めっきり酒に弱くなった。
先日は、調子にのってビールの大ジョッキを立て続けに二杯飲んだ。これがいけなかったのである。僕は、昨今はもちろん酒全般に弱いが、特にビールがいけない。炭酸系がダメなのか、発泡酒もいけない。やたら酔う。すぐにいい気分になってしまう。
もちろん、それで止めておけばなんということもないのだろうが、たいていはそこから呑み出す。ビールだけでは、酒を呑んだという感じがしない。なので先日は以降燗酒だった。寒くなったので燗酒がことさら美味い。もう一本。笑う。放吟する。さらに一本。とめどなく呑む。
結果、二日酔いである。阿呆だ。
二日酔い。「宿酔」とも書く。酔いがずっと体内に宿っている。ああいやだ。英語だと「hangover」。語源は知らないけれども、ハングと言えばハンガーのハングであり「ぶら下がっている」的な意味か。ずっと体内に垂れ下がり続けているもの。これもよくその雰囲気が出ている。うっ気持ち悪い。
二日酔いのダメージというものは、まず肉体に来る。頭痛。嘔吐感。胃痛。限りない脱力感。末端の痺れ。口唇や舌が自分のものでない感覚。激しい渇き。僕の場合は昔の頚椎捻挫の後遺症で首痛がそれに加わる。よって、全く使い物にならない。
さらに、それに精神的苦痛が加わる。オレはなんてダメなやつなんだ。激しい自己嫌悪。こうなるのは分かっていたことじゃないか。この歳になって。馬鹿丸出し。駄目人間。人間の屑。
こうして「もう酒は呑まない。ヤメた」と固く誓う。
だが、その誓いが守られたためしが無い。何と愚かであることか。
じゃなんでそんなに呑むのか。
もちろん「酒が好き」ということが大前提としてあるのは間違いないが、これは量を過ごすということの説明にはならない。適量を見極めればいいだけのこと。酒を呑みだしてずいぶん経つのに。これまでの経験はどうした。
僕に限っては、この酒を過ごすということの原因は「過信」だと思われる。まだ呑めるとどうしても思ってしまうのだ。
もちろん、普段はそんな過信などない。むしろ自分を矮小化してとらえている。僕は気が弱くしかもマイナス思考の人間。酒についても同じこと。自分は弱くなった、もう呑めなくなった、と普段から口にしている。
しかし、酔うとこれが変わるのだ。酒に限っては大変な楽天家に変身してしまう。
酔ったら人が変わる、ということについては、僕はそんなことはあるまい、と常々思っている。酒というのは意識の拡大剤だと言える。呑んで尊大になる人は普段からその萌芽がある、と見ている。とてもそうは見えない人は、それは理性で押し殺しているのだろう。それはそれで偉い。だが、それが酒によって残念ながら顕在化してしまう。よって、乱暴になる人はそういう素養がある人。エッチになる人は普段は隠れ助平。酒は人を正直者にする。
というわけで、僕は実は楽天家なのか、と自らに問いかけるも、どうもそうは思えない。酒を呑んでも、酒以外のことではダメだ。心配性は抜けず、負けることばかり考えている。じゃなんで酒を呑んで「二日酔い」の心配をしないのか。
過去の記憶が甦るからだろう。それも近々の記憶ではなくひと昔は前のこと。その頃は当然今よりもずっと呑めた。その記憶が、酔いのために「ついこの間」のことのように勘違いしてしまう。10年前、15年前と言えば、若い頃は遥か昔に思えたものだった。20歳の頃の10年前は、人生の1/2である。そりゃ遠い記憶だ。だが、45歳の10年と言えば1/5強程度になってしまう。だから、10年は最近のことだとつい思う。大いなる勘違いなのだが、酒がそのへんの定規を霧に包んでしまう。
