどに混ぜ込むと
お肌にいいそうだ。
スーパーの片隅で見つけて、
わらをもつかむ勢いで握りしめ、レジに直行した。
公演が近づき寝不足気味で、いまいちお肌の調子が悪い。
顔の部品がお粗末な私は、せめてその部品が並ぶ土台だけでもちゃんとしておきたい。

こういうのを、泥縄とか、
付け焼き刃とかって言うんだろうな。


ま、気安めにはなるだろう。
効果のほどは、おってご報告しましょう。


髪型

2007年02月23日 | 日常
舞台の本番で髪をアップにすることになった。

付け毛を後方につけ、前髪を横に流し、
頭頂部は逆毛をたててぐんとボリュームをもたせた。
良く言えば古株の芸妓さんとか、日舞のお師匠さん、売れない演歌歌手…
みたいなそんな感じのヘアスタイルである。
女将だからね。

自分ではセットできないので、知り合いのお店でセットしてもらう。

演出家に髪型のOKをもらうため、
前もって本番と同じ髪型にして昨日の稽古前に見せに行った。
メインの大事な役をする女優には、
ウエーブの出方だの、耳の隠れ具合だの、頭頂部のボリュームの増減だのと
細かい指示が出ていたが、
お賑やかし的存在の私は、ひと目見るなり
「あ、いいんじゃない。それっぽくて」
ですんでしまった。

いいのか、それで。
もう少し、かまってほしい。
ウエーブとか、付け毛のボリュームとかさ、
アドバイスはないのか?
さみしいぞ。

もしかして密かにど派手な髪飾り
(密かにド派手な、というのはかなり矛盾してる・笑)をつけたとしても、
気づいてもらえないかもしれない。

くそっ、つけるぞ。まじで。

稽古場で、稽古着の着物を着てそんな髪型でいる分には
全く違和感はないのだが、
自宅で普段着を着て、そんな頭でいるとかなりおかしい。

コピー機のセールスに来た営業マンが
あきらかにどん引きしていたのが分かった。
お米の共同購入の集金に来たご近所の奥さんも
宅急便の配達のお兄さんも、
まじまじと私の大きな頭を見ていた。

いっそのこと「どうしたんですか?」と聞いてくれれば、
説明するのだが、なぜかそのことに触れてはいけないかのように、
みんないっさいその話題に触れないので、
こちらからあれこれ言うのもなんだか気が引けて、
やけにボリューム満点の髪型なのに、
すっぴんでごくふつうの普段着を着て、
ごくふつうに主婦の仕事と会話を繰り広げる
おかしな人として存在することになる。

昨日も今日も、たまたま仕事が入らなかったので外出せずにすんだ。
これで、この頭でスーツを着て
システム手帳を開きつつ携帯電話をしていたら、
それはまるでクラブのママさんの空き時間の営業風景みたいに見えると思う。
そう言うと、横で夫は「お前みたいのがママさんのクラブには行きたくない」
とつぶやきやがった。
ふんっ。

今晩の稽古が終わったら、いったん崩してしまうからいいけど。

あ、せっかくこんな頭なので昨晩は、
稽古のあと、夫のお酒を準備するとき、
あまり流行っていない飲み屋の女将さんと
そこに通う馴染みのしがない中小企業の社長という設定で
遊んでみた。

結構楽しかった。









コンプレックス

2007年02月22日 | 日常
字が汚い。

自分の書いた字を見るたびにうんざりする。
最近は手書きする機会は確かに減ったが、
芝居の稽古中は、手書きの字を書かざるを得ない。

公演のご案内を親しい人にお送りするとき、
印刷やコピーにサインだけしたものより、
手書きの手紙のほうが断然チケットを買ってくださる確立が高くなる。
だから、恥を忍んで手書きのお手紙を書く。

心はこめて静かに相手のことを思い、
美しい便せんを選らんで書いてはいるのだが、
そこに書かれた文字は汚い。
一応判読はできるが、いかにも頭の悪そうな、
大雑把そうなそんな文字が踊っている。
破り捨てたい気持ちを抑え、
(だっていくら書き直してもきれいな字はかけないから)
諦めムードを漂わせて封をする。

稽古中には演出家のダメ出しや、
台詞の変更を台本に書き込んだりするのはもちろん手書き。
普通に丁寧に書いても汚い字は、
当然焦って殴り書きした台本の書き込みでは、
汚いなんてもんじゃない。
字というより、記号、象形文字か?
という状態である。恥ずかしくて人に見せられない。
それでも、ここの台詞、どう変わりました?
などと聞かれると、見せざるを得ない。

