フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2013年8月①

2013年08月01日 | しゃちょ日記

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2013年8月1日(木)/その1388◇今井翼/未来の創り方

PLAYTZONE'13 SONG&DANC'N。PARTⅢ
(今井翼座長/全40公演)
7/3~8/10 東京(青山)青山劇場
[パセオフラメンコ11月号/公演忘備録・番外編の下書き]
     
 今井翼のライヴステージを観るのは昨年暮れの渋谷ヒカリエ『バーン・ザ・フロア』以来。
 あの折、国際的ダンス・エンタテインメントの日本代表ゲスト舞踊手として、
 溶け込みながら突出する彼のダンサー資質は、
 大リーグにデビューした頃のイチローをほうふつとさせたものだ。
 殊にスペイン舞踊ソロシーンにおけるフラメンコ修業の蓄積が
 深く静かににじみ出る光景には、
 この〝翔ぶために生まれた男〟の有言実行の矜持がくっきり視えた。

 そして今回座長として、中山優馬、屋良朝幸ら二十数名の若きジャニーズ精鋭を従え、
 熱く逞しいリーダーシップを執る夏の風物詩〝プレゾン〟。
 40公演で約5万人を動員する歌と踊りのエンタテインメントは、
 舞台には何かとうるさいこの58歳の老いぼれに
 「こんなに楽しい舞台観たことねえよ」という愚直な感想を吐かせた。

 そんな爺いでさえ半分以上は聞き知るジャニーズの伝統的名曲の数々
 に革新的なアレンジを施す正味二時間ほどのステージの、
 希望とエネルギーの漲る歌と踊り、決して観客席を飽きさせないスピーディな転換、
 美術・照明・音響などの優れた舞台効果は、ライヴ・エンタテインメント本来の
 熱狂と歓びを謳歌する鮮やかな色彩とクオリティに満ち充ちている。
 観客席のフィジカル面をどこまでも重んじる舞台構成の玄妙な濃度分布の手法は、
 舞台に関わるすべての人々に啓蒙的であり、
 そこにはわれらフラメンコ界が進化するための多くの発見もあった。

 さて。五年前に日生劇場で初めて彼を観た頃に比べ、
 エンターテナー今井翼はおそるべき進化を遂げている。
 翼ファン初級者の私が敢えて分析するなら、
 それは第一に存在感、第二に安定感、第三に粋な味わいだ。
 これら領域の進化および深化の充実ぶりが、
 舞台全体の大成功を支えた主な要因かと私には思える。
 
 フラメンコ寄りの演目、近藤真彦さんのあの懐かしいヒット曲
 『アンダルシアに憧れて』の歌い舞いを楽しみにしていたのだが、
 実際には今井翼の踊るオープニングの二曲あたりで
 私の願望はすでに叶えられていた。
 つまり、ブレない軸でフレーズぎりぎりまで歌い切るあのダンスは、
 フラメンコの身体的・精神的教養そのものだったから。
 シャープなキレ味もさることながら、そこから生まれる存在感、安定感には
 フラメンコの風格そのものが宿っていたから。
 スタイリッシュな高速展開の中にも
 落ち着いた大人の粋な味わいが生まれる理由もそこにある。

 甘みの中の苦み、苦みの中の甘み。
 演じることよりも、ステージの瞬間瞬間を彼は純粋に生きている。
 フラメンコで云うところの、彼はまさしく彼だった。
 『バーン』での活躍に鈍感な私でさえ薄々それに気づき始めていたわけだが、
 未来を賭け、確信をもって彼がフラメンコを選んだ理由がここに来てはっきり腑に落ちた。
 延べ五万人の観衆の前で単刀直入に、
 彼は自らの生き様を極めて明快に証明した。
 ブレることのない彼の未来ヴィジョンは、今現在の彼を完全燃焼させていた。

 出来るだけ早い時期に今井翼の本格バイレソロを観たいというのが本音だったが、
 彼がフラメンコと共に生きる成果がこうした局面にも内側からあふれ出す光景に直面して、
 そういう身勝手な想いに執着するのはもうやめだと思った。
 彼は私の期待よりも遥か深い領域でフラメンコを捉えていた。
 本誌8月号で師匠・佐藤浩希と語った「俺は赤ワインになる」の真意が
 まるで薄皮がはがれるように分かった。

 こうしたエンタテインメントにせよ、タキツバにせよ、芝居にせよ、
 スペイン文化特使の使命にせよ、自らの人生にせよ、
 それらトータル面で今井翼の磨き続けるフラメンコ的〝裸の自分〟が
 進化熟成してゆくプロセスそのものにずっと注目し続けようと私は決めた。

                 
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2013年8月2日(金)/その1389◇いいねっ!

「老いの重荷は神の賜物。
 古びた心に自分で最後の磨きをかけ、まことの故郷に帰るため、
 自分とこの世をつなぐ鎖を、少しずつ外してゆくのも大切な仕事のひとつ」

 マイミクさんのつぶやきで、つい先程こんな名言を知った。
 若い頃なら迷わずスルーしたところだろうが、
 人生58年、その内パセオフラメンコ人生30年を経て、
 少なくとも身体的には充分ガタピシ状態であるからして、
 目からウロコ的な驚きこそないものの、
 そのサクッとしたしっくり感が、妙に感覚のツボをとらえる。

 さまざまな神さまや日本的儒教などのシバリから
 自らを解き放とうとする気ままなフラメンコライフは、
 私にとっての「まことの故郷」に還ろうとする準備でもあるのだけれど、
 実際にはそうした生き方に大した自信があるわけでもなく、
 たまたまそれを選び、どうやらこうやら生きている。

 そんなわけで、ある普遍的なテーマが、
 ある個人の実感から率直に発信されるシーンに出逢うとき、
 心のいいねっ!を何度も叩きながらしっくりくる快感に浸る人生最良の時を得る。

