フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

しゃちょ日記バックナンバー/2012年8月①

2012年08月01日 | しゃちょ日記

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 2012年8月1日(水)/その1130◇今井翼/自ら拓く遥かな道

 先ごろスペイン文化特使に任命された、ツバメンコ今井翼さん。
 今冬12月日本に上陸するミュージカル『バーン・ザ・フロア』に、
 日本代表のスペシャル・ゲストダンサーとして出演するという。

 このミュージカルはブロードウェイやウエストエンドをはじめ、
 世界各国で人気を博すダンスエンタテインメントで、
 毎回もの凄いゲストダンサーが登場することが特徴らしい。

 若くしてダンス修行のため単身ニューヨークに渡ったり、
 二十代半ばからフラメンコに取り組んだりと、
 地道に確実に突き進む本格チャレンジ姿勢が、
 次々とビッグ・チャンスを引き寄せる展開は、
 世代性別を問わず、現代日本の低迷打開への大きなヒントになり得るだろう。

 先週の読売新聞にも堂々たる写真記事(スペインとの懸け橋に)が載っていたが、
 自らの意志で積み上げられるチャレンジの結果というのは、骨太ゆえに美しい。
 現代の若者が被災する、寄ってたかるようなオトナのグロテスクな過保護につぶされない、
 若く逞しいフロンティア魂に注目し続けたい。
 願わくば、四十代でフラメンコ勝負を!


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2012年8月2日(木)/その1131◇本日オンエア2本

 沖仁がマヌエル・アグヘータと共演。

 本日8/2(木)21:00-22:00 NHK BSプレミアム
 「旅のチカラ」人生を弾き、魂を響かせろ ~沖仁 スペイン~
 http://www.nhk.or.jp/bs/tabichikara/
 
(↑)ワシんとこBSだめなので、先着一名で誰かよろしく!


 ダブりでもうひとつ。
 月刊パセオフラメンコが一瞬出演するというウワサの、
 刑事ドラマ『遺留捜査』第三話も本日オンエア。
 先週予定の放映が延期になったのは、
 何者かによる「慰留操作」であった可能性は、
 ほとんどないと思う。


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2012年8月3日(金)/その1132◇粋

 「いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、
  愛が原因で間違ったほうが素敵ね」
                 (マザー・テレサ)


 ひゃあ~、ザバけてるなあ。
 踏み込みと開き直りの深度が違うな。


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2012年8月4日(土)/その1133◇悟れぬタイプの幸福論

 リーマンショックと大震災。
 国際不況と多くの国内問題。
 日本の世相はかなり暗い。
 では、失業率が5割を超えるというスペインではどうか?

 「大変は大変だが、国民は皆、そんなには暗くない」

 現地や現地帰りの邦人に聞くと、そんな答えが返ってくることが多い。
 まあザックリ云えば、国民性の違いということなのだろう。
 テレビの国際ニュースでも、こんな風に答えるスペイン人が多かった。

 「今は大変だけど、来年はきっと少し良くなる」

 度を超えた楽観性が時に致命傷を招くことは、
 私自身の人体実験によってすでに私の中では実証済みだが、
 度を超えた悲観性というのは、それよりも更にリスクが高いものだという
 多くの実例も見てきた。

 相変わらず暗いニュースやスキャンダル報道に終始する日本の偏向は、
 いたずらに負のスパイラルを発生させるが、
 そういう誤った偏向に巻き込まれぬための自衛対策は実は急務だろう。

 適度の悲観と適度の楽観。
 誰しも頭ではわかっていることだが、実際には難易度の高いスキルだ。
 幸福とは、その適切なバランス配合を習慣として身につけること。
 そんなふうにも思えてくる。

 「悲観が基本だが、そればかりじゃ勝ち筋は見えない」

 二つ先輩の死んだ福沢の口癖に、辛うじて助けられることは多い。
 悲観は主に、日本人特有の「生真面目さ」を手段として活用することでキープし、
 一方の楽観は「アルテと笑い」によって支え育てる。
 悟りに程遠いタイプの人間に限れば、それなりに有効な長期戦略に思える。


