館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って30年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

東京散歩。

2012-05-16 05:40:45 | 旅は続く


こんなところにやってきた。



ここに・・・・



目的はこれ!



僕が高校生の頃1度「インカ帝国展」があった・・・

考古学少年の僕は、喜び勇んで、行った!

当時の小遣いでは高価な「パンフ(それは表紙のみ青い・・それ以外はモノクロ)」を買って、それは今でもある。

これほど纏まった「展」はなかなか無い!

最新の考古学・民俗学の成果を駆使し、インカの歴史が紐解かれていた。

文字を持たない文化の解読・・・それは考古学や民俗学の学問的価値が試されもする。

見事な文明を作り上げ、そしてスペインの侵略で見事に壊されてゆく姿の追体験でもあった・・・

太陽神・・その象徴たる黄金に輝く「金」の仮面や人形・・・

そのまま持ち去るなら、まだ、世界のどこかで、そのままの姿で残って、故郷インカに帰る日を待っているだろう・・

侵略したスペインは、現地で溶かし・インゴットにして持ち帰る暴挙で、文明の痕跡を見事なまでに破壊したのだった・・・キリスト教の布教(未開に文明の灯をともすと名乗る)の名のもとに、な。

充実した中味だ。

見てない人は、ぜひ行くとよいぜ(6月24日までやってるぜ!)。




さて、9時の入って、3時間半すぎて・・上野のお山を散策した。

結構見所があるんだぜ!

写真・・・時代の変わり目の多くの志と死・・・彰義隊の墓である。




江戸の初期・・・徳川のラスプーチン・・天海さんの遺髪塔。




古墳時代初期の頃の古墳もあるんだよん。



修学旅行生が一杯!




上野のお山の楽しみは、この「大道芸」でもある。

毎日、どこかで、何かパフォーマンスが繰り広げられている。

こちら、ジャグラーはお見事だった!!



ノコギリで音楽のおじさん・・・!

涙そうそうがお見事であった。



インカ展にぴったりの、フォルクローレ!




しこたま歩いて、2時頃まで我慢して、浅草・・・・



生ビール・・・そして、紹興酒が沁みた。


東京散歩も楽しいよ。
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宮城亘理町・・5ヶ月ぶりの再訪。

2012-05-14 06:28:10 | 旅は続く



11月に、熟知たる思いで訪ねた、亘理町・荒浜海岸に、復興の歩みを確かめるべく、再訪した。


その時の記事にGO!

半年が過ぎ、あまりに変わっていない姿に、しばし呆然・・・・だった。




ガレキは、4分の1程度は、片付いただろうか・・・・

せわしく、重機は動いてはいたが・・・・

震災以降、まだ、実際は、地盤の沈下が続いているという。
何もかも無くなった広大な土地に、家を建てればいい・・と、言う物でもないのだろう。

同じ場所に建てるのか?土地を高く造成し建てるのか?高台に移転するのか?

住民が、意思決定・合意を形成し、歩みだすのに、様々な問題があるのだろうと、現場を見て実感したしだい・・・・



止まっていた信号の、ほんの一部が点灯していた。
その先にある、魚を集める施設は、屋根や周りが片付き、働いている人たちを目にしたのは大きな変化。

海から、一艘の漁船が入港してきていた。

生きている・・・そう、思った。



うず高くつまれたガレキ・・・これは、ガレキではない。

そこに暮らした人たちの、証しや、思い出や、無念さの集積した「遙か」なんだ。


まだまだ、被災しなかった僕らの、援助は必要なんだろうと思った。


勇んで、行ける場所ではない・・・それでも、こうして、見ておくこと・思いを心に刻むことは、必要なことだと、思った。
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六道山公園。

2012-04-19 05:56:08 | 旅は続く
桜の花が、満開前のお話なのだ。




取引先が、東京の文明堂の工場の近くにあって、圏央道の入間を下り、やや平坦な場所を通り、やがて、結構急な丘陵を越えると、住宅や工場の密集する取引先に到着するのだった。

その丘陵には「六道山公園」こちら・・・の道しるべがあって、いつも気になっていたのだった。




バックヤードに多摩湖や狭山湖が控え、かなりの広さのようである。

そういえば、武蔵野うどんなる、地場の名物もあって、旨い。

公園には、子供連れの方々や、外仕事の人たちが、昼飯を食べたり、くつろいだりしていたのだった。



見晴台が、リッパな鉄筋のつくりでそびえ。
そこからは、埼玉や武蔵村山などの街並が一望できる。

そして、富士山が・・・いや・・・この日はかすんで見えなかったのだった・・・



公園として整備されている場所以外に、まだまだ手付かずの薮を従えた雑木が広がっているのだった。

いい・・・

じつにいい・・・

こういう場所は、キノコがねぇ・・・秋には・・・



桜は3分の頃、訪ねたのだった・・・・

オオタカの営巣場所・里山と昔ながらの民家など、見所も多いようだ。


このようなガイドページがありました。


いつもはお気に入りの店で昼飯など食べるのだが、弁当などもって、ここで昼飯もいいかもな・・・ルン♪


場所は東京の西多摩郡瑞穂町。

東京にも郡がある。

そして村や町も・・・・と改めて印象が残る。

昔は神奈川に属したようだが、明治に東京府に移管されたらしい・・・幾つかの町や村が市制移行し、今は、瑞穂町・日の出町・奥多摩町・桧原村で郡を構成しているようである。


