郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

珍大河『花燃ゆ』と史実◆30回「お世継ぎ騒動!」

2015年07月29日 | 大河「花燃ゆ」と史実
 珍大河『花燃ゆ』と史実◆29回「女たちの園」の続きです。

花燃ゆ 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)
クリエーター情報なし
NHK出版


 もう、ですね。普通に見てて、あまりにつまらなすぎて集中できず、内容が頭の中に入ってきません。
 今回、ありえへん奥の行事で、おはぎと羊羹を作って食べさせて、銀姫さまが妊娠しておめでとうございます! で終わりという印象しかないのですが。
 園山役の銀粉蝶さんとか、椋梨藤太役の内藤剛志さんとか、いつも口元に皮肉な笑みを浮かべていて、これ、絶対、馬鹿馬鹿しいシナリオにもほどがある、との思いを抑えきれず、お笑い気分で演じてるんだよねえなんぞと、つい、感じてしまいます。

 とはいいますものの、です。
 前回のコメント欄でのkiiさまのご指摘があり、子細に検討してみましたところ、この不条理RPG、時系列がもう無茶苦茶で、不条理にみがきがかかっていた!ことがわかり、今回も楽しく勉強しましたので、みなさまもどうぞ、おつきあいくださいませね。

 
幕末維新の政治と天皇
高橋 秀直
吉川弘文館


 今回も高橋秀直氏の「幕末維新の政治と天皇」を主な参考書に書かせていただきます。

 前回、書き忘れたのですが、不気味な乃木坂46十福神登場の前に、西郷隆盛が出てきました。
 「幕府軍は総勢15万の兵で長州を取り囲み、総攻撃の機をうかがっていた」とか、ナレーションが入り、西郷隆盛が登場して、「幕府の長州征討の参謀であった西郷吉之助との話し合いが岩国で行われた」 ということだったんですが、史実ではこれは、元治元年(1864)11月4日のことです。

 しかも前回のこの場面で、西郷隆盛は幕府軍が攻撃をやめる条件として、「三家老の首+騒乱を煽った高杉晋作、桂小五郎などの処分を早急にしろ」と言っているのですが、これは大嘘です。
 史実として、このとき西郷が求めましたのは攻撃予定は18日なので、三家老と四参謀をはやく処分しろということで、高杉も桂も、まったく名を出していません。

 珍大河『花燃ゆ』と史実◆28回「泣かない女」で書いたのですが、「正義党」の家老・清水清太郎と周布政之助が、すでにこの3ヶ月も前に、「三家老+四参謀の処分をする用意がある」と、周旋役の岩国藩主に伝えに行っていまして、当然、岩国藩主は長州征討軍総督側に、それを提示していたんですね。
 つまり西郷は、長州「正義党」でも呑めると提示されていた条件を出しただけでして、実は、戦いたくない気満々でした。
 幕府に使われる形で、薩摩が長州を攻めて、得することはなにもありませんから。

 なにしろ「正義党」のときから覚悟していたことですから、「俗論党」の長州藩庁は、11月12日、13日、ただちに三家老切腹、四参謀処刑を実行しまして、征討軍総督に知らせ、14日、総督は侵攻猶予を命じます。
 で、19日、総督が出しました征討軍解兵の条件は、藩主父子の書面での謝罪、山口政庁の破却、三条実美以下五卿の差し出しの三つで、一番もめましたのが五卿の差し出しですが、それ以外、きびしい条件ではないですし、もちろんここでも、高杉の名も桂の名も出ていません。

明治維新と国家形成
青山 忠正
吉川弘文館


 青山忠正氏の「明治維新と国家形成」から引用しますと、「総督府側方針(西郷隆盛の方針)と毛利家側の恭順方針とがあいまって、征長は当初から、毛利家領内への侵攻を、実際にはどのようにして回避するか、という点を焦点に展開されることになった」 ということなのです。

 前回、この不条理RPGは、西郷隆盛にありえへん高杉処分要請をさせたあげくに、いるはずもないグリフォン・椋梨藤太を同席させ、「承りました」なんぞと言わせて、「こののち長州藩内に粛正の嵐が吹き荒れることになる」とシャアのナレーションを入れ、まるで、「俗論党」による「正義党」粛正が、西郷隆盛の命令で椋梨藤太がやったことであるかのようなありえへん印象をふりまき、その直後に、三月うさぎ高下駄晋作君が生まれて間もない長男と妻を残して行方が知れなくなった、としています。
 ここでもう、相当に時間軸が狂ってしまっています!

