ちょっと日記風になるけれども、昨夜(7/4)僕は、いつものようにPCに向かってカチャカチャとキーを叩いていた。
一昨日、友人の明石屋さんのブログ記事「ジャンボ鶴田」に触発されて「フライングボディシザースドロップ」なる例のプロレス技の記事を即座に書き始めた。しかし、一昨日は睡魔に襲われ記事を完成させることが出来ず保留とし、昨日、その続きを書いた。半分以上出来ていた記事なので容易に書き上げ、明石屋さんにTBしようと思ったのだがサーバーが不安定で(こうブログの発展速度が速くてはサーバー管理も追いつかないだろう)なかなかトラバ出来なかったため、当の明石屋のにぃちゃんに「いやートラバ出来ませんわ」と話しかけ(これはメッセンジャーでです)、そうこうしているうちに日付を越えそうになったので、「おやすみ」と打ち込んでPCを閉じようとした。
おっと、その前に明日の天気予報だけ見て寝るか、とニュースサイトを開いて天気予報をクリックしようとした時、僕は別の見出しに目が留まった。夜中であるのに、思わず声が出そうになった。
天野滋さん死亡 「NSP」のリーダーとして活躍 享年52歳
愕然とした。ネットではそれ以上の記事が出ていなくて詳細もわからない。釈然としないまま布団に入ったが、寝付かれなかった。頭の中をN.S.P.の名曲「さようなら」が駆け巡っていた。
今朝、新聞をめくり死亡記事を探した。社会面に小さく記述があった。
「NSPのリーダー」
天野滋さん(あまの・しげる=フォークグループNSPのリーダー、ボーカル)
一日、脳内出血で死亡。52歳。葬儀は近親者で済ませた。
73年にレコードデビュー。NSPには「夕暮れ時はさびしそう」などのヒット曲がある。
以上の小さい記事。笑顔の天野さんの写真が載せられていた。その程度の扱いか…。ちょっと寂しい。
以前に僕はN.S.P.については「八月の空へ翔べ」という記事を書いているので重複するのだけれど、今日は追悼という気持ちで記事をアップさせていただく。
3年ほど前に、約16年ぶりに再結成したN.S.P.。コンサートに行く余裕は残念ながらその時はなかったのだけれども、当時、関西ローカルのバラエティ番組(「ちちんぷいぷい」のことね)にゲスト出演したことがあった。昼間の番組とて見られなかったのだけれども、同居人が気がついてVTRを録っておいてくれたのでその模様を見ることが出来た。天野、中村、平賀さんいずれもそんな時間を経たとは思えない外見で、なんだか「コッキーポップ」を見ているのではないかと錯覚をするくらいだった。そのとき「さようなら」を歌ってくれたわけなのだけれど、そのみずみずしい天野さんの声は全く変わらず、あいかわらず叙情たっぷりのメロディーを聴かせてくれた。
そのときのVTRは保管してある。さっき取り出して観た。
やけに真っ白な雪がふわふわ 真っ裸の木を凍えさせ
スタジオのキャスター(N.S.P.のファン)に、「この"さようなら"を歌うとき、時々天野さん泣いているように声が震えていませんでしたか?」と聞かれ、「いやぁそんなことないですよ(笑)」と否定していた。けれども確かにレコードすら泣いているようにも聴こえるくらい哀しい歌声だった。
今は、この歌声を聴いている僕が、哀しさが胸に迫って声が震える。
今年になって、フジTVの「僕らの音楽」に出演。「もともと僕たちはロックバンドだったんだ」と言い放ち、ちょっと尖がった感じの天野さんだった。いいなぁ、まだまだ若い空気でおられる、と喜んでいたのだが、その時はもう既に癌細胞に侵されていたのか。
一ヶ月ほど経って、その番組の総集編が放送され、また天野さんが出ていた。そのとき、本編では流れなかった「さようなら」がフルコーラスで「未公開映像」として流れた。
昨日までそうだったように 明日もこのままでいたかった
以前に書いたことではあるのだけれど、僕がフォークを好きになってギターを弾きだした頃、いつも「コッキーポップ」にN.S.P.が出ていた。初心者だった僕は一生懸命コピーしてうたった。「北北東の風」「さくら草」「弥生冷たい風」「五月雨」「君と歩いてみたくて」「八月の空へ翔べ」「めぐり逢いはすべてを越えて」…。
天野さんは昨年初めにはもう病魔に侵されていたという。カムバックしてコンサート活動も再開され、秋には全国ツアーを行うはずだったらしい。しかし6月に容体が急変。癌は全身に転移していたらしい。
1日午後、脳内出血のため都内の病院で死去。葬儀は天野さんの希望で既にメンバーと近親者でとりおこなわれ、そして昨日の発表となったらしい。
楽しかったわだなんて それが最後の言葉かい
再結成を果たし、新曲も出した矢先の悲劇だった。その叙情的で哀しく寂しいメロディーを奏でたN.S.P.はもう帰り来ぬグループとなってしまった。52歳はあまりにも早い。今日何度も「さようなら」を聴いた。「さようなら…さようなら…」のリフレインがあまりにも哀しく響く。
一昨日、友人の明石屋さんのブログ記事「ジャンボ鶴田」に触発されて「フライングボディシザースドロップ」なる例のプロレス技の記事を即座に書き始めた。しかし、一昨日は睡魔に襲われ記事を完成させることが出来ず保留とし、昨日、その続きを書いた。半分以上出来ていた記事なので容易に書き上げ、明石屋さんにTBしようと思ったのだがサーバーが不安定で(こうブログの発展速度が速くてはサーバー管理も追いつかないだろう)なかなかトラバ出来なかったため、当の明石屋のにぃちゃんに「いやートラバ出来ませんわ」と話しかけ(これはメッセンジャーでです)、そうこうしているうちに日付を越えそうになったので、「おやすみ」と打ち込んでPCを閉じようとした。