公園全体など見て回るには1日は必要な感じなのな。

東京と言って、想像する東京ではない東京も、また良いねぇ・・・!
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女房の初沖縄・完結編(県立博物館は素晴らしかった!)。

2012-04-11 06:37:40 | 旅は続く
いよいよ完結だよな〜

終わってみれば、短い!

ってことで、今回の沖縄は最終記事でおます。

ここまでお付き合いの皆様、ありがとうなのだ!




いよいよ最終日。
しこーきは、1時のフライト予定なので、午前中のみ、観光なのだ。

朝、女房とホテルの周りを散歩。気になっていた寺跡を散策。
崇元寺(そうげんじ)は、沖縄県那覇市泊にあった臨済宗の寺で、1527年に創建されたとされている。

沖縄戦により焼失・全壊したが、三連アーチ型の石門が現在でも残っており重要文化財で歴史的建造物に指定されているそうだ(多くのガイドブックに載ってるが、期待を過剰に膨らませないように・・・)。かつては尚氏王統の霊を祭る寺であったが、現在は公園として整備されている。明らかに、浮浪者氏とおぼしき住まいがあった。

ここを通るときは、王様も下馬したという、当時を偲ぶ「下馬碑」がある。西の下馬碑は破壊され、その残骸は博物館にあった。



朝飯をホテルで食べ、チェックアウト前に、市場で、今夜自宅(館林)でたべるべく、「天ぷら」を購入。沖縄の「天ぷら」は、まあ、フィッシュ&チップスやフリッターと考えればよい。みな、おやつ感覚で食べる。これが旨いんだな。



いよいよ、県立博物館にやってきた。
結構、市町村に独自な「博物館」や「資料館」などあって、観てきているので、その大きな物程度の感覚だった。



いや、驚いた。

すんばらしい。



太鼓から現代に至る、民俗学的資料・遺物・考古学の遺物、と、歴史を追って閲覧できるレイアウト。
沖縄の動植物やら、昆虫やらと、博物学的資料の豊かさが良い。
宗教・大戦も押さえてある。

見せ方の工夫も見て取れる。

そして、写真撮影OKゾーンと、ここはダメよゾーンも明確だ。



学芸員は見張るどころか、預かったゾーンの説明など、積極的に声をかけてくるのだった・・
退職教員?かな?多くの学芸員は、結構高齢であった・・・

写真・女房と学芸員さん。



1つ上の写真に黒いケースには引き出し一杯に、昆虫や押し花が詰まっているのだった。地元の愛好家の寄付が種類を豊富にしているらしい。



有名な港川原人のレプリカな。本物は、特別展のような状況で無いと拝むのは難しいだろう。一体は東大にあるらしい・・・

ここは、2時間弱だったが、その倍は必要だな!な!

次回だな!

後ろ髪を引かれる思いで、この後空港に向かった・・・

いやはや、どこぞの、お高く止まった、博物館とは大きな違いであった・・・
そこがかみつけの里、我がG県だから、悲しい・・



さて、今回の動植物など・・・

写真・ベニモンアゲハ・・ちょっと胴体が毒々しいのな。場所は知念グスク。



アフリカマイマイ・・体長7センチほど・・・こうしたマイマイ類は寄生虫が多いので、触ってはいけません・・場所は、識名園。



垣根が綺麗でした。
サンダカン・場所は、首里。



月桃(ケットウ)・まだほとんど花はつけていませんが、この株のみ付いていた。
雑草のように、沖縄ではどこでも見かけます。
写真は平和祈念館。



庭の植え込みなどで、素敵な景色を演出しています。
ヤマドリヤシ・・・写真の場所は、金城石畳。



琉球グワ・本土より小ぶりのドドメ(実)が付いてます。食べごろで旨かった!



家庭菜園。沖縄の新しい家では、屋上に沢山の植物を育てていました。庭の少ない那覇のような都会ならではか?
しかしまあ、この時期、ナスは食べごろ・・とうもろこしももう少しだで?