 私のケースではそれが、音楽、舞踊、読書(特に藤沢周平とパセオ)、
 落語、将棋であることが多いのだが、
 その最たるものはやはり、好ましい周囲とのライヴなふれあいに尽きるだろう。
 年齢相応に老いを得たほぼ同世代のジェーとの関わりなどは、
 その最もシンプル・原初な形態であることに、たったいま気づく。


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2013年8月3日(土)/その1390◇o^−^o)

 「フラメンコはだいすきなんですが、知識はほぼゼロ。
  パセオフラメンコを端から端まで読んで、付箋も付けてます。
  めっちゃ勉強になります。元気もたくさんもらえます。(o^-^o)@」

 こんなツイートをもらって、シンプルに大喜び。
 元気をもらったのはオレの方だわ。


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2013年8月3日(土)/その1391◇革命は成った
         
石塚隆充2ndアルバム〝REVOLUCIÓN(革命)〟
リーリス記念スペシャルライヴ
7月31日(水)/東京(目黒)目黒ブルースアレイジャパン
【カンテ/ギター】石塚隆充【ギター】小林智詠/長谷川暖
【ベース】コモブチキイチロウ【ピアノ/ヴォーカル】石塚まみ
【ヴァイオリン】佐久間大和【パーカッション】大儀見元
【パルマ/コーラス】伊集院史朗/カルメン・ポルセル
                               
 目をつぶって聴くと、その絶妙な歌唱はまるで
 格調高きスペイン人カンタオールが歌っているかのようだった。
 16年前(97年)、協会新人公演への彼の登場はちょっとした事件であり、
 当然のごとく彼は奨励賞を受賞する。
 時に彼は24歳、音大声楽科出身の本格歌唱は
 すでにフラメンコを摑み始めていた。

 以降堂々たる展開でカンテの地平にさまざまなエポックをもたらす
 イケメン人気カンタオール石塚隆充。
 その40年の半生を噛みしめるかのような本誌連載に対するファンの声援は熱い。

 近ごろの編集部は、スペインの最高峰歌手カマロンやミゲル・ポベーダと
 同じような頻度でタカの最新CDをかける。
 唯一収録されたガチンコ・フラメンコ(ソレア・ポル・ブレリア)の
 益々深まりゆく本格性にニンマリしつつも、
 この2ndアルバムの目玉である日本語で歌うフラメンコにはまさに
 「歴史が創られる瞬間」を感じ、ついついリピートしてしまうのだ。

 殊にタンゴス(テ・カメロ)は、『革命』と名付けられた
 アルバムタイトルの矜持を裏付けるのに充分なものだった。
 ちなみに日本語セビジャーナス(春夏秋冬)については、
 あと百回くらいガチで聴くまで感想を保留。

 スタイリッシュでありながらどこかもの哀しく、
 しかもツネリの利いた小粋なタンゴス。
 この曲種はこれまですでに何万回となく聴いてるはずだが、
 繊細なニュアンスが直接伝わる日本語歌詞と
 あの魅惑的な哀愁メロディを同時に味わうことは、
 日本語一筋で生きる私には初めての体験だった。

 それまでは解説書の対訳を読んで漠然と雰囲気をつかむのが
 せいぜいのところだったが、このタンゴスは違う。
 リアルタイムな日本語歌詞で具体的な情景がありありと浮かんでくるのだ。
 つまりスペイン人が自国語でフラメンコを味わうのと同じ感覚。
 日本語フラメンコはこれまでにも度々試みられたが、
 このタンゴスは、さまざまな角度からの創意工夫による
 実に精妙なニュアンスでそれを成功させている。
 つまり日本語なのに何の違和感もなく
 小粋なタンゴスの醍醐味を満喫させてくれるのだ。
 コレってほんとうに凄いことなんじゃない?!
 この曲が後世のフラメンコファンに「あれは革命だったね」と
 云わしめさせる可能性は極めて高い。

 さて、そのCDの発売記念ライヴでは収録全11曲のすべてが歌われた。
 タカは本当に歌が巧い。
 最初から最後まで雑念の入る余地がないほどに
 音楽そのものの楽しさに没頭させてくれるライヴ空間には、
 心地よい刺激と懐かしい暖かみがずっと同居していた。

 そして、お目当ての日本語タンゴスで私の盛り上がりは絶頂に達する。
 ライヴならではのメリハリが強調されて、
 録音よりも一層男女関係のニュアンスが濃厚で、
 殊に「君が喋るとややこしいから」と歌う部分の〝おどけ〟は
 泣き笑いの風情さえ帯びる実にステキな瞬間だった。

 ライヴ演唱でその革命的価値は一層明らかとなり、
 石塚隆充の日本語タンゴスによって「日本語で歌うフラメンコ」は、
 その前人未到の入口に達したことを感じる。
 このことの将来的意義は実はとてつもなく大きい。
 この創意工夫の精神と方法論は、
 他のさまざまなヌメロ(曲種)に波及してゆくことだろう。

 未来に向かう明るい充足感に浸る家路、
 日本のフラメンコ畑から産まれた〝石塚隆充の革命〟について
 改めて検証する特集を近々に組むことを決めた。
 ちなみに、CDもライヴも二番目に凄いと思うのは
 ガチフラ「ソレア・ポル・ブレリア」、
 三番目はフラメンコ調で洒脱に歌う「津軽恋女」。


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 2013年8月4日(日)/その1392◇頑張りすぎてしまう人に

 今朝のツイッターに虚を突かれて爆笑!
 https://twitter.com/gayageinin_talk


 つい頑張りすぎてしまう人を、
 時に効果的に励ますエールはこれだと思った。


  「はしょれメロス


 案外と原作者も爆笑だったりして。
 おざなりではない、心からの声援を感じるなあ。


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2013年8月5日(月)/その1393◇上達の真相

 「脳と体がどういう具合につながればいいか、
  最初にそのポイントを認識してもらう。
  それを念頭に置いて、あとは反復練習あるのみ。 
  自分の身体を動かしながらそれを繰り返すと、
  段々とそのツボがわかってくる。
  とにかく実際に身体を動かしながら、
  そういうメカニズムを頭でなくて、
  からだの実感として解ってゆくことが大切です」

