凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

もしも白村江で日本軍が勝っていたら

2005年05月09日 | 歴史「if」
 7世紀半ば。朝鮮半島では新羅が唐と結んで百済を攻め、これを滅ぼした。しかし唐と新羅の連合軍が高句麗の攻略に力を注ぐうち、百済の遺臣鬼室福信は、日本に居た百済王子豊璋を迎えて百済復興を目指し、そのために日本に王子返還、そして援軍を要請した。時の為政者中大兄皇子は百済救援に向けて軍を送ったが、白村江で日本水軍は大敗し、朝鮮半島から完全撤退せざるを得なくなった。
 これが、白村江の戦いの概要である。

 古代日本は、現在考えられる国際関係よりももっとグローバルだったのかもしれない。朝鮮半島との関係は後の歴史観からは想像出来ないくらい濃密なものだったと思われる。
 順を追うと、朝鮮半島は大国である中国の脅威に晒されながら、4世紀頃から国家を建設していた。北方ツングース系の高句麗が半島北部を制覇、半島南部では馬韓、辰韓、弁韓が興り、発展して百済、新羅、任那となった。
 同時期に日本では、大和朝廷が国内統一をほぼ果たしていたか。そして朝廷は、百済と結びつきを深めつつ、任那と濃いつながりをもった。任那は日本の植民地的存在だったという説もある。大和朝廷は勢力を強めて新羅にも強い影響力を保ち、南下する高句麗とも戦った。これは教科書的見方だが、広開土王の碑という物証もある。
 僕は、征服や支配下というきっちりとした形ではなく、相互交流が実に密であったのではないかと思う。大和朝廷にも絶対的支配力があったとも思えず、文化交流も含めて、結んだり戦ったり、という感じではなかったか。人的交流も盛んで、日本人も多く朝鮮半島に行き、また朝鮮半島からも大量の人の流れがあったと思われる。パスポートもないこの時代、国家、国境という考えは今よりずっと緩やかだったのだろう。
 6世紀、任那は新羅の圧迫を受け滅亡する。百済も攻められ、日本も救援の兵を送ったが成果はさほど上がらなかった。大伴金村の外交失敗による失脚、また磐井の乱(九州筑紫の豪族とされる磐井が新羅と手を結ぶ)などあり、徐々に朝鮮半島から撤退せざるを得なくなる。聖徳太子も新羅征伐軍を送って勢力復興を目指したがやはりうまくいかなかった。

 その後、日本では645年乙巳の変(蘇我入鹿暗殺)が起きて、中大兄皇子が実権を握ることとなる。そして、最初に書いたような百済滅亡とそれに伴う白村江の戦いの敗北、朝鮮半島からの完全撤退という道筋をたどる。
 この戦いは、唐を敵にまわした時点で勝敗は決まっていたとも考えられる。
 しかし戦況は、第一次派兵、第二次派兵ともうまくいっていた(ともに阿曇比邏夫軍として一次、二次と分けない考え方もある)。だが百済軍の内部分裂(豊璋が鬼室福信を誅する)と、高句麗との戦局の膠着化により唐・新羅の戦力が百済方面に集中したことが原因で、白村江の敗退となる。
 しかし、敗因はこれだけではない。
 特に第二次派兵軍はかなりの戦果をおさめていたが、対新羅に集中しすぎており、唐軍に対して何の手も打っていなかったか。第二次派兵軍が唐の進軍を意識していたら、第三次派兵軍(白村江の派兵)があそこまで簡単に壊滅させられることはなかった可能性もある。情報は得ていたはず。
 また白村江の派兵自体も、安易だった。唐の水軍戦力の分析もなされぬままであったため、船団は戦闘用ではなく輸送用だった。であるがため、上陸しないと力が発揮できず、唐水軍の前に崩れ去る。戦場に結集した兵力だけを見れば、日本は唐を凌駕していたとされる。兵2万7000、400隻の大船団だった。しかし、戦略、戦術とも粗末であった。
 もう少ししっかりとした軍略があれば、局地的勝利はおさめられていただろう。さすれば、百済国復興も一時的には出来ていた可能性もある。

 しかし、ここで勝っていたら本当に良かったのだろうか。
 歴史の結末を知っている側から言えば、この時に日本が敗退し半島から完全撤退していたことで、日本という国が守れたとも言える。また、本来の意味での日本建国がなされたのもこの敗退からという見方もされる。
 その後の歴史の流れは以下の通りである。
 日本の撤退後、唐・新羅軍は高句麗を滅ぼして半島の覇権を新羅が持つ。しかし、唐がその新羅を支配下におさめようとして、唐VS新羅が始まる。そして様々な戦いと外交の末、新羅はなんとか唐をしりぞけて完全半島統一を果たす。
 もしも白村江で日本軍が勝利し、一時的にせよ百済が復興したとしたら。新羅は、百済と日本の連合軍とさらに戦い続けなければいけなかったであろう。高句麗との戦いでかなり疲弊し、唐の援軍によって勝ってきている新羅である。百済の盛り返しは新羅の国力にかなりのダメージを与えたと考えられる。
 高句麗はまだ滅亡していない。新羅は百済・日本連合軍と高句麗軍との挟み撃ちにあうこととなる。苦しい新羅は、唐の介入をさらに許し、戦局はドロ沼化し、新羅が最終的に覇者となっても、唐に半分以上は乗っ取られた状態になることが予想される。そして、そういう状況で唐が新羅を攻めだしたら、新羅は唐の侵攻を防げたかどうか。
 半島は唐の支配下となった可能性が高い。日本が撤退したから、新羅は高句麗を滅ぼした後、唐の侵攻に耐え、半島統一を成し遂げることが出来たとも考えられるのである。

