織田信長はいったい何を目指していたのだろうか。
天下統一さ、と言ってしまったらそれまでのことなのだが、信長の目的は日本国を自分の手中にすればそれで満足だったのだろうか。
そもそも信長が「天下を静謐にする」と宣言し「天下布武」を掲げて目指した先はなんだったのだろうか。
天下統一の発想だって当時にすれば稀有なことだったような気がする。戦国武将はみんなそのような発想があったのかと考えると決してそんなことはないのだ。北条早雲や大内義隆はとてもそこまで考えてはいまい。斉藤道三はチラリと考えたかもしれないがそれよりも目先のことで精一杯だった。毛利元就は京都まで決して攻め上ろうとしなかった。上杉謙信や武田信玄も「自分の領国を増やそう」とまでしか発想がなかったと思われる。今川義元にしてもそうだ。彼らの目標は「足利将軍の執権になる」までしか発想がいかなかったのではないか。
信長は違う。自らが天下の盟主になろうとしていた。だから「天下布武」であり、足利源氏に代わるために「平氏」を自称したのだ。
では信長は将軍になって幕府を興そうとしたのか?。それも考えたかもしれない。しかしどうも信長はもっと先を考えていたような気がする。
『信長はジンギスカンになろうとしたのではないか? 』
僕には最終目標がそこにあったような気がしてしょうがない。信長の視線は遥か遠くを見ていたように思える。全ての権威を自分に集中させ、日本を平らげた後は皇帝となって世界を目指したのではないかと。発想のスケールが全く違ったのではないかと。
傍証は様々にあると思うが、信長の継承者であった秀吉の行動を見ればある程度予想が出来るのではないかと思う。
秀吉の天下統一に明確なビジョンは無かったと思う。本能寺の変で突然天下レースのトップに立ったのだから。だから、天下統一の方法も信長を踏襲した。大阪城も信長が築こうとしていた。検地や刀狩もそうだったかもしれない。秀吉は信長の敷いたレールの上を走った「信長政権」の優秀で忠実な二代目なのだ。
秀吉は信長の亡霊に突き動かされていたのだと思う。信長路線でいけば間違いはない、のだと。死してなお秀吉を強迫観念の虜としていたのだ。さすれば、「唐入り」も信長の規定路線ではなかったのだろうか? そうでないと、あの秀吉の後半生は説明が出来ないのだ。何故に朝鮮に攻め入らなければならなかったのか? それは信長の目標だったからだ。秀吉は信長の野望を忠実に守って「中原」に立とうとしたのではないか。「唐入り(中国征服)」は信長の発想と思えば、不可思議な「狂った」秀吉の後半生の説明がつく。秀吉を動かしたのは信長の「世界征服プラン」なのだ。
だとすれば、本能寺の変の黒幕も浮かび上がる。信長によって権威が否定されてしまう人々である。絶対に信長に全国制覇をされては困る存在…それは朝廷である。
歴史上、幻の古代は別として天皇家を廃しようとした者は居ない。足利義満だってそうだ。天皇になろうとしたかもしれないが天皇を廃しようとはしていない。天皇の権威を利用しても、易姓革命によって天皇を廃して皇帝になろうとした者は皆無なのだ。将軍も関白も形は天皇の配下なのだ。しかし、信長は最終的に絶対王者を目指したのだろう。とりあえずは朝廷の権威も利用して右大臣にはなったが、臣下になって喜ぶ信長ではあるまい。これはステップに過ぎない。足利将軍を追放し、比叡山を陥落させ宗教弾圧をし、あらゆる権威を否定しようとした信長である。天下統一の暁には朝廷も廃そうとしたことは想像に難くない。