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2012年8月5日(日)/その1134◇周平モード

 三、四年ぶりで、周平モードに入ってる。
 70冊ほどの藤沢周平師の文庫本を、たっぷりと読み返す道楽。

 状況に応じ三ヶ月から半年くらい掛けるが、
 三十代に始めたこの習慣も、かれこれ十回を越えている。
 興奮気味の馬を「どうどう」と優しく宥めるような、
 私のような暴走人間には、そういうバランスは生命線にも思える。

 風呂、歯磨き、トイレ、通勤、取材の移動、
 昼飯、公演の開演待ちなどの時間をかき集めると、
 短い文庫なら一日一冊は読める。

 今回の特徴は、速読傾向の私が実にゆっくり読んでいること。
 リアルに人間を肯定するあの名文を丁寧に読み込んだところで、
 あの美しい普遍が自分の文章に憑依してくれる可能性などまるで無いものの、
 日常生活への好ましい影響をわずかに感じることは稀に有る。

           
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2012年8月6日(月)/その1135◇地球号の夢

 「ヘイ柔道」

 ロンドン五輪開会式でポール・マッカートニーが、それを歌っていたのが象徴的だった。
 そりゃちょっと違うかもしれんけど、柔道の国際化はグイグイ進んでいる。
 日本のメダルが少ないのは正直ちょっとくやしいが、
 柔道そのものが国内に籠もってジリ貧化することに比べたら、雲泥の差でうれしい。

 本家日本のプライドたる「一本勝ち」志向は、
 国際化に伴なうルール変更によって勝ち辛くなったし、
 日本人が弱くなったというより、他国の人たちがいっそう強くなった。
 過度期にあって一時的に本質は薄まるが、それが国際化というものだ。
 相撲の世界でも、それを私たちは目の当たりにしている。

 ドイツ発祥のバッハだって、自国では自家中毒気味だったところを、
 カナダ人グールド、オランダ人レオンハルト、ベルギー人クイケン兄弟、
 多くの日本人バッハ奏者など、他国の優れた音楽家たちによって、
 未来永劫人類の行方を照らす国際社会の共有財産となった。

 現代は「ドイツ人なのにバッハが上手い!」と珍重される時代であるし、
 強い邦人が出てくれば「日本人なのに横綱じゃあ!」と絶賛されそうな時代だ。
 ヒンシュク買いを承知で云えば、
 「スペイン人なのにフラメンコが上手い」と云われる時代は、
 今世紀中に必ずやってくる。

 「やはり本家の一本勝ち柔道はいいねえ」
 「やはり本家のバッハはいいねえ」
 「やはり本家のプーロ・フラメンコはいいねえ」
 自家中毒の罠にハマることなく、国際化の荒波を乗り越えた上で、
 世界中のアルテ・ファンはそんな風に感極まってみたい。

 文化やスポーツが全世界の共通項を増やすことは、
 私たちが暮らす地球号にとって極めて好ましいことだ。
 ナショナリズムとインターナショナリズムの共存共栄は人類最大の幸福だから。
 日本のフラメンコの隆盛は、単にアフィシオナードの人生を潤すことに留まらず、
 そういう歴史的役割をも担っている。
 

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2012年8月7日(火)/その1136◇顔で笑って心で泣いて

 カナーレスとの公演で大忙しだった連れ合いと待ち合わせ、
 久々に地元・秀で呑む。
 そこそこ盛況の日曜晩だが、クーラーの調子が悪いらしい。

 ずっと以前にもそんなことがあったが、
 そんな時に揚げ物のオーダーに応える厨房というのは、
 40度を軽々と超える灼熱地獄であるという。

 さて、刺し身を済ませ、次は何だと促すと、
 連れ合いは平然とこう云い放つ。

 「カラ揚げっ!」

 うわっ、きたぁーーーーーーーーーーーーーーー!
 空気を読まず、明るくカラッと希望を述べるのは、
 イバラの道を歩むプロの舞踊家たちに共通の特徴である。
 観念した私は、後ろのテーブルで美女たちをはべらせる
 鶏カラが大好物の松っちゃんに声を掛ける。