         
      (パセオフラメンコ8月号/碇山奈奈 CON FLAMENCO)


 初めてひとりで自転車に乗れた時の感覚、
 あるいは初めて泳げるようになったときの感覚。
 奈奈さんの方法論は、遠い昔の
 そういう劇的瞬間を思い出させた。

 奈奈さんのこの言葉に大いに反応したのも、
 五十を過ぎて初めて知った文章を書く歓びというのが、
 実はそれと同様のメカニズムなのではないかと思い当たったからだ。

 頭脳に一瞬閃いた何かを、つたない作文技術でつかまえる。
 もちろん乏しい経験で、いきなりそれを表現することは出来ない。
 何十回も何百回も、悪あがきにも似たアプローチを繰り返す。
 数行の日記を書くのに半日かかった時期もある。
 ただし、どーやらこーやら捕まえたそうしたツボの快感には、
 充分すぎる手応えがあった。

 毎日の日記は、自分のツボを確認するための反復練習だった。
 三年も続けると、親しいお仲間と
 呑み屋でダベるようなスピードで書けるようになった。
 その頃から好ましくも漠然とした戦略が芽生えたのだが、
 それは冒頭に続く奈奈さんの発言で明らかになる。

 「自分を誤魔化さないこと、
  わかったようなフリをしてごまかさないこと。
  自分をごまかす人は、そこに逃げてしまうから、
  いつまでも脳と身体がつながる感覚がわからない。
  逆に、自分に正直な人なら誰でも出来る。
  余計なことを考えないで、自分に対して素直になればいいんです」


 つまり、読者も含めパセオのお仲間たちとゆるやかに共有したい方法論は、
 そういう単純なことだと気づいた。


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2013年8月6日(火)/その1394◇楽しさを語る視点

 「社会の厳しさはもういいので
  社会の楽しさを教えてください」


 ツイッターで見かけたのだが、ああ、いい発想だなあと想う。

 何でもかんでも悲観的あるいは批判的に叩く。
 云う方も聴く方もそれなりの快感はあるのだが、
 結局のところ、悪い後味のみを残す幼稚な刺激。

 そういう世相に飽きたというか、ちょっとウンザリ気味なのに、
 自分でもウッカリそんな悪循環の尻馬に乗っかってしまうことがある。
 ああ、いかん、いかん。
 そんなんではパコ(・デ・ルシア)ファンを自称することも出来ない。

 想い起こせば「楽しさ」を教えてくれる大人が好きだった。
 子供心なりに、その明るい視点に希望なりエネルギーなりを感じたからだろう。
 よしっ、ものは試しだ。
 今の今から「楽しさを語る視点」に集中してみよう。


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 2013年8月8日(木)/その1397◇哀しい実物

 パセオの創刊三十周年記念号の見本が刷り上がったので、
 帰りに寄った地元行きつけで、呑み友たちに何冊か進呈した。

 おめでとうございますと、トモちゃん(15ばかり年下の女将)が
 ボトルを1本プレゼントしてくれた。

 マエストロ・カニサレスと今井翼さんの対談写真に、
 居合わせた女の子たちがきゃあきゃあ騒ぎ、
 男どもはマリア・パヘスの舞台写真(ウトピア)にクギ付けとなる。

 巻末の三十周年記念企画に、
 ジェーと私の2ショット写真を見つけた女将が、
 大笑いしながらこう云う。


 「小山さん、写真映りイイっすね!」


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2013年8月9日(金)/その1398◇永い目で見れば

「すべての人に〝天才〟は必ず二つ以上ある。
 笑顔の天才と料理の天才が組み合わさって、
 素敵なラーメン屋さんができるように。
 その掛け合わせで、その人にしかできない人生が展開していく。
 謝る天才でもほめる天才でもなんでもいい。
 二つあるから、誰とも違う、みんな違う天才」 
                        by 箭内道彦


 朝バッハ(グールドのフランス組曲)を聴きながら
 ツイッターを眺めていたら、今日もこんな掘り出し物があった。
 「https://twitter.com/Copy__writing」さんの発信には、実に楽しい発見が多い。

 ○○ちゃんはアレとアレ、○○さんはアレとアレ・・・みたいに、
 周囲の好ましい連中を想い起こすと、すべてこれに当てはまることに気づく。

 そうした個性がたまたま社会情勢に適合すると、
 いわゆる社会的成功に直結しやすいのだろうが、
 まあ無理やり適合しなくとも(オレだよ俺)、
 永い目で見れば、そういう人はそこそこ平和なのではないかとも想う。

   
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2013年8月10日(土)/その1399◇輝く瞳

 今日はプレゾン最終日。

 私は七月に一度出掛けただけだが、あのハードなステージを
 ひと夏で40公演完全燃焼させるプロ根性には身が引き締まる想い。
 そしてこの猛暑の中、遠方から幾度も通うファンの熱き応援。

 折しも今井翼さんのスペインのフラメンコ師匠であるマヌエル・べタンソが来日。
 あのハードな日程の中、今井さんは積極的に対談(翔ぶために生まれた)取材に臨んだ。
 その〝精神的スタミナ〟の根源に、ふつふつと興味が沸いてくる。

 二週間後にはフラメンコ界の夏の風物詩、
 社団法人日本フラメンコ協会の新人公演(8/23~25)が迫る。
 多くの人気プロを産み出した業界最大のイベントだ。

 三日間、それぞれ三時間を越える金・土・日の全日取材。
 「私的奨励賞」の執筆取材、12月号「しゃちょ対談」新人ゲストの発掘、
 聴き込み取材、公演前後と幕間のロビー・パセオブースの販促呼び込み、
 そして通常の締切仕事も待ってはくれないから、
 けっこう私(公称28歳/戸籍上58歳)も忙しい。