恥ずかしい。
靴を脱いだら、靴下に大きな穴があいていた…というくらい恥ずかしい。

私は、なぜかきれいな字を書く人だと誤解されることが多い。
で、実際私の字を見た人は驚く。
多分、がっかりもしていると思う。

披露宴会場や展覧会などで、芳名帳に筆ペンで記帳するとき、
自分の後ろの人が「くすっ」とか「ぷぷっ」と笑っているような気もする。

きれいな字で書かれたものを見ると、
なんだかすごく美人で頭の良い人が書いたように思える。
うらやましい。

ゆっくり書けばいいんだよ。
とアドバイスをしてくれた人もいるが、
私はどうしても字をゆっくり書けないのだ。
せっかちなので、次々頭に浮かんだことを文字にしてしまいたい。
手紙のように下書きしたものを清書する場合ですら、
なぜか焦って次々と文字を書きたくなるのである。

お習字は大の苦手だった。
あんなにゆっくり筆を動かすのが、まどろっこしくて仕方なかった。
宿題のお習字は、いつも伯父に代筆してもらっていた。

そのツケを大人になって払っているのである。
字が汚いのは私にとってものすごいコンプレックスである。
私にとってそれは、もしかしたら太っていることよりも、
器量が良くないことよりも
もっともっと大きなコンプレックスである。

きれいな字、憧れるなぁ。

皆さんは字を書くのは好き?
そしてキレイな字を書けますか?


女としての分類

2007年02月21日 | 日常
現在、舞台の稽古の真っ最中である。
今回はプロデュース公演のため、
地元で芝居にかかわるたくさんの人たちが、
キャスト、スタッフとして参加している。
女性が圧倒的に多い。

若い子もいるが、酸いも甘いもかみ分けた、
花も嵐も踏み越えてきた系の女優が、
キャストにもスタッフにもたくさんいる。

稽古スケジュールがタイトなため、
これまではゆっくりみんなで喋る時間がなかったのだが、
ここ最近一緒にすごす時間が長くなったり、
稽古の合間にあれこれ話す時間が増えた。

で、そんななかこんな話しで盛り上がった。

夫は、劇中一瞬だが帽子をかぶる。
それを見て「わ~、インディージョーンズみたい!」
と、ものすご~くいいように解釈して誉めてくれる
地元を代表する美人女優。
相好を崩して喜ぶ夫。
お気に入りの美人女優に誉められて悪い気がする男はいない。
たちまち機嫌が良くなる。

同じ夫の帽子姿を見て「あはは、カールおじさんみたい!」
と、豪快に言い切る地元の実力派女優。
「くそ~っ。麦わら帽子じゃないのにカールおじさんに見えるのか」
と悔しがる夫。
たしかにひげに、帽子はカールおじさんに見えなくもない。
私は実力派女優の観察眼に感心する。


で、実力派女優と私で出した結論は、
女の人の中には
『人を喜ばしたり、のせたり、いい気持ちにさせたり、もりあげたりするボキャブラリー』
を豊富に持っている人と、
私たちのように
『人をやりこめたり、おちょくったり、面白おかしく言ったりするボキャブラリー』
が豊富な人に分けられるということだ。

そんな私たちがムリに人を喜ばせよう、いい気持ちにさせようと、
言葉を探してみてもとっさにステキな言葉が思い浮かばない。
ありきたりな陳腐な言葉しか出てこない。
ところが、へっぽこな男やへなちょこな若者、やる気のないおっさんを叱咤したり、
自分が格好良いと勘違いしている男を批評する言葉は
泉のようにわき出てくる。

ま、どっちがいいかというと、そりゃあねぇ。
男なんておだてて気分良くさせておいて、
なんでもかんでも大変なことをしてもらうほうが使いでがある。

イヤミなくにっこりするっと人を誉めて、
いい気分にさせるというのはある種の才能だと思う。

この稽古場には他にも、怖い物知らずで愛されてウン十年の天然女優、
汚れを知らない初々しい若手女優など、
様々な女のタイプの宝庫である。
舞台裏や、更衣室で繰り広げられる会話はかなりすごい。
20代の女優2人は、酸いも甘いもかみ分けた系の私たちの言動に、
もしかしたらびびっているのかもしれないが、
今のところ言葉少なく、笑顔で会話を聞いている。
その笑顔がひきつっているかどうかは、分からない。






