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2013年8月1日(木)/その1388◇今井翼/未来の創り方
PLAYTZONE'13 SONG&DANC'N。PARTⅢ
(今井翼座長/全40公演)
7/3~8/10 東京(青山)青山劇場
[パセオフラメンコ11月号/公演忘備録・番外編の下書き]
今井翼のライヴステージを観るのは昨年暮れの渋谷ヒカリエ『バーン・ザ・フロア』以来。
あの折、国際的ダンス・エンタテインメントの日本代表ゲスト舞踊手として、
溶け込みながら突出する彼のダンサー資質は、
大リーグにデビューした頃のイチローをほうふつとさせたものだ。
殊にスペイン舞踊ソロシーンにおけるフラメンコ修業の蓄積が
深く静かににじみ出る光景には、
この〝翔ぶために生まれた男〟の有言実行の矜持がくっきり視えた。
そして今回座長として、中山優馬、屋良朝幸ら二十数名の若きジャニーズ精鋭を従え、
熱く逞しいリーダーシップを執る夏の風物詩〝プレゾン〟。
40公演で約5万人を動員する歌と踊りのエンタテインメントは、
舞台には何かとうるさいこの58歳の老いぼれに
「こんなに楽しい舞台観たことねえよ」という愚直な感想を吐かせた。
そんな爺いでさえ半分以上は聞き知るジャニーズの伝統的名曲の数々
に革新的なアレンジを施す正味二時間ほどのステージの、
希望とエネルギーの漲る歌と踊り、決して観客席を飽きさせないスピーディな転換、
美術・照明・音響などの優れた舞台効果は、ライヴ・エンタテインメント本来の
熱狂と歓びを謳歌する鮮やかな色彩とクオリティに満ち充ちている。
観客席のフィジカル面をどこまでも重んじる舞台構成の玄妙な濃度分布の手法は、
舞台に関わるすべての人々に啓蒙的であり、
そこにはわれらフラメンコ界が進化するための多くの発見もあった。
さて。五年前に日生劇場で初めて彼を観た頃に比べ、
エンターテナー今井翼はおそるべき進化を遂げている。
翼ファン初級者の私が敢えて分析するなら、
それは第一に存在感、第二に安定感、第三に粋な味わいだ。
これら領域の進化および深化の充実ぶりが、
舞台全体の大成功を支えた主な要因かと私には思える。
フラメンコ寄りの演目、近藤真彦さんのあの懐かしいヒット曲
『アンダルシアに憧れて』の歌い舞いを楽しみにしていたのだが、
実際には今井翼の踊るオープニングの二曲あたりで
私の願望はすでに叶えられていた。
つまり、ブレない軸でフレーズぎりぎりまで歌い切るあのダンスは、
フラメンコの身体的・精神的教養そのものだったから。
シャープなキレ味もさることながら、そこから生まれる存在感、安定感には
フラメンコの風格そのものが宿っていたから。
スタイリッシュな高速展開の中にも
落ち着いた大人の粋な味わいが生まれる理由もそこにある。
甘みの中の苦み、苦みの中の甘み。
演じることよりも、ステージの瞬間瞬間を彼は純粋に生きている。
フラメンコで云うところの、彼はまさしく彼だった。
『バーン』での活躍に鈍感な私でさえ薄々それに気づき始めていたわけだが、
未来を賭け、確信をもって彼がフラメンコを選んだ理由がここに来てはっきり腑に落ちた。
延べ五万人の観衆の前で単刀直入に、
彼は自らの生き様を極めて明快に証明した。
ブレることのない彼の未来ヴィジョンは、今現在の彼を完全燃焼させていた。
出来るだけ早い時期に今井翼の本格バイレソロを観たいというのが本音だったが、
彼がフラメンコと共に生きる成果がこうした局面にも内側からあふれ出す光景に直面して、
そういう身勝手な想いに執着するのはもうやめだと思った。
彼は私の期待よりも遥か深い領域でフラメンコを捉えていた。
本誌8月号で師匠・佐藤浩希と語った「俺は赤ワインになる」の真意が
まるで薄皮がはがれるように分かった。
こうしたエンタテインメントにせよ、タキツバにせよ、芝居にせよ、
スペイン文化特使の使命にせよ、自らの人生にせよ、
それらトータル面で今井翼の磨き続けるフラメンコ的〝裸の自分〟が
進化熟成してゆくプロセスそのものにずっと注目し続けようと私は決めた。
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2013年8月2日(金)/その1389◇いいねっ!