 正直そろそろ全日フル取材は後進に譲るかと弱気になったりもするのだが、
 どこからともなく
 「生きてる最中に死んだフリしてどーする?!」
 というありがたいアドバイスが聞こえてくる。
 プレゾン幕間にお会いした今井さんの輝く瞳が、ググッとそこに拍車をかける。


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2013年8月11日(日)/その1340◇お前は何様か

 「人を指差すな。
  人を指差すとき、
  三本の指がお前は何様だと指差している」

 
 毎朝数分だがツイッターを散歩する。
 余裕のある時はホーム画面を観るが、
 そうでない時は登録した発信者グループのみを観て、
 リツイートしたり、〝お気に入り〟に登録したりする。

 そういう〝お気に入りツイート〟には目からウロコな発見も多く、
 空いた時間にそれらをじっくり反芻し、
 自分の問題として考えるのが近ごろのささやかなマイブーム。
 冒頭言なども、ハッとするような発見がある。

 そう、確かに、心当たりは山ほどあって、
 いや、星の数ほどあって、
 軽はずみな批判は、必ず三倍になって返ってくる。


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しゃちょ日記バックナンバー/2013年8月②

2013年08月01日 | しゃちょ日記

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2013年8月12日(月)/その1341◇今井翼 X 支倉常長「大いなる旅」への挑戦

 いよいよその放映が一週間後に迫る。
 概要はおよそ以下のとおり。 

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 NHK総合◇ 8月19日(月)22:00~22:50
 「今井翼×支倉常長 "大いなる旅"への挑戦」

 「タッキー&翼」の今井翼はスペインを愛しています。
 その愛をスペイン政府が認め、スペイン文化特使に任命したほどです。
 そんな今井が、ちょうど400年前に伊達政宗の命を受け、
 石巻を出航してスペインまで旅したサムライ、支倉常長役に挑戦します。

 舞台はマドリードの王立劇場で、両国皇太子殿下を迎えて行われる
 「日本スペイン交流400周年」の開幕ステージです。
 この役は能面をつけて演じます。
 得意とする激しいダンスはできません。
 厳しい制約の中で、サムライ支倉をどう表現するのか。

 今井は日本のフラメンコの第一人者・小島章司と話し合いながら、
 独創的な身体表現を編みだしていきます。
 さらに二十六世観世宗家に所作を習い、日本伝統の美意識を取り入れます。

 そしてマドリードでの2日間のリハーサル。
 フラメンコの歌い手が予定時間を過ぎても来ないなど、
 大波乱の展開を越え、今井は「大いなる旅」をどう演じるのでしょうか。

 [出演者]今井翼、小島章司、観世清和、ミゲル・ポベーダ、川上ミネ

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 とまあ、こんなスリリングな展開のドキュメントらしい。
 日本スペインを結ぶこの開幕ステージについては、
 急きょパセオ10月号に巻頭カラー特集を組んだ。
 例によって東敬子の筆は冴えまくり、今井翼の本質に鋭く迫る。


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2013年8月13日(火)/その1342◇ふと気づく

 パセオのお隣りのカフェには大型テレビがある。
 遅いランチをそこで摂る時、『相棒』を観るのは小さくはない楽しみだ。

 再放送なので半分くらいは過去に観た内容であり、
 ストーリーが分かっている作品だとワクワク感は薄れるけれど、
 逆に、キメ細かに練り上げられた演出のディテールにじっくり注目できるわけ。

 そこには新たな発見がいくつもあって、絶好の気分転換になる。
 いつもの散歩コースに、小さくとも美しい草花を発見するようなささやかな幸福。
 だからドラマの途中から観てもいいし、途中でパセオに戻ってもよし。

 つまり私は、そういうタイプの作品が好きなんだってことに気づく。
 森鴎外、夏目漱石、司馬遼太郎、藤沢周平、関川夏央・・・。
 洗面所に置いてある歯磨き用の文庫本なんかは、まさしくそのタイプだから。
 そこでふと、歯を磨きながら文章力を磨く成果が少しも現れない不思議に気づく。

    
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2013年8月14日(水)/その1343◇ふたつの賞賛

 きのうは来春のパセオ創刊30周年企画の大詰め。

 お盆だから捕まらないだろな。
 そう思いつつ連絡すると、電話口には意外にも御本人が出られた。
 マネージャーの村田さんは盆休みなのだと云う。
 用件はすぐにすんだのだが、何となく長電話となった。

 話していると、電話の向こうにあの優しい笑顔が浮かんでくる。
 浮世離れした仙人のごとくに穏やかな語り口なのだが、
 発せられる言葉は物事の本質をストレートに看破する。
 小島章司さんというのは、ほんとうにフラメンコ界の至宝だと想う。

 おべんちゃらには無縁の方だが、昨日はふたりの人物を賞賛していた。
 ひとりは7月号巻末で小島さん取材(文と写真)を担当した井口由美子。
 心のヒダを浮き彫りにするような内面の捉え方に感心したと云う。

 もうひとりは、スペインのビッグイベントで協演した今井翼さん。
 優れたダンサー資質に加え、未来を見据える彼の真摯な取り組みには
 驚くべきポテンシャルを感じたと云う。
 フラメンコを教えたい。小島さんはそうつぶやいた。
 師は青山劇場プレゾンにも出掛け、今井さんの舞台を大いに楽しんだという。

 来週月曜、NHKで放映する『今井翼×支倉常長"大いなる旅"への挑戦』。
 そのロケ中に生じたスリリングなエピソードの数々には、
 笑えるくらいのド迫力があった。

               
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2013年8月15日(木)/その1344◇オーバーラップ