 「オレら鶏カラ頼むけど、便乗すっか?」

 厨房地獄を一度で済ませようとする配慮であるが、
 すでにそういう暴挙を諦めていた松ちゃんは、目を輝かせながら叫ぶ。

 「えーっ! いいんですか? ボク責任とれませんけど」
 「いいんだ、責任はオレが取るから」

 敵艦への特攻命令を下す上官のような心持ちで、
 カウンター内の同志に、努めて明るい声で私はこう云う。

 「すまんがマーちゃん、鶏カラふたっつね!」

 どう見ても格闘家だが、心優しい料理人マーちゃんは、
 そのまさかまさかのオーダーに、
 一瞬のちゅうちょも無く、あの凛々しい笑顔でこう拝命した。

 「命を懸けて、揚げさせていただきます」


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2012年8月8日(水)/その1137◇ワンセット

 「人生は近くから観ると悲劇だが、遠くから観れば喜劇だ」

 なるほど、こう看破したチャップリンはさすがだ。
 若い頃はわからなかったが、今ならばその仕組みがよくわかる。
 単なる遠近法ではなく、時空を超える遠近法であるところが巧くて、
 いろんなことを考えさせる。

 遠い青春の悲劇が時とともに喜劇化されてしまうこととか。
 悲劇も喜劇もそれなりに忙しいが、退屈よりはずっと楽しいこととか。
 悲しみから生まれた心の傷から、喜びの芽が生まれることとか。

 三度のメシには辛味と甘味が欲しいように、
 どちらか一方じゃ、かえって人生ドラマも味気ないものだし、
 新鮮な刺激のない生活というのは、じわじわと心を腐らせるものだ。
 てなことを噛みしめながら、今日もまた直近の悲喜劇と向き合う。


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 2012年8月9日(木)/その1138◇独裁者

 「彼は自分のことを痛烈なまでにからかっていました。
  チャップリンの風刺映画『独裁者』が気に入って、何度も観てました。
  そのたびにお腹を抱えて笑ってましたよ」

 悪名高き独裁者ヒトラーの秘書だったドイツ人女性の、
 生前のインタビュー記事にこんな記載があった。

 やり過ぎてしまったヒトラーだが、
 そこまで冷静な確信犯だったことに驚きがあった。
 つまり、そこまで深い暗闇を抱えていたことに驚きがあった。

 そのことが、一方のチャップリンの抱えていた暗闇を照らし出す。
 おそらくは、チャップリンが踏み留まったラインに、ぎりぎりのアートが揺れている。


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2012年8月10日(金)/その1139◇いい人になりたいのか否か

 毎朝わずかな時間でも、必ずバッハを聴く。
 もう四十年来の習慣だが、
 習慣だけに、その善悪は見極めづらい。

 「今日はいい人になれる」

 そういう錯覚を誘う力量のアルテではある。
 精神に快感をもたらす、ストイックな楽天性がある。
 劣悪な私がシャバで暮らせるのも、この習慣あってこそとも思える。

 未だにいい人になれないことが課題と云えば課題だが、
 それを成就してしまうと今度は、
 毎朝バッハを聴くための云い訳が成立しづらくなるのが難点だ。


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2012年8月11日(土)/その1140◇閉(しずけ)さや

 きのうは馬場で、デザインや印刷の仲間たちとおつかれ呑み会。
 高い精度をぎりぎりコストでやってくれる若者たちなので、
 年に何度かは安酒を振る舞う。
 逆の立場だった若き日々を懐かしむ感傷も小さくはないのか、
 遠く離れた歳月がクロスオーバーするような感覚に幾度も見舞われる。


