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2012年8月1日(水)/その1130◇今井翼/自ら拓く遥かな道
先ごろスペイン文化特使に任命された、ツバメンコ今井翼さん。
今冬12月日本に上陸するミュージカル『バーン・ザ・フロア』に、
日本代表のスペシャル・ゲストダンサーとして出演するという。
このミュージカルはブロードウェイやウエストエンドをはじめ、
世界各国で人気を博すダンスエンタテインメントで、
毎回もの凄いゲストダンサーが登場することが特徴らしい。
若くしてダンス修行のため単身ニューヨークに渡ったり、
二十代半ばからフラメンコに取り組んだりと、
地道に確実に突き進む本格チャレンジ姿勢が、
次々とビッグ・チャンスを引き寄せる展開は、
世代性別を問わず、現代日本の低迷打開への大きなヒントになり得るだろう。
先週の読売新聞にも堂々たる写真記事(スペインとの懸け橋に)が載っていたが、
自らの意志で積み上げられるチャレンジの結果というのは、骨太ゆえに美しい。
現代の若者が被災する、寄ってたかるようなオトナのグロテスクな過保護につぶされない、
若く逞しいフロンティア魂に注目し続けたい。
願わくば、四十代でフラメンコ勝負を!
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2012年8月2日(木)/その1131◇本日オンエア2本
沖仁がマヌエル・アグヘータと共演。
本日8/2(木)21:00-22:00 NHK BSプレミアム
「旅のチカラ」人生を弾き、魂を響かせろ ~沖仁 スペイン~
http://www.nhk.or.jp/bs/tabichikara/
(↑)ワシんとこBSだめなので、先着一名で誰かよろしく!
ダブりでもうひとつ。
月刊パセオフラメンコが一瞬出演するというウワサの、
刑事ドラマ『遺留捜査』第三話も本日オンエア。
先週予定の放映が延期になったのは、
何者かによる「慰留操作」であった可能性は、
ほとんどないと思う。
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2012年8月3日(金)/その1132◇粋
「いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、
愛が原因で間違ったほうが素敵ね」
(マザー・テレサ)
ひゃあ~、ザバけてるなあ。
踏み込みと開き直りの深度が違うな。
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2012年8月4日(土)/その1133◇悟れぬタイプの幸福論
リーマンショックと大震災。
国際不況と多くの国内問題。
日本の世相はかなり暗い。
では、失業率が5割を超えるというスペインではどうか?
「大変は大変だが、国民は皆、そんなには暗くない」
現地や現地帰りの邦人に聞くと、そんな答えが返ってくることが多い。
まあザックリ云えば、国民性の違いということなのだろう。
テレビの国際ニュースでも、こんな風に答えるスペイン人が多かった。
「今は大変だけど、来年はきっと少し良くなる」
度を超えた楽観性が時に致命傷を招くことは、
私自身の人体実験によってすでに私の中では実証済みだが、
度を超えた悲観性というのは、それよりも更にリスクが高いものだという
多くの実例も見てきた。
相変わらず暗いニュースやスキャンダル報道に終始する日本の偏向は、
いたずらに負のスパイラルを発生させるが、
そういう誤った偏向に巻き込まれぬための自衛対策は実は急務だろう。
適度の悲観と適度の楽観。
誰しも頭ではわかっていることだが、実際には難易度の高いスキルだ。
幸福とは、その適切なバランス配合を習慣として身につけること。
そんなふうにも思えてくる。
「悲観が基本だが、そればかりじゃ勝ち筋は見えない」
二つ先輩の死んだ福沢の口癖に、辛うじて助けられることは多い。