クロニクル高杉晋作の29年 (クロニクルシリーズ)
クリエーター情報なし
新人物往来社


 一坂太郎氏の「高杉晋作の29年」の年譜で高杉を見て、そこへ上記二冊および「防長回天史 6」(マツノ書店版)から他の出来事をはさみますと、以下のようです。

 10月 5日 高杉晋作長男梅之進誕生
 10月 6日 「正義党」の藩官僚中枢全員罷免。俗論党政権樹立 
 10月16日 晋作、病気を理由に現職(政務役)を退く
 10月25日 晋作、萩の自宅を出て山口へ行き聞多を見舞う
 10月27日 晋作、親戚から、藩庁に捕縛の企てがあることを知らされ山口を出る
      徳地の奇兵隊陣営を訪ね、野村靖、山県有朋らと談論

 10月29日 晋作、下関の白石正一郎宅に潜伏
 11月 1日 晋作、下関より海路、筑前へ亡命
 11月 4日 西郷隆盛、岩国を訪れ、攻撃猶予の条件に三家老、四参謀の処分を求める 
 11月12日 前日の国司信濃切腹とあわせて、この日二家老切腹、四参謀斬首
 11月13日 都美姫、山口宮野御殿を出て萩へ向かう
      銀姫は懐妊していて、この日、山口五十鈴御殿で着帯の内式

 11月15日、銀姫懐妊を口実に、諸隊(750余人)、五卿を奉じて山口を出る
      (万が一兵火が山口に及んでは、銀姫のためにならないと理由立て) 
 
 11月22日 銀姫、山口五十鈴御殿を出て萩へ向かう


 わかっていただけたでしょうか。
 高杉晋作の筑前亡命は、西郷隆盛の岩国談判よりも、銀姫さまの萩移動よりも、先なんです。

 ところがところが。
 この不条理RPG、西郷隆盛の岩国談判があり、都美姫さまも銀姫さまも萩へ引き移り、にもかかわらず、三月うさぎ高下駄晋作くんは、まだまだ萩をうろちょろしているようでして、あろうことか野山獄に姿を現す!わけなんです。
  西郷が11月4日に「早急に三家老、四参謀を処分しなければ18日には幕府軍侵攻!」と宣言していますのに、三家老四参謀の処分もしないで、いまにも征長軍が攻め込もうとしております中、世子がのんきにお菓子を食べて子作りにはげむ不条理には、お笑いにもならないばかばかしさ、しか感じられません。

 で、言いたくもないのですが、野山獄にぶちこまれたという小田村です。
 史実を言いますならば、10月 6日に「正義党」藩官僚中枢(松島剛蔵を含みます)が罷免され、「俗論党」に政権を奪われて以来、諸隊(奇兵隊を含みます)は、「正義党」の政権復帰を求めていて、三家老四参謀の処分で幕府軍侵攻がなくなったために、一方で戦闘をちらつかせながら「俗論党」政権と交渉していたのですが、高杉が長州に帰って、12月15日に挙兵したことで、さらに諸隊の動きが活発になり、拘束しています「正義党」中枢を奪われることを怖れた「俗論党」が、18日に松島剛蔵を含む中枢メンバー7人を野山獄に入れ、翌19日に斬り、それと同時に小田村ほか二人を野山獄に入れたわけでして、この不条理RPG、チェシャ猫小田村と三月ウサギ高下駄晋作くんとぼた餅美和さんで無理矢理ストーリーをひねりだそうとしたあげくに、タイムトラベラーも顔負けなほど、時間軸を無茶苦茶にしてしまっています。
 この「正義党」七人の処刑、西郷隆盛は止めようとしたのですけれど、間に合わず、そこらへんの事情は次回にまわします。