 敗戦の昭和20年。
 その10年後に私は生まれた。
 もしもあと30年早く生まれていたら、
 あの太平洋戦争で戦死していた確率は高い。

 平和で自由な時代に生まれたことの幸運の大きさを想う。
 30年前に生まれていれば、軍隊に入る選択肢しかなかった。
 一兵卒としてお国のために命を懸けて闘う。
 私は意気地なしだが、根は単純な人間だから、
 大した苦悩もなく、そうした運命を受け容れたのではないかと思う。

 日本と敵国ではどちらが正しいか?
 それを論理的に分析するための情報も能力もない。
 おれは蟻なんかと大して変わらんな。
 余裕のある時には、そうなふうに自嘲したかもしれない。
 
 毎年8月15日になると、猛暑の中そんなようなことを想う。
 歴史という教養には、現在と未来のためのヒントがびっしり詰まっている。
 蟻のように生きることに不思議と抵抗はないのだが、
 ほんの僅かでもそういうヒントに貢献したい気分は引き続き保ちたい。

 5日後の8月20日は、30回目のパセオ誕生日。
 もしも30年前に生まれたらという仮定と、
 実際の30年前の記憶とが、奇妙にオーバーラップする猛暑の朝。


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2013年8月16日(金)/その1345◇束の間の美

 新潟の実家に連れ合いは盆帰り。
 なので取材先から直帰し、ジェーとともにご近所を散歩。
 時間はたっぷりあるので、夕暮れの元代々木町から西原、
 代々木上原あたりをゆるり徘徊する。

 ジェーは今年十歳になるのだが、
 つまり彼は人間の私(58歳)とはほぼ同世代なのだが、
 猫にも負ける2キロちょいのチビッ子なので、
 幼犬とみなされることが多い。
 一見初々しいヨチヨチ歩きのようにも見えるが、
 その実態は飼い主同様ヨタヨタ歩きなのである。

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 すれ違う人の多くが、この老犬に実にいい微笑み顔を向けてくれる。
 その無防備な笑顔は、彼らの善良な本性を丸出しにする。
 勘違いであるにせよ、そこに現れる表情の美しさには逆に胸を打たれる。
 そして、彼らの視界に私の姿が入るやいなや、その美的瞬間は終焉を迎える。

 
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2013年8月17日(土)/その1346◇うれし過ぎ

 昨日のマイミクさんの日記に涙ちょちょ切れ。
 ちぎれるくらいにブルンブルンに尻尾を振るジェーの心境。

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夕方帰宅したらPaseo9月号 が届いてました。

夕食前に
翔ぶために生まれた③を初めに読みガン見してから
次に
しゃちょ日記
翔ばせるために生まれたを
読まさせていただきました。

Paseoフラメンコ創刊30周年おめでとうございます。

翔ばせるために生まれた

しゃちょさんを拝見しました。
素敵です\(^-^)/
しゃちょさんの人間味のある
お話しで熱く深くて
今まで以上に大切にPaseoを読みたいと思いました。

下手な文章ですみません.
上手に表現できなくて情けないです。
あしからず。

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>今まで以上に大切にPaseoを読みたいと思いました。

 これほどまでに身に染みてうれしい表現はないと思いました。
 ありがとう由美!
                 

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2013年8月18日(日)/その1347◇マイナーチェンジ

 「マッチ売りの少女」

 保育園のころ紙芝居で観た。
 もう半世紀以上も昔のことで結末さえ覚えてないが、
 その折の哀しい記憶は鮮明に残っている。
 おれが大人だったら何とかしてやれるのにと、
 義憤もしくは淡い恋心のようなものを抱いた覚えもある。

 かつては彼女のような職業が成立した時代があったかもしれないが、
 現代社会においては転職を考える必要がある。
 つい数日前のツイッターにその転職案が載っていた。
 そのアドバイスには、出来るだけ小さな軌道修正で解決しようとする
 心暖まる優しい配慮があった。


 「マッチョ売りの少女」

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2013年8月19日(月)/その1348◇どちらにしても、こっち次第

 「一度は必ず読むべきだろう」

 かつて先輩世代にこんなふうに云われたものだ。
 だから『はだしのゲン』の閲覧制限には驚いた。
 それはあたかも戦前・戦中の反転模様を想わせる。

 だがもしも、それが教育委員会の信念ならば、
 その絵に描いたような反面教師ぶりは大いに教育効果を促進するし、
 それとは反対に、閲覧制限によって逆に読者を急増させることを意図する戦術であるならば、
 そのシャープな奇襲戦法はお見事と云うよりない。


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 2013年8月20日(火)/その1349◇「二枚落ち」の克ち方

 将棋に「二枚落ち」というハンデ戦がある。
 最強の駒である〝飛車〟と〝角〟を、
 勝負開始の時点で上位者が自分の陣地から外すのだ。

 昨晩NHKで今井翼さんに課せられた状況は、
 まさしく「二枚落ち」の状況そのものだと云っていい。
 天職ともいえるダンスと、事前リハーサルとを、
 同時に封じられてしまう過酷な状況。

 スペイン・日本の皇太子が出席する一大イベントが、
 まさかあのようなタイトなスケジュールで運営されるとは
 予想もしなかったことなので、少々私はあせった。

 だが、結果はご覧のとおりである。
 今井翼は自らの底力とポテンシャルとを掛け合わせ、
 あの超難関を、むしろ涼しげに乗り切った。

 「今井翼は永らく生き残る」

 番組直後のネットで、そんな書き込みを見かけた。
 そりゃ慧眼だと、私は想った。


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2013年8月21日(水)/その1350◇英知の結晶

 「今井翼は凄いねえ」

 おとつい晩のNHKを家族全そろって観たというヒデオがこう絶賛する。
 あの過酷なチャレンジを、ものの見事に自力でクリアしてゆく姿を、
 このマラソン一家は息を呑んで見守ったという。
 まあしかし、まともな話はここまでである。