おっと、その前に明日の天気予報だけ見て寝るか、とニュースサイトを開いて天気予報をクリックしようとした時、僕は別の見出しに目が留まった。夜中であるのに、思わず声が出そうになった。
天野滋さん死亡 「NSP」のリーダーとして活躍 享年52歳
愕然とした。ネットではそれ以上の記事が出ていなくて詳細もわからない。釈然としないまま布団に入ったが、寝付かれなかった。頭の中をN.S.P.の名曲「さようなら」が駆け巡っていた。
今朝、新聞をめくり死亡記事を探した。社会面に小さく記述があった。
「NSPのリーダー」
天野滋さん(あまの・しげる=フォークグループNSPのリーダー、ボーカル)
一日、脳内出血で死亡。52歳。葬儀は近親者で済ませた。
73年にレコードデビュー。NSPには「夕暮れ時はさびしそう」などのヒット曲がある。
以上の小さい記事。笑顔の天野さんの写真が載せられていた。その程度の扱いか…。ちょっと寂しい。
以前に僕はN.S.P.については「八月の空へ翔べ」という記事を書いているので重複するのだけれど、今日は追悼という気持ちで記事をアップさせていただく。
3年ほど前に、約16年ぶりに再結成したN.S.P.。コンサートに行く余裕は残念ながらその時はなかったのだけれども、当時、関西ローカルのバラエティ番組(「ちちんぷいぷい」のことね)にゲスト出演したことがあった。昼間の番組とて見られなかったのだけれども、同居人が気がついてVTRを録っておいてくれたのでその模様を見ることが出来た。天野、中村、平賀さんいずれもそんな時間を経たとは思えない外見で、なんだか「コッキーポップ」を見ているのではないかと錯覚をするくらいだった。そのとき「さようなら」を歌ってくれたわけなのだけれど、そのみずみずしい天野さんの声は全く変わらず、あいかわらず叙情たっぷりのメロディーを聴かせてくれた。
そのときのVTRは保管してある。さっき取り出して観た。
やけに真っ白な雪がふわふわ 真っ裸の木を凍えさせ
スタジオのキャスター(N.S.P.のファン)に、「この"さようなら"を歌うとき、時々天野さん泣いているように声が震えていませんでしたか?」と聞かれ、「いやぁそんなことないですよ(笑)」と否定していた。けれども確かにレコードすら泣いているようにも聴こえるくらい哀しい歌声だった。
今は、この歌声を聴いている僕が、哀しさが胸に迫って声が震える。
今年になって、フジTVの「僕らの音楽」に出演。「もともと僕たちはロックバンドだったんだ」と言い放ち、ちょっと尖がった感じの天野さんだった。いいなぁ、まだまだ若い空気でおられる、と喜んでいたのだが、その時はもう既に癌細胞に侵されていたのか。
一ヶ月ほど経って、その番組の総集編が放送され、また天野さんが出ていた。そのとき、本編では流れなかった「さようなら」がフルコーラスで「未公開映像」として流れた。
昨日までそうだったように 明日もこのままでいたかった
以前に書いたことではあるのだけれど、僕がフォークを好きになってギターを弾きだした頃、いつも「コッキーポップ」にN.S.P.が出ていた。初心者だった僕は一生懸命コピーしてうたった。「北北東の風」「さくら草」「弥生冷たい風」「五月雨」「君と歩いてみたくて」「八月の空へ翔べ」「めぐり逢いはすべてを越えて」…。
天野さんは昨年初めにはもう病魔に侵されていたという。カムバックしてコンサート活動も再開され、秋には全国ツアーを行うはずだったらしい。しかし6月に容体が急変。癌は全身に転移していたらしい。
1日午後、脳内出血のため都内の病院で死去。葬儀は天野さんの希望で既にメンバーと近親者でとりおこなわれ、そして昨日の発表となったらしい。
楽しかったわだなんて それが最後の言葉かい
再結成を果たし、新曲も出した矢先の悲劇だった。その叙情的で哀しく寂しいメロディーを奏でたN.S.P.はもう帰り来ぬグループとなってしまった。52歳はあまりにも早い。今日何度も「さようなら」を聴いた。「さようなら…さようなら…」のリフレインがあまりにも哀しく響く。
私はあまりNSPのことを知らないのですが、
寂しいです。
私のブログも緊急的に取り上げてしまいました。
凛太郎さんに色々教えて頂くことが多いです。
私のblogにコメントいただきありがとうございました。
本当に悲しいですね。
まだまだこれからだというのに・・・
本人が一番無念だったでしょうね。
残念です。誠に残念でなりません。
N.S.P.について調べている内にこちらに辿りつきました。10歳にも満たない頃親の影響で聞いていた彼らの曲ですが、カラダに沁み込んでいるのか20年近く経った今も歌うことが出来ます。「北北東の風」「弥生冷たい風」等々、ギターも弾けそうです。訃報を聞いて凛太郎さん同様「さようなら」が頭の中でずっと流れていました。
ホント寂しいですよね…。
お話によるとまだお若い様子ですが、寂しさは変わりませんよね。カラダに沁み込んでいらっしゃるのでは尚更でしょう。本当に残念でした。(_ _。)・・・シュン