悲観は主に、日本人特有の「生真面目さ」を手段として活用することでキープし、
一方の楽観は「アルテと笑い」によって支え育てる。
悟りに程遠いタイプの人間に限れば、それなりに有効な長期戦略に思える。
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2012年8月5日(日)/その1134◇周平モード
三、四年ぶりで、周平モードに入ってる。
70冊ほどの藤沢周平師の文庫本を、たっぷりと読み返す道楽。
状況に応じ三ヶ月から半年くらい掛けるが、
三十代に始めたこの習慣も、かれこれ十回を越えている。
興奮気味の馬を「どうどう」と優しく宥めるような、
私のような暴走人間には、そういうバランスは生命線にも思える。
風呂、歯磨き、トイレ、通勤、取材の移動、
昼飯、公演の開演待ちなどの時間をかき集めると、
短い文庫なら一日一冊は読める。
今回の特徴は、速読傾向の私が実にゆっくり読んでいること。
リアルに人間を肯定するあの名文を丁寧に読み込んだところで、
あの美しい普遍が自分の文章に憑依してくれる可能性などまるで無いものの、
日常生活への好ましい影響をわずかに感じることは稀に有る。
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2012年8月6日(月)/その1135◇地球号の夢
「ヘイ柔道」
ロンドン五輪開会式でポール・マッカートニーが、それを歌っていたのが象徴的だった。
そりゃちょっと違うかもしれんけど、柔道の国際化はグイグイ進んでいる。
日本のメダルが少ないのは正直ちょっとくやしいが、
柔道そのものが国内に籠もってジリ貧化することに比べたら、雲泥の差でうれしい。
本家日本のプライドたる「一本勝ち」志向は、
国際化に伴なうルール変更によって勝ち辛くなったし、
日本人が弱くなったというより、他国の人たちがいっそう強くなった。
過度期にあって一時的に本質は薄まるが、それが国際化というものだ。
相撲の世界でも、それを私たちは目の当たりにしている。
ドイツ発祥のバッハだって、自国では自家中毒気味だったところを、
カナダ人グールド、オランダ人レオンハルト、ベルギー人クイケン兄弟、
多くの日本人バッハ奏者など、他国の優れた音楽家たちによって、
未来永劫人類の行方を照らす国際社会の共有財産となった。
現代は「ドイツ人なのにバッハが上手い!」と珍重される時代であるし、
強い邦人が出てくれば「日本人なのに横綱じゃあ!」と絶賛されそうな時代だ。
ヒンシュク買いを承知で云えば、
「スペイン人なのにフラメンコが上手い」と云われる時代は、
今世紀中に必ずやってくる。
「やはり本家の一本勝ち柔道はいいねえ」
「やはり本家のバッハはいいねえ」
「やはり本家のプーロ・フラメンコはいいねえ」
自家中毒の罠にハマることなく、国際化の荒波を乗り越えた上で、
世界中のアルテ・ファンはそんな風に感極まってみたい。
文化やスポーツが全世界の共通項を増やすことは、
私たちが暮らす地球号にとって極めて好ましいことだ。
ナショナリズムとインターナショナリズムの共存共栄は人類最大の幸福だから。
日本のフラメンコの隆盛は、単にアフィシオナードの人生を潤すことに留まらず、
そういう歴史的役割をも担っている。
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2012年8月7日(火)/その1136◇顔で笑って心で泣いて
カナーレスとの公演で大忙しだった連れ合いと待ち合わせ、
久々に地元・秀で呑む。
そこそこ盛況の日曜晩だが、クーラーの調子が悪いらしい。
ずっと以前にもそんなことがあったが、
そんな時に揚げ物のオーダーに応える厨房というのは、
40度を軽々と超える灼熱地獄であるという。
さて、刺し身を済ませ、次は何だと促すと、
連れ合いは平然とこう云い放つ。
「カラ揚げっ!」
うわっ、きたぁーーーーーーーーーーーーーーー!