うちのお雛さまたち

2007年02月20日 | 日常
昨年も写真をだしたけど、今年はお内裏様と一緒のところを。




階段の踊り場の小箪笥のうえは、私が子供の頃父に買ってもらったお雛様。
地味で悲しかったけど、今見ると上品でかわいいと思う。
隣の人形は、父が亡くなる数年前に持ってきたもの。



これは、亡くなった伯父が描いた色紙。


こっちは、数年前私が母の誕生日に渡したもの



右は母のお友達が作ってくれたもの、左の貝の飾りは母が昔から持っていたもの



これは、数年前私が衝動買いした紙製の段飾り。



昔から段飾りのお雛様がほしくてしかたなかった。
これなら買えるぞと、買った。
でもほんとは、本物の段飾りの緒雛さまがほしい。
が、買ったところで飾る場所がない。

で、ラストはれいのごとくこれ。


のどぐろ

2007年02月18日 | 美味しいもの
今日は、午前中から午後遅くまで稽古があった。
ばたばたと帰り、冷凍してあったのどぐろを解凍したものを焼く。



これは、このあたりでは一応高級魚の分類である。
お店で食べるとそこそこの値段をとられるのだが、
市場で小ぶりなものを探して、安いときに買っておく。
これは、4匹で1400円だった。
母の身体には青魚を食べさせたほうがいいのだが、
母は青魚の脂っぽさを嫌う。
白身魚が好物だ。
なかでもこののどぐろは、大好物。

適度に脂がのった白身は上品な味わいだ。
焼き魚のなかで一番美味しいのではないかと思う。

ま、こんな顔をアップで見るとちょいと食べるのを躊躇しないでもないが。


すみずみまできれいに残さず食べるのが、
魚に対する礼儀というものだ。

お腹がすいていたので、焼いたところの写真は撮る余裕がなかった。


どこかで見かけたら、ぜひ食べてみて。のどぐろ。
納得の美味しさだ。

心理ゲーム

2007年02月17日 | 日常
ブログ徘徊中に、以前見つけた心理ゲーム。
私は占いはあまり信用しないけど、
こういう心理ゲームものはわりと好きだったりする。
皆さんもよかったらご一緒にどうぞ。

            
        ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



まず1番から11番まで、縦に数字を書いて下さい。

1番と2番の横に、好きな数字(3~7のどれか)を書いて下さい。

3番と7番の横に(興味のある)異性の名前を書いて下さい。

4番・5番・6番の横に、自分の知ってる人の名前を書いて下さい。

8番・9番・10番・11番の横に、歌のタイトルを書いて下さい。

        
              
          ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





さあ、みなさん書けましたか?
ちなみに私は、

  1. 三

  2. 七

  3. 夫

  4. ○○くん (仕事関係の友人)

  5. △△くん (仕事関係の後輩)

  6. ※※さん (演出家)

  7. ☆☆くん (古い友人)

  8. 明日に架ける橋

  9. 宵待草

  10.卒業写真

  11.ソーラン節          でした。


出てくる歌のタイトルが、ふるっ!
私は歌番組を見ない、聞かない、興味がないの三重苦のため、
最近の歌が全然出てこない。
コンサート告知のナレーションをしたりするけど、
実はそのアーチストも楽曲もちんぷんかんぷんだったりする。
時々、ケーブルテレビでプロモーションビデオを流しているチャンネルを
勉強のためにチラ見したりするが、
さっと題名が出てくるほど身についていないのだ。

ま、それはいいとして。
さて、解説はこちら。




































このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えてください。

3番に書いた人は、あなたの好きな人です。

7番に書いた人は、好きだけど叶わぬ恋の相手です。

4番に書いた人は、あなたがとても大切に思う人です。

5番に書いた人は、あなたのことをとても理解してくれる相手です。

6番に書いた人は、あなたに幸運をもたらしてくれる人です。

8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌です。

9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌です。

10番に書いた歌は、あなたの心の中を表す歌です。

11番に書いた歌は、あなたの人生を表す歌です。


どうでした?
私の場合、3番に書いたのが夫の名前だったのが、
無難で良かったです。
実のところ、夫の名前を7番に書こうかどうしようか迷った私。
20数年一緒に暮らしてて、「叶わぬ恋の相手」だったりしたら、
それ、かなりむなしい。
これまでの私の結婚生活を全否定されるみたいな。

で、この7番に書いた☆☆くんとは古いつきあい。
たしかに好感は持っているし、魅力的な奴だとは思うけど、
「叶わぬ恋の相手」とかって診断されると、
次に会う時に妙に意識するじゃないかっ!