 6時起きで記事書きと原稿整理を済ませ、午後から向島・百花園へ。
 東武亀戸線経由で片道一時間かけて、我ながらご苦労なことだが、
 この江戸の楽園の木陰で楽しむ読書や音楽には、懸け替えのない愉悦がある。

 藤沢周平『橋ものがたり』と刷り上ったばかりのパセオ最新9月号。
 そして、昔懐かしジャック・ルーシェ・トリオの『プレイ・バッハ』。
 沁みこんで来るそれぞれの感触は、充電されるヨレヨレ電池の気分を誘う。

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 明治の文豪・田山花袋も愛用した園内の茶屋にて熱いお茶を所望し、
 穏やかな年寄り気分に浸る。
 蝉の音とともに、ふいにファン・タレーガのソレアがあたりをこだまする。
 ギラリとする欲望とサクリとする希望が、ほどよく中和するひと時。

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2012年8月12日(日)/その1141◇効用と問題点

 近ごろはやたらと麻雀の誘いが多い。
 定年不良おやぢたちが、ヒマを持て余しているのだ。
 すまんとは思うが、すべてキッパリ断わる。

 28年前のパセオ創刊と同時に、麻雀と車の運転を同時に断った。
 私の運転は運を天に任せるような危険な代物だったし、
 食うための麻雀は25歳が定年だと感じていたから
 どちらも未練はなかった。

 携わるフラメンコそのものがスリリングだったし、
 暮らしと人生を賭けるその出版自体が泥沼博打だという反動から、
 小博打に対する興味は急速にしぼみ現在に至っている。

 だがやはり、麻雀は人生の優れた縮図だと云える。
 数学と文学、あるいは生存競争とアルテの相関関係を
 感覚的に学べる利点も小さくない。
 国語・算数に続く必修科目として最適のようにも思える。
 ただし、余りに面白すぎて、
 肝心の人生をやってるヒマがなくなっちまうところに問題がある。


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2012年8月13日(月)/その1142◇人類のファンタジー

 オリンピック最終日の昨日は、マラソンとレスリング鑑賞で大忙しだったが、
 東野圭吾さん原作の映画『さまよう刃』には、観るべきものが大いにあった。

 相手の腕を折ったら、自分の腕を折られる。
 相手の命を断ったら、自分の命を断たれる。

 「目には目を」に代表されるように、処罰に利子を加えないことで、
 仕返しの連鎖を回避しようとするハムラビ法典の明快なヴィジョンを、
 若い頃から好ましいと思っていた。
 法典内の身分差別は意外だったが、人種差別、宗教差別はない。

 被害者と加害者。
 意識無意識に関わらず、あらゆる人間はその両方をやってるはずだ。
 ハムラビの考え方が優秀だと感じるのは、
 そこにわかりやすく納得性の高い抑止力が働くからだ。
 家庭や学校や社会全体で、こうしたコンパスをきびしく叩き込み、
 13歳以上にこれを適用する制度が望ましいと私個人は考える。

 一方で、私の周囲には死刑反対論者も多く、
 次の意見には、大いに納得できるものがある。
 「犯罪は腫瘍のようなものであり、誰にでも発症する可能性がある。
  だから、それを人間社会全体で治療する必要がある」

 そんなわけで、この問題に自分なりの結論は下せていない。
 このテーマは、あらゆる社会問題の肝でもあるだろう。
 心情的にも論理的にも圧倒的に私は前者なのだが、
 北欧ノルウェーのあの理不尽な殺戮者に対する
 ノルウェー国民の寛大さに見られるような後者の考え方に
 「人類のファンタジー」を感じてしまう自分の優柔不断と
 いましばらくは付き合ってみようと思っている。
 今日の通勤散歩は、グリーグ(ピアノ協奏曲)で決まりだな。