それを読み取った朝廷、具体的には正親町天皇の下、誠仁親王と近衛前久が画策し、光秀を動かしたのではないか。信長誅殺の後、親王は直ぐに勅使を光秀に送っている。怪しい。吉田兼見もかなり動いている。近衛前久は上杉や足利義昭とも連絡を取っている。このことは安倍龍太郎氏の著作に詳しい。
足利義昭黒幕説も頷けるのだが、さすれば何故秀吉の中国大返しを許したのか。義昭は当時毛利家の食客である。そこのところがどうも問題として残る。しかし、信長を廃することだけが目的で光秀を見殺しにしてもいいという考えであれば可能性はないとは言えない。朝廷と共犯関係だったのかもしれない。
家康黒幕説もあるが、これはかなり危険である。「変」の時、家康は信長と同様丸腰だったのだ。伊賀越えをカムフラージュとするには危険度が高すぎる。天下が一瞬でも乱れると身が危ない。実際穴山梅雪は討たれている。野武士らも動き出す。光秀の最期を見ても、伊賀越えなどはリスクが多すぎる。
秀吉説も根強い。信長が斃れて最も特をしたのは秀吉だ。大返しも早すぎるという見方もある。京都に信長を誘き出したのは秀吉とも言える。しかし秀吉もリスクが多すぎる。以前これをテーマに「もしも光秀の使いが毛利に届いていたら」と言う記事を書いたことがあったが、結果としてうまくいったものの、黒幕であれば毛利と睨みあい状態の時に「変」が起こるのは望ましくない。可能性はゼロではないが。
もう一つ恐ろしい黒幕説がある。立花京子氏が言われる「イエズス会の存在」である。
信長の快進撃は海外技術無くしては成り立たない。火薬、硝石の輸入はイエズス会が握っていたとも言われる。その頃イエズス会と信長は蜜月の時代であった。ルイス・フロイスが信長に如何に近かったかは有名である。信長はキリスト教を保護し、既存の宗教を弾圧した。比叡山焼き討ちしかり、一向一揆弾圧しかり。それは大量殺戮であったが、キリスト布教の動向と完全に合致する。信長軍はイエズス会から見れば「十字軍」だったのだ。
イエズス会の目的は布教活動であるが、さらにスペイン・ポルトガルの植民地政策の先端とも言える(サン・フェリペ号事件参照)。実際に中南米はそうやって侵略している。そうしてあるときまで信長の路線とキリスト教布教の路線は完全に合致していたのだ。信長の中国侵略という青写真があったとしたら、それはイエズス会の中国布教路線からの発想かもしれない。
しかし、信長はイエズス会から距離を置くようになり、安土城も「天主閣」と呼ぶようになる。(普通なら天守閣) イエズス会は、信長が自ら「デウス」になろうとしていると読み取ったのかもしれない。信長は信長で自分が「南蛮植民地政策のお先棒を担いでいる」ことがわかったのだろう。フロイスは本国への手紙で信長を罵るようになる。信長とイエズス会との同盟が壊れた矢先、本能寺の変が起こる。
この説は傾聴に値する。そうすると、信長の宗教大量殺戮や大陸進出の考えが完全に説明がつくからだ。しかし、当時のイエズス会はヨーロッパ軍ではない。黒幕足り得ない可能性が高い。
しかし、細川藤孝を活用をしたとすれば可能性は残るのである。藤孝は妻がキリシタンであり本人もそうであった可能性が高い。息子忠興の妻は光秀の娘ガラシャである。細川家がキリシタンであったとしたら…実に怪しい。イエズス会は藤孝を通じて光秀を動かし、そして後からハシゴを外したのではないか。光秀は藤孝が味方だと信じていたのに裏切られている。事実だとしたら恐ろしい。
この二説が僕は有力だと見る。ただ、朝廷とキリスト教は水と油であり共謀したとは考えられない。僕は、イエズス会と信長の不和を見て朝廷が事を起こしたのだろうと思う。信長は朝廷にとって危険すぎた。