4番の○○くんはたしかに仕事がらみで大切にしたい存在。
6番の※※さんは、ほんとにこの方に出会ったことで、
私の可能性をうんと広げていただいたので
幸運をもたらしてくれたと思う。

しかし納得できないのは5番の△△くん。
この子は、どちらかというと私のなかではへなちょこキャラ。
でもなんとか面倒見て、一人前にしてやりたいと思っている子。
それが、一番私を理解しているというのが納得できん。
このへなちょこキャラが理解できる程度の
底の浅い人間だったのか、私はっ!

8番9番10番の歌は、まあそれなりに納得するとしてだ。
問題は、11番のソーラン節である。
私の人生がソーラン節で表されるとは……。
どんな人生じゃっ。

歌が思いつかずに、苦し紛れに書いたソーラン節。

たしかに最近、何をするにも
「あ~どっこいしょ、どっこいしょ」
とは言ってるけどさぁ。

とほほほ。










第二の劇団時代 (波瀾万丈編) その48

2007年02月16日 | 芝居
その感じの悪さを絵に描いたかのような、
先輩警官は私がはずしたポスターをのぞき込み、こうつぶやいた。

「ね~も~。」 

は?
今なんと?
ね~も~って、いきなり何甘えているんだ。
あんたのキャラじゃないだろう?
な~も~なら名古屋出身かもしれないが、
ね~も~って。
などと瞬時に様々なことを考えた私だったが、
ポスターを見て気がついた。

「檸檬」

今回の芝居の題名である。
レモン。
檸檬を誤読したのだ。
それに気がついた私とロボットさんは吹き出しそうになった。
たしかに檸檬という字は難しい。
とっさに書けと言われたら書けない。
が、一応読める。
この感じ悪い先輩警官は読めないだ。
感じ悪いだけではなく、漢字の成績も悪いようだ。

笑いをかみ殺して、若い後輩警官のほうを見ると
彼も軽く肩を上下させている。
やはり、先輩警官に「それはレモンですっ」とはつっこめないようである。
私と目が合うと、
「すみませんねぇ」というようなまなざしだった。

芝居の題名なので、訂正したいのはやまやまだったが、
恥をかかすのもしのびないし、
私たちの公演の題名が「ね~も~」だろうが「レモン」だろうが、
どっちみちこの先輩警官には関係ないことだと思い、
黙っていた。
ロボットさんも同じ考えとみえて、
同じく先輩警官と目を合わさないようにしてあらぬ方向を見ていた。

「おっかしな題名の芝居やな。」

そりゃそうだ。
もしも、「ね~も~」なんて題名の芝居があったとしたら、
ある意味画期的だと思う。
うん。
それはそれでありかもしれないぞ。
いったいどんな内容なんだと興味をひくかもしれない。
などと心の中でつぶやきつつ、
とにかくなんとか1分でも早くその場から逃れたい一心で、
「はい」と「すみません」を繰り返すロボットさんと私。

その心を知ってか知らずか、先輩警官は続ける。
どんな話しなんだ?
おいおい、興味がなかったんじゃないのか?
あんたにゃ関係ないじゃないか?
こっそり電柱にポスターをとりつけていた私たちは確かに悪いが、
こんな深夜に芝居のストーリーを説明しなくてもいいじゃないか。

しかし、ここで口をつぐんでこの警官からにらまれるのも後々困る。
素直にストーリーを説明しようと思い、
私が「学生…」と、言いかけたところをロボットさんが制した。

あっ!
そうだった。
まずい。
正直に説明しないほうが身のためだ。
ここはロボットさんに任せることにした。
さて、その本当の内容とは。
詳細は後日!