しかも、酒というのは呑み過ぎているかどうかが分かりにくい。メシであれば、腹一杯になれば分かる。腹の皮も突っ張る。しかし酒は、肝臓が一杯になったかどうかが皮膚感覚として分かりにくい。しかも、酒が過ぎたかどうかは後の「回復力・回復時間」の多寡であり、後からツケがやってくる。その時は、呑めれば呑めてしまうものなのだ。
よって「過信」が生じ、呑みすぎる。結果二日酔い。自己嫌悪に苛まれる。過信と自己嫌悪の繰り返しであり、正真正銘の阿呆と言える。客観的に自身の肝臓の代謝能力を計ることが出来る「酒量メーター」みたいなものが発明されないものか。…発明されても同じか。
二日酔いになってしまったものはしょうがない。どうやってこの地獄から抜け出せばいいのか。
原因は、体内に残るアセトアルデヒドだということは分かっている。名前からして厭らしい感じ。アルコールを摂取すると、肝臓が頑張ってそれを分解する。その分解の途上で、このアセトアルデヒドという物質が生じる。これは、毒である。この毒素を分解しきれなかった時に、二日酔いとなる。肝臓だって酷使されているのだから、肝臓君を責めることは出来ない。お前が許容量以上のアルコールを摂取するからいかんのだ。
よって、アセトアルデヒドを分解させる何かを摂取すればいいのだとは思うが、研究は進んでいるらしいがよく分からない。民間療法も含めよく言われる方法は、柿を食べる(柿のタンニンがアセトアルデヒドと結合して排出を促進する、カタラーゼが分解を促進する)とか、ゴマを食べる(セサミンが肝臓を助ける)、またウコンを摂る(クルクミンが肝臓を助ける)などと言われる。いいものなら何でも試したいとは思うが、あの気持ち悪い最中に柿食べたりゴマ擂ったりなんて出来ない。
タンパク質がいいから納豆を食え、ビタミンCがいいからレモンを齧れ、といくつも二日酔い処方箋はあるようだが、そういうものがのどを通るくらいの症状ならさほど心配はいらないのである。(ちなみに「納豆」という言葉は二日酔いのときに聞きたくない言葉の第2位である。聞くだけでエヅく。第1位は「固茹で卵」である)
もうこうなれば時間の経過にすがるしかない。過度な運動はせず、電車内では座らせてもらい、家に居られれば横になる。そうして肝臓にパワーを集中させる。
ただし、水分補給はせねばならない。これも、タンニンが含まれる緑茶がいい、とかスポーツドリンクで糖も同時に補う、とかよく言われるが、酷いときにはそんなものも胃が受け付けない。どうせ吐くなら、もう水でいいと思う。繰り返し飲む。徐々に身体に浸透してくるように思う。
何か食べられればそれに越したことはないが、なかなか身体が受け付けない。嚥下出来たとしても胃がそれを跳ね返してしまう。無理せず、消化のいいものを少しづつ流し込むよりしょうがないだろう。ほんの数時間前はこってりしたラーメンまで食べられたのに。人体の不思議だと思う。
あるビジネスホテルにて。昨夜はどうやってこのホテルに帰ってきたのか全く憶えていない。しかし、不思議と早朝に目が覚めた。頭が相当に重く身体は疲れきっているものの、なんとか動ける。あれ、わりに元気だな。何か食べよう。そうして階下に降り、ホテルの朝食バイキングの席につく。トーストや卵なんかは見たくもないが、おにぎりが置いてある。これなら食べられそうだ。と、味噌汁をすすりつつ食べる。意外に食べられるので驚き、いくつも口にした。これだけ食べられれば二日酔い状態からは脱せるな、と喜んだ。
考えが甘い。その時は、実はまだ酔っていたのだ。後から聞けば午前2時くらいまで大酒を喰らっていたとの由。朝6時過ぎに完全に醒めているわけがない。食べ終わって部屋に戻り、シャワーを浴びた後くらいに猛烈な二日酔い症状が襲ってきた。苦しい。気持ち悪い。なんでおにぎりをあんなに食べたんだワシは。阿呆か。そしてまた胃袋が空に戻る。その時の自分の状態も見極められない馬鹿なのだが、これ、そんなに前の話ではない。あたしゃ何歳だ全く。