朝廷というところは軍隊を持たない。その代わりに権謀術策を使う。古来朝廷にはタヌキが多く存在する。他人のフンドシで相撲を取ってばかりだ。
しかし、その陰謀の一部始終の情報を得た人物が居る。秀吉である。
卑賤な出自の秀吉が関白太政大臣にまで昇りつめられたのは何故か? 僕は朝廷を脅迫したのだろうと見ている。信長殺しの罪を不問にし、光秀が自らのカンシャクで信長を廃したということに仕立て上げることによって朝廷と取引し、位階を得たのではないか? 信長が三職推任(太政大臣か関白か将軍)にあれだけ時間を費やし結局為し得なかったことを秀吉は3年で遂げたのである。これはおかしい。やはり裏取引があったと見るべきである。しかし、将軍ではなく関白としたところに朝廷の面目躍如がある。長続きしないように、武士ではなく公家の棟梁にしたのだ。ここにも朝廷にタヌキが居る。
信長が生きていたら。おそらく全国統一をした後、大陸進出をしたであろう。しかしヨーロッパ勢力の日本侵略も有りえた。秀吉の時代にはもうポルトガルはスペインに統合され、スペイン自体も下降線を辿っていたのでよかったのだが。信長の時代であれば恐ろしい。信長の存在は両刃の剣だ。大陸進出もさることながらヨーロッパも敵に回していた可能性もある。信長がジンギスカンやアレキサンダーと並ぶ英雄になれたかどうかは分からない。
(立花京子氏、桐野作人氏、安倍龍太郎氏らの著作を参考にしました。)
天下統一さ、と言ってしまったらそれまでのことなのだが、信長の目的は日本国を自分の手中にすればそれで満足だったのだろうか。
そもそも信長が「天下を静謐にする」と宣言し「天下布武」を掲げて目指した先はなんだったのだろうか。
天下統一の発想だって当時にすれば稀有なことだったような気がする。戦国武将はみんなそのような発想があったのかと考えると決してそんなことはないのだ。北条早雲や大内義隆はとてもそこまで考えてはいまい。斉藤道三はチラリと考えたかもしれないがそれよりも目先のことで精一杯だった。毛利元就は京都まで決して攻め上ろうとしなかった。上杉謙信や武田信玄も「自分の領国を増やそう」とまでしか発想がなかったと思われる。今川義元にしてもそうだ。彼らの目標は「足利将軍の執権になる」までしか発想がいかなかったのではないか。
信長は違う。自らが天下の盟主になろうとしていた。だから「天下布武」であり、足利源氏に代わるために「平氏」を自称したのだ。
では信長は将軍になって幕府を興そうとしたのか?。それも考えたかもしれない。しかしどうも信長はもっと先を考えていたような気がする。
『信長はジンギスカンになろうとしたのではないか? 』
僕には最終目標がそこにあったような気がしてしょうがない。信長の視線は遥か遠くを見ていたように思える。全ての権威を自分に集中させ、日本を平らげた後は皇帝となって世界を目指したのではないかと。発想のスケールが全く違ったのではないかと。
傍証は様々にあると思うが、信長の継承者であった秀吉の行動を見ればある程度予想が出来るのではないかと思う。
秀吉の天下統一に明確なビジョンは無かったと思う。本能寺の変で突然天下レースのトップに立ったのだから。だから、天下統一の方法も信長を踏襲した。大阪城も信長が築こうとしていた。検地や刀狩もそうだったかもしれない。秀吉は信長の敷いたレールの上を走った「信長政権」の優秀で忠実な二代目なのだ。
