招きねこの手も借りたい

主婦のち仕事、ところによって母、時々芝居。

エア温泉

2009年02月25日 | 日常
ああ、温泉の湯船にざぶんとつかり、

「ふぅ~~~~~っ」

と、言いたい。

そして、風呂上がりにビールをぐびぐびっと飲んで

「ぷっは~~~~っ」

と、言いたい。

豪華な食事を口にして

「うま~~~~っ」

と、叫びたい。

そのあと、冷酒をちびりとやって

「くぅっ~~~、たまらん」

と、言いたい。

ほんで、夫にぴとっとくっついて

「うふん」

と、言いたい。

エアギターならぬ、エア温泉で妄想しつつ
「ふぅ~」だの「ぷっは~」だの「うま~」だの「くぅ~」だの「うふん」だのと
言ってみたが、全然楽しくなかった。




痩せた反応

2009年02月23日 | 日常
ついに体重と各サイズが20代後半のときの数値になった。

反応はそれぞれ。

「だ、大丈夫?元気?」

「わ~、若返ったね。」

「どうやったら、痩せるん?教えて~」

などなど。
大丈夫?元気?と言われるとやつれて見えるのかと心配になる。
大体、数年前までがぽっちゃりしすぎていただけなのだ。

ただ、これ以上は痩せないようにしないと、
年齢的に貧相になる。
それはいやだ。
おかげさまで?顔は丸顔でぱんと張っているのため、
痩せたせいでシワが出来るとかは今のところない。
あ、例の眉間のシワはなくなった。
できるのなら、目尻に可愛い笑いじわがいい。

とりあえず、サイズのあったジーンズを新調して、
すたすた歩こうかな。



一昨年の今頃

2009年02月20日 | 日常
現在、芝居の公演の裏方で入っている。

一昨年の今頃、私は夫と夫婦役で同じ場所で舞台に立っていた。
宿屋の主人と女将役だった。
本筋にはあまりからまない、夫婦漫才的な役柄だったので、
気楽に楽しくふたりで演じさせてもらった。
その時は、それが最後の舞台共演になるなんて思ってもいなかった。

娘がそれを見るために、久々に帰省し、
夫、私、娘、母の4人で食卓を囲んだ。

良い仲間に囲まれ、夫婦で芝居をし、
家族団らんをする。
その時は、それが当たり前だと思っていた。
でもそれは、当たり前のことではなかったのだ。
それができなくなる日はいつか来るのだ。

それが分かっていたなら、
もっとあの宝石のような時間を大切にしていたように思う。

以前友人とこんな話しをした。
幸せな時間を過ごしているとき、
案外それを自覚していないことが多い。
あとで振り返ってみて、あの時は幸せだったと気がつくことが多い。
耳元で、神様が
「ほれ、ほれ。今お前はすごく幸せなんだぞ。
 ちゃんとそれに気がついて、存分にその幸せを実感しなさい。」
と、囁いてくれればいいのに。
不幸なときは
「今はどん底だけど、これはあと○日で終わるからふんばりなさい。」
と、囁いてくれればいいのに。

さて、今私は幸せなのか?どん底なのか?


テンパッテますが…

2009年02月19日 | 日常
プライベートも、仕事も、芝居も、あれもこれも
厄介ななことが重なりまくり、テンパッテいます。

先日、あまりのことに疲れ果て
思いがけなく空いた時間を持て余して、
懐かしい人に電話して愚痴って泣きました。
問題は解決してはいないけど、
愚痴って泣いたら少し気持ちが軽くなりました。

ここ、見てたら…ありがとうね!
助かりました。
そしてあなたは補欠ではないから。
泣き言聞き上手選手権では、
私にとって堂々全日本代表だと思います。

そして今日は、先日からぎくしゃくしていた古い友人と、
久しぶりに笑顔で話しが出来たのが嬉しかった。

できるだけたくさんの人と、
摩擦がないように楽しく笑顔で過ごしたい。
ただそれだけのことなのにと思うけど、
もしかしたらそれはとても贅沢なことなのかもしれない。

夫がいたときは、スムーズにいっていたことが、
いなくなってうまくいかなくなる。
夫がいかに私を守っていたのか、
導いていてくれたのかということを改めて痛感する。










なんだかなぁ

2009年02月11日 | 日常
母が入院して、今月20日で三ヶ月になる。

病状は、慢性化していて痛みは相変わらずとれない。
国分太一似の主治医は、あと一ヶ月ほどかかるかなぁと言っていたのに、
病棟の婦長から退院を促された。

自宅で、今の母を私ひとりで見るのは難しい。
何より、自宅の母の部屋は2階だし、
ずっと母を説得していたのにベッドがイヤで、
和室に布団の生活だった。
今の状態の母を家で見るには、大きなリフォームや
家具の移動も必要だ。

