

マタギ集落の根子は、日本の里100選にも選ばれており、平家の落人が隠れ里にしたのが12世紀終わりごろとの説もあります。今なお70~80世帯が住んでいます。各家々には直接たどり着けないよう迷彩路になっているところも、よそ者を近づけない工夫でしょう。右上;根子トンネル内。


トンネルは35年前に出来ましたが、車がすれ違うための退避を2箇所設けています。長さは575.8mあり、歩いて渡るには気持ち悪すぎます。R105号線沿には「根子番楽」の看板が。


根子からR105号線に出ますと、笑内と言う集落になります。内陸線の駅もありますので、鉄道で戻る手もありましたが、あいにく時間が合わず歩くことに。沿道に咲いてた花は、左上;キンポウゲ科センニンソウ属ボタンヅル。右上;マメ科クズの花。


峠の茶屋のところを右折して、萱草集落経由。阿仁川は底まで見えてキレイでした。水洗工事が完了した影響もあるのでしょうか。右上;内陸線の鉄橋。


まだまだ暑いですが、すでにススキの姿が。右上;道端では自生のニラが花を咲かせていました。


内陸線沿線の廃屋。萱草と言えば、所さんの笑ってこらえてで賞をもらった、鼻に詰め物をしたお爺さんを思い出します。亡くなられましたが。右上;萱草トンネルの迂回路。七曲といいます。100kmマラソンではこちらを使ってますが、崩落箇所があるため車輌は通行禁止となっています。
マタギがなぜ辺境に住むことになったのかという歴史を紐解いていくと、米国のネイティブアメリカンや、オーストラリアのアボリジニに近い状態があったらしいですね。
しかし、マタギがその二つと異なるのは、「熊の胃」を遠方に売り歩いて情報を仕入れてきて、その情報を受け入れる素地が集落全体にあったのだと拝察しております。後に優れた人材をたくさん輩出したのはそのおかげ?
地元ですが、改めて歩いて見ると新たな発見もあるものですね。
奥深いお話ありがとうございました。
個人的には、血が濃かった影響もあると考えております。それゆえの弊害もあったのは言うまでもありませんが。
その本の「猟」というところで、マタギが猟をどのように暮らしの糧としていったかという記述は、マタギが知恵に満ち溢れていたことを想起させます。
マタギシンポジウムにおいて岸利さんが指摘されておられるような「血の継承」についてもさらりと触れられておりました。それはまさに横溝正史の真骨頂でしょう。そこにわたしが根子と横溝ワールドがリンクした理由があります。
近々東京から根子を散策したいという人が来ます。ピンポイントで根子を「大人の遠足」として選んだ理由はワタシの好奇心に近いみたい。
保守性は観光資源としての位置付けを越えられるかな?
内はアイヌ語で沢や川を意味することは知っていました。笑内、打当内、桐内、惣内、桧木内など。アイヌを抜きにはマタギは語れないのかもしれません。
でもマタギは観光資源とは成り得ないと思います。今回北アルプスで、考えられないほどの人が山の中にいるのを見てそう感じました。観光資源の質そのものに違いがあります。