 そうして朝鮮半島が唐の支配下となっていたら。
 次の標的は日本、ということにもなりかねない。時は下って元寇の際も、朝鮮半島の高麗を元が支配下に置いたことによって日本に攻めて来たのである。同様のことが起こっていても全く不思議ではない。新羅が防波堤になってくれたおかげで、唐が日本に攻め込まなかったと言えるのではないか。

 日本という国の成立にも、この敗戦は大きな影響を与えた。律令制国家を目指していた日本はこのあと大きな転換点を迎える。それは壬申の乱である。この壬申の乱も、国際情勢と大きく関わっていると考えられるのである。
 次回は、国内情勢について見ていきたい。



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6 コメント

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Unknown (jasmintea)
2005-05-10 23:38:43
日本にはたくさんの渡来人が住みついていて、凛太郎さんのおっしゃる通りフレンドリーだった気がします。

そう言えば近江京の近く野洲は渡来人の町だったとか。きっとたくさんの人が日本に安住の地を求めたんでしょうね。



大海人が壬申の乱で勝利して日本の外交は一変しますね。その後の大海人の外交を見れば壬申の乱の意義も見え隠れしますよね。

(大友は唐かぶれでしたね。)そんな大友に反発していたのが額田王、、(冬ごもり‥の時大友は相当ご立腹だったみたいですね)



で、もうひとつ面白いのが皇位の問題が浮上してくる時(大友・大津事件)唐や新羅の人が必ず出てきて褒めちぎっていきますよね。

それも何かの暗示なんでしょうかね???



次回、国内情勢を楽しみにしていまーす(*^o^*)
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>jasminteaさん   (凛太郎)
2005-05-11 00:30:58
琵琶湖東岸には渡来人伝説がたくさんあります。蒲生野(ご存知ですね♪)には鬼室集斯の墓が神社として祭られています。百済寺もありますね。



唐・新羅は白村江以降はとにかく口を出してきます。時の王朝を取り込むべく動くのですね。日本はとにかく人口がいますから、戦略戦術は稚拙でも敵にまわすと面倒だったようですね。
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そう言えば… (jasmintea)
2005-05-11 16:50:48
昔何かの本で持統は日本を新羅から守るため泣く泣く大津を断罪したって話を読みました。

大津が新羅と手を組み、新羅の軍勢を迎え入れて属国化する予定だったって。難波の兵器庫が狙われてて持統の手足となった不比等が察知し、大嶋を使って難波の都を焼いた、それから新羅は拠点を失って積極的に大津冊立をあきらめ大津は孤立していったって話でしたね。

小説としては面白かったけど半島情勢を知らなかった頃だったのでハナから

凛太郎さんのコメントを拝見してそんなことも多少はアリだった???なんて思った次第です。

うーん、誰の作品だったんだろう??
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(-_-;) うーん… (凛太郎)
2005-05-11 23:27:42
その小説は読んだことないですねぇ…m(_ _;)m

しかし、これに限らず古代ものの小説ってあまり読んでないなぁ。たいていは「古代○○の謎」ってなノンフィクションばかり読んでます。偏りがありますね。^^;



大津皇子が新羅僧・行心と組んで謀反を企てたということで、新羅侵略説という話自体は聞いたことがあります。僕は(?)なんですけどね(汗)。そこまではないだろうと。

僕は天武が新羅人だ、とまでは思っていないのですが(可能性ゼロではないと思いますが)親新羅政権であったと思うので、あまり露骨に侵略まではかんがえてなかったと思うのですが…。まあわかりませんけどね。それだと、大津皇子事件で持統天皇を疑うのは筋違いだったかと。いやーわかんないなぁ。

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文中同感多々 (白髪の若人)
2006-12-04 17:40:39
今、中国の春秋時代の小説を読んでます。何気なく冊封と言う言葉が気になり検索したところ辿り着きました。面白い記事を有難うございました。
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>白髪の若人さん (凛太郎)
2006-12-04 22:26:10
読んでいただいてこちらこそありがとうございます。中国史にはとんと疎いので、また僕も勉強したいと思います(汗)。歴史はみんな連動していますからね。
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