私はしょっちゅう家をあけているので、
母をひとりにする時間も長くなる。

こんな状況で、今の母を見られない。

長兄のところへも行けない。
まず、電車や車での長時間の移動がムリだ。
母も、長兄に迷惑をかけたくないと言う(私にはかけてもいいのか?と問いたいが)

そんなこんなで、病院から紹介してもらった施設を見学に行ったのだが、
そこはなんともはや、ひどいところで、
施設内で介護保険を利用したサービスも受けられない。
プライドが高く、人見知りも激しく、マイペースな母が
やっていけるはずがないと判断した。

地域の担当のケアマネージャーさんにも付いて来てもらったので、
すぐ相談し、迅速に他のところを探してもらった。

結局、金額は少し高くなるが
自宅のそばにある、
個室の施設に入れてもらえることになった。
そこは、介護保険を使ってヘルパーさんを呼んだり、
デイサービスにリハビリに通ったり、
訪問看護も受けることができる。

いろんなことを、短期間に考え、決断し、実行しなければならなくなった。

考えてみたら、これまで私は
自分で責任をもって物事を決断したことがなかった。
そのツケが一気に今来た感じだ。

明日は、婦長さんと再度話し合いをし、
少しでも入院期間を延ばしてもらえないか頼んでみる。

関わっている芝居の公演もこの週末と来週末にあるし、
来月は指導を担当しているところの朗読発表会もある。

それと並行して、母の引っ越しの荷造りや、
必要なものの買い物もすることになる。

もうひとり、私がいたらなぁ。

あ、だめ。
こんな役立たずがもうひとり増えたところで、
一緒にグチグチ言うだけだ。

もうひとり、有能な私がいたらなぁ。

有能な私…どんな私だ。
ちょっと会ってみたいとか思ったりして。

無能な私は、明日確定申告の件でうちの税理士さんと打ち合わせをする。
多分、いろいろつっこまれて聞かれて、
????…ということになりそうだ。

ちょっと、今、いろんなことから逃げたい気分である。



本家の葬儀

2009年02月08日 | 日常
亡夫の父方の本家の通夜と葬儀に行ってきた。

亡くなったのは亡夫の叔父さんにあたり、
89歳の大往生だった。
私は年に一度、お盆に墓参りに行った時にご挨拶をする程度しか
お付き合いはなかったのだが、
亡夫は子供の頃とても可愛がってもらったそうだ。

ほんとに、もうびっくりするほどの親戚の多さなのだ。
叔父さん自身も4人兄妹だったし、
ご自身も6人の子供がいる。
そして、それぞれいまどき珍しく子だくさん。
しかも、それぞれの配偶者の実家のご両親までいらしていたりする。

本家での冠婚葬祭は、姑と亡夫で出席してきたので、
私はむこうの親戚の顔と名前と関係をいまいち把握していない。
頼りの姑も、本家の親戚が苦手らしいのと、
年齢もあって記憶もだんだん曖昧。
もう、誰が誰だか、何がなんだか分からない状態である。

私は、誰にどんな挨拶をすればいいのか、
自分の立ち位置はどういうものか探り探り、
神妙にしていたのだが、
何人ものおばあちゃんたちに
「あらっ、あんた!前に会った時に比べたら随分肥えて~」
と、言われた。

おかしい。
そんなはずはない。
このおばあちゃんたちと最後に会った時よりは、
10数キロは痩せているはずである。
目が悪くなったのか?
魚眼レンズコンタクトでもいれてるのか?
とまどっていると、姑が
「この子、うちの息子が死んでから随分痩せたんや。
 前はブクブクに太っとったがいね。」
と、助け船にしては辛辣な、
なんというか、溺れかけの人間に投げた浮き輪に棘がついてるみたいな
発言をした。

「あらっ、ごめ~ん。あたしゃ、娘のほうと間違えとったわ。
 顔そっくりやねぇ。」

…………。
娘がもし横にいたら、烈火のごとく怒りまくりそうな発言。


かと思えば、初対面の何人もの親戚縁者から
姑と私が実の母娘と間違えられた。
姑の私に全く遠慮のないずけずけとした言動と、
私の全然姑に気を遣わない自然体の態度が、
とても嫁姑に見えなかったらしい。
そして、顔も似ていると言われた。

これは、私がほんの少し、ぼや程度に心の中で怒った。
だって。
亡夫は、自分の母親のことを
「菅井きんに似ている」と言っていた。
実際、姑は目をぱっちりさせた時の菅井きんに似ている。

菅井きんに似ている姑に似ている私。
じゃあ、私も菅井きんに似ているのか?
その私が、容姿に関しては自信満々の娘と間違えられるということは、
うちの娘も基本は菅井きん傾向の顔ということなのか?