つづく。

うれしい悲鳴

2007年02月15日 | 日常
昨日のバレンタインに夫がいただいたチョコの数々。




それから、こちら。
今年は若いかわいい教え子たちから手作りのものをたくさんいただく。


ラッピングもかわいい。


これは、私がぷうさんからいただいた友チョコ。


いろんなチョコとお菓子がいっぱい入った幸せ感漂うセレクト。

実はまだこの他にもあと何人かの方が、
夫に下さるようである。
私にいただいた友チョコも、まだいくつかある。


これ、みんな食べたら確実にウエスト周りはまた拡大化し、
またまたスカートやらパンツやら買い換えねばならないだろう。
母は甘いものが大好きなのだが、
ここ最近食欲が落ちてあまり食べたがらない。
夫も一口食べれば満足してしまう。
かといってせっかくの皆さんの心のこもった品々を
ムダには絶対したくない。

私が食べようじゃないか。

食べた分、動けということか。
これだけ分のカロリーを消費するには、
不眠不休でウォーキングしてもムリかもしれない。

うれしい悲鳴というのは、まさにこのことだ。

キャア~~~~


バレンタインデーに、女たらしについて考察する

2007年02月14日 | 日常
バレンタインデー。

夫に渡すチョコは自分が食べたいチョコレート。
ゴディバ、はり込みました。
ほぼ自分のため。わははは。

稽古場で共演者の男性に渡すのは、あえてチョコではなく
小さいハート型の海老せんべいにした。
おそらく他の女優陣からはかわいいチョコをたくさんもらうだろうから、
あえて海老せんべい。
スタッフの皆さんにも、チョコがけしたおかきを、
私が幹事になり、女優6人連名で用意した。

友チョコ、感謝チョコ、激励チョコ、
それぞれ用意して郵送するものはすでに発送済み。


で、女たらしについて。
女たらし。
久々にこんな単語を口にした。
これ、今朝夫の口から出た単語である。
そういえば、中高校時代異性関係にだらしない奴を
「たらしの○○」なんて呼んでいたこともあったなぁ。
今はほぼ死語かな?

なんでこんな言葉が夫の口から飛び出したかというと、
昨日私が書いた記事に対する
皆さんからのコメントの話しをしていたからだ。
男に愚痴を言っても、同調してくれない、
それどころか説教されたり、分析されたり、指導されたり、
冷静に解決策を語られたりする。
愚痴を言う時、ほとんどの女性はそんなことを望んでいない。
同調してほしいだけなのである。
もしくは、大変だったなとねぎらってくれるか、
お前は頑張っているよ、と誉めてくれるかしてほしいのである。
男は基本的に、女と脳の構造が違うこともあってか、
その辺の心理を全く理解してない!
と夫に伝えた。

そこでおもむろに夫が言った。
「そんなことができる男は、『女たらし』」

……………。
夫の負け惜しみなのか、言い訳なのか、正しい分析なのかはわからないが、
たしかに言い得て妙な気がしてくる。

「あんたら、あんぽんたんな女はそういう女たらしの
 心のこもらない同調を欲しがる。
 だけど、本当に相手のことを想う男は
 心をこめて、その問題をどうしたらいいのかを考えたり、
 相手がどう変わればいいのかを考えたりするんだ」

はぁ。
なるほどね。


でもね、だけどね。
分かっていても、うま~く騙されていい気分になりたい時もあるんだよっ!

人としての器

2007年02月13日 | 日常
ちょっと、いや、かなり気分を害するできごとがあった。

しかしそれを周囲に言ったり、
ことさら騒ぎ立てると私の人としての株というか、
女を下げることになると思い、ぐっと飲み込んだ。

でもはらわたは、煮えくりかえるまでいかずとも、
ふつふつと沸騰直前であった。
夫にだけこそっと言うと、
「そんなことで腹をたてるのは、器が小さいぞ」
と叱られた。
………。
人としての器は自慢じゃないが、小さいと思う。
おちょこぐらいの大きさしかない。
すぐにそこから、いろんな思いがこぼれ落ちる。

器だけではなく、人としての技量も、了見も、懐も、
全てにおいて狭く小さい。
小物である。
大きいのは声と態度と下半身だけである。

しかし私は見栄っ張りだ。
自分の人としての小ささを悟られまいと、
必死に取り繕っている。
年齢的にいろんな場面で仕切ったり、段取ったり、世話を焼く機会がある。
そういうことをするのはキライではないが、
実力が伴っていない。
それでも私の声の大きさと態度の大きさとおっかさん体型で、
勘違いした年下の子たちが頼ってくる。
私自身、若いときにたくさんの先輩たちに助けてもらったり、
可愛がってもらった経験があるので、
頼られると放っておけない。
見所のある若い子たちの力にもなってやりたい。