空気を読まず、明るくカラッと希望を述べるのは、
イバラの道を歩むプロの舞踊家たちに共通の特徴である。
観念した私は、後ろのテーブルで美女たちをはべらせる
鶏カラが大好物の松っちゃんに声を掛ける。
「オレら鶏カラ頼むけど、便乗すっか?」
厨房地獄を一度で済ませようとする配慮であるが、
すでにそういう暴挙を諦めていた松ちゃんは、目を輝かせながら叫ぶ。
「えーっ! いいんですか? ボク責任とれませんけど」
「いいんだ、責任はオレが取るから」
敵艦への特攻命令を下す上官のような心持ちで、
カウンター内の同志に、努めて明るい声で私はこう云う。
「すまんがマーちゃん、鶏カラふたっつね!」
どう見ても格闘家だが、心優しい料理人マーちゃんは、
そのまさかまさかのオーダーに、
一瞬のちゅうちょも無く、あの凛々しい笑顔でこう拝命した。
「命を懸けて、揚げさせていただきます」
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2012年8月8日(水)/その1137◇ワンセット
「人生は近くから観ると悲劇だが、遠くから観れば喜劇だ」
なるほど、こう看破したチャップリンはさすがだ。
若い頃はわからなかったが、今ならばその仕組みがよくわかる。
単なる遠近法ではなく、時空を超える遠近法であるところが巧くて、
いろんなことを考えさせる。
遠い青春の悲劇が時とともに喜劇化されてしまうこととか。
悲劇も喜劇もそれなりに忙しいが、退屈よりはずっと楽しいこととか。
悲しみから生まれた心の傷から、喜びの芽が生まれることとか。
三度のメシには辛味と甘味が欲しいように、
どちらか一方じゃ、かえって人生ドラマも味気ないものだし、
新鮮な刺激のない生活というのは、じわじわと心を腐らせるものだ。
てなことを噛みしめながら、今日もまた直近の悲喜劇と向き合う。
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2012年8月9日(木)/その1138◇独裁者
「彼は自分のことを痛烈なまでにからかっていました。
チャップリンの風刺映画『独裁者』が気に入って、何度も観てました。
そのたびにお腹を抱えて笑ってましたよ」
悪名高き独裁者ヒトラーの秘書だったドイツ人女性の、
生前のインタビュー記事にこんな記載があった。
やり過ぎてしまったヒトラーだが、
そこまで冷静な確信犯だったことに驚きがあった。
つまり、そこまで深い暗闇を抱えていたことに驚きがあった。
そのことが、一方のチャップリンの抱えていた暗闇を照らし出す。
おそらくは、チャップリンが踏み留まったラインに、ぎりぎりのアートが揺れている。
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2012年8月10日(金)/その1139◇いい人になりたいのか否か
毎朝わずかな時間でも、必ずバッハを聴く。
もう四十年来の習慣だが、
習慣だけに、その善悪は見極めづらい。
「今日はいい人になれる」
そういう錯覚を誘う力量のアルテではある。
精神に快感をもたらす、ストイックな楽天性がある。
劣悪な私がシャバで暮らせるのも、この習慣あってこそとも思える。
未だにいい人になれないことが課題と云えば課題だが、
それを成就してしまうと今度は、
毎朝バッハを聴くための云い訳が成立しづらくなるのが難点だ。
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2012年8月11日(土)/その1140◇閉(しずけ)さや
きのうは馬場で、デザインや印刷の仲間たちとおつかれ呑み会。
高い精度をぎりぎりコストでやってくれる若者たちなので、
年に何度かは安酒を振る舞う。
逆の立場だった若き日々を懐かしむ感傷も小さくはないのか、
遠く離れた歳月がクロスオーバーするような感覚に幾度も見舞われる。
6時起きで記事書きと原稿整理を済ませ、午後から向島・百花園へ。
東武亀戸線経由で片道一時間かけて、我ながらご苦労なことだが、
この江戸の楽園の木陰で楽しむ読書や音楽には、懸け替えのない愉悦がある。
藤沢周平『橋ものがたり』と刷り上ったばかりのパセオ最新9月号。
そして、昔懐かしジャック・ルーシェ・トリオの『プレイ・バッハ』。
沁みこんで来るそれぞれの感触は、充電されるヨレヨレ電池の気分を誘う。
