幕末、日仏交渉にかかわった
シャルル・ド・モンブラン伯爵について
資料をさがしています。
こんな人のこないブログで情報を求めても仕方がないような気もするのですが、万が一、ということもあります。
前回に書きましたけれども、幕末を舞台に物語りを書こうと企画していまして、その重要な登場人物の一人が、モンブラン伯爵なんです。
実は、ネットで調べはじめてから、すでにフランス文学者の鹿島茂氏が、モンブラン伯を主人公に、『妖人白山伯』という小説を書いておられると知ったのですが、読んでみて、少々ショックでした。
手持ちの資料を読んだ段階で、「男色家だったのでは? 女嫌いのよう」という感触を持っていたのですが、鹿島氏は、しっかり男色家という設定にしていますし、先を越されている! とでもいった感じでして。
しかし、鹿島氏とは物語の視点がまったくちがいますので、まあ、それはいいことにしました。
モンブラン伯爵が大山師だった、という話の元ネタは、昭和6年発行の中里機庵著「幕末開港 綿羊娘(ラシャメン)情史」に出てくるんですね。鹿島氏もこれを使っていて、モンブラン伯を狂言回しに、幕末維新政治史のパロディを書こうとなさったようなのですが、よく調べておられる、と感心しつつ、小説としては、なぜかまったくおもしろくなくて、いや、なんといいますか、素材をひねりまわしすぎ、なんじゃないんでしょうか。
で、そう、モンブラン伯に関する資料です。
第1次資料とでもいうんでしょうか、モンブラン伯と同時代人が書き残したもの、あるいは語り残したものをさがしています。
田辺太一「幕末外交談」、これは真っ先に見ました。
五代友厚の日記は、「五代友厚秘史」に収録されていて、これも見ました。
後は、中公新書「薩摩藩英国留学生」の中に、森有礼の書簡が引用されているのですが、なにに全文が載っているのか、わかりません。
あと、小学館ライブラリーの鈴木明著「維新前夜」に、幕臣の家人・名倉予何人の日記が引用されているのですが、これも、出版されているものやらどうやら、わからず、です。
一番びっくりしたのは、「続再夢紀事」に、五代友厚から聞いたという越前藩士の報告が載っていたことです。慌てて図書館でコピーをとってきましたが、莫大な維新史料の中から、探し出すのは大変な労力です。「続再夢紀事」の件は、たまたま村松剛著「醒めた炎」を読み返していたら、モンブラン伯に触れていて、きっちり、参考文献を載せてくれていて、助かりました。
ともかく、です。なにかご存知のことがありましたら、お教えください。
それと、名倉予何人の日記によれば、パリのモンブラン伯邸は、「チボリ街」にあるというのですね。これが現在のパリのどこらあたりなのか、さっぱりわかりません。
チボリ公園やチボリ劇場に近かったらしい、ということだけはおぼろげにわかり、たどりついたのが、下のHPです。フランス語なので、さっぱり読めません。
むしのいいお願いなんですが、どなたか、チボリ街がどこらあたりなのか、わかる方はおられませんでしょうか。
http://www.faget-benard.com/petit%20bout%20du%20monde/textes/chap2/tivoli.htm
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シャルル・ド・モンブラン伯爵について
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こんな人のこないブログで情報を求めても仕方がないような気もするのですが、万が一、ということもあります。
前回に書きましたけれども、幕末を舞台に物語りを書こうと企画していまして、その重要な登場人物の一人が、モンブラン伯爵なんです。
実は、ネットで調べはじめてから、すでにフランス文学者の鹿島茂氏が、モンブラン伯を主人公に、『妖人白山伯』という小説を書いておられると知ったのですが、読んでみて、少々ショックでした。
手持ちの資料を読んだ段階で、「男色家だったのでは? 女嫌いのよう」という感触を持っていたのですが、鹿島氏は、しっかり男色家という設定にしていますし、先を越されている! とでもいった感じでして。
しかし、鹿島氏とは物語の視点がまったくちがいますので、まあ、それはいいことにしました。
モンブラン伯爵が大山師だった、という話の元ネタは、昭和6年発行の中里機庵著「幕末開港 綿羊娘(ラシャメン)情史」に出てくるんですね。鹿島氏もこれを使っていて、モンブラン伯を狂言回しに、幕末維新政治史のパロディを書こうとなさったようなのですが、よく調べておられる、と感心しつつ、小説としては、なぜかまったくおもしろくなくて、いや、なんといいますか、素材をひねりまわしすぎ、なんじゃないんでしょうか。
で、そう、モンブラン伯に関する資料です。
第1次資料とでもいうんでしょうか、モンブラン伯と同時代人が書き残したもの、あるいは語り残したものをさがしています。
田辺太一「幕末外交談」、これは真っ先に見ました。
五代友厚の日記は、「五代友厚秘史」に収録されていて、これも見ました。
後は、中公新書「薩摩藩英国留学生」の中に、森有礼の書簡が引用されているのですが、なにに全文が載っているのか、わかりません。
あと、小学館ライブラリーの鈴木明著「維新前夜」に、幕臣の家人・名倉予何人の日記が引用されているのですが、これも、出版されているものやらどうやら、わからず、です。
一番びっくりしたのは、「続再夢紀事」に、五代友厚から聞いたという越前藩士の報告が載っていたことです。慌てて図書館でコピーをとってきましたが、莫大な維新史料の中から、探し出すのは大変な労力です。「続再夢紀事」の件は、たまたま村松剛著「醒めた炎」を読み返していたら、モンブラン伯に触れていて、きっちり、参考文献を載せてくれていて、助かりました。
ともかく、です。なにかご存知のことがありましたら、お教えください。
それと、名倉予何人の日記によれば、パリのモンブラン伯邸は、「チボリ街」にあるというのですね。これが現在のパリのどこらあたりなのか、さっぱりわかりません。
チボリ公園やチボリ劇場に近かったらしい、ということだけはおぼろげにわかり、たどりついたのが、下のHPです。フランス語なので、さっぱり読めません。
むしのいいお願いなんですが、どなたか、チボリ街がどこらあたりなのか、わかる方はおられませんでしょうか。
http://www.faget-benard.com/petit%20bout%20du%20monde/textes/chap2/tivoli.htm
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「チボリ街」は、たぶん現在のパリ9区の「アテネ通り rue d'Athènes」ではないでしょうか。
サン・ラザール駅のそば、ですよね。
いろいろな経緯で、ほぼそう思っていたのですが、確認できてうれしいです!