で、一肌脱ごうとする。
しかし、いかんせん能力が伴っていないのでかなりそれは大変だったりする。
できないことはできない、
やりたくないことはやりたくないと言えれば苦労はしないが、
ついつい誰もしないなら私がするぞ、
と、親分肌気取りになる。

ほんとは、力一杯子分肌なのである。
頼りがいがあり、人望もある親分の後ろにぴったりついて、
あれこれ細かいことに気を廻しているのが性にあっているのだ。

こうしてムリムリ親分肌気取りの子分気質の私は
ストレスをためるのであった。


話しがそれたが、冒頭の私が腹を立てた件に関しては、
べつに人の面倒をみたり仕切ったりという部分でのストレスではない。
ただ、まがりなりにも私を信頼したり、頼ってくれる人がいるのに、
あまりにも私自身が自分の女を下げるような言動をするのはどうかと思い、
耐えるということにしんどくなるのである。

人としての器が小さいのなら、
せめてやせ我慢してでも、知らん顔をしてやりすごす術を持てと
よく夫に言われる。
夫はやせ我慢の美学を唱える。
まぁ、それができればそれに越したことはない。

できないから困っているんだ。

精神的に見栄を張るのやめて、
自分は小物で~す、
子分肌で~す、
頼りないで~す。
根性も性根も悪いで~す。
こんな私でもいい?

と、言う方向で生きていくほうがラクそうだ。

ああ、どっちもできんっ。


街道を走る

2007年02月12日 | 日常
ただいまひたすら街道を走っている。
その名も「デブ街道」
これがね、また快調に走れるのだ。
全く辛くもなく、息切れもせず、
好調なペースでどんどんすすめる。
ラクチンだ。
とりあえず明朗快活で、
腰が軽く、
可愛げがあり、
それなりにこざっぱりしたデブを目指して
日々過ごしている。


「ヘルシー街道」や「ダイエット街道」を走っている知人たちは、
大変そうである。
食べる物の量と質に気を遣い、
運動量を考え、
何度か挫折しながら、なんとも辛そうに走っている。
なかには、良いペースで苦もなくすいすい行く人もいるが、
かなりの数の人がしんどそうに見える。

しかし、ヘルシー街道やダイエット街道の先にあるのは
健康な心身であり、すてきなスタイルである。

そしてデブ街道の行く手に見えるのは
健康であれば女相撲の土俵、
不健康であれば病院のベッドだろう。

う~ん。
ひきかえすなら今しかないか…。
久々に自分が写っている写真を見て、
客観的にそう感じた今日である。

ラッパを吹く天使

2007年02月11日 | 日常
勇気を出して皆さんにお聞きしたいことがある。

配偶者がいる方、もしくは同居するパートナーがいる方、
正直にお答え下さると嬉しい。

あなたは、同居するパートナーの前で『おなら』をしますか?

私はする。
ていうか、むしろ夫の前でしかしていないと言っても過言ではない。
自然現象、くしゃみとかしゃっくりと同じ感覚である。
これが親兄弟の前だとできない。
なんとなくばつが悪い。
もちろん、一歩家の外に出たら、おならなんてしたことがありませんから…
みたいな顔をしている。
緊張感を持っていれば自然と、出ない。

これが夫の前だと出てしまう。
「ボクに対して緊張感がないからだ」と、
自分も思い切り私の前でするくせに夫は言う。
はい。
ありません、夫に対して緊張感。
いくら20数年前私の片思いから始まったとはいえ、
今さら夫に緊張感はもてないし、持ちたくない。

私の周囲の何人かで、
「私はパートナーの前で絶対おならをしないのよ」
と言っていた人全員がその数年後そのパートナーと分かれた。
サンプル数が少ないため、統計的にあてにならないかもしれないが、
私のなかではおならは、
『パートナーに気を許しているかどうか』の基準になっている。

夫は、
「それはお前のだらしなさの言い訳にしているだけだ」と文句を言う。

私は寝ているときにおかしな呼吸をしているのか、
朝方とてもお腹が張っている。
やむを得ず張りを解消するため寝床でおならをする。
「毎朝、お前のおならで爽やかさとは真逆の気分で目覚める
 ぼくの身にもなってみろ」
とクレームがついた。

こう言い返した。
私のおなかには天使がいて、
愛のラッパを吹くのよ。

ん~、我ながらなんてメルヘンな言い訳だ。
自画自賛。