汗をかくと良い、とはよく言われる。スポーツ選手達はランニングして前夜の酒を出す、などと聞くと凄いとは思うが、素人が真似しない方がいい。倒れる。サウナに入る人もいるが、よくこんなに気持ち悪いのに入れるなと思う。しかしこれも危険な方法である。血液は前夜の酒でドロドロのはずだ。西条秀樹さんや長島茂雄さんもサウナが原因で脳梗塞で倒れた。だいたい、本当に前夜の酒がそんな簡単に汗として出るものだろうか。そこらへんがよく分からない。
もちろん、それがいいと信じている人もいることだろうし否定もしにくいが、とにかく水分を徹底して補給し続けながら、でないと危ないだろう。しかし、そんなに水をガブガブ飲んで走ったりサウナに入ったり出来るというのは、相当二日酔いも軽度なのではないだろうか。
山口瞳氏によれば、文壇の大酒豪として名高い井伏鱒二氏の二日酔い脱出方法は、ぬるい風呂に入ることらしい。そして少しづつ温度を上げていく。さすれば、二日酔いが治るそうである。しかし、風呂はよく薦められるが本当に効くのか。確かに、血行がよくなるせいか頭痛は多少軽くなる。ただ、血の巡りは良くなるが肝臓に血流が集中しなくなるとも聞く。いいか悪いかよく分からない。
だいたい井伏鱒二さんなんて人は、開高健氏や吉行淳之介氏など多くの作家がその脅威を書き記す大酒豪である。本当は二日酔いなんてしていないのではないか。諧謔としてこんな話をしているのでは、と疑う。山口瞳氏の話はまだ続く。「先生、宿酔がそうして醒めた後はどうされるのですか?」「決まってるじゃないか。また呑みはじめるんですよ」
こんな人の話など参考になるものか。
人により効く、効かないはあるかもしれないが、結局、決定的な治療法などないのだろう。だから「二日酔い対処法」がこれだけ百花繚乱なのだ。最終的にはじっとして嵐が通り過ぎるのを待つしか方法がない。
「酒は呑んでも呑まれるな」とは古人の名言だろうが、おそらくこの古人も散々呑まれてきたのだろう。そして、こう言った後もまた呑まれ続けたに違いない。「酒は呑まれるなら止めるべし」ではないところがミソである。結局、また呑むのだ。昔から酒呑みは反省しないのか。
いや、反省しないのは僕だけかもしれないなあ。こんなことを書いていて、舌の根も乾かぬうちにやっぱりまた呑んでしまっている。だが今日は、何とか適量。
先日は、調子にのってビールの大ジョッキを立て続けに二杯飲んだ。これがいけなかったのである。僕は、昨今はもちろん酒全般に弱いが、特にビールがいけない。炭酸系がダメなのか、発泡酒もいけない。やたら酔う。すぐにいい気分になってしまう。
もちろん、それで止めておけばなんということもないのだろうが、たいていはそこから呑み出す。ビールだけでは、酒を呑んだという感じがしない。なので先日は以降燗酒だった。寒くなったので燗酒がことさら美味い。もう一本。笑う。放吟する。さらに一本。とめどなく呑む。
結果、二日酔いである。阿呆だ。
二日酔い。「宿酔」とも書く。酔いがずっと体内に宿っている。ああいやだ。英語だと「hangover」。語源は知らないけれども、ハングと言えばハンガーのハングであり「ぶら下がっている」的な意味か。ずっと体内に垂れ下がり続けているもの。これもよくその雰囲気が出ている。うっ気持ち悪い。
二日酔いのダメージというものは、まず肉体に来る。頭痛。嘔吐感。胃痛。限りない脱力感。末端の痺れ。口唇や舌が自分のものでない感覚。激しい渇き。僕の場合は昔の頚椎捻挫の後遺症で首痛がそれに加わる。よって、全く使い物にならない。