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2012年8月14日(火)/その1143◇あと十日

 この時期になると、なんとはなしにソワソワしてくる

 ステージに渦巻く潔い志や客席の熱狂に触れると、
 日本全体に蔓延するネガティブな雰囲気が、
 まるで嘘のように思えてくる。
 そういう雰囲気は、ほんとうにウソなのかしれない。
 EU不況にあっても、あのスペインの生活は明るいというから。

 日本フラメンコ協会の新人公演まであと十日。

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2012年8月15日(水)/その1144◇明暗

 「愛されることより愛することを、
  理解されることよりは理解することを」
                  (マザー・テレサ)

 インタビュー取材という新たなチャレンジから三年。
 詰将棋のような絶対的正解を有しない混沌の中を、
 よりベターにたどりつこうとする七転八倒のプロセス。
 だが、相手を理解しようとするその努力の質量は、
 ほぼ成果に比例しながら報われる。 

 一方で、モテないよりは、モテるほうが断然いい。
 だから、そのための努力を無駄とは思わない。
 不思議と成果は出ないが、それがどーした。

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しゃちょ日記バックナンバー/2012年8月②

2012年08月01日 | しゃちょ日記

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2012年8月16日(木)/その1145◇わかったことから

 「熊川哲也はエガちゃんの大ファンなんだって。
  なんか見直しちゃった。クマカワ注目すべきかも」

 呑み友ヒデノリの家では、世界のバレエダンサー熊川哲也への評価が
 江頭2時50分のおかげでバクハツ的に急上昇したわけだが、
 そういうあまり一般的ではない感覚に、実は私も大いに共感していた。

 エガちゃんのアルテにはタナトス(死への衝動)の底なし沼があって、
 それがエロス(生への衝動)を掻き立てるところに、唯一無二の個性がある。
 熊川さんに限らず、アルテへの造詣の深い人なら、本当は皆そのことに気づいている。
 ただし、それを無邪気に表明するには、エガちゃんの芸はグロすぎる。

 加えて、その形態がいわゆる「いぢられ芸」なので、
 優れたいぢり手がいないと、彼の本領が発揮されないところが辛い。
 ピン芸人の彼だけに、そのサバイバルは尚更にきびしい。

 そんなエガちゃんを観るたびに想い起こすのは、
 あのマヌエル・アグヘータのプーロフラメンコだ。
 一緒にすんなと怒られそうだが、彼らの根っ子の共通項がつい連想を呼んでしまう。
 日本のフラメンコ人口の90%以上が、鬼才マヌエルの真髄に気づいていない。
 もっとも「マヌエルこそがフラメンコである」というのが普通の認識だったら、
 日本のフラメンコの隆盛もなかったろう。

 死や人間の本質に目隠しをし、表面上の取り繕いを重んじる日本において、
 マヌエルやエガちゃんの芸を直視できる感覚は、一般的にはむしろ稀有なのだ。
 サザエさん文化の長い習慣から、生理的にまるで受け付けない人も多い。
 多数決の論理にはおおむね従いたいが、こういう寂しい欠陥もある。

 だからこそ、輝ける王道を歩む熊川さんのエガちゃん評価には、
 立ち位置の異なる真実同士の了解みたいな、ホッとするようなうれしさがあった。
 平均点あたりを必死にキープしようとするのが多くの日本人の目的だが、
 アルテの使者たちは、そんな平均点には目もくれず、
 生と死の両極を大きな振り子のように、自ら悠然と振れる使命を楽しむ。
 
 私はアルテを愛する者だが、同時にセコく勤勉な日本人を愛する日本人の一人だ。
 それに何だかんだ云っても、フラメンコが根付こうとする日本の文化土壌は豊かだ、
 そんなんで、自分の内なる矛盾を少しずつアフフヘーベンすることが余生の楽しみであり、
 及ばずながら、わかったことから順次、パセオ誌面に記憶させてゆきたい。


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2012年8月17日(金)/その1146◇オリンピック新種目