秀吉は信長の亡霊に突き動かされていたのだと思う。信長路線でいけば間違いはない、のだと。死してなお秀吉を強迫観念の虜としていたのだ。さすれば、「唐入り」も信長の規定路線ではなかったのだろうか? そうでないと、あの秀吉の後半生は説明が出来ないのだ。何故に朝鮮に攻め入らなければならなかったのか? それは信長の目標だったからだ。秀吉は信長の野望を忠実に守って「中原」に立とうとしたのではないか。「唐入り(中国征服)」は信長の発想と思えば、不可思議な「狂った」秀吉の後半生の説明がつく。秀吉を動かしたのは信長の「世界征服プラン」なのだ。
だとすれば、本能寺の変の黒幕も浮かび上がる。信長によって権威が否定されてしまう人々である。絶対に信長に全国制覇をされては困る存在…それは朝廷である。
歴史上、幻の古代は別として天皇家を廃しようとした者は居ない。足利義満だってそうだ。天皇になろうとしたかもしれないが天皇を廃しようとはしていない。天皇の権威を利用しても、易姓革命によって天皇を廃して皇帝になろうとした者は皆無なのだ。将軍も関白も形は天皇の配下なのだ。しかし、信長は最終的に絶対王者を目指したのだろう。とりあえずは朝廷の権威も利用して右大臣にはなったが、臣下になって喜ぶ信長ではあるまい。これはステップに過ぎない。足利将軍を追放し、比叡山を陥落させ宗教弾圧をし、あらゆる権威を否定しようとした信長である。天下統一の暁には朝廷も廃そうとしたことは想像に難くない。
それを読み取った朝廷、具体的には正親町天皇の下、誠仁親王と近衛前久が画策し、光秀を動かしたのではないか。信長誅殺の後、親王は直ぐに勅使を光秀に送っている。怪しい。吉田兼見もかなり動いている。近衛前久は上杉や足利義昭とも連絡を取っている。このことは安倍龍太郎氏の著作に詳しい。
足利義昭黒幕説も頷けるのだが、さすれば何故秀吉の中国大返しを許したのか。義昭は当時毛利家の食客である。そこのところがどうも問題として残る。しかし、信長を廃することだけが目的で光秀を見殺しにしてもいいという考えであれば可能性はないとは言えない。朝廷と共犯関係だったのかもしれない。
家康黒幕説もあるが、これはかなり危険である。「変」の時、家康は信長と同様丸腰だったのだ。伊賀越えをカムフラージュとするには危険度が高すぎる。天下が一瞬でも乱れると身が危ない。実際穴山梅雪は討たれている。野武士らも動き出す。光秀の最期を見ても、伊賀越えなどはリスクが多すぎる。
秀吉説も根強い。信長が斃れて最も特をしたのは秀吉だ。大返しも早すぎるという見方もある。京都に信長を誘き出したのは秀吉とも言える。しかし秀吉もリスクが多すぎる。以前これをテーマに「もしも光秀の使いが毛利に届いていたら」と言う記事を書いたことがあったが、結果としてうまくいったものの、黒幕であれば毛利と睨みあい状態の時に「変」が起こるのは望ましくない。可能性はゼロではないが。
もう一つ恐ろしい黒幕説がある。立花京子氏が言われる「イエズス会の存在」である。
信長の快進撃は海外技術無くしては成り立たない。火薬、硝石の輸入はイエズス会が握っていたとも言われる。その頃イエズス会と信長は蜜月の時代であった。ルイス・フロイスが信長に如何に近かったかは有名である。信長はキリスト教を保護し、既存の宗教を弾圧した。比叡山焼き討ちしかり、一向一揆弾圧しかり。それは大量殺戮であったが、キリスト布教の動向と完全に合致する。信長軍はイエズス会から見れば「十字軍」だったのだ。
イエズス会の目的は布教活動であるが、さらにスペイン・ポルトガルの植民地政策の先端とも言える(サン・フェリペ号事件参照)。実際に中南米はそうやって侵略している。そうしてあるときまで信長の路線とキリスト教布教の路線は完全に合致していたのだ。信長の中国侵略という青写真があったとしたら、それはイエズス会の中国布教路線からの発想かもしれない。
