凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

都倉俊一「メッセージ」

2011年06月30日 | 好きな歌・心に残る歌
 先日アンケート的なもの(曖昧な表現ですみません)をやる機会があった。普通ならそんなの忙しいと言ってシカトするのだが謝礼が少し出るかもしれないので浅ましくも答えた。
 その中に「あなたにとっての青春ソングは?」という設問があった。もうこの「青春ソング」という言葉に強烈な違和感を持っている僕は、即座に回答を止め用紙をゴミ箱に投入しようと思ったが謝礼が出るかもしれないと思うと浅ましくもとどまった。
 ここしばらく、この「青春ソング」という言葉が懐メロと同義に使用されている。
 「懐メロ」という言葉も失礼な言葉だとは思うのだがそれは措いて、以前は(僕が子供の頃は)TV番組で「懐メロ大全集」なんて番組がチラホラあったものだ。出てくる方は田端義夫とか春日八郎とか三橋美智也とか。視聴者層がわかる。そういった類いの番組は今も存在するのだが、登場するうたが演歌ではなくフォークになってきている。うーむ。時代はそこまで来たのか。団塊の世代ターゲットであることはわかるのだが、さすがに「懐メロ」とは言えないのか「青春ソング」という言葉で代替している。ランキング形式にすると、たいていは「なごり雪」か「神田川」が一位になる。
 僕は、フォークソングなんか全然懐かしくはない。
 もちろん世代が違うということが一番の要因だろうが、もうひとつは「フォークソングが今も好き」ということが大きい。したがって、聴き続けている。昨日も今日も聴いている。こういうふうにしていると懐かしくはならない。
 懐かしく思うためには、一旦それと離れなければならないのではないか。時間の経過とともに追憶の海に沈める。そこから、何かのきっかけでそれを浮き上がらせる作業をする、その過程を人は「懐かしい」と呼ぶのではないだろうか。

 で、青春ソングなのだが、その言葉の気持ち悪さはさておき、「青春を感じさせるうた」ということを考えると、僕にとってはふたパターンの回答が考えられてしまう。
 それは、とにもかくにも自分にとって「青春」の頃を素直に思い出す曲。そして、それに懐かしさを加味するとすれば、ある程度時間に空白が生じてしまっている曲。
 そうなると、僕にとっての青春の曲とは、こんなのとかこんなのとか松山隆弘さんの歌とか、そういう系統になってしまう。こういう曲は僕にとっては「青春どストライク」なのだが、知っている人が少なすぎるので困る。しかし懐かしさも加味するならば、ある程度の時間の空白が必要であり、簡単にメディアから流れてくる曲(神田川、なごり雪etc.)は懐かしさの対象にはなかなかなりにくいのである。

 もうひとつは「青春」という言葉から連想される曲。青春というイメージを内包した曲を挙げてみようとする。
 青春を冠する曲は数多くある。例えば森田公一の「青春時代」。岡田奈々「青春の坂道」。チューリップの「青春の影」。「青春アミーゴ」。
 そりゃみんないいうただけど、何か違うな。
 人によっては、例えば金八先生の「贈る言葉」なんかを思い出す人がいるかもしれない。僕は金曜8時はプロレスを観ていたので金八っつぁんに何の思い入れもないけれども、その路線はアリかもしれないと思う。
 僕は、自分が思春期を迎えてのちはほとんどテレビドラマを観なくなって、金八っつぁんとかイソップとかそういうものには縁がないが、それ以前はよく観ていた。森田健作とかね。まだ子供だった僕は盛大にあこがれ、大きくなったらあんな青春を送りたいと切に願ったものだ。その象徴のような曲が「青春の旅」。ドラマ「飛び出せ!青春」の挿入歌。

  昨日の夢に住んでいられずに 明日の愛をもう待ちきれずに

 それから10年くらい経って自分が高校生となるが、現実はなかなかドラマのようにはいかない。あこがれは、あこがれ。

 結局僕はアンケートには深く考えることはやめて、都倉俊一の「メッセージ」と書き込んだ。
 思春期の入り口を中学生くらいだと考えれば、ちょうどこの曲くらいが妥当か、と思った。この曲は、確かに懐かしい。NHK「レッツゴーヤング」のエンディングテーマだった。

