出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

伊賀武神社

2014年07月13日 | 奥出雲町(旧仁多町)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:伊賀武神社(五十猛命)
様  式:春日造変態
御祭神:五十猛命・武御名方神
合祀神:宇武賀比売命(若杉神社)・須佐之男命(岩船神社)
     天御中主神・天照大御神・月讀命・大山祇命・譽田別命(西尾神社)

   

出雲八代の市街地から北西2kmの地に鎮座。松江・大東方面からは、県道25号を南進し久野を超えて下りに入ると右手西方に境内を見つける。社頭には伊賀武神社・八重垣神社を併記した自然石の大きな社碑が建つ。この裏には馬頭観音の石碑もひっそりと祀られていた。駐車スペースより社殿までの参道は広く長い。途中隋神門の脇に西尾社の碑が建っていた。上りつめた正面には平屋切妻の拝殿が、その奥には春日造りの本殿が鎮座する。明治以降近郷の総社となった相応の規模であった。本殿の右側高台には別の社が建つが、こちらが八重垣神社で境内社ながら同等に整備されている。

     

『神国島根』に拠れば、創建年代は不詳も天文二十年森脇山城守が棟上、元亀年間に三澤為清造営のの棟札が残る。『雲陽誌』はこの他に寛文・貞享年間の遷宮を伝える。明治四十年に上布施の若杉神社、岩船山頂の岩船神社、布施の西尾神社を合祀。同年佐白より八重垣神社を遷座し現在に至る。

<境内社>


   
本殿の右側高台に春日造の美麗な小社が建つ。佐白より遷座の八重垣神社に須佐男命・稻田姫命・足名槌命・手名槌命を祀る。昭和八年仁多郡内の傑作と認定された本殿は寛文元年(1661)の建立。『神国島根』に拠れば、同社は大蛇退治に縁深い佐白地内「八頭」に鎮座。手名槌・足名槌の末裔と称する馬庭氏の鎮守神であった。享保年間の凶作のおり、大馬木村の絲原氏と佐白の馬庭氏が同社に誠心請願した結果、神慮により藩主からの救済料を受ける。以降も五穀豊穣が続き仁多郡内の崇敬を集めた。明治の合祀令発令後も社殿は当地に移築遷座し今日に至る。

〈所在地〉
島根県 仁多郡 奥出雲町 佐白

参拝日:平成24年 5月 6日

諏訪神社(三成)

2014年07月10日 | 奥出雲町(旧仁多町)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:諏訪明神(建御名方命)
様  式:大鳥造小祠
御祭神:建御名方命

  

国道314号線を斐伊川に沿ってのぼり、尾原ダムの湖がつきると間もなく三成市街地に至る。同社は市街入口の国道南側に鎮座する。境内は狭く社殿は小さいながら、掃き清められよく整備されていた。石塔一対の奥に本殿が設えられ、右側には会所、左側には自然石に注連が張られていた。

社頭由緒に拠れば、永正七年(1510)当地の国人領主三沢為理がこの地に創建。三沢氏は横田荘を本拠として尼子・大内・毛利の諸氏との攻防をくぐり抜けた名氏。十四世紀初頭信州伊那より新補地頭として下向した際に諏訪大社より分霊。三沢要害山城の鎮護社として崇敬をしたと伝わる。『雲陽誌』には諏訪明神と記され明治四年に村社に列せられる。昭和四年三成八幡宮に合祀されるが、近隣住民の請願により昭和三十三年諏訪大社より再度分霊勧請し旧社地に再建を果たす。今日も氏神「諏訪さん」として崇拝を受けている。

〈所在地〉
島根県 仁多郡 奥出雲町 三成 字諏訪原

参拝日:平成24年 5月 6日