しかし、信長はイエズス会から距離を置くようになり、安土城も「天主閣」と呼ぶようになる。(普通なら天守閣) イエズス会は、信長が自ら「デウス」になろうとしていると読み取ったのかもしれない。信長は信長で自分が「南蛮植民地政策のお先棒を担いでいる」ことがわかったのだろう。フロイスは本国への手紙で信長を罵るようになる。信長とイエズス会との同盟が壊れた矢先、本能寺の変が起こる。
この説は傾聴に値する。そうすると、信長の宗教大量殺戮や大陸進出の考えが完全に説明がつくからだ。しかし、当時のイエズス会はヨーロッパ軍ではない。黒幕足り得ない可能性が高い。
しかし、細川藤孝を活用をしたとすれば可能性は残るのである。藤孝は妻がキリシタンであり本人もそうであった可能性が高い。息子忠興の妻は光秀の娘ガラシャである。細川家がキリシタンであったとしたら…実に怪しい。イエズス会は藤孝を通じて光秀を動かし、そして後からハシゴを外したのではないか。光秀は藤孝が味方だと信じていたのに裏切られている。事実だとしたら恐ろしい。
この二説が僕は有力だと見る。ただ、朝廷とキリスト教は水と油であり共謀したとは考えられない。僕は、イエズス会と信長の不和を見て朝廷が事を起こしたのだろうと思う。信長は朝廷にとって危険すぎた。
朝廷というところは軍隊を持たない。その代わりに権謀術策を使う。古来朝廷にはタヌキが多く存在する。他人のフンドシで相撲を取ってばかりだ。
しかし、その陰謀の一部始終の情報を得た人物が居る。秀吉である。
卑賤な出自の秀吉が関白太政大臣にまで昇りつめられたのは何故か? 僕は朝廷を脅迫したのだろうと見ている。信長殺しの罪を不問にし、光秀が自らのカンシャクで信長を廃したということに仕立て上げることによって朝廷と取引し、位階を得たのではないか? 信長が三職推任(太政大臣か関白か将軍)にあれだけ時間を費やし結局為し得なかったことを秀吉は3年で遂げたのである。これはおかしい。やはり裏取引があったと見るべきである。しかし、将軍ではなく関白としたところに朝廷の面目躍如がある。長続きしないように、武士ではなく公家の棟梁にしたのだ。ここにも朝廷にタヌキが居る。
信長が生きていたら。おそらく全国統一をした後、大陸進出をしたであろう。しかしヨーロッパ勢力の日本侵略も有りえた。秀吉の時代にはもうポルトガルはスペインに統合され、スペイン自体も下降線を辿っていたのでよかったのだが。信長の時代であれば恐ろしい。信長の存在は両刃の剣だ。大陸進出もさることながらヨーロッパも敵に回していた可能性もある。信長がジンギスカンやアレキサンダーと並ぶ英雄になれたかどうかは分からない。
(立花京子氏、桐野作人氏、安倍龍太郎氏らの著作を参考にしました。)
光秀を動かせる人物とその理由‥それは秀吉や家康では無理。信長の性格・考えを全て知り尽くした彼は信長の行く先が見えてたでしょうからね。
その信長の行く先が凛太郎さん がお話したことであったとしたら、、絶対光秀は好機を逃さなかったはずです。
あと、秀吉の大陸進出‥。これは本当に不思議ですよね。もうろくじぃが何考えてるの?って。信長の亡霊が彼をつき動かした‥。うーん、そう考えれば確かに納得できます。って、言うかね、この件に限らず秀吉は信長あっての秀吉でトップに立つ人じゃないんですよね。信長がいたからこそ彼は才能を発揮した。だから後半生はあんなになってしまったのでは?と思ってました。
さすが凛太郎さん !!小説を出版したらきっと売れるよ!題して「信長の野望-世界征服をたくらんだ男」なーんて如何??