明治の文豪・田山花袋も愛用した園内の茶屋にて熱いお茶を所望し、
穏やかな年寄り気分に浸る。
蝉の音とともに、ふいにファン・タレーガのソレアがあたりをこだまする。
ギラリとする欲望とサクリとする希望が、ほどよく中和するひと時。
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2012年8月12日(日)/その1141◇効用と問題点
近ごろはやたらと麻雀の誘いが多い。
定年不良おやぢたちが、ヒマを持て余しているのだ。
すまんとは思うが、すべてキッパリ断わる。
28年前のパセオ創刊と同時に、麻雀と車の運転を同時に断った。
私の運転は運を天に任せるような危険な代物だったし、
食うための麻雀は25歳が定年だと感じていたから
どちらも未練はなかった。
携わるフラメンコそのものがスリリングだったし、
暮らしと人生を賭けるその出版自体が泥沼博打だという反動から、
小博打に対する興味は急速にしぼみ現在に至っている。
だがやはり、麻雀は人生の優れた縮図だと云える。
数学と文学、あるいは生存競争とアルテの相関関係を
感覚的に学べる利点も小さくない。
国語・算数に続く必修科目として最適のようにも思える。
ただし、余りに面白すぎて、
肝心の人生をやってるヒマがなくなっちまうところに問題がある。
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2012年8月13日(月)/その1142◇人類のファンタジー
オリンピック最終日の昨日は、マラソンとレスリング鑑賞で大忙しだったが、
東野圭吾さん原作の映画『さまよう刃』には、観るべきものが大いにあった。
相手の腕を折ったら、自分の腕を折られる。
相手の命を断ったら、自分の命を断たれる。
「目には目を」に代表されるように、処罰に利子を加えないことで、
仕返しの連鎖を回避しようとするハムラビ法典の明快なヴィジョンを、
若い頃から好ましいと思っていた。
法典内の身分差別は意外だったが、人種差別、宗教差別はない。
被害者と加害者。
意識無意識に関わらず、あらゆる人間はその両方をやってるはずだ。
ハムラビの考え方が優秀だと感じるのは、
そこにわかりやすく納得性の高い抑止力が働くからだ。
家庭や学校や社会全体で、こうしたコンパスをきびしく叩き込み、
13歳以上にこれを適用する制度が望ましいと私個人は考える。
一方で、私の周囲には死刑反対論者も多く、
次の意見には、大いに納得できるものがある。
「犯罪は腫瘍のようなものであり、誰にでも発症する可能性がある。
だから、それを人間社会全体で治療する必要がある」
そんなわけで、この問題に自分なりの結論は下せていない。
このテーマは、あらゆる社会問題の肝でもあるだろう。
心情的にも論理的にも圧倒的に私は前者なのだが、
北欧ノルウェーのあの理不尽な殺戮者に対する
ノルウェー国民の寛大さに見られるような後者の考え方に
「人類のファンタジー」を感じてしまう自分の優柔不断と
いましばらくは付き合ってみようと思っている。
今日の通勤散歩は、グリーグ(ピアノ協奏曲)で決まりだな。
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2012年8月14日(火)/その1143◇あと十日
この時期になると、なんとはなしにソワソワしてくる
ステージに渦巻く潔い志や客席の熱狂に触れると、
日本全体に蔓延するネガティブな雰囲気が、
まるで嘘のように思えてくる。
そういう雰囲気は、ほんとうにウソなのかしれない。
EU不況にあっても、あのスペインの生活は明るいというから。
日本フラメンコ協会の新人公演まであと十日。
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2012年8月15日(水)/その1144◇明暗
「愛されることより愛することを、
理解されることよりは理解することを」
(マザー・テレサ)
インタビュー取材という新たなチャレンジから三年。
詰将棋のような絶対的正解を有しない混沌の中を、
よりベターにたどりつこうとする七転八倒のプロセス。
だが、相手を理解しようとするその努力の質量は、
ほぼ成果に比例しながら報われる。
一方で、モテないよりは、モテるほうが断然いい。
だから、そのための努力を無駄とは思わない。
不思議と成果は出ないが、それがどーした。