さらに、それに精神的苦痛が加わる。オレはなんてダメなやつなんだ。激しい自己嫌悪。こうなるのは分かっていたことじゃないか。この歳になって。馬鹿丸出し。駄目人間。人間の屑。
こうして「もう酒は呑まない。ヤメた」と固く誓う。
だが、その誓いが守られたためしが無い。何と愚かであることか。
じゃなんでそんなに呑むのか。
もちろん「酒が好き」ということが大前提としてあるのは間違いないが、これは量を過ごすということの説明にはならない。適量を見極めればいいだけのこと。酒を呑みだしてずいぶん経つのに。これまでの経験はどうした。
僕に限っては、この酒を過ごすということの原因は「過信」だと思われる。まだ呑めるとどうしても思ってしまうのだ。
もちろん、普段はそんな過信などない。むしろ自分を矮小化してとらえている。僕は気が弱くしかもマイナス思考の人間。酒についても同じこと。自分は弱くなった、もう呑めなくなった、と普段から口にしている。
しかし、酔うとこれが変わるのだ。酒に限っては大変な楽天家に変身してしまう。
酔ったら人が変わる、ということについては、僕はそんなことはあるまい、と常々思っている。酒というのは意識の拡大剤だと言える。呑んで尊大になる人は普段からその萌芽がある、と見ている。とてもそうは見えない人は、それは理性で押し殺しているのだろう。それはそれで偉い。だが、それが酒によって残念ながら顕在化してしまう。よって、乱暴になる人はそういう素養がある人。エッチになる人は普段は隠れ助平。酒は人を正直者にする。
というわけで、僕は実は楽天家なのか、と自らに問いかけるも、どうもそうは思えない。酒を呑んでも、酒以外のことではダメだ。心配性は抜けず、負けることばかり考えている。じゃなんで酒を呑んで「二日酔い」の心配をしないのか。
過去の記憶が甦るからだろう。それも近々の記憶ではなくひと昔は前のこと。その頃は当然今よりもずっと呑めた。その記憶が、酔いのために「ついこの間」のことのように勘違いしてしまう。10年前、15年前と言えば、若い頃は遥か昔に思えたものだった。20歳の頃の10年前は、人生の1/2である。そりゃ遠い記憶だ。だが、45歳の10年と言えば1/5強程度になってしまう。だから、10年は最近のことだとつい思う。大いなる勘違いなのだが、酒がそのへんの定規を霧に包んでしまう。
しかも、酒というのは呑み過ぎているかどうかが分かりにくい。メシであれば、腹一杯になれば分かる。腹の皮も突っ張る。しかし酒は、肝臓が一杯になったかどうかが皮膚感覚として分かりにくい。しかも、酒が過ぎたかどうかは後の「回復力・回復時間」の多寡であり、後からツケがやってくる。その時は、呑めれば呑めてしまうものなのだ。
よって「過信」が生じ、呑みすぎる。結果二日酔い。自己嫌悪に苛まれる。過信と自己嫌悪の繰り返しであり、正真正銘の阿呆と言える。客観的に自身の肝臓の代謝能力を計ることが出来る「酒量メーター」みたいなものが発明されないものか。…発明されても同じか。
二日酔いになってしまったものはしょうがない。どうやってこの地獄から抜け出せばいいのか。
原因は、体内に残るアセトアルデヒドだということは分かっている。名前からして厭らしい感じ。アルコールを摂取すると、肝臓が頑張ってそれを分解する。その分解の途上で、このアセトアルデヒドという物質が生じる。これは、毒である。この毒素を分解しきれなかった時に、二日酔いとなる。肝臓だって酷使されているのだから、肝臓君を責めることは出来ない。お前が許容量以上のアルコールを摂取するからいかんのだ。
