
一昨日に会合があり、その企画にありました三橋貴明氏の講演を聴いてきました。
今の日本のデフレは政策の間違いであるというのが彼の主張のようです。内需拡大、減税、国債発行によってデフレ脱却を早急に図るべきであり、内需拡大は自然災害対策ををメインとした公共事業を主体とするという内容でした。
子供手当が内需拡大にならずに貯金となり、ものから人へと国意を誘導し、無駄な予算という名目で公共事業を中止し、デフレに突っ込んでいった政策は愚策であるという。この点では同意見であり、有効な政策がうてない政府に苛立ちを持たざる得ません。今回の消費税増税に対する低所得者に一万円現金支給などというのも愚かしく、選挙対策としたか思えません。自分のことしか考えていないということでしょう。
事態が悪化するまで有効な手立てができない、しないトップはリーダーとしての資格がないというのは民間では当たり前のことですが・・。
さて、本作品は茶碗としては大振りで、女性ならどんぶりというものでしょう。男なら抹茶のお茶碗として使えなくもありません・・さすがに大きいかな
金城次郎の作品としてはこれくらいの大きさのほうがおおらかさがあっていいと思います。魚の絵が描かれたお茶碗や杯より私は数段、野性味があっていい作品だと思います。
マカイの標準寸法から判断すると本作品は五寸であり、男性の少し大きめ飯碗、汁碗ということになります。(下記掲載事項参照)
白刷毛目波紋マカイ 金城次郎作
共箱
口径165*高さ82*高台径

非常に大らかな沖縄らしい作品。高台の脇“次”はほのぼのとしていい。おそらくいくつも重ねて焼いたもであり、そのために見込みに釉薬が掛かっていない円状の跡が残ります。
無心にいっぱい作って流れるような刷毛さばきに勢いがあります。茶碗の刷毛目を高台の中まで塗っている所が丁寧です。このほかに魚の絵のある作品(茶碗で15万と「なんでも鑑定団」で評価)もまた金城独特の作風ですが、陶芸家濱田庄司が「次郎の魚は生きている」と表現しています。

金城 次郎:1912年(大正元年)12月3日~2004年(平成16年)12月24日)。那覇市生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」保持者(沖縄県で初の人間国宝)。子の須美子、孫の宮城三成も陶芸家。生地沖縄県那覇市の壺屋(つぼや)の新垣栄徳にまなぶ。浜田庄司,河井寛次郎らにも師事し,昭和32年国展国画会賞,44年日本民芸館賞などを受賞。47年読谷村(よみたんそん)に金城次郎窯をかまえる。琉球陶器の伝統と技術をまもりながら,線彫りの魚や海老の模様で躍動感あふれた作風を築いた。60年琉球陶器で人間国宝。平成16年12月24日死去。92歳。

以下はインターネットから検索した記述です。
マカイとは?
沖縄の方言で「お碗」のことです。とは言っても、その形は沖縄独特のもので、いわゆるお茶碗とは少し違います。言葉で説明するなら、その特徴は、「口径に対して、高さが低く、口台が広い」とでも言いましょうか。沖縄には独自の形がありますが、マカイは日常の器の中ではその代表格ではないでしょうか。もっと軽くて、もっと薄い茶碗が流行の中、沖縄では多くの窯がこの伝統の形を守り続けています。沖縄では、ご飯茶碗は「飯マカイ」、沖縄ソバや麺類は「そばマカイ」などと呼びます。使ってみると、非常に手に馴染んで心地よく、白米、雑穀米、混ぜご飯、いろんなものにすっと馴染みます。
マカイのサイズ早見表
3.5寸:女性のかなり小さめ飯碗。小鉢としても。
4寸:女性の飯碗。
4.5寸:男女の飯碗。
5寸:男性の少し大きめ飯碗、汁碗。
5.5寸:小さめの麺丼、具沢山のスープ。丼ものに。
6寸:どんぶりや麺丼。
7寸:果物入れや、煮物や汁物をたっぷり盛りつける深鉢として。

