出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

多久神社

2011年12月23日 | 松江市(旧鹿島町)
   
風土記:多久社
延喜式:―
雲陽誌:熊崎天王(素戔嗚尊)・多久上下明神(大国主命)
様  式:大社造変態
御祭神:天甕津比売命
合  祀:素戔嗚尊(熊崎神社)・武御名方命(諏訪神社)・神火酢芹命(狗飼神社)・市杵島姫命(厳島神社)
     大物主命(日吉神社)・応神天皇(八幡宮)・蛭児命・素戔嗚命(西宮神社)・味耟高彦根命(大森神社)
     大井神・水罔象神(大井神社)

県道264号を東進すると、右手に石造りの鳥居が見え、その向こうに大社造の本殿を抱えた境内を見つけることができます。旧鹿島町も古くは幾つかの小村に別れ、この社の辺りは講武村をなしておりました。江戸時代に佐太川が開削され、近年南北に走る主要県道が整備されるにより、往古の谷筋の姿は掴みにくくなっています。本来の河川は東方の御岳山より出でて恵曇(江角浦)に注ぎ、この神社の辺り多久郷は一大の勢力を成していたのではと思われます。

  

講武村誌に依れば、明治期には村内に十数社があり、小集落に分かれて祀られていたあります。日露戦争後、社会情勢の変化により、各集落は其々の社勢を保持することが困難となり、また村全体の統一感を醸成するにあたって、かえって小社の存在がこれを妨げるのではないかとの解釈があったそうです。こうした流れの中、上記の9社が数年を経て村内神社の大宗であった多久神社に合祀を達成し、大正4年に新社殿の竣工を迎えるにいたったとのことです。

多久神社そのものの由緒を顧みると、多久の郷草創の神である天甕津比売命を祀り、風土記のころより当地の氏神的存在であったとされます。また合祀の熊崎神社の由緒として、ある夜に多久の森に神鏡一面が舞い降り、それを見つけた某が、その地に祠を建てて祀ったことに始まり、その神勢は極めて強く氏神としての信奉は同社に集まったといわれます。実に雲陽誌の講武の頁には初めに熊崎天王が記され、多久上下明神は末尾に記されております。多久神社が再び地域の総社としての地位を得るのは明治4年の官命によるとのことです。この辺り両社伝統に拝殿扁額に象徴されているのではないでしょうか。

〈境内社〉
  
本殿左奥に、社殿一宇、並びに社日碑。右側に磐を祭るものあり。新町誌によれば多久神社の境内社として厳島神社が見える。社殿を持つものが之にあたるのかは確かではない。

〈所在地〉
島根県 松江市 鹿島町 南講武

参拝日:平成23年11月25日


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