 さらに言えば、ですね。
 野村靖は奇兵隊の客分になっていまして、幾度も藩庁に上書して「正義党」復帰を画策していますし、亡命前の高杉とも一晩、親しく語り合っています。
 品川弥二郎は、まだ二十歳そこそこで、高杉より四つ年下ですから、御楯隊に属してはいましたが、その代表者は、乃木希典の従兄弟の御堀耕助でした。
 つまり、ですね。二人とも諸隊の中にいて、「正義党」復権に懸命の働きかけをしていましたのに、この不条理RPGでは、「正義党」中枢の高杉の命を狙うキチガイにされてしまい、気の毒なかぎりです。

 さて、これまでなんども書いてきましたように、文さんが御殿勤めをはじめ、名を久坂美和と改めましたのは、慶応元年(1865年)9月のことでして、「正義党」が復権し、久坂家を道明が継ぐのを見届け、父百合之助を看取った後の話です。
 だから、もう、この架空の毛利家奥は、どうでもいいといえばどうにもいいのですが、あんまりといえばあんまりなことばかりで、おはぎを作って子宝祈願って、どこの田舎の成金の家の年中行事よっ!!!と、おもしろくもない笑劇に、目をそむけたくなりました。
 おはぎは、東海道の宿場に名物店があったりしますし、かなり庶民的な食べ物です。もちろん、おいしいですから、大名家の奥でも食べなくはなかったでしょうけれど。
 だいたい、春の彼岸に作ったときはぼた餅、秋の彼岸に作った時はおはぎ、と呼んで、普通の家で仏様にお供えしてきたものだったと思うのですが。

隠居大名の江戸暮らし―年中行事と食生活 (歴史文化ライブラリー)
江後 迪子
吉川弘文館


 江後迪子氏の「隠居大名の江戸暮らし」は、臼杵藩5万石の奥の暮らしが、日記に基づいて描かれていまして、なかなかにおもしろいものです。
 江戸時代、和菓子が日本全国にひろまっていったのですが、それは、旧暦6月16日、お菓子を食べて疫病を払う、嘉祥という行事を、幕府が制度化していたから、です。
 大名が江戸城に登城し、将軍から高級和菓子(饅頭、羊羹など)を賜った行事なのですが、大名がお国入りしていますときには、将軍家をまねて、家臣にお菓子を配ったりしまして、そもそも幕府には、御用達菓子司・大久保主水という幕臣が、代々嘉祥を采配していましたし、全国の城下町にも、大名家御用達の格式高い菓子屋が誕生しまして、奥の行事で使いますお菓子は、大方、そういう名店が承って入れていたわけです。
 この不条理RPG、毛利家の奥を馬鹿にしすぎ!!!でしょう。

 もっとも、ですね。文久の改革で、幕府におきましても、江戸に大名はいなくなりますし、贅沢だというので、嘉祥は中止になりました。
 それほどに、黒船来航が平和だった日本を変え、奥の暮らしを激変させましたことは、珍大河『花燃ゆ』と史実◆27回「妻のたたかい」に書きました。
 都美姫さまも銀姫さまも、生まれ育ちました花のお江戸を離れ、見も知らない草深い長州へ、移住するしかなかったわけですし、江戸での大名の奥や大奥との優雅なつきあいも、あきらめるしかありませんでした。

 で、コメント欄で書いたのですが、この元治元年7月23日、禁門の変によりまして長州は朝敵となり、幕府に追討令が下ります。
 江戸、京都、伏見、長崎、大阪と、各地の長州藩邸が幕府に没収されましたが、とりわけ江戸藩邸の場合は酷かったと、「防長回天史」は記しています。
 都美姫が生まれ育ち、銀姫も9歳から住んでいた桜田藩邸(上屋敷)と麻布龍土(下屋敷)、あわせて男118人、女3人が拘禁され、一人は、帯刀を奪われようとしたのであらがって、自刃したといいます。拘禁は慶応2年(1866年)6月までのおよそ2年間におよび、拘禁中の死亡者は、51人にのぼった、そうなんですね。
 そして、江戸の長州屋敷はみんな、跡形もなく取り壊されました。

 スイーツ大河『花燃ゆ』とBABYMETALに書きましたように、都美姫さまも、そして園山も、長年江戸の長州藩邸に住んでいました、皇妹にして将軍御台所・和宮さまの大叔母、姉小路と、大きなパイプがあるはずなんです。
 ふつうでしたら、奥のルートを使って、拘禁されました藩士たちを救い、少しでも長州の立場をよくしようと、必死の嘆願をするでしょう!!! なんなんでしょうか? この不条理RPGのスイーツまみれののんきな奥の化け物のような人々は!!!