壺屋焼の器 マカイ
壺屋焼は琉球王朝時代から続く、沖縄の伝統工芸の一つです。壺屋焼の特徴は、その素朴さと力強さにあります。どっしりとした重量感は、暖かみと風格が見る物、使うものに、自然と伝わるようです。色使い、デザイン共に、日本の他地域の焼き物とも異なっており、異国情緒を感じられるものとなっています。 マカイとは、底が深い皿の事です。 4寸マカイはご飯茶碗や汁碗にも使えるサイズです。6寸マカイはそばやラーメン等にぴったりのサイズです。壺屋焼の素朴な雰囲気は、炊き込み御飯や玄米ごはんなどの自然食の食卓に合いそうです。
金城次郎説明補足
金城次郎 (1912~2004)
壺屋に生まれ、壺屋焼の伝統をもとに、天性の資質を花開かせた金城次郎は、普段使いの焼物作りに主眼をおき、多彩な技法を駆使して、独特な作品を作り出してきました。
多くの代表作が生まれた昭和40年代の壺屋での仕事で、彼の大らかな個性が余すことなく表現されています。好んで描いた魚の図案について「沖縄は島国で周囲は海だからね。海の生物をテーマにした」「写実ではなく自然だよ」と語っています。
線彫り技法から生まれる魚文や海老文は、力強さと躍動感に溢れ、金城次郎の真骨頂とも言えるものです。
河井寛次郎談:次郎は珍らしい位よくできた人で、氣立てのよい素晴らしい仕事師である。轆轤ならばどんなものでもやってのける。彫ったり描いたりする模樣もうまく、 陶器の仕事で出來ないものはない。中折の古帽子を此節流行する戰鬪帽風に切り取ったのを冠つて、池の縁の轆轤場に坐つて、向ふの道行く人に毎日素晴らしい景色を作つてくれて居る。
(『工藝』第99号)
柳宗悦談:壺屋の新垣榮徳氏の窯で次郎が繪附をしてゐる所である。次郎の技は大いにいい。「まかい」と呼ぶ茶碗であるが、之に呉州で内と外とに繪 附をする。其の繪が自由で活々していて實にうまい。繪の系統を見ると南方支那のものに一脈通じるが、それ等のものに少しも負けていない。實は之だけ繪を描きこなせる陶工が有っている窯はもう本土には殆どない。
(『工藝』第130号(昭和15年)

浜田庄司談:沖縄壺屋の陶工、金城次郎君ほど、まちがいの少ない仕事をしてきた陶工を私は知らない。それも、ほとんど意識していない点を高く認めたい。縁あって君が十三、四才の頃から、私が壺屋の仕事場に滞在するたびに、手伝ってもらってすでに五〇年、君が魚の模様を彫っている一筋の姿を見つづけてきた。

*上記写真は浜田庄司窯作品
君は天から恵まれた自分の根の上に、たくましい幹を育てて、陽に向かって自然に枝が繁るように仕事を果たしてきた。次郎君の仕事は、すべて目に見えない地下の根で勝負している。これは、一番正しい仕事ぶりなので、いつも、何をしても安心して見ていられるが、こうした当然の仕事を果たしている陶工が、現在何人いるであろうか。本土での会はもちろん、海外での会の場合を想っても少しの不安もない、えがたい陶工と思う。
濱田庄司 「安心して見守れる仕事-金城次郎・個展開催に寄せて推薦文(1971)」~『琉球陶器の最高峰 人間国宝 金城次郎のわざ』(1988・朝日新聞社)
今の日本のデフレは政策の間違いであるというのが彼の主張のようです。内需拡大、減税、国債発行によってデフレ脱却を早急に図るべきであり、内需拡大は自然災害対策ををメインとした公共事業を主体とするという内容でした。
子供手当が内需拡大にならずに貯金となり、ものから人へと国意を誘導し、無駄な予算という名目で公共事業を中止し、デフレに突っ込んでいった政策は愚策であるという。この点では同意見であり、有効な政策がうてない政府に苛立ちを持たざる得ません。今回の消費税増税に対する低所得者に一万円現金支給などというのも愚かしく、選挙対策としたか思えません。自分のことしか考えていないということでしょう。
事態が悪化するまで有効な手立てができない、しないトップはリーダーとしての資格がないというのは民間では当たり前のことですが・・。
さて、本作品は茶碗としては大振りで、女性ならどんぶりというものでしょう。男なら抹茶のお茶碗として使えなくもありません・・さすがに大きいかな

金城次郎の作品としてはこれくらいの大きさのほうがおおらかさがあっていいと思います。魚の絵が描かれたお茶碗や杯より私は数段、野性味があっていい作品だと思います。
マカイの標準寸法から判断すると本作品は五寸であり、男性の少し大きめ飯碗、汁碗ということになります。(下記掲載事項参照)
白刷毛目波紋マカイ 金城次郎作
共箱
口径165*高さ82*高台径

非常に大らかな沖縄らしい作品。高台の脇“次”はほのぼのとしていい。おそらくいくつも重ねて焼いたもであり、そのために見込みに釉薬が掛かっていない円状の跡が残ります。
無心にいっぱい作って流れるような刷毛さばきに勢いがあります。茶碗の刷毛目を高台の中まで塗っている所が丁寧です。このほかに魚の絵のある作品(茶碗で15万と「なんでも鑑定団」で評価)もまた金城独特の作風ですが、陶芸家濱田庄司が「次郎の魚は生きている」と表現しています。

金城 次郎:1912年(大正元年)12月3日~2004年(平成16年)12月24日)。那覇市生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」保持者(沖縄県で初の人間国宝)。子の須美子、孫の宮城三成も陶芸家。生地沖縄県那覇市の壺屋(つぼや)の新垣栄徳にまなぶ。浜田庄司,河井寛次郎らにも師事し,昭和32年国展国画会賞,44年日本民芸館賞などを受賞。47年読谷村(よみたんそん)に金城次郎窯をかまえる。琉球陶器の伝統と技術をまもりながら,線彫りの魚や海老の模様で躍動感あふれた作風を築いた。60年琉球陶器で人間国宝。平成16年12月24日死去。92歳。

