郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

猫絵と江戸の勤王気分

2007年01月03日 | 生糸と舞踏会・井上伯爵夫人
猫絵の殿様―領主のフォークロア

吉川弘文館

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バロン・キャットと伯爵夫人 でご紹介した本です。

ピエール・ロチの『江戸の舞踏会』(『秋の日本』収録)は、フランス海軍士官として明治18年に来日したロチが、外務大臣主催の鹿鳴館の舞踏会に招かれ、その様子と感想を、ほとんどフィクションをまじえず書き記したものです。
時の外務大臣は井上馨、連名で招待状を出した外務大臣夫人を、ロチは「Sodeska《ソーデスカ》伯爵夫人」としているのですが、これはあきらかに井上武子伯爵夫人なのです。
武子さんについては、あまりたいした資料もなく、伯爵夫人となった次第は、鹿鳴館と伯爵夫人 で書きました。
その武子さんの実家・岩松家は、幕臣だったのですが、とても奇妙な幕臣でした。
清和源氏の名門、新田氏の血脈であるため、大名並の格式を与えられながら、禄はわずか百二十石。
明治、男爵に取り立てられたのは、どうも、娘の武子さんが長州の大物政治家、井上馨の正妻になったからのようです。

岩松新田家には、中世からの古文書が多数残されていて、その中には、江戸時代中期から明治に至るまでの、歴代殿様の日記もありました。昭和41年(1966)、元男爵家の新田義美氏が、それらの資料をすべて、地元群馬大学の付属図書館に寄贈なさったんだそうです。
著者の落合延孝氏は、1980年に群馬大学に赴任し、新田岩松氏古文書の整理を頼まれ、10年以上も研究を重ねて、この本をかかれました。
「1980年代から顕著になった近世史像の転換の中で」と著者は書かれていますが、「鼠の害をふせぐ」とされた岩松氏の猫絵に注目し、それを「領主の祭祀機能」と受け止めるような見解は、従来の日本の歴史学に欠けていた視点でしょう。
江戸時代後半に盛り上がった国学の興隆は、これまでにも幾度かふれましたが、講談などによって太平記が流行ったことも、大きく勤王気分を盛り上げました。
太平記における新田氏は、南朝の忠臣で、勤王の血筋なのです。
18世紀後半以降、農村における商品経済の発展と通信制度の発達の中で、朝廷の権威が浮上し、明治維新を準備した、という基本的な見解はもっともなものですし、結びの言葉が印象的です。
「幕藩体制から、外圧に対する復古主義的な民族運動の形態をとりながら、天皇制という形をとった近代国民国家への転換期のなかで、鼠をにらむ猫絵は、殿様の権威を求めてきた人々の歴史をもにらんでいたに違いない」

戊辰戦争において、岩松家の当主・俊純は、幕臣ながら新田官軍を立ち上げます。しかし、あまり品がいいともいえなかったらしい新田の郷臣は、江戸ではいろいろと問題を起こしたりもして、俊純は窮地に立ったこともあったようです。神坂次郎氏の『猫男爵?バロン・キャット』では、この時に武子さんは中井桜洲と知り合ったのではないか、と推測していますが、私もそう思います。


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2 コメント

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新畑民子 (世良 康雄)
2012-05-21 06:39:17
昭憲皇后血統立証の為、その母新畑民子親戚を探していますが、新田男爵家から情報得られますか?
氏名 世良 康雄
住所 神戸市中央区古湊通り2-2-10GSハイム
誕生 1970/12/28
学歴 関学商学部1994年
http://my.ameba.jp/menu.do
http://yaplog.jp/groundstlork/
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〔或る冬の日、花園院に心惹かれる 臨川寺領地〕
http://d.hatena.ne.jp/naozari/mobile?date=20110210

〔真日本建国 伯家神道の予言 2012年のシンクロ〕
http://jinga123.blog118.fc2.com/blog-entry-34.html

世良本家は、世良親王養母昭憲門院伝領の三方庄 兵庫県宍粟市一宮町生栖で、先祖世良親王祖父橋本実俊家系の姉小路大奥上臈時代の徳川家斉子孫等も勉強中です。
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遅くなりましたが (郎女)
2012-05-31 13:30:34
私は、新田男爵家に関しまして、直接調べたわけではございませんし、ここに書きました以上のことは存じません。ただ、猫絵の殿様のお家が、新田本流として男爵家となりますにつきましては、娘の武子さんが長州閥の井上馨夫人になっていたから、という噂があるくらいでして、男爵家が新田氏の血脈に詳しいということは、なさそうな気がいたします。
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