  五月の光とそよ風とやさしい心 それからあなたの涙
 
 レッツゴーヤングは日曜の午後6時からのオンエアなので、MBSの「ヤング・おー!おー!」とカブる。僕は基本的にはヤングおーおーを観ていたはずなのだが、都倉俊一が司会をしていた2年間はレッツゴーヤングを観ている。なんでかな。それ以前の鈴木ヒロミツ時代、そして後の平尾昌晃時代はほぼ観ていない。別に都倉俊一のファンであったはずもなく、不思議だなと自分でも思う。
 「メッセージ」は、僕はレコードを購入していない。子供だもん。テレビからカセットに録音したものが僕の唯一の音源。
 しかしありがたい時代になったもので、探したら出てきた。→youtube
 これを聴かせていただいて「あれ?」と思った。歌詞が違う。「涙がひと粒あればいいあなたの頬に…」これは聴いたことがない。そうか。EDは2コーラス目を使用していたのか。知らなかった。
 貼ってばかりで申し訳ないが、EDバージョンもあった。僕が知っているのはこれだ。
 共に司会をしていたキャンディーズ。スーちゃんの訃報からまだそれほど日が経たないので、ちょっと切ない。

  愛された想いがあれば 明日からも生きられる
  
 OPもあった。これも懐かしいなあ。
 サンデーズもいた。狩人、太川陽介、川崎麻世、黒沢浩(キャロライン洋子の兄ちゃん)、未都由。未都由はその後どうしたんだろうな。me&you。そののちにキャンディーズが降板し、五十嵐夕紀、香坂みゆき、天馬ルミ子が入ってくる。天馬ルミ子さんなんかは僕とあまり歳が違わず、え、この歳でもうデビューかよと驚いた。僕なんかとは比べものにならないくらい大人に見えた。今はどうしているのかな、と思って検索してみたらブログがあった。うわー妖艶!

 都倉俊一という人は、もちろんピンクレディーや山口百恵で大儲けをしたはずの人であり、ちょっとした色男なので、もちろんいいイメージは持っていない(わはは)。ただ、作曲家として「ジョニーへの伝言」を書いた人であることは知っている。あれは大好きな歌だ。
 当時は、作曲家が歌をうたうことはよくあったような。平尾昌晃、森田公一、中村泰士ら。もちろん平尾昌晃はそもそもが歌手であり、このカテゴリには宇崎竜童や井上大輔を加えてもいいのかもしれない。
 都倉俊一は、どっちなんだろうか。歌手から出発した人なのか、作曲家の余技でうたっているのか。その経歴を見ようと思ってHPを覗いた。
 「四歳よりバイオリンを始め、小学校、高等学校を過ごしたドイツに於いて基本的な音楽教育を受ける。のち、独学で作曲法を学び、学習院大学在学中に作曲家としてデビュー。」
 なるほど。なんとも都倉俊一っぽい経歴だ。エリートと言おうか。そういえば、お父さんが外交官だったと聞いたことがある。この経歴を見れば、これは作曲家の余技だ。
 ただ、念のためというわけではないがWikipediaも見てみた。さすれば、ビックリするようなことが書かれていた。
 「学習院大学時代には、フォーク・グループ「ザ・パニック・メン」にヴォーカリストとして参加、1968年にレコード・デビューを果たす」
 えっ! 都倉俊一ってフォークでデビューしたの? 四歳でバイオリン習ってドイツで勉強した人が?
 さらに驚くことが。デビュー曲は「想い出の小径」という曲だが、これはザ・ロックキャンディーズのやはりデビュー曲「どこかに幸せが」とカップリングされて発売されているのだ。へーー。もちろんロッキャンと言えば谷村新司大先生のアリス以前の最初のユニットで「どこかに幸せが」という曲も知っていたが、まさかその裏面が都倉俊一のデビュー曲だったとは。詳細はこちらで見させていただいたのだが、谷村新司と都倉俊一は背中合わせでデビューしたのか。これは知らなかった。当時は、違う歌手同士でAB面でレコードを作ることはよくあった。ジャケットを見ると「若者の唄!カレッジポップス!」と謳われている。時代だなあ。「想い出の小径」という曲は残念ながら聴いたことがない。
 その後都倉俊一はジュリアンズというグループに在籍(おそらくザ・パニック・メンの発展系)し、このふたつのグループで2年くらいは活動していたらしい。知らなかった。都倉俊一のデビューがフォーク(カレッジポップス?)だったとは。そういえば、アリスの初期のシングル「青春時代」「二十歳の頃」の作曲は都倉俊一。縁が続いていたのかもしれない。
 都倉さんは、時として非常に叙情的な曲を書かれる。そのルーツはフォークにあったのかもしれない、と書くと短絡的にすぎるが、山本リンダの「どうにもとまらない」「狙いうち」などの扇情的な曲、またピンクレディーのヒット曲はじめ数々のアイドルに提供してきた曲のイメージとあまり結びつかない一群の曲がある。そこが職業作曲家の凄さでもあるわけだが、ペドロ&カプリシャスや麻生よう子の「逃避行」、そして「メッセージ」など、なんともいえないやさしい気持ちになる曲を作られる。