 ウェブ友(フラメンコギタリスト)の今朝のつぶやき。

 なるほど、これならオレもオリンピックに エントリー出来るかも!
 または出来ねーかも。あるいはどっちでもえーかも。


 アバウトなオリンピック新種目 → 投げやり


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2012年8月19日(日)/その1148◇変わる楽しみ

 食生活を変えて、ひと月ほどになる。
 がっつり朝めしを食らう習慣をやめて、
 朝は手作り生ジュースのみで、代わりに昼めしを好き放題食う。

 邦楽プロデューサーである少し後輩の地元呑み友が、
 体調不良を契機にこれを三年続けて、元気に復活したのを目の当たりにして、
 じゃあオレもっていう気になった。
 根性も体質も違うから期待はしないが、そう感じた縁機を重視したいのだ。

 硬派な彼の本格生ジュースに比べ、軟派な私のそれは安易で呑みやすい。
 私バージョンは基本的にはたっぷりの蜂蜜&レモンで、
 そこにリンゴとニンジンを加え、豆乳と牛乳でミキサーにかける。
 ニンジンの量さえ頑張り過ぎなければ、まあ普通においしい。

 作る~飲む~洗うのプロセスも毎朝15分で済むから、そういう手軽さもいい。
 600CCくらい飲むので空腹感はないし、
 その数時間後には何を食ってもオッケーという昼めしに明るい動機が高まる。
 酒も一日おきにしたが、呑む日は昼めしを軽くして、晩の楽しみを盛り上げる。
 これも三日坊主の予定だったが、意外と続いている。
 しかしこりゃ、このところ三日連チャンの呑み会がないだけだ。

 呑み友は三年かけて健康的に約10キロ減量したが、
 初心者マークの私は、このひと月で約2キロ落とした。
 大デブから小デブへの道は、残り二年11ヶ月である。
 暴飲暴食40年の歴史に、果たしてピリオドは打たれるのか?
 ま、どーでもえーけど。


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2012年8月20日(月)/その1149◇夜明けのバカボン

 昨日3ヶ所にアップした手作り生ジュースについて、
 詳しいレシピを教えろというメールを三通もらったので、
 ならばと本日は、情け容赦のないその厳格なレシピを掲載する。

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 【オリジナル生ジュースの名称】 夜明けのバカボン(仮称)
 
 【材料】 分量を厳密に記すが、すでに原典版から大きくかけ離れており、特に根拠はない。
    蜂蜜(好きなだけ入れる/カナダ産、又はニュージーランド産、又は何でもいい)
    レモン汁(原則1個分だが、何個入れようが死にはしない)
    リンゴ(原則1/2個だが、その時の気分を重視)
    ニンジン(原則1/2本だが、続けようとすると適量がわかってくる)
    豆乳(原典は400CCだが、私はその半分)
    牛乳(原典は豆乳オンリーだが、私は牛乳200CC)

 【使用するもの】
    ミキサー(ミキサーがない場合は、上記材料をよく噛んで呑み込むこと)

 【美味しく作るコツ】
    試行錯誤の上、自分にとって好ましい味を発見すること。

 【毎日続けるコツ】
    毎日続けると、意外と続く。


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2012年8月21日(火)/その1150◇幸せなら魚介類

 「幸せなら手をタラコ~♪」

 テレビCMに何のこっちゃと笑ったがソラ耳だった。
 子供時代には、この歌は難解だったことを思い出す。

 「幸せなら態度で示そうよ~♪」

 「態度」という単語を知らぬ小僧にはここが難解だった。
 「タイ(鯛)、ドレしめそうよ~♪」と聞こえた。
 それでもまだまだ難解なのだが、
 なんとなく宴会風で旨そうな感触が好きだったよ。


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 2012年8月22日(水)/その1151◇開き直り

 きのう発売のパセオフラメンコ最新号。
 表紙写真のパンチ力が効いたのか、早くも売れ行きは上々だ。
 6月号のカニサレス表紙も相当な線だと思うが、
 バイレ表紙部門では久々の大ヒットと自画自賛したい。