 姉小路について、もう少し書きたいのですが、長くなりましたので、次回にまわします。
 
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10 コメント

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時間軸・・・ (kii)
2015-07-31 10:08:12
>おはぎと羊羹を作って食べさせて、銀姫さまが妊娠しておめでとうございます! で終わり
(笑)ホントにそんな感じでしたね。「あんみつ姫」でも観てるかのような、他愛の無いドタバタ喜劇でした。本文に僕の名前(kii)が載ってののにびっくりしました(笑)。ドラマなんでね。史実に絶対正確にしろとまでは言いませんが、やはり権威ある大河ドラマですので、観た人はそれが史実だと認識しかねない。抑えるべきところは抑えないとって思いますよね。
僕が小学校高学年の時、日テレで「年末時代劇スペシャル」をやってました。当時全く幕末史を知らなかったんですが、凄くわかりやすいナレーションとドラマチックな展開で、そこから幕末史に興味を持ちました。今観れば間違ったところは結構あるのですが、大筋が合っているので問題ありません。「白虎隊」「田原坂」「五稜郭」「奇兵隊」「勝海舟」と話や俳優がリンクしていた部分も良かったのかもしれません。「花燃ゆ」で幕末史に興味を持つ人が何人いるのでしょうか・・。
奥に関して詳しく無いので、とても勉強になってます。銀姫懐妊を口実に諸隊を山口から追い出したのはいいんですが、その後萩に向かったのは、お腹の子に良くないですねぇ。ちゃんと生まれて良かったです。
時間軸は歴史では重要な要素ですが、複雑な幕末長州史においては、特にしっかりとしないと訳がわからないものになりますよね。「花燃ゆ」の脚本家は、3人とも年表を持っていないんでしょうね。
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Kiiさま (郎女)
2015-07-31 16:26:12
私、去年のゴールデンウィークに、生まれてはじめて萩へまいりまして、千代さんが叔父の玉木文之進を介錯した場所をたずねまして、杉家の墓所、松陰の生家跡を訪れました。(http://blog.goo.ne.jp/onaraonara/e/ce5a91d0ee31139bdb3ed2b2134d77f0
 それで、まったく興味がありませんでした妹のふみさんが、山本栄一郎氏からお話しをうかがっていた影響が大きいのだと思うのですが、突然、とても身近に感じられて、小説を書く決心をしたんですね。ところがところが。次々に史料が現れますし、それを無視して書くことは私にはできませんで、中断していますうちに今年となり、放送がはじまってしまったわけなんです。影響されたくないので、見ないつもりでいたのですが、山本氏が講演で、あまりにも衝撃的なことをおっしゃるものですから、ブログで「見る気がしない」と書いたはいいんですけど、確かに、見もしないで批判するのもいかがなものかと思い、一度きりのつもりで、ブログを書いたんです。そこへKiiさまがいらして、史実を書いてみては、とおっしゃってくださらなければ、勉強し直すことにはなりませんでした。
 やはり私、薩摩の方に重点を置いていましたし、論文集や防長回天史を買っても、ろくに読んでなかったんですよね。
 あのとき、なぜ文さんをものすごく身近に感じたのか。今では、「最愛の夫のイメージをよくして。本当のことを伝えて。お願い!」と、文さんの魂が私に語りかけたんだと思います(笑)
 久坂だけではなく、いろいろ調べていますうちに、昔感じたことを思い出し、こうだったのかな?と、いまだから考えられることも増えました。
 幕末短編集にしようかな、という思いも芽ばえてきまして、今度こそ、ちゃんと構想がまとまるといいのですが。
 次回のブログなんですが、Kiiさまが取り上げておられた「西郷と高杉は会ったのか?」も、私なりに考察してみたいと思います。私は、高杉が好きです。なにしろ桐野が好きでしたから(笑) しかし、高橋秀直氏の論文を読んで、もしかして、土佐における坂本龍馬と同じように、持ち上げられすぎた部分があるのかな、という気もしてきております。もちろん、それでも大好きなのですが。といいますか、私は、あまりできすぎた人間ではない方が、かわいげを感じて、好きなのかもしれません。久坂は、できすぎで、これまでそれほど好きではなかったんです。しかし、現在世の中に流布しています久坂のイメージはあんまりなので、あの世の文さんが怒っているんですよ(笑)
返信する
郎女さま (kii)
2015-08-01 00:24:41
僕のブログは一応高杉晋作を題材としています(ほとんど晋作の記事は無いのですが・・)。
一応素人なりに晋作について分析してるのですが、まあ色々とある中でほとんどの研究家や小説家が分かっていない(勘違いしている)部分があるんです。それは「雅」と「うの」の事。晋作は家の為に「雅」と結婚して、「うの」を愛した。とされてますが、僕からすれば何をバカなって感じなんです。僕が考えますに、晋作は両方を愛していたはずです。ほとんどの研究家や小説家が、不細工でモテない(失礼)男だからだと思うのですが、ある程度の女性遍歴のある男は、複数女性を同時に愛す事が出来るんです。都合の良い話ですが、カレーとトンカツどっちも好きみたいなもんです。
また、「うの」は無理やり尼にさせられたという事になってますが、自ら尼になっています。晋作の死後、一時期裏町に戻ろうとしましたが、それは自分がこれからどうすればいいか判らなかったからで、山縣か伊藤なりが菩提を弔うという選択肢を教えてから尼になっています(ちょっとおバカさんですね)。
「雅」に関しても、扱いがひどいもんです。家の為に結婚しただけみたいな扱いです。たしかにそうですが、そこに愛が芽生えてるのです。晋作の書簡からもそれがにじみ出てくるのに、なんでそれが判らないのか?やはり不細工でモテないからか(笑)?久坂と文についても、もしかしたら同じ事が言えるのかも知れませんが、涙袖帖を読んでないのでわかりませんが・・・。
話が脱線しましたが、「文」のような女性を描くのって、けっこう面白そうだと思うんです。だから「花燃ゆ」期待してたんです。ですが残念な事に、歴史を知らない脚本家が、物語の原作を映画やドラマ向けにアレンジする感覚で、歴史という原作をアレンジしちゃったというお粗末な結果になってしまいました。
ぜひとも真実の「文」を書いてください。
幕末短編集もいいなぁ~。
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古い記事ですが (郎女)
2015-08-01 11:30:12
http://blog.goo.ne.jp/onaraonara/e/ddf896578a2487476efd56be51002e47