今回のシーサー。

県庁前の「国際通り」の起点を教えています。



最近出来たという、巨大なシーサー。
モノレールの牧志駅の前に鎮座。「楽シーサー」と名前があるみたいなのだ。
焼き物で出来ている、最大のシーサーらしい・・・




ついでに測っただよ・・・場所は国際通り。




今回の富士山。

しこーきはつまらないので、ビールだ!

長い、旅日記・・・お付き合いありがとうございました。
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女房の初沖縄その3(観光客有名どころなのだ)。

2012-04-09 06:39:06 | 旅は続く
さて、記事が冷めないうちに・・・・

行ってしまいましょうよ!

ね・・・・





3日目。
本日は、観光・・・・そして、午後は、タップリの自由時間の日程。

沖縄も大正時代に始まる「軽便鉄道」が那覇を基点に、糸満や嘉手納まで伸びていたが、連合国軍の上陸で爆破され、朝鮮戦争の物資の不足でレールがスクラップにされ・・やがて、基地で分断され・・と、無くなっている。
今は、空港から首里までモノレールが走る。

はじめて、俺も乗ってみた。車窓からの眺めは、こんなに良いかと、結構驚き。
これからも、使うに違いないと確信した。

ホテルに近い「美栄橋」から「首里」終点までのった。



本日。首里城。俺は2度行っているので、1時間半後に待ち合わせと決めて、行きたい場所に向かった。



守礼門まで案内し、僕はそこから、登らず右手へまっすぐ。「真珠道」と名のついた、新しい坂・・それを暫く下ると、「金城石畳」を散策したのだった。
初めての場所は、やっぱり楽しい。




首里王朝の栄えた数百年、首里城から国場川の真玉橋に至る長さ4km総延長10kmの官道であった真珠道の一部・琉球王国尚真王の治世である1522年にその建造が始まったという。第二次世界大戦の沖縄戦で真珠道の大半は破壊されたが、金城町に現存する238mの区間が首里金城町石畳道としてその姿を現在に伝えているのだった。


琉球石灰岩の平石が敷きつめられたままで、沿道には近世以前の石垣も多く現存するという。沖縄県指定史跡で、日本の道100選の一つ。

NHKドラマ「ちゅらさん」の撮影地で、使われた民家など現存する。



生活用水の確保は、島では貴重で、水分を多穴質の石灰岩は溜め、又、地中にしみこみ湧き水として、潤す。そんな先人の知恵が、途中にある、共同井戸の跡に見てとれる。
沖縄はどこでも、水場・井戸は大事にされている。そして、神の宿る場所と、されている。




道を少し首里城方面に曲がると、樹齢200年を超える「アカギ」の大木が見れる。
そばに立つと、すごい迫力、そして少しなにやら神々しく・・・



待ち合わせの時間・・・女房から携帯「今から首里城内で、琉球舞踊が見れるって!見に来ない?」

見ただよ。写真「若衆こてい節」な。




首里城の広大な敷地を貫く、日本軍が首里城の下に地下壕を掘る。陸軍第32軍総司令部が置かれ、1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、首里城は見る影も無い破壊を受ける。やがて、この軍は、南部へ移動し(逃げて)あの、痛ましいひめゆりに象徴される民間の人々の惨状を生むのだった。



次は、「識名園」・・中国からの冊封使(さっぽうし)を接待した庭園・別荘。この中国から琉球国王に承認を受ける関係が、貿易の発展と、治世の保証であった。やがて、1609年の薩摩の侵攻と共に、この貿易の甘い汁は薩摩に持っていかれ、琉球の苦悩が始まるのだった・・・
中国風の美しい庭園で、まったり出来ます。




昼は、僕の一押しの店「ちら小(ちらがぁー)」に行った。ほとんど観光客は知らないし来ないが、昼時は、席待ちとなる。
ゆしどうふ・そして写真の「煮付け」を食べさせたかった。本来トンカツやなので、トンカツも旨い・そばもんまい!



その後那覇に戻り、午後は、すべて自由時間とした。

僕は、いつもの「ロマン書店」という、あやしい古本・中古CD/中古レコード・古物・ガラクタと並ぶ店に行く。山之口漠さんの詩集・バーズ、ロビーロバートソンのCD・沖縄本など購入。

ホテルに戻り、昼ね・風呂・マッサージなどでマッタリであった。

女房達は、買い物とやはり、ホテルで昼寝などしたらしい。



夜はゆりは、昼間の食べすぎで、ホテルで韓流に浸るとのこと。

女房は本場のゴーヤチャンプルが食べたいというので、小桜。
絶妙の味付け。
満足のようだった。

この後女房と別れて、僕はちょっとはしご。

タンパラヤで、1時間ほど呑んだ。

こうして3日目が終わった。(短いはずなのに、長かったような・・・すまん)
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