以下はインターネットから検索した記述です。
マカイとは?
沖縄の方言で「お碗」のことです。とは言っても、その形は沖縄独特のもので、いわゆるお茶碗とは少し違います。言葉で説明するなら、その特徴は、「口径に対して、高さが低く、口台が広い」とでも言いましょうか。沖縄には独自の形がありますが、マカイは日常の器の中ではその代表格ではないでしょうか。もっと軽くて、もっと薄い茶碗が流行の中、沖縄では多くの窯がこの伝統の形を守り続けています。沖縄では、ご飯茶碗は「飯マカイ」、沖縄ソバや麺類は「そばマカイ」などと呼びます。使ってみると、非常に手に馴染んで心地よく、白米、雑穀米、混ぜご飯、いろんなものにすっと馴染みます。
マカイのサイズ早見表
3.5寸:女性のかなり小さめ飯碗。小鉢としても。
4寸:女性の飯碗。
4.5寸:男女の飯碗。
5寸:男性の少し大きめ飯碗、汁碗。
5.5寸:小さめの麺丼、具沢山のスープ。丼ものに。
6寸:どんぶりや麺丼。
7寸:果物入れや、煮物や汁物をたっぷり盛りつける深鉢として。

壺屋焼の器 マカイ
壺屋焼は琉球王朝時代から続く、沖縄の伝統工芸の一つです。壺屋焼の特徴は、その素朴さと力強さにあります。どっしりとした重量感は、暖かみと風格が見る物、使うものに、自然と伝わるようです。色使い、デザイン共に、日本の他地域の焼き物とも異なっており、異国情緒を感じられるものとなっています。 マカイとは、底が深い皿の事です。 4寸マカイはご飯茶碗や汁碗にも使えるサイズです。6寸マカイはそばやラーメン等にぴったりのサイズです。壺屋焼の素朴な雰囲気は、炊き込み御飯や玄米ごはんなどの自然食の食卓に合いそうです。
金城次郎説明補足
金城次郎 (1912~2004)
壺屋に生まれ、壺屋焼の伝統をもとに、天性の資質を花開かせた金城次郎は、普段使いの焼物作りに主眼をおき、多彩な技法を駆使して、独特な作品を作り出してきました。
多くの代表作が生まれた昭和40年代の壺屋での仕事で、彼の大らかな個性が余すことなく表現されています。好んで描いた魚の図案について「沖縄は島国で周囲は海だからね。海の生物をテーマにした」「写実ではなく自然だよ」と語っています。
線彫り技法から生まれる魚文や海老文は、力強さと躍動感に溢れ、金城次郎の真骨頂とも言えるものです。
河井寛次郎談:次郎は珍らしい位よくできた人で、氣立てのよい素晴らしい仕事師である。轆轤ならばどんなものでもやってのける。彫ったり描いたりする模樣もうまく、 陶器の仕事で出來ないものはない。中折の古帽子を此節流行する戰鬪帽風に切り取ったのを冠つて、池の縁の轆轤場に坐つて、向ふの道行く人に毎日素晴らしい景色を作つてくれて居る。
(『工藝』第99号)
柳宗悦談:壺屋の新垣榮徳氏の窯で次郎が繪附をしてゐる所である。次郎の技は大いにいい。「まかい」と呼ぶ茶碗であるが、之に呉州で内と外とに繪 附をする。其の繪が自由で活々していて實にうまい。繪の系統を見ると南方支那のものに一脈通じるが、それ等のものに少しも負けていない。實は之だけ繪を描きこなせる陶工が有っている窯はもう本土には殆どない。
(『工藝』第130号(昭和15年)

浜田庄司談:沖縄壺屋の陶工、金城次郎君ほど、まちがいの少ない仕事をしてきた陶工を私は知らない。それも、ほとんど意識していない点を高く認めたい。縁あって君が十三、四才の頃から、私が壺屋の仕事場に滞在するたびに、手伝ってもらってすでに五〇年、君が魚の模様を彫っている一筋の姿を見つづけてきた。

*上記写真は浜田庄司窯作品
君は天から恵まれた自分の根の上に、たくましい幹を育てて、陽に向かって自然に枝が繁るように仕事を果たしてきた。次郎君の仕事は、すべて目に見えない地下の根で勝負している。これは、一番正しい仕事ぶりなので、いつも、何をしても安心して見ていられるが、こうした当然の仕事を果たしている陶工が、現在何人いるであろうか。本土での会はもちろん、海外での会の場合を想っても少しの不安もない、えがたい陶工と思う。
濱田庄司 「安心して見守れる仕事-金城次郎・個展開催に寄せて推薦文(1971)」~『琉球陶器の最高峰 人間国宝 金城次郎のわざ』(1988・朝日新聞社)