こんな場にもし娘が居合わせたら、
烈火のごとく怒り、そのまま炎上しそうだ。

菅井きんさんは、すてきな女優さんだと思うが、
顔が似ていると言われても残念ながら嬉しくはない。

そんなこんなの通夜と葬儀であった。





適齢期

2009年02月02日 | 日常
日曜日に日帰りで、観劇小旅行をしてきた。
メンツは、このブログで毎度おなじみの大きい姉ちゃん、小さい姉ちゃんだ。
小さい姉ちゃんは、前日にひとりで現地入りし買い物三昧。
大きい姉ちゃんと私は日帰りなので、
朝電車で待ち合わせしていたのだが、
大きい姉ちゃんはぎりぎりまで来ない。
しかも連絡もない。
今まさに発車か!という時に、涼しい顔で乗り込んできた。

「あはは、間に合った。
 いや、朝電車のチケット、うちに忘れたのに気がついてさ、
 途中で引き返したんよ~。
 pecoちゃんにあずけたままにしとけば良かったわ~。」

「て、おいっ、そう言いつつしっかりサンドイッチ買ってるじゃない。」

「ああ、なんとか間に合いそうだと分かったから、買った。食べる?」

食べるかって…食べるけどさ。
もうっ。

駅で、小さい姉ちゃんと合流。
美味しい手作りパスタの店でランチ。

劇場でもうひとり友人と合流。
この日は、若草物語か、細雪かってほどの
美人四姉妹で並んで観劇した。

大きい姉ちゃん、小さい姉ちゃんとは、
以前北九州と、大阪に、同じ劇団の公演を観に行っている。
そして、3人で行くと必ず何かが起きた。

今回は、行きの電車が30分ほど遅れたくらいで、
なんの問題もなくスムーズだった。
芝居も最高に面白く、
終演後楽屋を4人で訪ねて作・演出・出演をこなした
劇団主宰者とお話しもできた。
私は、この人とお話するととても幸せな気持ちになれる。

そんなこんなで、今回は珍道中記事を書けないのが残念だと
旅の途中で思っていたのだが、
小さい姉ちゃんが披露した話しがあまりに面白いので
本人の了解を得た上で紹介する。

小さい姉ちゃんは、私の夫の高校の同級生である。
ということで、まぁけっこうそこそこいい年でもある。
人生いろいろあったとはいえ、未婚だ。
べつに結婚したいわけでもなく、したくないわけでもない。
で、ふと知り合いに生年月日と生まれた時間で占いをしてくれる人がいると聞き、
占ってもらったそうだ。
自分の結婚適齢期はいつか…と。

そしたら。

「………う~ん。あなたは結婚に向かないね。
 まぁ、強いて言うなら105歳。」

へ?
105歳?
それって。
ないも同じじゃん。

どうしてもその結果に納得のいかない小さい姉ちゃんは、
もうひとり別の占いの人に経緯を説明し、
改めて生年月日と生まれ時間で計算して占ってもらったそうだ。

そして、その結果が

「やっぱり、何度計算しても105歳ですね。」
だったそうだ。

ふんっ、何よ。
じゃあ、ほんとに105歳で嫁に行ってやる!
当然相手は、年下だからね。
あんたたちも、長生きにつきあって、
結婚式に出とくれよ。

息巻く小さい姉ちゃん。

「わかった、何着ていくか今から考えとく。
 時間はたっぷりあるからね」

大きい姉ちゃんは、小さい姉ちゃんが105歳のとき107歳だ。
大丈夫なのか。
私は105歳の花嫁と、107歳の招待客の両方の介添えをする100歳だ。

それにしても、やはりあきらめきれなかった小さい姉ちゃんは、
占い師に食い下がったそうだ。
105歳が適齢期なのは、しかたないけど、
せめてもう少し前になんかないの?と。

そしたらその答えを聞いて、全員カフェのイスからずり落ちた。

「去年がそうだったんだって。」

それを年が明けてから聞いても!

こうなったら、毎日が適齢期気分で長生きするわっ。
頑張れ、小さい姉ちゃん!