本当にいろいろな説があって…。全部は書ききれませんでした。僕は自分のブログなので断定的に書いてしまいましたが、押し付ける気持ちも毛頭ありませんし、いろんな考え方があっていいと思います。だから面白い。
しかし朝廷説が真実としたら、なんだか朝廷には隠された秘伝の陰謀マニュアルがあるのでは、と疑いたくなりますね(笑)。古今伝授みたいな。天皇と一部の公家はそれをみんな読んで勉強しているのでは(笑)。
藤孝とイエズス会のことはもっと書きたかったのですが書き出すとそれこそ小説になる(笑)。
信長が皇帝になる気でいた事は他にもいくつか傍証があるようです。そのまま突っ走っていたら日本は大変なことになっていたかもしれません。もちろん、ジンギスカンやヌルハチのように中原を制した可能性もゼロではないですけれどもね。秀吉は仰るとおり信長が居てこその人だと思います。天下レースでは自分でどうしていいかわからなかったからとにかく信長の路線通りに動いたのですね。だから唐入りも規定路線通りにやった、と。
光秀には実にシンパシーを感じてしまいます。「国盗り物語」を読んで以来光秀がどうも気の毒で。報われない人だよなぁ。
私は秀吉の大陸進出は単に内政の不満から目をそらせるためだったと思っています。今のブッシュとかと同じで、安直な権力者がよく使う手ですからね。
続きの家康についての話も聞きたいです。機会があったらぜひお願いします。
イエズス会については本当に「日本の裏面史」といった感じがしますねー。信長の宗教弾圧のもうひとつの面が見えるような気がします。掘り下げるともっといろいろな事象が出てくるかと。
秀吉の大陸進出は確かに仰るとおりですね。ただ、内政不満の矛先として秀吉が考えた際に、かつての信長の野望が脳裏に甦ったのではないでしょうか? 確かにそう思えば安直ですよね(汗)。
家康もしかし謎が多い人物ですねぇ。NAOさんもぜひ書いてくださいよぉ♪
コメントありがとうございます。
信長は日本が生んだ最も過激な天才だと思います。
彼があのまま生きていたら…と誰もが考えてしまう…
しかし何時の時代も暗躍する陰謀は出る杭を打ってしまう…
私は今の時代にこそ、彼がが必要だと思っています。
そしてもう一度、日本を叩き切って欲しい!!
今度一夜城と小田原城に桜見に行きます。歴史を噛み締めながら歩いて来ます。
ところで凛太郎さんのブログをリンクしてもよろしいでしょうか?
信長は確かに「天才」だったかもしれませんね。しかし、彼は「両刃の剣」ですからね(笑)。あのまま生きていたら日本が転覆していたかもしれない。信長ファンにそういうと怒られるのですが(汗)。
今の時代か…。信長は治世はしっかりやってましたが、本当に民の為にやっていたかは疑問ですね(笑)。今の時代にもし現われたら、僕なんて真っ先に叩き切られちゃう(爆)。彼がもし現われたら逃げよう。
スタコラサッサ(((((((((((((;・ ・)
石垣山一夜城。まだ行ったことはないのです。伊達政宗と秀吉が遭ったのも、家康関東移封のこと(俗に言う関東の連れ○○)もここですよね。ぜひ楽しんできてください♪
リンクまでしていただけるとは…。こんな殺風景なブログに過分なお言葉ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。
(*- -)(*_ _)ペコリ
坂本龍馬にしろ織田信長にしろ 結局は外国政府によって踊らせれていた って事にならないですか?そして踊らすだけ踊らせれて邪魔になれば殺された
なぜか坂本龍馬も織田信長も自分の意思で行動していた気がしないように思えてきて複雑な気分になり凄みが半減してしまいました
ただ僕の感想なだけで 楽しく読ませていただきました ありがとうございましたm(_ _)m
僕は、これについては「説」を紹介しているだけで、そうだとは言っていないつもりなのですが…書き方に不備がありましたでしょうかね(汗)。