よって、アセトアルデヒドを分解させる何かを摂取すればいいのだとは思うが、研究は進んでいるらしいがよく分からない。民間療法も含めよく言われる方法は、柿を食べる(柿のタンニンがアセトアルデヒドと結合して排出を促進する、カタラーゼが分解を促進する)とか、ゴマを食べる(セサミンが肝臓を助ける)、またウコンを摂る(クルクミンが肝臓を助ける)などと言われる。いいものなら何でも試したいとは思うが、あの気持ち悪い最中に柿食べたりゴマ擂ったりなんて出来ない。
タンパク質がいいから納豆を食え、ビタミンCがいいからレモンを齧れ、といくつも二日酔い処方箋はあるようだが、そういうものがのどを通るくらいの症状ならさほど心配はいらないのである。(ちなみに「納豆」という言葉は二日酔いのときに聞きたくない言葉の第2位である。聞くだけでエヅく。第1位は「固茹で卵」である)
もうこうなれば時間の経過にすがるしかない。過度な運動はせず、電車内では座らせてもらい、家に居られれば横になる。そうして肝臓にパワーを集中させる。
ただし、水分補給はせねばならない。これも、タンニンが含まれる緑茶がいい、とかスポーツドリンクで糖も同時に補う、とかよく言われるが、酷いときにはそんなものも胃が受け付けない。どうせ吐くなら、もう水でいいと思う。繰り返し飲む。徐々に身体に浸透してくるように思う。
何か食べられればそれに越したことはないが、なかなか身体が受け付けない。嚥下出来たとしても胃がそれを跳ね返してしまう。無理せず、消化のいいものを少しづつ流し込むよりしょうがないだろう。ほんの数時間前はこってりしたラーメンまで食べられたのに。人体の不思議だと思う。
あるビジネスホテルにて。昨夜はどうやってこのホテルに帰ってきたのか全く憶えていない。しかし、不思議と早朝に目が覚めた。頭が相当に重く身体は疲れきっているものの、なんとか動ける。あれ、わりに元気だな。何か食べよう。そうして階下に降り、ホテルの朝食バイキングの席につく。トーストや卵なんかは見たくもないが、おにぎりが置いてある。これなら食べられそうだ。と、味噌汁をすすりつつ食べる。意外に食べられるので驚き、いくつも口にした。これだけ食べられれば二日酔い状態からは脱せるな、と喜んだ。
考えが甘い。その時は、実はまだ酔っていたのだ。後から聞けば午前2時くらいまで大酒を喰らっていたとの由。朝6時過ぎに完全に醒めているわけがない。食べ終わって部屋に戻り、シャワーを浴びた後くらいに猛烈な二日酔い症状が襲ってきた。苦しい。気持ち悪い。なんでおにぎりをあんなに食べたんだワシは。阿呆か。そしてまた胃袋が空に戻る。その時の自分の状態も見極められない馬鹿なのだが、これ、そんなに前の話ではない。あたしゃ何歳だ全く。
汗をかくと良い、とはよく言われる。スポーツ選手達はランニングして前夜の酒を出す、などと聞くと凄いとは思うが、素人が真似しない方がいい。倒れる。サウナに入る人もいるが、よくこんなに気持ち悪いのに入れるなと思う。しかしこれも危険な方法である。血液は前夜の酒でドロドロのはずだ。西条秀樹さんや長島茂雄さんもサウナが原因で脳梗塞で倒れた。だいたい、本当に前夜の酒がそんな簡単に汗として出るものだろうか。そこらへんがよく分からない。
もちろん、それがいいと信じている人もいることだろうし否定もしにくいが、とにかく水分を徹底して補給し続けながら、でないと危ないだろう。しかし、そんなに水をガブガブ飲んで走ったりサウナに入ったり出来るというのは、相当二日酔いも軽度なのではないだろうか。