  もうあなたと逢えないでしょう 愛をこめたメッセージを下さい

 この「メッセージ」を聴くと、今にして思えばちょうど少年(つまりガキ)から思春期へと移り行く時代の、例えば人を好きになり初めし頃をふと思い出す。
 それが青春を象徴するうたであるかどうかはわからないけれども、懐かしさも加味して、この曲を思い出してみた。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« とんぼちゃん「ひなげし」 | トップ | 村下孝蔵「松山行きフェリー」 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
凜太郎さん (よぴち)
2011-07-12 01:43:22
う~ん。
確かに、青春ソング、と言われると迷うなぁ。
懐かしのメロディー、というカテゴリーに入る、といえば入るのかもしれないけれど、私も、凜太郎さんと同じく、今でも聞きまくり、泣きまくってるし(笑)。

私にとって、その時代に浸りたい、と願う時代が多すぎて、ひとくくりに出来ない。
それこそ、小学校低学年から、毎年、それなりにある、というのが実情。
だとすれば、自分にとっての「青春」を象徴するような曲を選ぶしかないんだろう。
そうなると、私もやっぱり、「憧れていた」青春の形を表している曲になってしまう。
何かな~?
それも、時代ごとにいろいろある気がするけれど、憧れてたのはやっぱり青春ドラマと呼ばれるドラマの中の若者群像で、そうなるとベタだけれども、「青春貴族」とかになっちゃう。
好きだった、というのも合わせると、「海を抱きしめて」とか、ね。

麻生よう子さん、逃避行、いや~、もう、ホント好きでした。
好きで、よく聞いた、ということ重視だと、年ごとに何曲かずつあがってくるから、もう、書ききれない(笑)。これは、凜太郎さんも良く知るところでしょう。
そして、凜太郎さんも同じ穴のムジナのはず(笑)。
返信する
>よぴちさん (凛太郎)
2011-07-13 01:40:45
本文にも書きましたが、その「青春ソング」という言い方が実に気持ち悪いわけで(笑)。他に適当な言葉があればすぐに乗っかるのですけれどもね。
「青春貴族」「海を抱きしめて」いいっすね。中村雅俊という人はもうこういう分野の代表選手のような存在ですねぇ。

単純に好き、または何故か心に沁みる、といった「うた自身が持つ魅力に惹かれて」聴き続けている曲が僕にとっての「好きな歌」の大半であると思いますし、多くの人もそうだと思います。でも、時代をフラッシュバックさせる力を持ったうた、というのもあるわけで、そのフラッシュバック能力(?)みたいなものも、うたの魅力に加味されることはもちろんあるわけです。そういう曲は、「年毎に何曲かづつあがってくる」「毎年それなりにある」とよぴちさんがおっしゃる通りでして、このブログに書いていることの多くはそういう追憶であるわけですから、まさに同じ穴のムジナであるわけで(笑)。

ところで「逃避行」っていいですよね。よぴちさんのレパートリーに是非加えてくださいよ。イメージだけで申し訳ないのですが、きっと素敵に歌われるのではないかと想像。
返信する

コメントを投稿

好きな歌・心に残る歌」カテゴリの最新記事