信長にせよ龍馬にせよ、外国勢力を利用したとは思っていますが、決して「踊らされていた」とは書いていないつもりなのです。上前を撥ねた、とすら思っています。信長はその後半生のイエズス会との不和によってそのことが如実だと思っています。むしろ信長が利用したのだ、と。そのことに反発した外国勢力が信長を廃したいとは考えたでしょうが、僕は本能寺は本文に書いたとおり朝廷との軋轢が原因だと見ています。
坂本龍馬については、今年になってフリーメーソン説がTV放映されたことによって、龍馬の素晴らしさを半減させるような意見が出されて僕も憤っています(笑)。そーじゃないんだ、と強く確信していますし、本文中でも
>龍馬はんは、外国勢力を言わば踏み台にした、利用したとも取れる
と書いています。僕は龍馬が大好きですし、このフリーメイソン説は龍馬薩摩エージェント説と共に大いに反論したいとの気持ちでいっぱいなのです。
ただ、不用意にこういう内容をブログに書いたことによって、「外国勢力に利用された」というふうにとられたとしたら、僕は自分の文章力の無さを恥じ入るばかりですし残念です。ホントに龍馬を矮小化するようなフリーメイソン説にはアタマにきているのですから(笑)。信長も、坂本龍馬も僕は間違いなく自分の意思で行動していたと確信しています。
貴方がこのコメントレスを読んでくださるかどうかはわかりませんが、僕の本意を分ってくださればなあと思います。
僕は凛太郎さんのBLOGを読ませていただき、本当に歴史を愛してるんだな、と。一人旅の話しもすごく楽しく読ませていただきました。
京都に生まれた凛太郎さんがすごくうらやましいです。そんな僕は大阪ですが笑 21歳の若造で大した知識もないですが、京都に行く時は計画せず、車では行かず電車で行き、降りた駅から行きたいとこに旅をしています 京都は、あの町は、ただ歩いてるだけでドキドキしますから
また凛太郎さんのBLOG とても楽しみにしています 実はわたくし、プロレスも好きやったりします笑
長文失礼致しましたm(_ _)m
少し僕も短絡的にコメントレスを書きすぎたと反省しています。ここまで読み込んで下さっているとは思わずに申し訳なかったです。
ずいぶん前に(ブログを始める前)歴史掲示板で、「本能寺には朝廷も関わった可能性がある」と書き込んで山のように罵りのレスをもらった経験があり(笑)、そのことが少し頭をよぎったのかもしれません。貴方のご意見は傾聴に値することだったのに、もしかしたら僕の話は伝わっていなかったのかもしれない、と早合点してしまった感があります。すみません。文章で伝えるということは難しいことなのですね。
僕も「歴史を知ってる人が周りにいない」ので、こんなふうにネット上で独り言をつぶやいています。歴史好きというのは案外孤独なのですね(笑)。ひとりよがりのことを書いているとは思いますが、ご意見は歓迎しています。
僕のブログは、思い出話が中心です。旅の話はもちろんですが、歴史やプロレスに関しても、僕が貴方と同じ頃の歳、20歳前後にぼんやりと思っていたことをたたき台にしています。あまり成長していないのかもしれませんが(汗)、知識はその後20年経って増えても、人間の「考え方」というものはさほど変わらないのかもしれないと思います。僕から見れば貴方は今まさに「黄金時代」です。目一杯蓄積してくださいね♪
繰り返しますが、僕の拙いブログを読み込んでくださって感謝しています。今後も何かご意見があればまた書き込んでください。どうぞよろしく。
P.S.もしまた何か書き込んでくださる機会があるとすれば、出来れば(符号でもなんでもいいですから)名前を書いていただけないでしょうか。呼びかけるのに「貴方」とか「貴方様」とか「Unknown様」と書くのは実にやりにくいです(笑)。