山口瞳氏によれば、文壇の大酒豪として名高い井伏鱒二氏の二日酔い脱出方法は、ぬるい風呂に入ることらしい。そして少しづつ温度を上げていく。さすれば、二日酔いが治るそうである。しかし、風呂はよく薦められるが本当に効くのか。確かに、血行がよくなるせいか頭痛は多少軽くなる。ただ、血の巡りは良くなるが肝臓に血流が集中しなくなるとも聞く。いいか悪いかよく分からない。
だいたい井伏鱒二さんなんて人は、開高健氏や吉行淳之介氏など多くの作家がその脅威を書き記す大酒豪である。本当は二日酔いなんてしていないのではないか。諧謔としてこんな話をしているのでは、と疑う。山口瞳氏の話はまだ続く。「先生、宿酔がそうして醒めた後はどうされるのですか?」「決まってるじゃないか。また呑みはじめるんですよ」
こんな人の話など参考になるものか。
人により効く、効かないはあるかもしれないが、結局、決定的な治療法などないのだろう。だから「二日酔い対処法」がこれだけ百花繚乱なのだ。最終的にはじっとして嵐が通り過ぎるのを待つしか方法がない。
「酒は呑んでも呑まれるな」とは古人の名言だろうが、おそらくこの古人も散々呑まれてきたのだろう。そして、こう言った後もまた呑まれ続けたに違いない。「酒は呑まれるなら止めるべし」ではないところがミソである。結局、また呑むのだ。昔から酒呑みは反省しないのか。
いや、反省しないのは僕だけかもしれないなあ。こんなことを書いていて、舌の根も乾かぬうちにやっぱりまた呑んでしまっている。だが今日は、何とか適量。
今年もよろしくお願いします♪
記事を読みながら、うんうん頷いている私…そう二日酔いを何度も経験してるからこそ頷けるんです。
昨年は重症2度…軽症多数経験しました。年末の二日酔いは悲惨でしたね。
娘にポカリと100%オレンジジュースを買ってきてもらい、こたつに入りながらひたすら回復を待ちました。
二度と飲むまいと思いながらも…飲んでしまう自分を弱さを責めながら、1日機能停止状態。
お酒が強いわけじゃないのについ…飲んでしまう自分が情けない…でも飲んじゃう(笑)
最近…飲むとなぜか泣いてます。泣き上戸になりましたね。他愛ない思い出話なのに気づけば泣いている。
年末の二日酔いは泣きすぎて目は腫れぼったいし…。
きれいな酔っ払いなんて見たことないですけど(笑)
私と同い年の娘がいる飲み友達(笑)は、かっこいいです。酒の飲み方を知ってる達人です。
年々…酒が弱くなってます。それは実感しています。
これからの課題は酒に飲まれない飲み方を覚えること…かな。
しか~し…果たして中途半端だとどこか飲んだ気がしない。
記憶がなくなるほど飲んで二日酔いして…くらいの飲みを年に一度くらいは自分に許してあげたい。
抑圧された意識を吐き出して…精神的なデトックスしたい。
私にとって二日酔いするくらい飲むのは精神的デトックス。酒が好きで飲んでるわけじゃないのかも(笑)
とにかく…二日酔いのつらさを語ってくれてありがとう♪
今年こそ…二日酔いしない程度に飲もう。これをテーマにお酒飲みます。
しかし呑まない人には全く実感の無い話なんだろうなぁ。
>二度と飲むまいと思いながらも…飲んでしまう自分を弱さを責めながら
そうそう、ここなんですね。二日酔いには肉体的苦痛もありながら、精神的苦痛もある。それを承知で呑むわけですから、「マゾ?」と言われてもある程度しょうがないのかも(笑)。
「1日機能停止状態」とはうまいですねぇ。「一日戦死」と書かれていた方がどなたかいらっしゃいましたが、一日機能停止もこれまたいいな。実感がある。
この話には結局結論はないのですね。結論なんて出すだけ無駄(笑)。呑む前は様々なことを考え自己抑制も効くのですが、呑んじゃえば終わり。
僕も、「二日酔いしない程度に飲もう。」を一応テーマにはしたいと思います。ですけど、あくまで「一応」(笑)。