「老いの重荷は神の賜物。
古びた心に自分で最後の磨きをかけ、まことの故郷に帰るため、
自分とこの世をつなぐ鎖を、少しずつ外してゆくのも大切な仕事のひとつ」
マイミクさんのつぶやきで、つい先程こんな名言を知った。
若い頃なら迷わずスルーしたところだろうが、
人生58年、その内パセオフラメンコ人生30年を経て、
少なくとも身体的には充分ガタピシ状態であるからして、
目からウロコ的な驚きこそないものの、
そのサクッとしたしっくり感が、妙に感覚のツボをとらえる。
さまざまな神さまや日本的儒教などのシバリから
自らを解き放とうとする気ままなフラメンコライフは、
私にとっての「まことの故郷」に還ろうとする準備でもあるのだけれど、
実際にはそうした生き方に大した自信があるわけでもなく、
たまたまそれを選び、どうやらこうやら生きている。
そんなわけで、ある普遍的なテーマが、
ある個人の実感から率直に発信されるシーンに出逢うとき、
心のいいねっ!を何度も叩きながらしっくりくる快感に浸る人生最良の時を得る。
私のケースではそれが、音楽、舞踊、読書(特に藤沢周平とパセオ)、
落語、将棋であることが多いのだが、
その最たるものはやはり、好ましい周囲とのライヴなふれあいに尽きるだろう。
年齢相応に老いを得たほぼ同世代のジェーとの関わりなどは、
その最もシンプル・原初な形態であることに、たったいま気づく。
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2013年8月3日(土)/その1390◇o^−^o)
「フラメンコはだいすきなんですが、知識はほぼゼロ。
パセオフラメンコを端から端まで読んで、付箋も付けてます。
めっちゃ勉強になります。元気もたくさんもらえます。(o^-^o)@」
こんなツイートをもらって、シンプルに大喜び。
元気をもらったのはオレの方だわ。
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2013年8月3日(土)/その1391◇革命は成った
石塚隆充2ndアルバム〝REVOLUCIÓN(革命)〟
リーリス記念スペシャルライヴ 7月31日(水)/東京(目黒)目黒ブルースアレイジャパン
【カンテ/ギター】石塚隆充【ギター】小林智詠/長谷川暖
【ベース】コモブチキイチロウ【ピアノ/ヴォーカル】石塚まみ
【ヴァイオリン】佐久間大和【パーカッション】大儀見元
【パルマ/コーラス】伊集院史朗/カルメン・ポルセル
目をつぶって聴くと、その絶妙な歌唱はまるで
格調高きスペイン人カンタオールが歌っているかのようだった。
16年前(97年)、協会新人公演への彼の登場はちょっとした事件であり、
当然のごとく彼は奨励賞を受賞する。
時に彼は24歳、音大声楽科出身の本格歌唱は
すでにフラメンコを摑み始めていた。
以降堂々たる展開でカンテの地平にさまざまなエポックをもたらす
イケメン人気カンタオール石塚隆充。
その40年の半生を噛みしめるかのような本誌連載に対するファンの声援は熱い。
近ごろの編集部は、スペインの最高峰歌手カマロンやミゲル・ポベーダと
同じような頻度でタカの最新CDをかける。
唯一収録されたガチンコ・フラメンコ(ソレア・ポル・ブレリア)の
益々深まりゆく本格性にニンマリしつつも、
この2ndアルバムの目玉である日本語で歌うフラメンコにはまさに
「歴史が創られる瞬間」を感じ、ついついリピートしてしまうのだ。
殊にタンゴス(テ・カメロ)は、『革命』と名付けられた
アルバムタイトルの矜持を裏付けるのに充分なものだった。
ちなみに日本語セビジャーナス(春夏秋冬)については、
あと百回くらいガチで聴くまで感想を保留。
スタイリッシュでありながらどこかもの哀しく、
しかもツネリの利いた小粋なタンゴス。
この曲種はこれまですでに何万回となく聴いてるはずだが、
繊細なニュアンスが直接伝わる日本語歌詞と
あの魅惑的な哀愁メロディを同時に味わうことは、
日本語一筋で生きる私には初めての体験だった。
それまでは解説書の対訳を読んで漠然と雰囲気をつかむのが
せいぜいのところだったが、このタンゴスは違う。
リアルタイムな日本語歌詞で具体的な情景がありありと浮かんでくるのだ。
つまりスペイン人が自国語でフラメンコを味わうのと同じ感覚。
日本語フラメンコはこれまでにも度々試みられたが、
このタンゴスは、さまざまな角度からの創意工夫による
実に精妙なニュアンスでそれを成功させている。
つまり日本語なのに何の違和感もなく
小粋なタンゴスの醍醐味を満喫させてくれるのだ。
コレってほんとうに凄いことなんじゃない?!