 ヨシアキ、ヒデオ、マサユキ、ミノル、そして私。
 五人合わせて290歳。
 昨晩は、高校同期の四季の呑み会。
 母校近くのちゃんこ屋に夕刻集合。
 今回は野郎のみのコア・メンバーである。

 ゲスト美女が参加すると、ついついカッコつけちまうのが哀しい男の性だが、
 男のみだと際限なく暴走してゆく会話がエキサイティングに楽しい。
 まあ、40年前の修学旅行の延長みたいなもんなのだが、
 トータル290歳、ベテラン紳士たちの英知の結晶が、
 くだらねえエロ話に尽きるところが情けなくもある。


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2013年8月22日(木)/その1351◇お年頃

 「私には到底出来ない」

 そういう壁に幾度も出喰わした。
 出来れば華々しく飛び越えたい。
 だが、あいにく私は高所恐怖症だった。

 次にハンマーでぶち破ろうと思った。
 だが、あいにく私は非力だった。
 色男、金と力は無かりけり、なのだ。
 ちなみに、私の中の色男の基準は客観性を欠いている。

 「私にだって、きっと出来ることはある」

 あるとき私はそう信じることにした。
 その結果、穴を掘ることを思いついた。
 これなら非力で高所恐怖症な私にも出来るはず。
 必要なのは小さなシャベルと根気だけ。

 すでに三十年掘り続けているが、
 私の中のもうひとつの重大な欠陥は、
 私の中で正確には認識されていない。
 「方向音痴」。

 まあ、そりゃ仕方ねえか。(←おゐおゐ)
 掘ってる作業そのものが目的化するお年頃。
  

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2013年8月23日(金)/その1352◇今日から新人公演

 圭子の夢は夜ひらく。

 15、16、17と私の人生も暗かったので、
 酒場なんかでこの歌が流れると、あの頃を照れくさく想い出す。
 20代前半まで暮らした昭和四十年代東京の貧乏な下町には、
 この歌の主人公のような女性が周辺にたくさんいたので、
 藤圭子さんの突然の訃報に、甘く酸っぱいノスタルジアがこみ上げる。
 「圭子の夢は夜ひらく」は、あの時代のひとつの側面をジャストミートする名唱だった。

 去りし日の愛おしい記憶はそのまま心の引き出しにしまっておくとして、
 今日から三日間、日本フラメンコ協会の新人公演に全力で臨む。
 まあ、自分が出演するわけではないので、それほど力みかえることもないのだが、
 毎年恒例のこの催しには、学芸会と運動会と修学旅行を
 いっぺんにやるような充実感がある。

 他の仕事がパンパン状態なので、今年の執筆取材は「ギター部門」のみに調整した。
 本番中以外は、会場ロビーのパセオブースで呼び込みをやっているので、
 親切なマイミクさんはサクラとなって客引きに協力してほしい。
 ただし、販売する三十周年記念号に載っけた私の写真と、私の現物とを見比べて、
 「写真映りがいいですね!」と叫ぶのだけはやめてほしい。

 今年で22回目となる新人公演。
 本番中は祈るような気持ちでステージを見守る。
 もうほとんど〝信心公演〟である。


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2013年8月24日(土)/その1353◇忙中閑あり

 昨晩はフラメンコ協会新人公演初日。
 公演プログラムの裏表紙には、7月号(今井翼)表紙がドカンと載っている。

 バイレソロでは、シギリージャを踊った井田真紀さんが突出していた。
 群舞では前回の記憶も生々しいエストゥディオ・カンデーラ(バンべーラ)が期待に応え、
 男性ソリスト・トリオ(雄輔・SIROCO・NOBU)のチャレンジは記憶に残った。

 終演後はご近所お向かいの行きつけで、選考委員の連れ合いと小一時間呑み、
 バタンキューの爆睡で体調は万全。

 本日二日目はパセオブースの販売準備で15時会場入りするが、
 執筆取材を担当するギターソロ(11名)は16時スタート!
 五感を研ぎ澄まし、第六感で11名のギター演奏をキャッチしたい。
 それまでは〝カラッポな時〟を楽しむ充電タイム。

                
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2013年8月25日(日)/その1354◇中日の自嘲

 その昔の学生時代、場末のパブでギターを弾いてた時期がある。
 「別れの朝」とか「人形の家」なんかの哀愁歌謡を、
 ラスゲアードを交えた〝いんちきルンバ〟でド派手に弾くと意外とウケた。
 内容なんてまるで無い、ケレンそのもののなんちゃってフラメンコ。
 フラメンコには、どうしたって人間が出てしまうのだ。

 パセオブースで客寄せの呼び込みに大忙しの休憩中、
 そういう不祥事を唐突に思い出したのは、
 取材を担当するギター部門11名の演奏が、
 どこまでも真摯にフラメンコの核心に向かおうとする熱演だったからだ。
 ドカンと突出した演奏はなかったのだが、
 ギター部門全体が醸し出す誠実なオーラは、
 何だかとても味わい深く好ましいものだった。

 バイレソロ部門での発見は、「踊り出し」のクオリティの高さ。
 スタートから十数秒の「つかみ」がもの凄くステキな人が多い。
 ああ、ファンタスティック!
 映像でイントロ特集を編集したら、きっと見映えのするものが出来るはず。

 だが、その憧れ感をラストまでキープできる舞踊手は稀であり、
 中間部でじっくり味わいを深めながら、ラストで再度スパークできる人こそが
 観客席や共演者や裏方に感銘を与えることになるのだろう。
 動作のゆるやかな中間部にこそ、舞踊手の人間性が現れるのかもしれない。
 
 駅近くの坂下にある呑み屋に向かう途中、
 後続の人々に通センボをするかのように
 横にペタッと広がりゆっくり歩く練習生とおぼしき御一行を、
 三度ばかり車道にハミ出して追い越した。
 ちなみに歩く私らのスピードは時速4キロの標準ペースである。

