ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。
あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。
以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。
「034:
背中」から
★背中掻く母の手ずれてわれ詰(なじ)るわが痒き場所わからぬ不当を (謎野髭男)
( http://blog.goo.ne.jp/nazohige/ )
ほ:その頃はきっと幼くて、お母様を不当に思い、責めてしまったのですね。
しかし、今となってはそのことを申し訳なかったと思っている。
ご自分を責めていらっしゃるのでしょう。
こういう作り物でない気持ちを、心の中から拾い上げて詠むというのは
とても大切なことだなぁと、あらためて思いました。
★湯上りの夫の背中の痩せたりと不意に思ひて涙したたる (浜田道子)
ほ:愛情のあふれるようなお歌です。「痩せる」というのは悲しいですね。
それが愛するご主人あれば尚更でしょう。
言葉を飾らず、シンプルに詠われていて、とても実感がこめられていると
感じました。
「涙したたる」が、けっして大げさではなく感じられます。
★あんなこと言ってごめんねシャツの皺背中が喋るなんてずるいね (ハナ)
( http://www14.plala.or.jp/nemu31/ )
ほ:「シャツの皺」を見て、急に「ごめんね」と思えてくる気持ち。
わかるような気がします。きっと切なくなるのですね。
「シャツの皺」に視点をあてているところと、
「背中が喋るなんてずるいね」という可愛らしい愚痴が
とても良いと思いました。
★孵化を待つ卵のごとし講堂の体育座りの子らの背中は (丹羽まゆみ)
( http://blog.drecom.jp/mako9344/ )
ほ:子供達が講堂で体育座りをしている後ろ姿を、卵に喩えています。
孵化をを待っている卵。まるく、小さく、きっと温い背中でしょう。
心にはなにを抱えているのでしょうか。うまい喩えだと思いました。
思春期を迎えた子供たちは、あと少ししたら、急に成長して
羽ばたき、飛び立ってしまうでしょう。
寂しくもあり、待ち遠しくもあるような、しんとした風景です。
★少年の華奢な背中に貼りついた8月の嘘とんがったまま (暮夜宴)
ほ:少年の華奢な背中と8月の嘘が、よくマッチしていると思います。
「少年」と「背中」って、切り離せないイメージがありますよね。
「とんがったまま」という結句が良いと思いました。
どんな嘘が貼りついているのでしょう。
それがもっと具体的にイメージできると、さらに良いような気もします。
★信号を守る背中がいっせいに生い立ちを捨てかっこうと鳴く (ジテンふみお)
ほ:目の不自由な人に、信号が変わったことを知らせる「かっこう」の
メロディーが頭に浮かびます。
「いっせいに生い立ちを捨てかっこうと鳴く」という部分が
とても良いと思いました。一番大事な「背中」の意味が、最初わたしには
掴めなかったのですが、「信号を守る背中」は、信号を支えている柱と
いう意味で良いですか?その前後左右の柱にスピーカーがあって、
それから、いっせいに音がするということですよね。
柱であるという生い立ちを捨てて、かっこうと鳴く。
うん。なんか、人のためにがんばる柱が、格好良く思えてきます。
え?かっこうと格好のダジャレです。
p.s.作者さまよりコメントを頂きました。
ほにゃらかの解釈は、かなり頓珍漢だったようなので、
作者さまの自歌解釈(コメント欄にあります)も
合わせてご覧頂ければと思います。申し訳ありませんでした。
★黒い毛の背中に花びらのせ帰宅今日は何処を冒険したの (渡部律)
( http://blog.goo.ne.jp/ura_kuroneko/ )
ほ:散歩に行った猫が、身体にゴミなどをつけて帰ってくることがありますね。
ひげに蜘蛛の巣なんか付けていると、どこを歩いて来たんだろうと
思ったりします。
黒猫ちゃんが背中に花びらをのせて帰宅。花見でもしてきたのでしょうか。
「背中に花びらのせ帰宅」という部分がやや早口で説明的なので、
ここの表現をすこし変えてみると、さらに良いお歌になるように思います。
★とうさんの背中はいつもまっすぐに空へのびてる 悲しいくらい (みあ)
( http://blog.drecom.jp/a_yaya/ )
ほ:お父様の生きる姿勢を詠われているのだと思います。
きっと真面目で一本気な方なのでしょう。それは悲しいくらいに。
素敵なお父様の背中を見てお育ちになったのだと思います。
とてもあたたかく、愛情のこもったお歌だと思いました。
「とうさん」「まっすぐに」という平仮名表記も良いですね。
★さりげなく流しに立てばほぐれくるその声背中を耳にして聞く (前野真左子)
ほ:夫婦ゲンカでもしたのでしょうか。子供を叱った後でしょうか。
相手の口調が、すこしずつ「ほぐれて」ゆくのですね。
その声を、背中を敏感にして聞いている、その気持ちが伝わります。
「ほぐれくる」「背中を耳にして」という表現がとても良いと思います。
★陽の匂い剥がすあそびの背中から夏はまだらに遠ざかる (しのざき香澄)
( http://kasumi25.jugem.cc/ )
ほ:このお歌は面白いです。日焼けした肌を、すこしずつ剥がすのでしょう。
「陽の匂い剥がすあそび」と表現しているところが巧いなぁと思います。
「夏はまだらに遠ざかる」日焼けの肌は、全部いっぺんには剥がれませんね。
この「剥がす」あそびは、思い出をたどる遊びでもありますね。
だから、ちょっとずつ思い出も遠ざかっていくのだと思います。
★生き物のようにファスナーが前を行くひとの背中にまみれた街は (鈴木英子)
ほ:このお歌は、発見のお歌だと思います。
ひとの背中にまみれた街を歩いていると、どこを歩いたら良いかと
困ることがあります。
人の背中と背中の隙間に、狭い通路をひらきながら進みます。
ひらいては閉じ、ひらいてはまた閉じる通路?をファスナーに喩えて
いるのだと思います。それはまるで「生き物のように」うごめいている。
「ファスナーが前をゆく~」とあります。
前を歩いている誰かの後についていき、前の人のひらいてくれた
「ファスナー」のあとを辿っているのでしょう。
都会のラッシュアワーを、見事に表現されたものだなと思いました。
★あすごとは明日きめてよしアユタヤの遺跡に熱き背中をもたせ (光森裕樹)
( http://www.duralumin.net )
ほ:アユタヤの遺跡というのは、タイでしょうか。
地理とか歴史が嫌いなもんで、間違っていたらごめんなさい。
きっと作者はアユタヤの遺跡に立って、その国の、ゆったりとした
時間の流れに感動されたのだと思います。
「あすごとは明日きめてよし」それがその国の考え方なのでしょう。
あくせく働いて、焦って、急いで生きていた。そんな日常との対比。
興奮で背中に熱もこもるのでしょう。
★火の色を背中に見せる男より水の深さを目に湛ふべし (島田牙城)
ほ:「火の色を背中に見せる男」というと、格好いいサッカー選手などが
頭に思い浮かべます。
「水の深さを目に湛」えた男っていうと、サッカー選手なら中田英寿?
できれば、両面を兼ね備えているのが理想的です~。
「背中」と「目」、「火」と「水」の対比が面白いと思いました。
★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。
「背中」は、好きな歌がたくさんありましたので、感想が一言ずつになってしまいました。
こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。
私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。
しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。
もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。
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