北国は各地で大雪です。我が郷里も観測史上最低温度を記録したそうです。地震、洪水、大雪、円高不景気と日本はこれからの厳しさを予想させることが多いです。
東京近郊は少し寒いくらいで穏やかなで恵まれているようですが、日頃からのリスク管理を徹底していないと緊急時に対応できなくなります。
大雪でだんだん明らかになってくるのは地方の力不足です。高齢化、産業の低迷、人口減少などから大雪に対応するにも、資金不足、機械不足、人手不足があります。なにより問題なのは近所での助け合いが今まで通りできるかということです。地方は衰退します。小生は自然に戻れという神の啓示と思っています。
さて、故郷を思う時、どうしても雪景図を思い起こします。本日も雪景図の作品です。
画家を知っている人は少ないと思いますが、私もつい最近購入するまで知りませんでした。絵を見て「素晴らしい」と思ったのですが、誰の絵か解りませんでした。私の収集品としてはけっこういい値段の作品でした。
調べてみると、私が今住んでいる埼玉県出身であり、なんと女流画家ということです。
ともかく素晴らしい作品です。
比良山雪景図 中村餘容筆
紙本水墨 軸先鹿角 共箱
全体サイズ:縦1825*横485 画サイズ:縦1265*横350
戊戌(つちのえいぬ)と箱書にあり、昭和3年(1958年)の作品です。比良山地 (ひらさんち) は、滋賀県の琵琶湖西岸に連なる山地のことです。印章は「」の朱方印と「一葦」の白方印が用いられる。
妻に漢詩の解読を依頼しました。
岑寂山中居 厭簷数尺雪 禽鳥蔵樹林 門径人跡滅
兀坐読書罷 衣帯冷如鐵 立定時開窗 馝馥古香徹
老梅冒開雪 何物比節
峰の寂とした山中に住む 軒を抑えてうず高く雪が積もっている
鳥たちは林に隠れてしまい 家の周りからは人がいる跡もなくなった
動かず座って読書も疲れると 衣服は鉄のように冷たくなっている
立って決まって窓を開けると 芳しい懐かしい香りが流れ込む
古木の梅が雪を冒して咲いている いったい何がこの気高さに比べられようか
どんよりとした雲の表現には伊藤若沖の「筋目描き」が使用されているようです。雪景色の表現、漢詩の素晴らしさ、当時の四絶の人と称されたことを窺い知れる逸品です。
中村餘容:(1904~1982) 埼玉県は武州岩槻の出身。名は雍子。号は餘容。別に一葦の号が有る。明治37年東京神田に生まれ、書・画・詩・禅・を学び、餘容は、非常に優れた作品を残しながらも社会的には殆ど知れれることなく南画家として一生を終わる。著書に「孤雲詩画集」がある。類まれなる三絶(詩・書・画の名手)さらには篆刻を加えて四絶の人と称されその作品の素晴らしさは高く評価されている。中国では芍薬を "よよう" と称し、餘容は、この花をこよなく愛さし多くの作品を描き 自信の名とした。
東京近郊は少し寒いくらいで穏やかなで恵まれているようですが、日頃からのリスク管理を徹底していないと緊急時に対応できなくなります。
大雪でだんだん明らかになってくるのは地方の力不足です。高齢化、産業の低迷、人口減少などから大雪に対応するにも、資金不足、機械不足、人手不足があります。なにより問題なのは近所での助け合いが今まで通りできるかということです。地方は衰退します。小生は自然に戻れという神の啓示と思っています。
さて、故郷を思う時、どうしても雪景図を思い起こします。本日も雪景図の作品です。
画家を知っている人は少ないと思いますが、私もつい最近購入するまで知りませんでした。絵を見て「素晴らしい」と思ったのですが、誰の絵か解りませんでした。私の収集品としてはけっこういい値段の作品でした。
調べてみると、私が今住んでいる埼玉県出身であり、なんと女流画家ということです。
ともかく素晴らしい作品です。
比良山雪景図 中村餘容筆
紙本水墨 軸先鹿角 共箱
全体サイズ:縦1825*横485 画サイズ:縦1265*横350
戊戌(つちのえいぬ)と箱書にあり、昭和3年(1958年)の作品です。比良山地 (ひらさんち) は、滋賀県の琵琶湖西岸に連なる山地のことです。印章は「」の朱方印と「一葦」の白方印が用いられる。
妻に漢詩の解読を依頼しました。
岑寂山中居 厭簷数尺雪 禽鳥蔵樹林 門径人跡滅
兀坐読書罷 衣帯冷如鐵 立定時開窗 馝馥古香徹
老梅冒開雪 何物比節
峰の寂とした山中に住む 軒を抑えてうず高く雪が積もっている
鳥たちは林に隠れてしまい 家の周りからは人がいる跡もなくなった
動かず座って読書も疲れると 衣服は鉄のように冷たくなっている
立って決まって窓を開けると 芳しい懐かしい香りが流れ込む
古木の梅が雪を冒して咲いている いったい何がこの気高さに比べられようか
どんよりとした雲の表現には伊藤若沖の「筋目描き」が使用されているようです。雪景色の表現、漢詩の素晴らしさ、当時の四絶の人と称されたことを窺い知れる逸品です。
中村餘容:(1904~1982) 埼玉県は武州岩槻の出身。名は雍子。号は餘容。別に一葦の号が有る。明治37年東京神田に生まれ、書・画・詩・禅・を学び、餘容は、非常に優れた作品を残しながらも社会的には殆ど知れれることなく南画家として一生を終わる。著書に「孤雲詩画集」がある。類まれなる三絶(詩・書・画の名手)さらには篆刻を加えて四絶の人と称されその作品の素晴らしさは高く評価されている。中国では芍薬を "よよう" と称し、餘容は、この花をこよなく愛さし多くの作品を描き 自信の名とした。
先日、通りかかった図書館で書道人協会展なる看板をみて見学しました。かなりのキャリアの方々の作品のようでしたが、なかなか「好み」と感じる書は多くはありませんでした。
漢詩の評価はよく分かりませんが、字は好みです。肥痩の感じが魅力的です。