 聞こえてくる会話の断片は、表面的な技術論ばかりで、
 トータルなフラメンコや周囲との連携に対する視点を欠いており、
 それらはまるで35年前の私をほうふつとさせるものだった。
 そうか、若い頃には誰もが通る道なのかと、狭い歩道で苦笑した。

                      
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2013年8月26日(月)/その1355◇夏の終わりに

 三日間のフラメンコ協会新人公演は無事終了し、
 中野からの帰り道、その昔夏休みが終わった時の寂寥感を思い出した。
 遅くに戻った連れ合いから、奨励賞の選考結果を聞く。
 やや保守的だが、ぶっとい筋の通った結論に肯く。

 ここ五年くらいはすべての演目を観ていたが、
 今回はバイレソロを2割ほど見逃した。
 恒例の新人対談(12月号)は、事前にさくさく堂(若林作絵)に一任してあったので、
 ついつい気がゆるみ、精神的なスタミナがぷつりと切れてしまった。

 印象に残っているのは、ギターとカンテの両部門に出演した金沢賢二さん。
 マイテ・マルティンを彷彿とさせるような歌唱力にはちょっとびっくりした。
 もうひとり、音程こそ惜しいがフラメンコにジャストミートする
 鈴木高子さんのマラゲーニャにはうれし笑いがこみ上げた。
 彼女はたしか80歳。やはりフラメンコに年齢はないのだ。

 公演全体としては、カンテを伴奏したエンリケ坂井さんのギターがマイベスト。
 私はパコ・デ・ルシアとカニサレスの熱狂的信者なので、
 古き良き時代を奏でるエンリケさんのギターは決して好みの領域ではないのだが、
 聴く者の心を瞬時に素直に、そして前向きにさせるあの懐かしい弦さばきと音色は、
 ありゃむしろ人間国宝クラスに達している。
 

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2013年8月27日(火)/その1356◇青春

 中学を出て、すぐにスペインに渡った。
 セビージャのホセ・ガルバン宅にホームステイした。
 言葉も分からない、友達もいない。
 だから、部屋に閉じこもって、ただひたすらギターを弾いた。
 大好きなフラメンコギターとの対話は、唯一の救いだった。

 君のギターが大きく変わったのはいつの頃?
 私の問い掛けに、徳永健太郎は淡々とこう答えた。
 その三ヶ月後、一時帰国した健太郎のギターを聴いた弟・康二郎は、
 激変した兄の演奏に衝撃を受け、高校進学ではなくスペイン留学を決意する。
 わずか七年前の話である。

 フラメンコ界に激震をもたらしたフラメンコギターの天才兄弟。
 2009年の協会新人公演で兄は奨励賞を受賞、
 翌2010年には同じく弟も奨励賞を受賞する。
 どちらも会場を沸騰させるブッチ切りの快演だった。
 22歳となる兄は人気アイドル真っ青の超イケメン、
 弟はとても20歳とは思えぬ冷静な知性派である。

 新潟で活躍する父はフラメンコギタリスト、母はバイラオーラ。
 息子たちがフラメンコの道に進むことを望むわけでもなく、
 ただ「健康に暮らしてほしい」という願いをこめて、
 健太郎、康二郎と名付けた。
 おそらく彼らのご両親は、ヤン坊・マー坊「ふたり合わせてヤンマーだい!」
 というあの名高いテレビCMで育った世代だったのだと推測できる。

 スペインと日本を往復する現在の徳永兄弟は、
 スペインのフラメンコ学校でスペイン人をはじめとする諸外国人にギターを教授し、
 一時帰国中のライヴ出演の機会を順調に増しつつある。

 昨晩は高田馬場ルノアールでサンドイッチをかじりながら、
 この先の「徳永兄弟×パセオフラメンコ」の様々なコラボレーションの可能性について、
 わが子のような世代の彼らと、ぶっちゃけ本音で話し合った。
 素直でクレバーな徳永兄弟との会話は〝希望〟そのものだった。
 来年新年号からは健太郎の単独連載、4月号からは兄弟による上達連載が始まる。


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2013年8月28日(水)/その1357◇試されるのは

 やるのお、おぬしら!

 アルバムタイトルは、それぞれ『革命』と『対話』。
 聴くたびに新たな発見がある。
 十数年前にフラメンコ界に新風を吹き込んだ大物コンビ〝タカ・イ・ジン〟。
 カンテの石塚隆充(タカ)とギターの沖仁(ジン)は、
 バリバリ音を立てるように今も成長・深化を続けている。
 
 近ごろはタカの『革命』とジンの『対話』をアイポッドに仕込み、
 パセオとの往復と取材の移動中は、もっぱらこれらに耳を傾ける。
 正直に云うと、どちらも最初はピンとこなかった。
 彼らに問題があるのか、それともこのオレに問題があるのか?
 そして十回ほどガチ聴きした時点で、オレに問題があったことが判明した。

 自分にはちっともピンと来ないクラシックの名曲を、
 それでも毎日毎日聴いているうちに、ある日突然、
 そのとてつもなくファンタスティックな快感に目覚めた時の衝撃を思い出した。
 彼らはともに「飽きの来ない奥行き」を獲得していたのである。

 その瞬間、彼らがとてつもない快挙を成し遂げたことを伝えたいと想った。
 多少なりともフラメンコに縁のある人々すべてに聴いてほしいと願った。
 その翌日、タカとジンに取材依頼をかけ、お二人から快諾をもらい、
 タカとは来年新年号、ジンとは来年4月号に、それぞれ対談記事を決めた。
 
 取材はこの秋。
 すでに彼らはやるべきことやった。
 このたび試されるのは、聴き手であるこの私のほうだ。


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2013年8月29日(木)/その1358◇東敬子のA級保存版!