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 撮影は絶好調の大森有起。
 表紙に続く本文カラー8頁は、奴の写真がウリなので、
 以下に私の蛇足的短文をまんま転載してしまう。
 

 すべて観る者の心に委ねるような森田のステージに
 押しつけがましさは皆無であり、
 彼女はまるでミューズの使徒のようでもあり、
 あるいはミューズ自身の降臨と察せられる瞬間も多い。
 優れた身体能力を突出させることなく、
 ダンスの化身のようにきらめきながら、
 毎回予測不能なアプローチを以って、
 舞台上に潤いに充ちた感動的収束をもたらす森田志保。


 もう本番で転んでもいいやって。
 ブザマな私も自分の一部なわけだし、それを隠しても仕方ないかって。
 もう、取り繕うのがいやになっちゃった。
 ダメなことも実力だって納得してるので、
 何があっても後悔だけはしないけど。
 ほんのちょっとでも、自分のいいところが出ればそれでいいやって、
 そういう開き直り。
 どんな状況でも、今ここで創ろうってハラをくくる。
 その瞬間だけの命を吹き込まないと、
 フラメンコが嘘になってしまうから。
 自分の頭の枠組みを超えられるもの。
 そこに踏み込みたいです。
 共演者や状況は色々でも、その中で、自分がひとつのイメージを
 強く持ち続けることが出来れば何とかなるはずだっていう見切り発車なんです。
 相手がどう来ても、その場その瞬間で対応しようとする開き直り。


 人気創作シリーズ『はな6』(2009年)が
 文化庁芸術祭賞を射止めたころ、こう彼女は語ってくれたが、
 そこでの彼女の「開き直り」というキーワードがドツボだった。
 開き直りは江戸っ子たる私の常套手段だが、
 同じ開き直りでも森田と私の潔さの内実には
 天地の開きがあることに愕然としたのだ。
 そういう覚悟の在り方を学んでから二年が経ち、
 私の内実はほんの少しだけ好ましいスタンスを得たかもしれない。
 彼女のあらゆる振る舞いには、
 いわゆる社会倫理を超えるところの〝潔い正しさ〟が漂う。
 ステージ上のあの絶対性を帯びた存在感は、きっとそこに直結している。
 いつの日かそのエッセンスを心の内に溶かし込みたい想いで、
 森田志保のライヴに足繁く通う。
                             (本誌編集長/小山雄二)

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2012年8月23日(木)/その1152◇明日から新人公演

 明日からフラメンコ界の夏の甲子園、
 フラメンコ協会の新人公演が始まる。
 
 この三日間を憂いなく楽しむために、
 馬車馬のように前倒しで仕事を片付けたのは、
 新人公演そのものが新たな任務を発生させるからだ。

 (1)すべて観て『わたし的奨励賞(計六名執筆)』の本誌記事を書く。
 (2)私の中でのナンバーワンを決め、本誌『しゃちょ対談』に登場してもらう。
 (3)選考委員として上京する関西の大物・東仲一矩の『しゃちょ対談』取材(土曜)。
 (4)開演前、休憩中、終演後のロビーで月刊パセオフラメンコの叩き売り。
 (5)パセオ取材陣のマネジメント

 最終日翌日にはスペイン国立バレエの新芸術監督アントニオ・ナハーロの
 単独インタビューもあってそれなりにハードな四日間であるが、
 出演する若者たちの熱き精進に比べれば屁みたいな任務にも思える。
 新人公演の最大の意義は出演することにあり、
 出演各人と観客各人の化学反応にある。
 勇気あるチャレンジャーすべてに、渾身のエールを贈りたい!