上に雅さんのことを書いています。いろは文庫を贈ったり、料亭へ連れていってあげたり、晋作さんは、本当に妻を愛していたのだと、私は昔から思っていました。
今回、いろいろ調べていまして、千代さんの嫁入り先の児玉家も、久さんが嫁入った当時の小田村家も、松陰生誕地にほど近い弘法谷にあったと知ったのですが、文久3年、晋作さんが東行と名乗って雅さんと二人きりで暮らした草庵が、やはり弘法谷なんですね。郊外にありました杉家とその娘たちの暮らしは、おそらく高杉家ほどには格式高くなかったでしょうし、晋作さんは、草庵暮らしの気楽さとともに、杉家三姉妹の輪の中、といいます安心感もある弘法谷を選んで、雅さんを連れ出してあげたのではないかなあ、と、繊細な思いやりを感じています。
もちろん、おうのさんにはおうのさんの魅力があったのは、わかります。
http://blog.goo.ne.jp/onaraonara/e/27758f9fc709fa5d6b88b41079f86933

上の記事に、おかあさんが嫁の雅さんと孫の東一さんを引き連れ、下関まで出てきたときのことに触れていますが、ほんとうに、お姑さんから見ても、雅さんは、かわいい嫁だったのだと思います。

萩も下関も防府も、ほんとうにいいところですね。
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雅を料亭に連れて行った件 (kii)
2015-08-03 00:33:11
僕は昔大阪に住んでおりまして、学生の頃「北新地」でバイトしてたんです。座って5万の超高級店で、お客さんは関西の一流企業の社長さんや芸能人。それで、たまに常連さんが、奥さんを連れてくるんです。その時はホステスは、常連さんよりも奥さんをVIP待遇。口座が自腹で高級お菓子などをお土産に渡したりして・・。大概の奥さんは喜んで帰られてましたね(お酒が好きな奥さんは特に。お酒が飲めなかったりワイワイが嫌いな人は微妙かも・・・)。
今も昔も同じような事をしているんですよね~。
さて、弘法谷の草庵が杉家の三姉妹の嫁ぎ先の近所だったと言う事は、文と雅の交流があったのでしょうか?
「花燃ゆ」で唯一面白い設定だなと思ったのは雅のキャラ。僕の知ってる中で、雅のキャラが立ってるドラマはこれしか知りません(ほとんどモブ扱いなので)。
下関に義母と息子と押しかける逸話をどう書くのか?所詮「花燃ゆ」なんで期待はできませんが・・・。