 来年新年号を飾るパセオフラメンコ創刊三十周年企画。
 スペイン在住フラメンコライター東敬子の、
 彼女自身の企画によるフラメンコ史に残る永久保存版。
 本文カラー24ページ、2万字を超える大作である。
 
 まず、原稿を通しで読んでみる。
 ひゃあ、力作だなあ、スケールがばかでかい。
 二度目は朱字校正を入れながら読む。
 執筆の労力のハンパない大きさに気が遠くなる。

 三度目は彼女自身のラフ・レイアウトと照合しながら読む。
 具体的なヴィジュアルが絡むと面白さが数倍に膨らむ。
 最後にじっくり味わいながら読む。
 ひゃあ~こりゃ凄い!

 早朝から深夜まで、編集に丸一日かかった。
 面白くて、うれしくて、
 時間の経過を忘れるほどに集中できた。
 おそるべし、東敬子!

 ちなみに、先日NHKで放映された日西交流400年イベントの模様も
 パセオ10月号巻頭カラー8頁(小島章司、今井翼ほか登場)に
 東さんの取材執筆でドカンとご紹介するので、こちらもお楽しみに!


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2013年8月30日(金)/その1359◇フラメンコ何でも相談室

 「パセオで何か連載やってみない?」

 フラメンコの天才ギター兄弟、徳永健太郎・康次郎さんのお二人に
 こんなムチャぶりをすると、すぐさま具体的な回答が返ってきた。
 
 「フラメンコを続けていると必ず立ちふさがる難問、
  自分たちも四苦八苦した〝あるあるネタ〟。
  そんなクエスチョンに二人の対話形式で答えます」

 例えばどんな?

 「例えば、バイレがコンパスを外してしまった場合、
  ギターはそこに合わせるべきか?、
  あるいは、あくまで正しいコンパスで弾き続けるべきか?、みたいな」

 ひゃあ、こりゃ面白え!と、即採用の運びとなった。
 何せ彼らはフラメンコの本場セビージャで、
 最先端のフラメンコを貪欲に吸収しながら、
 スペイン人を初めとする諸外国人にギターを教える身である。

 こういう切実なクエスチョンに対する的確で実践的な回答は、
 日本のバイレ、カンテ、ギターの進化にはもって来いだからだ。
 徳永兄弟には早速作業に入ってもらうことになり、
 早ければ来年二月号から連載スタートの段取り。
 〝いまさら聞けないお悩み〟の領域へもガンガン突っ込んでもらうので
 ご質問をこっそりメールしてねっ!(koyama@paseo-flamenco.com)


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2013年8月31日(土)/その1360◇踊るプロデューサーとライバルたち

 三日間の新人公演取材の穴埋め仕事で前夜は2時間しか寝てない。
 そこで激辛冷涼ミントを大量にかじりながらライブに臨んだものだが、
 休憩なし約100分の本格重量級ステージは、バイレ・カンテ・ギターそれぞれが
 次から次へと強烈な大技を繰り出し、わずかな眠気さえも生じさせなかったのである。
 
 三枝雄輔、NOBU、SIROCOという、
 型破りな大物人気若手舞踊手三人から成るアルマフラメンコ(ALMA FLAMENCO)、
 その全国ツアーの幕開け東京ライヴの最終三日目を中野で観る。

 主役バイラオール3人、カンタオール2人(ファニジョロ/阿部真)、
 ギタリスト4人(iccou矢木一好/イスマエル・エレディア/徳永健太郎/徳永康次郎)
 というすべて腕っこきの男性アルティスタのみ総勢9名というラインナップが、
 38・7度という気温に負けず劣らずの男っぽい暑苦しさの中、
 大きな期待をさらに上回る極上のアルテを炸裂させたのである。

 NOBUは彼だけに可能な男らしい原始フラメンコでアレグリアスを踊る。
 スリリングで重たい躍動感は、唐突に人類本来の潜在能力の大きさを舞台空間に描き出す。
 ここまでセオリーに頼らないハチャメチャぶりもおそらく人類唯一だが、
 ほとんどの瞬間でそれがフラメンコの核心をとらえていることは明らかであり、
 その魂の内側からほとばしる繊細な知性とユーモアには、優れた未来性を感じてしまうのだ。

 フラメンコの静と動、あるいは想いと力のコントラストで〝気高く美しい男気〟を体現する。
 現時点での三枝雄輔は、総合力的に若手邦人バイラオールの頂点だと私は想う。
 今宵のソレアは80点くらいだったが、
 バックのカンテを鮮やかに浮かび上がらせるほとんど動かない立ち姿は、
 ただそれだけでフラメンコの深淵を預言し、溜めにため、
 ここぞと爆裂する優れた技巧の瞬発力は、エンタテインメントの歓びを全開にする。

 新人公演で奨励賞を受賞したころのSIROCOに、ほとんど私は興味を持てなかった。
 その理由のほとんどは運動能力抜群のイケメンに対する健全な嫉妬だが、
 ジャガジャガ動いてばかりいないでフラメンコやってくれよお!という
 正当な理由も3%くらいはあったと思う。
 だがこのステージで、SIROCOは別人のように激変していた。
 フラメンコに不要な動きは八割方そぎ落とされ、
 フラメンコに捧げようとする洗練された粋と力に、ただただ私は酔いしれた。
 何が彼のフラメンコをここまで大きく変えたのか? 
 ライバル視すべきツワモノどもを結集させた彼はこのツアーのプロデューサーなのだが、
 それが彼のバイレに化学反応を引き起こした要因のひとつである可能性は高そうだ。

 「いつまでもフラメンコの先輩たちにオンブにダッコというわけにはいかない。
  出来る出来ないではなく、僕らの世代で何かを始めなければならないんです」

 昨晩ライヴの余韻に心地よく浸りながら、今この原稿を書く部屋の窓から、
 生命そのものを謳歌するような蝉の声が聞こえてくる。
 夏の初めに編集部を訪ねてくれたSIROCOの言の葉がその快声に余韻する。


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