館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

道東釣り紀行2016・その4・観光の4日目(最終日)。

2016-08-07 05:47:03 | 旅は続く


北海道は、江戸の末期・松前藩が入るまで、アイヌの土地だった・・・
やがて、屯田兵やら、日本各地からの移民・新天地を夢みて「食えなくなった武士」やら「農家の次男三男」が開拓に入り、本格的にアイヌの人たちを蹂躙して、村を作り、原野を耕して今に至るのだ。

北見も例外ではない。

明治30(1897)年、土佐(高知)で組織された北光社移民団が28日にも及ぶ長い航海で網走に上陸し、さらに、3日間の日数を重ねて着いたのが野付牛(現北見市)と呼ばれるこの土地だ。また、北光社とほぼ同時期に入植したのが北の防備と開拓を目的にした屯田兵であった。重機や暖房などの改良された今日の設備があるわけではない開拓は、想像を絶するものだったろう・・・多くの地域で、最初の入植者残っていない地域が多きとも聞く。

その北光社につながる人々が、守り神として建立した神社がここだ。




建て替えられて立派であった。



神社の一角は公園になっていて、先代の足跡を伝える様々な碑が建っている。



北見の水田の発祥の地でもあるらしい・・・



北光社と、その指導者はこのように紹介されている。

「北光社は、あの坂本龍馬の甥である坂本直寛によって組織化された移民団であり、もう一人のリーダー的存在であった前田駒次は、この地に水稲の耕作をした農業の父といわれ野付牛北光社農場管理者でもあった。」




紹介の掲示物も綺麗で、ゆかりの方々が、今も大事にしているのがわかる・・・




ここに初期のころ建てられたに違いない「碑」だな。



続いてやってきたのはこちらの場所。

北見から美幌に向かって進むと、ここ緋牛内(ひうしない)だ。今は町村合併で、北見市端野町緋牛内。



推定樹齢350年の柏の木は、一見の価値あり!!!!

お見事で、命のみなぎる木だった。



すんばらしかった!




広い土地・丘のような低山・・・・道東の原風景か?




美幌峠ってのにやってきた・・・登り始めは快晴・・・やがて、「ここより国立公園」の看板から急にガスって・・・峠ではこのような状態。




ここから、絵葉書のような「屈斜路湖」が見えるはずだが・・・・・残念であった。




フライトまで時間があったので、ちょいと寄り道で、陸上自衛隊美幌駐屯地など見学・・・・

沖縄で巨大な米軍基地を見慣れている僕には、ちと、貧弱な印象だったかな?



こうして、プチ観光など行いつつ、レンタカーを返し、空港の出発ロビー!

しばしの時間を、イケちゃんとビールタイムなど取りながら過ごした・・・・

すでに頭の中は、来年の北海道であった・・・・・「今度はあそこだな~」などと、相談!


友人と楽しく過ごし・魚に遊んでもらって、2016北海道は良い旅だったぜ!!
コメント
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