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2012年8月27日(月)/その1153◇新人公演の明るい余韻

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 観るべきものがたくさんあった今年の新人公演。
 暗い暗いと皆で勝手に思い込んでる世相に
 ドッカーンと風穴をブチ開ける熱いインパクトがあった。
 改めて出演陣と制作陣と観客席のすべての方々に感謝したい。

 新人公演と取材の多忙と、家のパソコン不調が重なり、
 不本意ながら日記を続けて休んだ。
 今日もこれから、スペイン国立バレエ団の新芸術監督、
 アントニオ・ナハーロのインタビューに出掛けるため、
 一時間の猶予で楽しかった新人公演を整理しておこう。

 以下は、「わたし的イイネ!」をプログラムに記したものだが、
 パセオフラメンコ12月号の『わたし的奨励賞』と『しゃちょ対談』は
 これら精鋭からピックアップすることになるだろう。
 「突出したものがない」のではなく「選択肢の多さ」に迷う、うれし過ぎる悲鳴である。

【バイレ・ソロ】
藤本ゆかり(シギリージャ)
石川慶子(シギリージャ)
黒木珠美(グアヒーラ)
徳田志帆(ソレア・ポル・ブレリア)
西内佐知子(ソレア)
柴田千穂(ソレア)
内田好美(ソレア・ポル・ブレリア)
山中純子(シギリージャ)
岡田麻理(ソレア)
山崎愛(ソレア・ポル・ブレリア)
中村里美(シギリージャ)
大岩奈青(ソレア)
東仲マヤ(シギリージャ)
李成喜(り・そんひ)(シギリージャ)
小杉愛(ソレア)
太田マキ(ソレア)

【群舞】
ラ・クラベ・デ・ソル(AMI振付)
ラス・マジョーレス(鈴木眞澄振付)

【カンテ】
許有廷(ほう・ゆうじょん)(シギリージャ)
占部智恵(ソレア)
鳥居貴子(ソレア・ポル・ブレリア)
斎藤綾子(シギリージャ)

【ギター】
中川浩之(グラナイーナ)
渡辺イワオ(ソレア)
木村直哲(ブレリア)
大山勇美(サパテアード)


 尚、奨励賞関連の速報はこちら。
 http://www.anif.jp/ctt_anif_event_shinjin.htm#shinjin2012 

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2012年8月28日(火)/その1154◇おぬし、出来るな!

 「まだ、決めていません」

 ナハーロは云った。
 スペイン国立バレエ団の人気ナンバー『ボレロ』に使用する演奏音源、
 つまり、その演奏の指揮者とオーケストラを訊ねる私に、
 国立バレエの新芸術監督アントニオ・ナハーロはそう答えた。

 ラヴェル『ボレロ』の名演CDは多々あるが、
 ブーレーズ(ベルリン・フィル)、マゼール(ウィーン・フィル)、
 クリュイタンス(パリ音楽院)、ミュンシュ(パリ管)あたりが人気の演奏であり、
 最も踊りやすい整然としたブーレーズ盤ではないかと憶測していた私は、
 まだ未定だという彼の回答に意表を突かれ、バカ声を上げる。

 「えっ、何でっ!?」

 「CD音源の候補が5種類あるのです。
  東京公演のリハーサルで実際の劇場の様子や音響を確かめた上で、
  それを決めたいのです」

 「やっ、なるほど! 劇場の状態を見極めた上で音源を選ぶ」

 「はい。それぞれの劇場のポテンシャルを有効に活かしたいのです」

 「でも、ボレロはそれぞれ個性的な名演が多いから、
  複数の演奏に対応するとなると、団員の稽古が大変になりますね。
  そういうやり方は国立バレエの伝統ですか?
  それとも、それはあなたのアイデア?」
  
  イケメンに愛嬌を浮かべながら彼は笑った。

 「私のアイデアです」

 35歳という若さで芸術監督に就任した彼の「洗練されたエレガンシア」という定評は、
 こうした繊細な積み上げにあると直観した。
 上はフィギアスケートの振付指導で来日したナハーロ監督との会話のごく一部だが、
 潔い透明感のあるそのポジティブな知性にはちょっと感動した。
 来年二月、六年ぶりの国立バレエ来日公演は必見である。


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