この曲が後世のフラメンコファンに「あれは革命だったね」と
云わしめさせる可能性は極めて高い。
さて、そのCDの発売記念ライヴでは収録全11曲のすべてが歌われた。
タカは本当に歌が巧い。
最初から最後まで雑念の入る余地がないほどに
音楽そのものの楽しさに没頭させてくれるライヴ空間には、
心地よい刺激と懐かしい暖かみがずっと同居していた。
そして、お目当ての日本語タンゴスで私の盛り上がりは絶頂に達する。
ライヴならではのメリハリが強調されて、
録音よりも一層男女関係のニュアンスが濃厚で、
殊に「君が喋るとややこしいから」と歌う部分の〝おどけ〟は
泣き笑いの風情さえ帯びる実にステキな瞬間だった。
ライヴ演唱でその革命的価値は一層明らかとなり、
石塚隆充の日本語タンゴスによって「日本語で歌うフラメンコ」は、
その前人未到の入口に達したことを感じる。
このことの将来的意義は実はとてつもなく大きい。
この創意工夫の精神と方法論は、
他のさまざまなヌメロ(曲種)に波及してゆくことだろう。
未来に向かう明るい充足感に浸る家路、
日本のフラメンコ畑から産まれた〝石塚隆充の革命〟について
改めて検証する特集を近々に組むことを決めた。
ちなみに、CDもライヴも二番目に凄いと思うのは
ガチフラ「ソレア・ポル・ブレリア」、
三番目はフラメンコ調で洒脱に歌う「津軽恋女」。
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2013年8月4日(日)/その1392◇頑張りすぎてしまう人に
今朝のツイッターに虚を突かれて爆笑!
https://twitter.com/gayageinin_talk
つい頑張りすぎてしまう人を、
時に効果的に励ますエールはこれだと思った。
「はしょれメロス」
案外と原作者も爆笑だったりして。
おざなりではない、心からの声援を感じるなあ。
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2013年8月5日(月)/その1393◇上達の真相
「脳と体がどういう具合につながればいいか、
最初にそのポイントを認識してもらう。
それを念頭に置いて、あとは反復練習あるのみ。
自分の身体を動かしながらそれを繰り返すと、
段々とそのツボがわかってくる。
とにかく実際に身体を動かしながら、
そういうメカニズムを頭でなくて、
からだの実感として解ってゆくことが大切です」
(パセオフラメンコ8月号/碇山奈奈 CON FLAMENCO)
初めてひとりで自転車に乗れた時の感覚、
あるいは初めて泳げるようになったときの感覚。
奈奈さんの方法論は、遠い昔の
そういう劇的瞬間を思い出させた。
奈奈さんのこの言葉に大いに反応したのも、
五十を過ぎて初めて知った文章を書く歓びというのが、
実はそれと同様のメカニズムなのではないかと思い当たったからだ。
頭脳に一瞬閃いた何かを、つたない作文技術でつかまえる。
もちろん乏しい経験で、いきなりそれを表現することは出来ない。
何十回も何百回も、悪あがきにも似たアプローチを繰り返す。
数行の日記を書くのに半日かかった時期もある。
ただし、どーやらこーやら捕まえたそうしたツボの快感には、
充分すぎる手応えがあった。
毎日の日記は、自分のツボを確認するための反復練習だった。
三年も続けると、親しいお仲間と
呑み屋でダベるようなスピードで書けるようになった。
その頃から好ましくも漠然とした戦略が芽生えたのだが、
それは冒頭に続く奈奈さんの発言で明らかになる。
「自分を誤魔化さないこと、
わかったようなフリをしてごまかさないこと。
自分をごまかす人は、そこに逃げてしまうから、
いつまでも脳と身体がつながる感覚がわからない。
逆に、自分に正直な人なら誰でも出来る。
余計なことを考えないで、自分に対して素直になればいいんです」
つまり、読者も含めパセオのお仲間たちとゆるやかに共有したい方法論は、
そういう単純なことだと気づいた。
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2013年8月6日(火)/その1394◇楽しさを語る視点
「社会の厳しさはもういいので
社会の楽しさを教えてください」
ツイッターで見かけたのだが、ああ、いい発想だなあと想う。
何でもかんでも悲観的あるいは批判的に叩く。
云う方も聴く方もそれなりの快感はあるのだが、
結局のところ、悪い後味のみを残す幼稚な刺激。
そういう世相に飽きたというか、ちょっとウンザリ気味なのに、
自分でもウッカリそんな悪循環の尻馬に乗っかってしまうことがある。
