goo blog サービス終了のお知らせ 

その蜩の塒

徒然なるままに日暮し、されど物欲は捨てられず、そのホコタテと闘う遊行日記。ある意味めんどくさいブログ。

阿仁ウォーク(3)

2010年09月04日 | ウォーキング

 マタギ集落の根子は、日本の里100選にも選ばれており、平家の落人が隠れ里にしたのが12世紀終わりごろとの説もあります。今なお70~80世帯が住んでいます。各家々には直接たどり着けないよう迷彩路になっているところも、よそ者を近づけない工夫でしょう。右上;根子トンネル内。


 トンネルは35年前に出来ましたが、車がすれ違うための退避を2箇所設けています。長さは575.8mあり、歩いて渡るには気持ち悪すぎます。R105号線沿には「根子番楽」の看板が。


 根子からR105号線に出ますと、笑内と言う集落になります。内陸線の駅もありますので、鉄道で戻る手もありましたが、あいにく時間が合わず歩くことに。沿道に咲いてた花は、左上;キンポウゲ科センニンソウ属ボタンヅル。右上;マメ科クズの花。


 峠の茶屋のところを右折して、萱草集落経由。阿仁川は底まで見えてキレイでした。水洗工事が完了した影響もあるのでしょうか。右上;内陸線の鉄橋。


 まだまだ暑いですが、すでにススキの姿が。右上;道端では自生のニラが花を咲かせていました。


 内陸線沿線の廃屋。萱草と言えば、所さんの笑ってこらえてで賞をもらった、鼻に詰め物をしたお爺さんを思い出します。亡くなられましたが。右上;萱草トンネルの迂回路。七曲といいます。100kmマラソンではこちらを使ってますが、崩落箇所があるため車輌は通行禁止となっています。

最新の画像もっと見る

4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Oh!,あの爺様お亡くなりに・・・合掌 ()
2010-09-05 23:23:31
数年前、初めて根子に行った時なぜか横溝正史の小説を思い出しました。それ以来根子と横溝正史の小説の舞台がワタシの中でかなり被ってたんですけど、どうしてそう思ったのか、6月に行われたアイヌ・マタギのシンポジウムでその謎が解けたのでした。

マタギがなぜ辺境に住むことになったのかという歴史を紐解いていくと、米国のネイティブアメリカンや、オーストラリアのアボリジニに近い状態があったらしいですね。
しかし、マタギがその二つと異なるのは、「熊の胃」を遠方に売り歩いて情報を仕入れてきて、その情報を受け入れる素地が集落全体にあったのだと拝察しております。後に優れた人材をたくさん輩出したのはそのおかげ?
返信する
Re:Oh!,あの爺様お亡くなりに・・・合掌 (岸利徹)
2010-09-06 22:44:20
 婆様、こんばんは。
地元ですが、改めて歩いて見ると新たな発見もあるものですね。
奥深いお話ありがとうございました。
個人的には、血が濃かった影響もあると考えております。それゆえの弊害もあったのは言うまでもありませんが。
返信する
アイヌとマタギについて ()
2010-09-07 13:53:45
おお! 岸利さんはそちらの方であられましか。以前、阿仁の友人から「熊と雪崩」という本を頂戴しました。たいへんおもしろくて一気に読んでしまいました。それ以来その本はワタシにとってバイブルとして君臨しているわけですがw
その本の「猟」というところで、マタギが猟をどのように暮らしの糧としていったかという記述は、マタギが知恵に満ち溢れていたことを想起させます。

マタギシンポジウムにおいて岸利さんが指摘されておられるような「血の継承」についてもさらりと触れられておりました。それはまさに横溝正史の真骨頂でしょう。そこにわたしが根子と横溝ワールドがリンクした理由があります。
近々東京から根子を散策したいという人が来ます。ピンポイントで根子を「大人の遠足」として選んだ理由はワタシの好奇心に近いみたい。

保守性は観光資源としての位置付けを越えられるかな?
返信する
Re:アイヌとマタギについて (岸利徹)
2010-09-07 19:33:08
 婆様こんばんは。
内はアイヌ語で沢や川を意味することは知っていました。笑内、打当内、桐内、惣内、桧木内など。アイヌを抜きにはマタギは語れないのかもしれません。

でもマタギは観光資源とは成り得ないと思います。今回北アルプスで、考えられないほどの人が山の中にいるのを見てそう感じました。観光資源の質そのものに違いがあります。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。