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草庵 (Agnes)
2015-08-04 10:39:33
草庵は、梅太郎も訪ねていってますし、かなり密な人間関係だったようです。今史跡になっているところよりも諸説ありますが、団子岩の近辺であることは確かなようですね(地元の方の話を推論していくと)私は松下村塾の成り立ちとかその後を興味をもっていますが、久保家、児玉家、杉家は近所ですし、仕事のお役目も似ているポジションも多く、晋作や井上馨たちをかくまったのは久保家の人が代官をしていた民家(うろ覚え)ですから、地縁、血縁関係で支え合っていた素朴な部分が多かったということをおぼろげに感じています。今は、下関から山口にかけての地形や風土、食文化などを知りたくて数か月に一回は通っていて、地元の繋がりを実感しているところです。突飛な物語ではなくて、日本がある意味共和国であった時代の一地域の毛利藩の中での人間関係をもう少し理解できるようだったらいいですが、製作者ははっきりと、[誰が史実を描くと言ったんでしょうか?フィクションなんだからいいでしょ?視聴率が下がったら、今度は衣装で盛り返します」と断言したようです。
文化のないエンタテーメントなんて人をバカにしてますよね。
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kiiさま (郎女)
2015-08-04 20:30:50
文さんと雅さんは、雅さんが草庵に住んで、はじめて交流が生まれたのでは、と、私は思っています。杉家では、親族の女たちが集まって、学習会のようなことをしていて、松陰も時たま、その講師を務めたりしていたそうなんですね。「女も学ばなければ」といいますのが杉家の家風ですから、晋作さんがつきあわせたがったのではないか、と思います。
晋作さんと西郷隆盛なのですが、いまのところ、あっていない説に私は傾いています。今週は姪が来ていて、ちょっと忙しいのですが、なんとか、まとめる気ではおります。
返信する
Agnesさま (郎女)
2015-08-04 20:42:05
「数か月に一回」はおうらやましい、です。前にも申し上げていたのですが、できれば一度、ごいっしょできればと存じます。
あのプロデューサーさんは、ほんとうに勘違いが甚だしい、と思います。私は、質のいいドラマでしたら視聴率が多少低くてもいいと思うのですが、なんだか、視聴率ばかりを狙って、無茶苦茶な、つまらないドラマを、受信料で作られているかと思いますと、腹立たしい限りです。
歴史には、ほとんどまったく興味のない大学生の姪が、「あれ、文さんの旦那さんが死んでから、嘘ばっかりやっているんでしょ?」と申しておりました。姪は新撰組は好きですから、歴史に興味はあんくとも。幕末のおおざっぱな流れは、わかっています。女は衣装だけで釣れるとか、ほんと視聴者を馬鹿にしきっているとしか、思えません。
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萩行き (Agnes)
2015-08-05 04:19:32
郎女様
山口には自分の中であと3年以上はコミットしようと決めていて(それは自分の中の決め事)、そこに自分のライフワークの食文化に対する興味と歴史への興味がゴチャゴチャになっているので、6次産業に関わろうということで、歴史探訪で自由に動き回れる時間があまりないのです。ご一緒したいと思いつつ、多分地元の生産者の方のところを周る時間の方が多くて申し訳ないのではと思ってご連絡していませんでした。もしそういった歴史以外の食文化の事に時間をとられることが多いので自由行動の時間が多くなってしまってもよろしければ今度ご連絡致しますね。郎女様には教えていただくことばかりになってしまいそうです。浅学なのでよろしくご指導お願い致します。
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私の方も (郎女)
2015-08-05 18:48:25
母をショートステイに預けなければ身動きがとれないことになってしまいまして、なかなか、うまくいかないかもしれませんが、また機会がありましたら、どうぞ、お誘いくださいませ。
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