ああ、いかん、いかん。
そんなんではパコ(・デ・ルシア)ファンを自称することも出来ない。
想い起こせば「楽しさ」を教えてくれる大人が好きだった。
子供心なりに、その明るい視点に希望なりエネルギーなりを感じたからだろう。
よしっ、ものは試しだ。
今の今から「楽しさを語る視点」に集中してみよう。
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2013年8月8日(木)/その1397◇哀しい実物
パセオの創刊三十周年記念号の見本が刷り上がったので、
帰りに寄った地元行きつけで、呑み友たちに何冊か進呈した。
おめでとうございますと、トモちゃん(15ばかり年下の女将)が
ボトルを1本プレゼントしてくれた。
マエストロ・カニサレスと今井翼さんの対談写真に、
居合わせた女の子たちがきゃあきゃあ騒ぎ、
男どもはマリア・パヘスの舞台写真(ウトピア)にクギ付けとなる。
巻末の三十周年記念企画に、
ジェーと私の2ショット写真を見つけた女将が、
大笑いしながらこう云う。
「小山さん、写真映りイイっすね!」
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2013年8月9日(金)/その1398◇永い目で見れば
「すべての人に〝天才〟は必ず二つ以上ある。
笑顔の天才と料理の天才が組み合わさって、
素敵なラーメン屋さんができるように。
その掛け合わせで、その人にしかできない人生が展開していく。
謝る天才でもほめる天才でもなんでもいい。
二つあるから、誰とも違う、みんな違う天才」
by 箭内道彦
朝バッハ(グールドのフランス組曲)を聴きながら
ツイッターを眺めていたら、今日もこんな掘り出し物があった。
「https://twitter.com/Copy__writing」さんの発信には、実に楽しい発見が多い。
○○ちゃんはアレとアレ、○○さんはアレとアレ・・・みたいに、
周囲の好ましい連中を想い起こすと、すべてこれに当てはまることに気づく。
そうした個性がたまたま社会情勢に適合すると、
いわゆる社会的成功に直結しやすいのだろうが、
まあ無理やり適合しなくとも(オレだよ俺)、
永い目で見れば、そういう人はそこそこ平和なのではないかとも想う。
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2013年8月10日(土)/その1399◇輝く瞳
今日はプレゾン最終日。
私は七月に一度出掛けただけだが、あのハードなステージを
ひと夏で40公演完全燃焼させるプロ根性には身が引き締まる想い。
そしてこの猛暑の中、遠方から幾度も通うファンの熱き応援。
折しも今井翼さんのスペインのフラメンコ師匠であるマヌエル・べタンソが来日。
あのハードな日程の中、今井さんは積極的に対談(翔ぶために生まれた)取材に臨んだ。
その〝精神的スタミナ〟の根源に、ふつふつと興味が沸いてくる。
二週間後にはフラメンコ界の夏の風物詩、
社団法人日本フラメンコ協会の新人公演(8/23~25)が迫る。
多くの人気プロを産み出した業界最大のイベントだ。
三日間、それぞれ三時間を越える金・土・日の全日取材。
「私的奨励賞」の執筆取材、12月号「しゃちょ対談」新人ゲストの発掘、
聴き込み取材、公演前後と幕間のロビー・パセオブースの販促呼び込み、
そして通常の締切仕事も待ってはくれないから、
けっこう私(公称28歳/戸籍上58歳)も忙しい。
正直そろそろ全日フル取材は後進に譲るかと弱気になったりもするのだが、
どこからともなく
「生きてる最中に死んだフリしてどーする?!」
というありがたいアドバイスが聞こえてくる。
プレゾン幕間にお会いした今井さんの輝く瞳が、ググッとそこに拍車をかける。
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2013年8月11日(日)/その1340◇お前は何様か
「人を指差すな。
人を指差すとき、
三本の指がお前は何様だと指差している」
毎朝数分だがツイッターを散歩する。
余裕のある時はホーム画面を観るが、
そうでない時は登録した発信者グループのみを観て、
リツイートしたり、〝お気に入り〟に登録したりする。
そういう〝お気に入りツイート〟には目からウロコな発見も多く、
空いた時間にそれらをじっくり反芻し、
自分の問題として考えるのが近ごろのささやかなマイブーム。
冒頭言なども、ハッとするような発見がある。
そう、確かに、心当たりは山ほどあって、
いや、星の数ほどあって、
軽はずみな批判は、必ず三倍になって返ってくる。